4 同情する気にはなれません
保安隊の事務所は、宮殿の近くにあった。
警察の予備兵力として組織された保安隊は、爵位を持つ貴族の取り締まりが主だ。臣下が悪さをしていないか、監視しているのだ。
陛下のサインが書かれた封印状があれば、高位貴族も逮捕できる。
違法な売買、脱税、皇族に対するテロ行為などを取り締まっているが、婚約・結婚問題も多く抱えている。特に相談として多いのは、パートナーの浮気だ。
浮気なのか、違うのか。パートナーの問題を保安隊で調査するように言ったのは、皇后陛下だ。
皇后陛下は婚約者時代に、陛下の火遊びに苦労していたらしい。
「陛下の下半身がゆるいから、臣下の下半身もゆるくなるのです」
と、辛辣なことを言って、貴族議員と陛下を沈黙させたのは有名な話である。
もう一つ有名な話といえば、皇后陛下は一歳違いで七人の子供を産んでいらっしゃる。末王子デュラン閣下を産んだ後、しつこく求められ
「あなたの下半身は噴水ですか!」
と、怒鳴って、皇后陛下は陛下を寝室から追い出したらしい。絶倫の男性を夫に持つと、大変そうである。
そんな陛下は、性欲マックスの堕落した方ではなく外交が得意で、政務はしていらっしゃる。
陛下のおかげで、蒸気船が各国へ行きやすくなり、輸出が増えている。
しかし、内政はいまいち、という評判だ。
子供が成人した後、皇后陛下は夫の穴を埋めるように内政に力を入れている。法を整備し、貴族が通う学園で、節度を学ばせるようにしている。気位の高い貴族たちを変えるのは大変そうだけど、孫の代までにはなんとかしたいと言っている。
帝都は機械化が進み、昼間でも霧に包まれたように薄暗い。空気はおいしくないが、人であふれていた。
***
わたしはシャロンの養父母を保安隊事務局に呼び出し、事情を説明した。
事のあらましを話し終えると、子爵夫人は泣きながら夫を追い詰め、夫婦喧嘩が勃発。修羅場になった。
「そもそも、あなたが娼婦に入れ込んだりするから!」
「彼女が子供を身ごもっていたとは知らなかったんだ……それに、お前がシャロンを養女に迎えようと言ったんだろ……」
「屋敷の門にひとりで来て、どこにも行くあてがないと言われたら、追い返すわけにいかないでしょ!」
夫人は悔しげにうつむいた。
「……わたくしは、母親になるのは、無理だったわね……」
夫人はつぶやくように言い、スカートのポケットからハンカチを取り出し目元にあてた。
夫人の姿を見たシャロンは無言で、父親を見ている。娘に甘そうな子爵は困ったなぁという顔をするばかり。
――子爵の鼻から一本出ている毛、抜きたくなってきた。
わたしはイラッとしながらも、事務的に話を進める。
「ミス・シャロンは虚偽の報告を提出しています。慰謝料を払う義務があります」
「でも、報告書を出したのは、デイビット様で……」
「あなたの発言を元に、作られたものですし、浮気した事実は消えませんよ」
仕事柄、子爵やシャロンのような人の気持ちが分からない人とは、よく会う。彼らは本気で、自分の何が悪いのか分からない。悪いことをしている自覚がないから反省もしない。
だから、法が彼らを罰するのだ。
「慰謝料は保護者が代わりに支払うか、ミス・シャロンが炭鉱所で働いて稼いでください」
「炭鉱所……! い、いやっ。お父様、お願いよ。お金を払って」
「……シャロンを炭鉱所に行かせるにはいかないな……」
子爵は、ちらちらと妻の様子をうかがう。
夫人はうつむいたままだ。
「どうするかはご相談ください。それと、こちらをどうぞ」
わたしは夫人の前に皇后陛下のサロンの招待状を差し出した。
「こちらは皇后陛下主催、女性のみが参加するサロンです。たまには、夫人のみが集まって、旦那への愚痴を吐き出しましょうという会だそうです」
「えっ……?」
夫人は顔を上げて、ぱちぱちと瞬きをする。子爵は口をあんぐり開けた。
「でも……マーカス伯爵家の婚約を破談させてしまいました……社交の場に出るのは控えた方がよろしいかと思います」
「ご安心ください。この会は仮面舞踏会となっています。参加者の身分は控えさせて頂きますが、参加者同士は、名乗らなくてよい会です」
「え? ……そんな会があるのですか……?」
「初めて開催されるものですが、皇后陛下は男性のみか男性同伴の会が多いので、たまには女だけでもよろしいと言っていました」
耐え忍ぶ妻が多いことを皇后陛下は憂いていた。
――子供を育てるのは、将来の納税者を増やすことです。皆、国家事業に携わっているのよ。息抜きをする会があってもいいでしょ?
というのが、皇后陛下の考えだ。
ちなみに、乳母・家庭教師・教師の息抜き会も考えているらしい。
「急ですが、今夜、開催されるそうです。お時間があればぜひ」
夫人は呆然と招待状を見つめていた。子爵が動揺しながら、妻に問いかける。
「おまえ……まさか、行く気じゃないよな? そんな訳のわからない会……夫が行かない社交など意味がないだろう……」
「皇后陛下主催の会ですが」
すかさず言うと、子爵は口をもごもごと動かした。夫人は子爵をじっと見つめ、ぽつりと言った。
「呼ばれたサロンへはわたくしだけでも行きましたけど。あなたは疲れているからとか言って、逃げていましたよね?」
「うっ……」
今更、夫同伴にこだわる必要はない、と言いたげな顔をしていた。夫人は嘆息すると、わたしに向かって言う。
「お誘いありがとうございます。行きたいですわ」
「お、おいっ!」
「あなたの付き添いはなくてもいいわ」
「ぐっ!」
「あと、ドロシー様への慰謝料はお支払いいたします」
「え?」
「え……?」
夫人はシャロンの炭鉱行きを望まず、一括で慰謝料を払う選択をした。子爵を促し、手続きを進めていく。
意外な答えだったが、夫人は子爵とシャロンに淡々とした口調で言った。
「シャロンが成人するまでは養女のままで。学園は退学して、厳しい女学院にシャロンはお願いしますわ。以前から、シャロンには共学ではなく、女子寮のある学園がいいと思っていたの」
「えっ……退学するの? お金を払ったならいいじゃないの? ねぇ、ねぇ、お父様っ」
「う、うむ……」
「あなた、」
「ぐっ……」
「わたくしは最初、シャロンを女学院へと申しました。院長は厳しい方ですが、受け入れましょうと話をつけてあります。あなたは聞き入れませんでしたが、今度こそ、宜しいですわね」
夫人の語気の強さに子爵はうなだれ、弱々しくうなずく。
「どうして?!」
シャロンは悲痛な声をあげていたが、同情する気にはなれなかった。
シャロンは一晩、勾留された後に釈放された。
シャロンを迎えた夫人は吹っ切れたように晴れやかな顔で、丁寧に挨拶してくれた。こっそりわたしにだけ話しかけてくれた。
「仮面舞踏会、行きました。とても楽しかった。招待状ありがとう」
「それはよかったです」
そう言うと、夫人の表情がほんの少し曇った。
「わたくし……子供を授からなかったの。それでシャロンを引き取ったんだけど……母親って、大変ですのね」
わたしは口を引き結んで、じっと夫人の言葉に耳を傾けた。余計なことを言わない方がいい。
「仮面舞踏会で色々な方のお話を聞いて、視野が広まった気がします。楽しかったのは、皇后陛下の話を聞く気がない男をどうやって統率するか、でしょうか……ふふっ」
「楽しくて何よりです」
「シャロンの養育が終わったら、主人との関係を見直します。今は、仕事を頑張るわ」
前向きな夫人に、ひとこと言う。
「保安隊では離縁のご相談もできますので」
夫人は目をぱちくりとさせ、艶やかに微笑んだ。
「その時も、どうぞお願いします」
一方、子爵の方は鼻毛が五本も出ていて、ヨレヨレだった。
だけど、同情する気にはなれなかった。