9 証拠を落としていったか
王宮には隠し通路がいくつかある。
万が一、敵国に攻められてきたことを考え、用意されたものだ。
王族と、王族に近い者しか知らない秘密の通路だ。
時間通りに行くと、身を隠すように長いローブを着たシャルル王太子殿下がいた。
手にはランタンを持っている。
目を凝らしてみると、前に見た時より、痩せていた。
元々、白い肌は青く、血の気が失せている。
シャルル王太子殿下は俺を見ると、苦し気に眉を寄せた後、ぎこちなく笑った。
俺は敬礼をする。
「お時間を作ってくださって、ありがとうございます」
淡々と言うと、シャルル王太子殿下は泣きそうな顔をする。
「いや……君とは、話をしなければと思っていた……」
「何を、話しますか?」
ひゅっと息を呑む音が、狭い隠し通路に響く。
「……アラン。……ブリュノとリリアンを結婚させることにした……」
「そうですか」
どうでもいいことだ。
「……セリア嬢のことは調査中だ……ポンサール公爵も、君も、いづれ……っ」
そこでシャルル王太子殿下は言葉を切った。それ以上、言えることがなさそうだ。
「殿下はポンサール家を見捨てるのですか?」
「ち、違う! 僕は!」
隠し通路に殿下の悲痛な声が響く。
だが、それだけだ。
殿下はそれ以上、何も言おうとしない。
「ブリュノ殿下を見張れなかったのは、俺の落ち度でもあります。殿下の手を煩わせました。誠に申し訳ありません」
深く頭を下げる。顔をあげると、シャルル王太子殿下は、どこかほっとした表情を見せていた。
それを見て、心が氷のように冷えた。
殿下は弟のしたことを、なかったことにしたいのだろう。
もしかしたら、陛下も同じ考えなのかもしれない。
――そんなこと、赦せるか。
妹はいわれなき断罪を受けたのだ。
「……アラン……おまえのことは優遇するよ。僕付きの近衛に戻してもいいんだ」
「いえ、今のままでいいです。その方が、ポンサール家は処罰を受けたと周りに見られるでしょうから」
シャルル王太子殿下は、息をつまらせ、大きく息を吐いた。
「……おまえがそういうなら」
「あと、マルクは……殿下付きから外されたのですね」
「っ……」
シャルル王太子殿下の目が泳ぐ。
「……おまえの上司にしたほうが、おまえの立場も良くなるだろうと思って……」
「俺のためですか……殿下は、自身の身を一番に考えた方がいいですよ。あなたは尤も高貴な立場なのですから」
俺は敬礼をする。
シャルル王太子殿下は何か言いたそうな顔をする。
幼なじみとしての情が、俺に対してあるのかもしれない。
それならば、俺の妹を、父を守ってほしかった――
父がアンリ陛下に期待したように、俺はシャルル王太子殿下に期待していたのだ。
シャルル王太子殿下は、もう頼れないだろう。
それが分かっただけで、俺には充分だった。
今は。
***
今日の警備は中庭だった。
宮廷の中庭には放飼場があり、様々な種類の動物が飼育されている。
隣接しているのは王立アカデミーの研究所だ。
科学・天文学・地理学・植物学。医学と、様々な研究員がおり、実績を認められ、爵位を賜れる。
ただし、一代限りのものだ。準男爵が撤廃され、男爵のみになってしまったためである。
中庭を眺めていると、料理を抱えた給仕が研究棟へ走っていく。
植物の研究室へ足を運べば、ピンクブラウンの髪を揺らしながら、リリアンが近づいてきた。
頬をバラ色に染めて、まるで再会を心から喜んでいるような顔をされ、顔がひきつりそうになった。
「あなた……アラン卿ですね」
「ご機嫌、うるわしく」
「ふふっ、そんな固くなさらないで。わたくしね。あなたが復帰できるようにブリュノ殿下にお願いしたのよ」
――どういうことだ。
「……それは初耳です」
「まぁ、そうなの? 嫌だわ。ブリュノ様ったら、嫉妬なさったのかしら? ふふふっ」
ころころと笑うリリアンに笑顔を貼り付ける。
「あなたがボロボロにされている姿、とても可哀想だったわ。あそこまでしなくても良かったのに。ねえ、そう思いませんこと?」
リリアンが俺の服に触れようとする。俺はとっさに体を引いた。
「警備兵に触れてはいけませんよ」
「まぁ、そう? ――なら、跪きなさい」
強い口調で言われ、リリアンのストロベリーブロンドの瞳の色が濃くなっていく。
愛想のよい笑みは口から失われ、にたりと釣りあがっていく。
本性を見せてきたか。
「わたくしね。ブリュノ殿下との婚約が認められたの。ドレスは既製品になっちゃったけど、もうすぐ王子妃になるのよ?」
リリアンは楽し気に、ころころ笑う。
「だからね。跪いて。わたくしに頭を下げなさい。アラン・フォン・ポンサール」
腹の中にドロッとした感情が渦巻いていく。
『理不尽は嫌いだよ。犯罪者なら、逮捕するまでだ』
デュランの言葉を思い出し、怒りで震えそうな体を落ち着かせる。
――今は、まだ。目の前の女を犯罪人にできない。証拠を掴んでいない。
俺は、リリアンが自作自演で爆弾を仕掛けたと思っていた。
リリアンは宮廷慣れをしていない市民と変わらない者だ。
市民が爆弾を仕掛けられる宮廷に居たいものだろうか?
普通は恐れを抱いて、王子妃になることを嫌がりそうだ。
だが、リリアンは心から王子妃になることを喜んでいる。
この者は、妹の立場を狙った可能性がある――
俺は彼女の前で跪いた。
リリアンの目が嬉々と開いていく。
「そのまま、頭を下げなさい。わたくしに向かってよ!」
「お断り致します」
「なっ……」
鋭い眼差しで、リリアンを見上げる。
「俺の忠誠は陛下、及び、王族の方々のみです」
「わたくしは王族になるのよ!」
「まだ、王族ではありませんよ」
リリアンは苛立ったのか、俺の顎を手でしゃくる。
「……婚約者になら同列でしょう? わたくしの言うことを聞くなら、ブリュノ殿下付きの近衛にしてあげてもいいのよ?」
少しも魅力を感じない提案だ。
ふっと口の端を持ち上げる。
「訂正します。俺の忠誠は、誠実な、王族のみです」
「っ……ブリュノ殿下は誠実ではないとでも言いたいの! 不敬よ!」
「どちらが、ですか」
俺はすっと身を引き、立ち上がる。リリアンの手から逃れ、見下ろした。
「俺はポンサール公爵家の次期当主です。あなたはまだ、一代限りの男爵令嬢に過ぎない」
リリアンはぎりっと爪を噛んだ。歯を立てて、爪を噛むと、ふっと表情が変わっていく。
最初に見せたみたいにしおらしい笑顔になる。不気味だ。
「……そうですわね。わたくしが礼を欠いていたわ。ごめんなさい……」
瞳を潤ませ、祈るように前で両手を組む。
俺が眉根をひそめると、俺に向かって一歩、近づく。
「あっ……」
不意にリリアンは足をつまずかせ、とっさに手が出た。――しまった。
彼女を支えると、感激したような顔をされる。
「……お優しいんですね」
すっと顔を近づけられ、顎を引くと胸ポケットに何かを入れられた。
「ふふっ……お礼ですわ。お父様が作ってくれたハンドクリームですのよ」
そう言って、リリアンは俺から距離を取ると、スカートの端を指でつまみ、左足をひくと駆け出してしまった。
放心して背中を見送る。胸ポケットに入れたものを取り出す。木製の丸い容器だ。
「……ハンドクリーム……か」
蓋を開けて、匂いを嗅いでみる。覚えがある香りだった。
――証拠をわざわざ置いていったか。
俺はうっそりと微笑み、胸ポケットに容器をしまった。
そう。彼女の悪行の証拠を掴むために、俺は場外警備兵になったのだから。