7 妻にしてください
父が領地に来る前に、時間が巻き戻ります。
激しい雨音で、目がさめる。
俺はタウンハウスのベッドの上で寝かされていた。
どうやら、馬車に揺られている間に、俺は気を失っていたらしい。
必死に俺の名前を呼ぶオネットの声を、かすかに覚えている。
――オネットには、心配をかけさせたな。
体を起こすと、全身が包帯で巻かれていた。
寝ている間に、治療をしてくれたらしい。ありがたいことだ。
そばあったガウンを羽織り、ベッドから降りる。
「っ……」
体がまだ痛い。
それでも立ち上がり、扉の方に向かう。
リアの傷はひどくなっていないだろうか。
傷口が化膿していたら、高熱がでる。
急いで足を動かしていると、不意にドアが開かれた。
音を立てないように静かに開いたドアに驚いて、足を止める。
オネットだ。彼女は足早に俺に近づいた。
「アラン様っ……」
「……ごめん、オネット。心配をかけたね」
「……っ……いえ」
オネットは目を真っ赤にして首を横に振る。目元が赤い。
泣きはらした痕が見えて、胸がちくりと痛む。
「まだ寝ててください。医師は骨が折れていると言っていました」
「もう、大丈夫だよ。それより、リアは」
「セリア様は手当をして横になっておられます。大丈夫です。あなたもケガ人です。大人しくしててくださいっ」
まくしたてられ、俺は困った。
「父上は来ているのか……」
「まだ……」
「……そうか」
俺はベッドに戻って、座った。深いため息が出た。
「……アラン様、一体、何があったのですか……? セリア様のうけた焼印は、国外追放者のものです……死罪と……変わりませんっ……そのような仕打ちを、セリア様が受ける理由が分かりせん」
オネットは体を震わせて、怒りを声にのせる。
俺は目を伏せた。
「……俺にも分からない……」
「分からないって……」
「父上が話を聞いていると思うが……だが」
納得できる理由はないだろう。
恐らく、モールパールがブリュノ殿下をそそのかしたのか、リリアンがそそのかしたのか、殿下自身が俺たちに恨みを持っていたのか。
ぽつり、ぽつりと言葉を切りながら、オネットの前で話す。
贖罪でもするように。
「……セリアは……俺の恨みをひとりで受けて、それで」
「それは違います!!」
オネットが悲痛な声を上げた。
「どうして旦那様が悪いのですか! どうしてアラン様が悪いのですか! 悪いのは宮廷を預かる殿下ではありませんか!!」
「……オネット」
「ひどいっ……こんなのあんまりです……っ」
オネットが怒りで目を真っ赤にしながら、涙を流す。
泣くのが嫌なのか、しきりに涙を腕でこすっていた。
そんな彼女にかける言葉は、見つからない。
「アラン様」
オネットが涙の跡で真っ赤になった目で、俺の前に立ち、見下ろす。
「屈辱を晴らしたいのなら、ヴァランタン家が力になります」
オネットの実家の名前を出され、ひゅっと息が出た。
「……父が敗退の責任を取らされた時、私たちの家族はバラバラになりかけました……姉は婚約者がいたので早めに結婚し、私は旦那様の温情でここへ……その後も旦那様のご尽力で、今は屋敷の使用人を含めて、父も母も屋敷を手放すことなく過ごせています」
オネットがぎゅっと拳を握る。
「父はああ見えて、旦那様に恩義を感じているのです。旦那様が窮地に追いやられたといえば、剣を持ちます。……私はそう言われて、ここに来ました」
「オネット……その話は……」
「……旦那様にも言っておりません。でも、いざという時、ヴァランタン家はポンサール家の為に剣を持ちます」
剣を持つ。それは、すなわち――
「……王家に反逆するということか」
「はい」
肯定されて、喉がぐぅと鳴った。
「たとえ王家が迎え撃とうとも、ヴァランタン家とポンサール家の軍事力を合わせれば、勝てる見込みはあります。ヴァランタン家はおちぶれたと言われますが、武器商人につてもあります。傭兵を集めることだってできます」
「オネット……それでは戦死者を幾人も出す」
「それでも! このまま黙っているなんて……そんなのって、ありませんっ!」
興奮したオネットを落ち着かせようと、俺は立ち上がる。
「オネット……」
肩に手を置くと、振り払われた。
将軍と同じ翡翠色の瞳が、燃えるように大きく開いていた。
「なぜ、黙っていられるのですか? 私の言葉が信じられないのですか? それなら今すぐ、あなたの妻にしてください――」
オネットが震える手で、首元のボタンを解いていく。
きっちりとしめられた喉元がはだけ、けがれなき白い肌があらわになる。
ぞくりと、腰のあたりに劣情がはしった。
「結婚式など無用です。今すぐ私を抱いて、妻にしてくださいっ……婚姻は両家を強く結ぶ戦略ですっ」
「やめろ!」
オネットの手を取り、服を脱ごうとすることを彼女を止める。
彼女は興奮して、俺から離れようともがく。
「私にはあなたの妻になることに何の障害もありません! 閨の学びだって、ポンサール家に仕えながら教えてもらって――」
「――オネットッ!!」
彼女の覚悟がたまらず、強く抱きしめた。彼女は俺の中で大きく震える。
「……オネット……ダメだ。今、君を妻にできない」
オネットの体が弛緩していく。
俺は切ない思いを抱えながら、力が抜けていく彼女を支えた。
腕の中で、すすり泣く声が聞こえる。
「な、ぜ……ですか……私が……お嫌いですか……」
「嫌いなわけ……ないよ……」
――好きだよ。オネット。
「でも、できない……君まできっと、巻き込む……」
ポンサール家の軍事力は強大だ。ヴァランタン将軍がいれば、指揮の統率も強いものになるだろう。
だが、王家が所有する軍隊と衝突させれば、俺はどうなるか分からない。
死ぬのが怖いんじゃない。
オネットを遺すのが怖い。
まだ死ねない。
「ふっ……」
「ごめん……ごめんっ」
泣くオネットに、俺は謝ることしかできなかった。
情けないことに。
「あなたの『ごめん』は、優しすぎて……残酷です」
オネットが顔をあげて、俺にせがむような眼差しを送る。
「私の心はあなたのものです。……ずっと、お慕いしていました……」
「……俺も」
と、言いかけて口をつぐんだ。
言葉の代わりに、腫れた彼女の目元にキスを捧げる。
オネットは驚いたようで目を丸くした。
その表情を愛らしく思いながら、胸が痛んだ。
「まだオネットと幸せになれない……ごめん」
そう言うと、オネットは「……優しすぎます」と言って、また泣いていた。