5 雷鳴が空に響いていた
雷鳴が空に響き、雨粒が窓をたたく。
怒りの槍が天から降ってくるように雷が落ち、空が真っ白になる。
ひどい雨の日だった。
ブリュノ殿下の取り巻きの衛兵が、詰所で待機していた俺の元に来た。
「リリアン・クローデル男爵令嬢の私室に爆弾が仕掛けられました。犯人はセリア・フォン・ポンサール公爵令嬢です」
あまりに現実味のない言葉だ。
俺は瞠目したまま衛兵に詰め寄った。彼の胸ぐらを掴み、言葉を吐く。
「何を馬鹿なことを言っているんだ……」
「じ、事実です。あなたは犯人の兄ですので、詰所に待機を――」
「そんな馬鹿な話があるかッ!」
俺は首を絞める勢いで、彼に詰め寄る。
「妹は今、どこにいるっ!」
「し、審問の部屋にっ……!」
「くそっ!」
俺は咽る衛兵を押しのけ、審問の部屋に向かう。
急いで向かった審問の部屋には、衛兵が立っていて邪魔をしようとする。
その制止を振り切り、部屋に入った時、妹は囚人のように両腕に拘束具をはめられていた。
ブリュノ殿下は妹がリリアンに爆弾を送り、故意にケガをさせようとした犯人と決めつけていた。
――いったい、何が起きているのか。
訳がわからないまま、殿下の膝下に行き、嘆願する。
王太子殿下が戻ってくるまでは、妹の処罰は待ってほしい。
きちんと調査をしてほしい。
床についた手を殿下に踏みにじられようと、構いやしない。
妹は、セリアは、天使のように心が優しい子なんだ。
爆弾を仕掛けたなど、あり得ない。
「王太子殿下が戻ってくるまで、裁きはお待ちください……!」
「黙れ! 父上が病に倒れ、兄上が不在の今、俺が陛下の代理だ。焼きごてを!」
「お待ちください!!」
そう叫び、殿下の足を止めようと手を伸ばした時、後頭部に鈍痛が走った。脳が揺れ、一瞬、意識が途絶える。
弱々しいパンチしか繰り出せなかった衛兵が酷薄な笑みを浮かべて、俺を殴っていた。
くらむ視界の中で、彼の拳に真鍮の鍔が見えた。
相手を痛めつけるためだけの器具だ。くそっ。
痛みで両手を床に付けている間に、腕を捕まれ後ろで拘束されてしまう。
身をよじっている時、妹が俺に向かって、叫んでいた。
「もうおやめください!……にいさま……にいさま……だいじょうぶ、ですから」
妹は乱暴に服を引き裂かれ、肩をあらわにさせられる。
焼かれた鉄の印を持った衛兵が、妹の白い肌に烙印を押し付けようとする。
「だいじょうぶ、ですから……」
こんな時なのに、妹は俺に向かってほほ笑んでいた。
――なぜ。
なぜだ、なぜだ、なぜなんだ!
こんなにも優しい妹に、なぜこのような仕打ちができる!
「やめろ! 離せ!!」
衛兵たちの拘束を解こうともがく間に、熱された鉄で妹の白い肌がただれていく。
「リア、リアっ、……っ……ちくしょうおおおおおお!!」
俺の叫びも、猿つぐわで封じられる。
衛兵たちの嵐のような暴力。
ブリュノ殿下とリリアンの満足そうな顔。
涙を流しながらほほ笑む妹。
何もかもが、悪夢だった。
「リアっ……」
暴力がさり、はいつくばるように妹に近づく。
妹は気を失っていた。
妹を抱き起し、まだ熱を持った肩を見て、苦痛に眉根を寄せる。
「ブリュノ様……セリアはどうするのですか……?」
「烙印を押したから国外追放の処罰だ。民衆の前で、さらしものにするか」
「まあ……そうですか」
リリアンが俺たちを見る。その瞳が、口の端が、俺たちをせせら笑っているのが分かった。
今すぐ切り捨ててやりたい。
憎悪の眼差しを向けると、リリアンは不満げに口を引き結ぶ。
「ブリュノ様、国外追放するのなら法務大臣にお話を通しませんと」
「その点は、このモールドールにお任せくださいませんか?」
杖をついて恭しく表れたのは、モールドール伯だ。ブリュノ殿下に胸をあて、礼をする。
「このモールドール、法務大臣と懇意にしております。殿下の断罪は、まったくもって見事でございました。事後処理は、モールドールにお任せを」
「おまえの良いようにしろ。その二人を宮廷から追い出せ」
肩をいからせながら退室したブリュノ殿下に付き添い、リリアンも後を付いて行く。
二人が背を向けた隙にメッセージカードを拾い、ポケットにしまう。
屈辱に耐えながら。
モールドール伯はニヤニヤ笑いながら、俺たちのそばに寄ってきた。
俺を見下ろし、やれやれと首をすくめる。
「いけませんね。いけませんよ。殿下の意にそぐわないことをしては……」
「……っ」
「これで、ポンサール公爵家も終わりですねえ。ひひひっ! 病弱な陛下に取り入って私を宮廷から追い出すからこうなるのだ! ひひひっ! ポンサールの若造ごときが財務大臣の座など早いわ!」
狂ったように笑い出したモールドール伯に、プツンと血管が切れた。
俺は反射的に片手で帯刀していた剣を抜き、モールドールの杖を斬る。
「なっ……!」
杖に体重をかけていたモールドール伯は、無様に前につんのめる。
伯が被っていた横ロールの立派なカツラが頭からずれ落ちた。
カツラを踏んで、伯はしりもちをつく。
「何をするか、金髪の小僧!」
俺はセリアを横に抱きかかえ立ち上がる。
旧世代の亡者をゴミのように見下ろした。
「あなたに父を侮辱する資格はありませんよ」
「なにをっ……」
喚くモールドール伯を置いて、俺は自分の部屋に戻る。
体中が痛み、眉根が寄る。
その間にも妹の顔はほてりだし、うなされているような声を出していた。
「リア……手当てするから……もう少しだよ……」
ふらつきながら部屋に着いたとたん、膝が力を失う。
妹を傷つけまいと咄嗟に、背中を壁につけたら立ち上がれなくなった。
「アラン様!! セリア様!!」
オネットが悲痛な声をあげ、駆け寄ってくる。
ほっとして、オネットに妹に頼んだ。
「リアの肩を診てくれないか……っ 手当を……」
オネットはセリアを軽々と横抱きにするとソファに下した。
オネットの後ろ姿を見て、ほっと胸をなでおろしていると、オネットと入れ変わり従者のクロードが駆け寄ってくる。
「ああ、ぼっちゃんっ! じぃの肩におつかまりください!」
「……すまない。クロード……」
クロードの手を借りて、俺も違うソファに腰をおろす。
「何があったのですか……このようなケガをしてっ」
「……詳しくは後で話す。今はリアをっ」
「ええ、ええ。分かっておりますとも。すぐに医師を――」
「――医師は呼べない……クロード、父上に、会って、これからのことを……っ」
「ぼっちゃんっ?!」
クロードが慌てている中、部屋の扉を叩く音がした。
クロードが向かい、玄関で対応する。
来たのは息を乱した父の従者だ。
「クロード、アラン様とセリア様は」
「御いたわしい姿に……」
「そうか……旦那様からの伝言だ。今すぐふたりはポンサール領へ戻れとのことだ」
「……へ? なぜ……」
「後のことは旦那様が話をしてくださる。ふたりは領地に戻って、養生してくれ」
「……なんと……」
ふらふらとするクロードに淡々と告げ、従者は足早に去っていく。俺はきしむ体を持ち上げた。
「ぼ、ぼっちゃん! 無理をしては!」
「大丈夫だ……父上の言う通りにしよう……ここじゃ、リアがまともな治療を受けられない」
烙印を恐れて、宮廷医師たちが診断を拒否したら妹の容態が悪くなるだろう。
「オネット……リアに応急処置をして、すぐ出立しよう……」
オネットは下唇をかみしめて、うなずいた。
クロードが御者となり、ポンサール公爵家の馬車に乗り込む。
領地までは遠いから、何度も休憩を挟み、俺たちはポンサール領へ戻る。
雷鳴は、まだ空に響いていた。
次は父視点になります。いつもより、長めの話になります。