3 理不尽は嫌いだよ
リリアンはピンクブラウンの髪色で妹と同い年。
17歳にしては幼い印象がある。
それをシャルル王太子殿下の前で言うと苦笑された。
「セリア嬢は宮廷の官吏も舌を巻くほど、機知に長けている。君の妹と比べたら、他の17歳の女性はみんな子供っぽく見えるよ」
「……そうでしょうか? 妹は妹で天使だと思いますが」
「変わらず妹愛にあふれているね……」
「事実、妹は天使ですし」
真顔で言うと、殿下は口の端を引きつらせた。
殿下は嘆息して、執務机にある書類に目を通していく。
「リリアンはクローデル男爵が助手として来させていると言っていた。彼女が騒ぎでも起こさない限りは、宮廷を出入りすることは大目に見る。今、……父上に亡くなられては困るんだ」
殿下は書類に視線を落としながら、眉に深い皺を寄せた。
「……僕が王笏を持つのは、まだ早い。僕には重すぎる」
殿下は時おり、弱音を吐く。
王という重圧に耐えきれないとこぼすのは、俺の前でだけだ。
幼なじみだからこそ気が緩むのだろう。
だからこういう時は、殿下の背を押してやるのだ。
「重さを感じるのは最初のうちだけでしょう。それに持ってみれば案外、手に馴染むかもしれませんよ」
殿下は困ったように笑う。
「そんなことを言うのは、おまえだけだよ。誰もが僕に期待をかけているのだから」
「それは当然でしょう。期待できない王など、王ではありません」
はっきりと言ってみると、殿下は目を丸くした後、くくくっと笑い出した。
「まったく。おまえが一番、厳しいことを言う」
「今のは、幼なじみの発言として、お許しください」
胸に右手をあてて、礼をする。殿下は俺の軽口にも笑顔を返してくれた。
この時もまだ、俺はリリアン自身が毒の花であるとは気づいていなかった。
子供っぽく、どこにでもいるような女の子、という印象だ。猛毒を持つ小さな花は、確実にブリュノ殿下を蝕み始めていたというのに。
妹の笑顔にかげりが見えていることも気づいてはいたが、それよりも陛下の具合がいっそう悪くなることに意識が向いていた。
いよいよ、陛下は立つことが難しくなり、殿下の即位が近い未来となってきた。
その為、近隣諸国への外遊が決まった。
隣接している三か国――ロレット王国、ガルシア王国、ゲルハルト王国を外遊し、最後に皇族領に行き、殿下は教皇聖下と対談をする段取りが組まれた。
長い旅路になる。俺も同行すべきだと思ったが、殿下に留守を任された。
「ブリュノの様子がおかしい気がする。何を言っても会話にならない。議員に任せておけば大丈夫だろうが、アランは残ってくれ」
「御意」
振り返れば、殿下は何かを察していたのかもしれない。
俺の代わりにマルクが殿下の護衛の任に付き、俺は宮廷を守ることにした。
しかし、出立された直後、ブリュノ殿下の様子が見るからにおかしくなった、
宮廷の廊下で、妹を大声で叱責していたのだ。
「なんだ、その服は! みっともないと思わないのか!」
巡回していた同僚の知らせを受け、急ぎ駆けつけた時は、妹は小さくなってブリュノ殿下に頭を下げていた。
ブリュノ殿下は妹の服装が気に入らないようだ。
胸が開きすぎて下品だと、耳を疑いたくなるような罵声を妹に浴びせていた。
「殿下! もうお止めください!」
俺が割って入ると、ブリュノ殿下は不快そうな顔をする。
「アラン、余計な口を挟むな。俺はセリアに忠告しているだけだ」
「それにしては、あまりにも言葉が過ぎます」
「うるさい! そんな胸の開いた服をきてるのが婚約者など、恥以外の何者でもないだろ!」
セリアが着ていたのは、薄手のレースを何枚も重ね、ドレスを軽くした涼しげな装いの服装だった。
胸まで開いてはおらず、いつもの服装より首回りが大きいのみ。
その装いは、暑い時期に宮廷を駆け回る妹を見たオネットが、妹を案じて用意したものだ。
熱気にあてられ、妹は冷たいタオルを首にあてながら、父の仕事を手伝っていた。
妹は喜んで、ドレスを身に着けていたのだ。それを、ブリュノ殿下といえど批判されるいわれはない。
「……セリアの服装は、俺が用意したものです。叱責なら、俺にしてください」
ヘーゼル色の瞳がすがめられる。
「おまえが……なら、罰を与えなければな」
妹が蒼白し、俺の前に出る。
「殿下っ……誠に申し訳ありません。二度と身に着けませんので、どうかお許しください……」
「ダメだ」
ブリュノ殿下の一言は冷たく、妹は体を震わせた。
「宮廷マナーは厳格でなければいけない。他の者に示しがつかないだろう。こい、アラン」
今にも泣き出しそうな妹に、俺は微笑みかける。
「にいさまは強いから、大丈夫だよ」
軽く手をあげ、何か言いたげな妹を残して、俺はブリュノ殿下の後を付いていった。
殿下と共に行った先は、衛兵の詰所だ。
皇族と同じ階に作られた詰所は壁が真紅に塗られている。
かつては広い拷問部屋だった。
その名残りで、壁についた血の赤を消すために染色された消石灰が使われている。
部屋に入るとブリュノ殿下付きの若い衛兵たちが待機をしていた。
顔を良く見ると、ヴァランタン将軍の訓練に付いてこれず、なあなあで士官学校を卒業した者だ。
「アランが宮廷を乱す行為をした。厳重に罰せよ」
ブリュノ殿下の言葉に、若い衛兵たちは互いに顔を見合わせ、一人が背後に回り、一人が俺の前に立つ。
にたりと品位の欠ける笑みを浮かべていた。
「ポンサール公爵家の令息が風紀を乱してはいけませんね」
「風紀を乱した覚えはないが、罰したいのなら罰すればいい」
目の前の男を見ず、ブリュノ殿下を見る。
「それで気がお済みになられるのでしょう?」
そう言うと、ブリュノ殿下はかっと目を広げた。
「口答えをするな! 跪かせて、徹底的に痛めつけろ!」
後ろに回った奴が、俺を蹴り飛ばし、跪かせる。数名の若い衛兵が俺を取り囲み、体罰という名の暴力をふるう。
――が、衛兵たちが繰り出す拳は、なんとも弱いパンチだ。将軍の訓練は、もっと苛烈だ。
喉を潤す一滴の水が欲しくて、地面にできた水たまりをわき目もなくすするような日々だった。
それに比べたら大したことはない。
うめき声ひとつ上げずにいると、息を切らせた衛兵たちが不気味そうに俺を見下ろした。
「殿下……も、もう、宜しいのでは……」
弱気になって衛兵たちがブリュノ殿下に言う。殿下は口惜しそうに俺を睨んでいた。俺は跪いたまま、殿下を見上げる。
「暴力で意見を封じても俺は折れません。ブリュノ殿下、あなたはこれから国を支えていくお方です。今一度、ご自身の振る舞いを見直され――」
「――黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れッ!!」
ブリュノ殿下は肩をいからせて、俺の前に立った。
「……不快だっ」
そう言って、殿下は退出された。残された衛兵たちも、慌てて殿下の後を追う。
俺は嘆息し、誰もいなくなった部屋で苛立ちを吐き出す。
「憂さ晴らしができなくて駄々をこねられたか……」
心を入れ替えてほしいと願うが、難しいのかもしれない。
「セリアにばかり殿下の御守りを押し付けてしまっていたのかもな……」
妹の相手があの方か、と思うと腹が煮えそうだ。
せめて、妹の頑張りが報われる相手であって欲しい。
でも、妹の婚約は王命。覆せるものではない。
現実は、理不尽だ。
ふと、顔を上げてぼんやりと深紅の壁紙を見ていると、留学の時に出会った相手のことを思い出した。
帝国の第六皇子、デュラン。彼との出会いは新鮮だった。
『理不尽は嫌いだよ。理不尽なことをする奴ってのは、大抵、犯罪予備軍か、犯罪者だ。四の五の言わずに逮捕するだけだね』
そうあっけらかんと言われ、驚いたものだった。