2 俺みたいになるなよ
本日、2話目です!
父は財務総監になると、赤字財政を立て直そうとした。
まず父が取り組んだのは、会計報告を年に2回、きっちり行うことだ。
各領地にまかせていた報告書の書き方も統一した。
ずさんな報告書は認められなくなり、他の貴族議員から反発を食らっている。
それに、妹がブリュノ殿下の婚約者となってからは、ポンサール公爵家を目の敵にする者も多くなった。
王族に次ぐ、第二の勢力となることを他の者は恐れていたのだろう。
手を取り合い、国を良くしようと意気込んでいた俺は、宮廷の異様な空気に眉根をひそめた。
晩さん会では特にそうだ。
フィリップ陛下時代からいる議員は、晩さん会の縮小を嫌がっていた。
これぞ宮廷である!と言いたげな態度で、今日も派手な装いのパーティーが開かれている。
会場を仕切っていたのはシャルル王太子殿下だった。
殿下の周囲を見ながら立っていると、ひどく酔っ払った相手にからまれた。
「金髪の小僧だったおまえが、今や王太子付きの近衛とはなあ! ははは! こりゃあ、傑作だ!」
豪快な声で俺を嘲笑ってきたのは、ヴァランタン将軍だ。
戦争で敗退した責任を取らされ、今は重鎮ではなくなっていた。
士官学校で俺に剣を教えてくれた人でもある。
口は悪いが、俺は将軍が嫌いではない。むしろ尊敬する一人だ。
「将軍、酷く酔っておられるようですね」
「ははは! 俺を将軍と呼ぶやつは、もうおまえだけだ。なあ、アラン。昇進の祝いだ……」
にたりと笑い、将軍は俺に顔を近づける。
将軍は持っていたグラスを俺の頭に傾けた。
なみなみとつがれていた赤ワインが俺の髪をぬらしていく。
視界が赤紫色に一瞬だけ染まり、口の端まで赤ワインが滴った。
現場を目撃した貴婦人や給仕がひっと声を出す。
俺は将軍の真意を探るため、その場を動かなかった。
唇の端までしたたった美酒を味わい、微笑する。
「ずいぶんと、うまい酒ですね」
「ん? くくくっ……相変わらず、かわいげがないやつだ」
場がざわつく中、将軍は俺に耳打ちをした。
「この国は腐りかけのリンゴだ。上の言いなりになったら、おわりだぞ? ――俺みたいになるなよ、アラン」
将軍が空になったグラスを投げ捨てた。飲み口の薄いワイングラスは、パリン、とあっけなく割れる。
戦う前、勝利祈願でもするように見えた。
将軍は不敵に笑うと、その場を去っていった。
無念さがにじんだ背中を見送っていると、すぐに周りの者が集まってくる。
「アラン卿、大丈夫ですか?」
「公爵のご子息に、なんと無礼な振る舞いを」
「戦争の申し子と呼ばれた将軍も、酒におぼれ、地に落ちましたな!」
将軍への非難でその場は騒然とする。
顔をよく見れば、先王時代から国の中枢にいた議員の令息や令嬢だ。
父上の地位が落ちた時、フィリップ陛下側について父上を非難していた家の連中でもある。
腐りかけのリンゴか……将軍はたとえがうまい。
「大丈夫です。ですが、このなりでは恰好がつきませんので、失礼させていただきます」
人々の前で胸に手をおき、礼をする。ハンカチを差し出してきた令嬢へは丁重に断った。他の近衛に殿下を任せ、会場を後にする。
回廊にでると部下のマルクがいた。ポンサール家のメイドであるオネットも俺の元に近づいてくる。オネットは眉根をひそめ、タオルを差し出した。
「アラン様、父が失礼なことをして申し訳ございません……」
「ありがとう、オネット。気にすることはないよ」
オネットは行儀見習いとしてやってきた将軍の娘だった。
俺が士官学校を卒業した10歳の頃から、ポンサール家にいる。
オネットは俺より1歳年下だが、しっかり者だ。
オネットからタオルを受け取り、頭を拭く。
マルクが肩をすくめて、俺に話かけてきた。
「またずいぶんと、熱烈な歓迎を受けましたね」
「まぁな。将軍なりの警告だろ」
「警告ですか……」
「敵が多いから足をすくわれるな、だと」
将軍が敗退したのは、補給が間に合わないのに進軍しろと言われたからだ。伸びた戦列の真ん中を連邦に打ち崩されてしまった。
進軍をするべきではないという将軍の声は、城で円卓を囲うフィリップ陛下と、取り巻きたちには届かなかった。
俺も士官学校を卒業したばかりだったが後方支援で戦地に駆り出された。
何人もの兵士が墓標を立て、家に帰ることができない者もいた。
苦い記憶だ。
「敵が多いと言っても、アラン閣下の立場は盤石なはずですよね? ポンサール公爵閣下も、セリア様も、何より閣下が国に懸命に仕えていますし」
マルクが首をすくめながら言い、オネットがうなずく。
「そうだな……アンリ陛下は誠実な方だ。シャルル王太子殿下も同じだ」
「弟殿下のブリュノ様は?」
マルクが指摘して、俺は声を詰まらせた。
「ブリュノ殿下は、こう……なかなか手ごわい相手だと聞きましたが」
俺は否定せずに嘆息した。
「ブリュノ殿下には、セリアが付いている。できのよすぎる妹だ。殿下の穴を埋めるだろう」
「あのかわいらしい妹さんが」
「妹は間違いなく天使だがな、父上と同じで帳簿に強いんだ。俺よりもずっとな」
正直に言うと、妹が男であればポンサール家を任されたと思うぐらいだ。
帳簿の番人としての才能を妹は俺よりも強く受け継いでいた。
その事実に、卑屈になることはない。
俺には俺のやることがある。
それに俺は妹が、かわいいのだ。母上を亡くしてからは、特に。
「ブリュノ殿下を糾弾するのは陛下であり、シャルル王太子殿下だ。彼らをお守りすることが俺の仕事だ」
婚約者の兄という立場であっても、王族であるブリュノ殿下に意見することは難しい。下手に動けば妹の立場を悪くしてしまう。
特にブリュノ殿下は祖父、フィリップ陛下に似て気性の荒い方。意固地なところもある。
――だが、振り返ると、俺は詰めが甘かったのだろう。妹の能力を過信しすぎていたというのもある。
いよいよ陛下の具合が悪くなり、新しい薬を求めクローデル学士を宮廷に招いた時だ。
彼が調合したヒヨスは陛下の痛みを和らげる効果があった。
その功績が王立アカデミーを通じて認められ、男爵位を賜る。
そして、リリアンという娘が宮廷内にある研究所に出入りするようになった。
俺が20歳。妹が17歳になった年だった。
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