1 王を裁くものは何だと思う?
主人公の兄、アランが主人公の外伝を公開します!
本編では「省くか……」と思ってしまった箇所を書き、王国で起こった婚約破棄の舞台裏のような話になります。
感想返信とは設定を変えていますので、ご了承くださいませ。
ハッピーエンドです! それではどうぞ!
まだ、母が生きていた頃だ。
5歳ぐらいの時だったと思う。
幼い俺に向かって、父はよく言っていた。
「アラン、王を裁くものは何だと思う?」
「……教皇聖下ですか?」
習ったばかりのことを思い出しながら答える。
父は片眼鏡の奥にある瞳を細くした。
「聖下といえど、王を裁くことは難しいのだよ。王と聖下は組織のトップ同士だから、どちらが上というのはない」
「うーん。そうなのですね……なら、法ですか?」
「ははっ。正しいな。裁判官が賄賂を受け取らず正しい人ならばな」
朗らかに笑う父を見て、俺はうなった。
正解ではない気がしたからだ。
「王を裁けるのは、帳簿だよ」
「帳簿? 父上がいつも付けているものですか?」
「ああ、国家の今を明確にして、赤字か黒字か教えてくれる。王の失敗は、赤字として帳簿に記されるんだ」
「……陛下がよい政治をすれば、プラスになるということですね」
「よく勉強しているな。その通りだ」
俺は得意げになって、胸を張る。そんな俺を見ながら、父が言い聞かせてくる。
「帳簿は付け続けなければならない。たとえ、陛下が見ようとしなくてもだ」
そう父が言ったのは、自分の立場もあってのことだろう。
父は会計の役人だったが、陛下に嫌われていた。
当時の王、フィリップ陛下は先王の財産を使い放題だった。
豪華な王宮が作られ、バルスコフ連邦へ戦争をしかけ敗退した。
国力は落ち、赤字財政が続いていた。
今の財務大臣、モールドール伯は、関税を値上げし、小麦と塩の税金を上げるように推し進めている。
小麦と塩はもっとも使われる食材だ。
それでも国家予算は足りないらしい。
その分は王族領をどんどん売り払い、金を得るようにモールドール伯は陛下に進言。それに父は反対していた。
王族領でなくなれば領民への税金の取り立てが、地方を納める諸侯たちに任されてしまう。
一部の諸侯たちは、私服を肥やすことに一生懸命だ。
安易な王族領の売買は、その温床を作るだけであると。
しかし、今すぐ金が欲しいフィリップ陛下は、父を帳簿の記入係に押し留め、意見を聞こうとしなかった。
それでも父は、祖父が作り出した複式簿記という会計システムを維持しようと、黙々と帳簿を付けていた。
いつか必要になると信じて。
「アンリ王太子殿下は病弱だが、帳簿に目を向けてくださる。彼が王になった時、また帳簿を見てくださることだろう」
「アンリ殿下は、父上の帳簿を見ているのですね」
「支出と収入を記入したシンプルなものだがな……持ち歩けるように胸ポケットに入るサイズをお渡ししている」
「小さいものなんですね」
「殿下が分かりやすいように、まとめて渡すのも役人の仕事だ。それに小さければ、ベッドの上でも読めるだろう」
父の表情が曇っていく。不安になって小声で尋ねた。
「……殿下のお体はまだ良くないのですか?」
父はひとつ大きな息を吐いた。
「アンリ王太子殿下の時代になれば、国のあり方も変わるだろう……」
父は王太子殿下の病については教えてはくれなかった。
第一王子、アンリ様は陛下と違い臣下の話をよく聞く方らしい。ただ、病弱がゆえに、なかなか前に出れないようだ。今の王家には他に直系の男子はいないので、アンリ様は大切にされていた。
父は従弟であるアンリ王太子殿下の時代になることを切に願っていた。
「早くアンリ殿下が王になるといいですね」
「そうだな。それまで私たちは、帳簿を維持し続けるのだ」
そう言って父は帳簿を見せてくれた。紙に書いた数字の羅列を見ても、俺にはチンプンカンプンだ。
むっと顔をしかめて帳簿を見ていると、部屋がノックされた。
扉を見ると、母の顔が見えた。てててと走り寄ってくる妹もいる。
ふわふわの髪を揺らして、頬をバラ色にしてくる妹は天使そのものだ。
「おとうさま、にいさま、ごきげんよう」
2歳の妹はスカートの端をつまんで左足をひき、あいさつする。デレッと頬がゆるんだ。
「あなた、アラン。お茶をいかが?」
母がくすくす笑いながら入ってきた。母の後ろには銀のワゴンを引いた侍女がいる。母は薄い緑色の瞳をやわらかく細くして俺を見た。
「アランの好きな菓子を作ってもらいましたよ。さあ、食べましょう」
「はい!」
俺は意気揚々とテーブルの方へ行く。父も重い腰を上げた。妹は執務机にある書きかけの帳簿をじーっと見ている。
「リア、どうしたの?」
「おかあさま。こことここの数字がちがいます」
「え?」
「ん?」
父が執務机に戻る。妹が指さす数字を見て、父は驚いていた。妹はびくっと体を震わせる。
「……まちがったことを、いいましたか?」
父は首を横にふって、愛しそうに妹の頭をなでた。
「セリアの言う通りだ。教えてくれて、ありがとう」
「え……」
「まあ」
母が朗らかに笑い出す。俺にはチンプンカンプンだった数字の羅列を、妹は理解したんだ。すごい。
「リアは賢いね」
俺も得意げになって妹に話しかける。妹はほっぺたを真っ赤にして、えへへとはにかんだ。
「さあ、お茶をいただきましょう」
母の一言に和やかな空気でお茶とお菓子を食べた。
食べ終わった後、妹は父の仕事を見ていたいと言って、執務室に残った。
俺と母は並んで廊下を歩く。
「リアはまだ小さいのに、父上の数字が読めるだな」
「あの子、数字に興味があるのよ。いいことね」
「……そうですね。俺は剣を振っている方がいいな」
「ふふっ。そうね。アランはそれでいいわ」
「え……? で、でもっ ポンサール家の長男は数字に強くないとダメだって……」
「そんなことはないわ。会計を付ける人は必要だけど、帳簿を守る人も必要なのよ」
「守る、人?」
よく分からなくて立ち止まる。母は足を止めて、しゃがんだ。優しいほほ笑みで、俺を見上げる。
「帳簿はね。付けるだけではダメなのよ。帳簿を見てくれるような国にしないとね」
母が俺の両手を包みこむように握った。
「アランは剣が大好きだから、きっと強くなるわ。お父様と、セリアを守ってあげてね」
そう母に言われたことで、俺は進む道が決まった。好きなものを認められたようで、嬉しかったのだ。
「うん! 俺は父上とリアと、そして母上も帳簿も守るよ!」
興奮して言うと、母は俺をぎゅっと抱きしめてくれた。
――その一年後、母は、はやり病で亡くなった。
屋敷の中はあかりを失ったように静かになった。
父は無口になり、妹は「おかあさまは?」と泣いて言う。
俺は悲しみを振り切るように、剣を握った。
士官学校へ行き、家族と会う機会も減っていった。
学校を卒業後、すぐに戦地に駆り出され、敗退の屈辱にあえいだ。
さらに一年後。
晩節を汚してもなお、地位にしがみついていたフィリップ陛下が崩御し、アンリ5世が誕生する。
父は財務総監になり、俺は王太子付きの近衛となっていた。