20 それでいいよ
ブリュノ殿下がいなくなった後、閣下は嘆息して、わたしの方を向いた。
先ほどまで冷たい言葉を吐いていた人とは思えないほど、閣下は弱々しいオーラを出している。
傷ついた目をしていた。
思わず駆け寄ると、閣下も歩み寄ってくれる。
「リア……怪我はない?」
「大丈夫です……」
「本当に? あいつに腕を掴まれているように見えたけど」
閣下がわたしの腕を気にしている。わたしは掴まれた腕をさすって、口角を持ち上げた。
「大丈夫です。掴まれたのは、一瞬でしたし」
「強く握られていたら、あざができるよ。念のため、医療班に診てもらおう」
そう言って、閣下は腰を落とし、わたしの背中と膝裏に手を添えて、ふわりと持ち上げてしまう。
――あれ? この体勢って……?
「あの、閣下……? 持ち方が人命救助なのですが……」
「お姫様抱っこって言ってほしいんだけど……リアにはそう見えるんだね」
「荷物運びじゃないんですね……」
「ははっ……気持ちが荒れたから、リアを抱っこして癒しを補充」
そう言った閣下は、優しい笑顔だったけど、瞳が悲しそうだ。わたしは閣下の制服にしがみついた。
「あの……閣下」
「どうしたの?」
「怒ってくれて、ありがとうございます」
閣下の足がぴたっと止まる。柘榴のような紅い瞳は丸くなって、ぱちぱち瞬きをしていた。わたしは、へへっと笑う。
「閣下が怒ってくれたので、胸がスッとしました」
「……スッとって……本当に?」
「はい」
心から笑って、持っていた資料をぎゅっと握る。
「リリアンのことを調べていたら、ブリュノ殿下がなぜあんなことをしたのか、推察できました。あの方は、リリアンに幻覚が見える特殊なものを贈られています」
「……薬か」
「軟膏のようです」
わたしは資料を握りしめて、ひとつ息を吐いた。
「ブリュノ殿下は当時、正常な判断ができなかったかもしれません。それでも……」
――それでも、だ。
「セリア・フォン・ポンサールは彼を赦さなくていいと思います」
正常ではなかったという結果を見て、心が揺らいだのは確かだ。ブリュノ殿下には情状酌量の余地があるのかもしれない。
――だが。ぐるぐる考えても、答えはひとつにたどり着く。
わたしは彼にされたことが、どうしようもなく悲しかったし、兄にした仕打ちは赦せない。
「それでいいよ」
閣下がぎゅっとわたしを強く引き寄せる。
「セリア嬢は、ブリュノ・フォン・サイユを赦さなくていい。彼がセリア嬢を傷つけた事実は変わらないし、過ぎた行為をしたのは確かだ。彼は刑を受けるべきだよ」
力強い肯定の言葉だった。
ほっとして、じわりと目の奥が熱くなる。
閣下は苦しげに眉根を寄せて、つぶやくように言った。
「もう、傷つかなくていい。リアは自分のことを守りなよ」
そう言った閣下の方が傷ついている顔をしていた。
閣下は優しい人だ。
わたしは気持ちがあったかくなって、泣きそうなのに笑ってしまう。
「はい……ありがとうございます。閣下」
ぺこりと頭を下げると、閣下の顔が近づいてきた。白皙の美貌が迫ってきて、驚いて目をつぶる。
まぶたの裏に、ふにっとしたものが触れた。目を開けると、それは閣下の唇だったとわかった。形のよい唇が、また、近づく。
わたしは惹き込まれるまま、目を閉じた。
「にゃああああっ! ペーターさん! 今はダメです! 空気を読んでくださいっっ!」
「え?」
不意に絶叫が聞こえてきて、慌てて目を開ける。ぐるんと声の方を向くと、無精ひげを生やしたペーターさんとバッチリ、目が合ってしまった。ペーターさんの足元には、正座して天を仰いでいる保安隊がいる。
「あー……」
ペーターさんはポーカーフェイスを崩さずに言った。
「オレのことは空気中に浮いている巨大なホコリと思ってください。気にせず続きを」
どうぞと手を出されて、一気に恥ずかしくなった。閣下の腕の中だけど、ごろんごろんのたうち回りたいくらいの羞恥だ。
「ははっ……それは、無理がある設定だね」
閣下は冷たい笑顔になり、ペーターさんに近づく。
「戻ってきたということは、メッセージカードを書いた例の侍女は見つかったの?」
「見つかりました。証言も得ています。推察通りですね」
ということは、リリアンが侍女に指示をして書かせたということで間違いなさそうだ。
「じゃあ、サイユ王に報告しておくよ。犯罪者どもがうるさいし、そろそろ確保しないとね」
「うっす」
閣下は大股で歩き出し、わたしを医療班のところまで連れていってくれた。
医療班の男性は、わたしの怪我を診てくれ、事情を説明したら、カンカンに怒ってくれた。
「んまああああ! 腕を掴まれて、恫喝されたの?! それって暴行罪よ! ろくでもない男! サイユの衛兵ちゃんたちは何をしてるのかしらねっ!!」
「……閣下が制裁を加えてくれましたから」
「当然よね! 顔面、ぶん殴ってもおつりが出るわよ! も~、アメリアちゃんっ」
「は、はい」
「無理はしないこと。アメリアちゃんは、充分、頑張っているわよ!」
優しい励ましの言葉に、わたしは微笑んだ。保安隊の人たちは、あたたかい。
「はい。ありがとうございます」
掴まれたところは、痛みはなく、なんでもなかった。
そして、集めた証拠と証言を元に、サイユ王の前で審問が始まる。
容疑者となってしまった兄に擁護をするのは、わたしだ。
閣下には渋い顔をされたけど、どうしても自分の手でやりたかった。結局、閣下には折れてもらってしまった。
皇后陛下には「徹底的にやっておしまい。責任はわたくしたちがとる」と言われている。
閣下はブックマン確保と尋問があるため、審問には立ち会えない。代わりにペーターさんが控えてくれている。
念入りに準備して、審問がある当日、わたしは閣下に敬礼した。
「いってまいります」
閣下も敬礼を返してくれる。
「いってらっしゃい。セリア嬢とアランの汚名を晴らしておいで」
わたしは大きくうなずいた。
審問は、わたしが烙印を押された場所で行われる。
ただ、あの日と違うのは、空は快晴だった。
玉座にいるのは、王笏を持つ陛下であり、ブリュノ殿下ではない。
陛下は青白い顔をしていたが、重厚なマントを着込んでいた。体調を崩してから会うことは叶わなかったけど、わたしを見る目は厳しくも、優しかったのを覚えている。
妃殿下は陛下の横に立っていた。痩せてしまい今にも倒れそうだ。宮廷医師も控えている。
王太子殿下とマーガレット様もいて、相対するように反対側には、ブリュノ殿下と、リリアンが立っていた。
ブリュノ殿下はぶつぶつ呟いていて、リリアンは爪を噛んでいた。
わたしは呼ばれるまで控えている。
「アラン・フォン・ポンサールをここへ」
枢機卿の言葉で、兄が入室する。
麻布の簡素な囚人服を着させられ、鉄製の手錠が付いた姿だ。
こけた頬に無精髭を生やした姿。向日葵のような瞳は影を落としていた。
見るからに痛々しくて、腹が煮えそうだ。
「これより、マーガレット王太子妃殿下、殺害未遂の審問を執り行う」
膝をつかされ、枢機卿が逮捕の経緯を読み上げていく。そして、保安隊から兄の容疑を否定する証拠が提出されたと陛下に説明される。
枢機卿に呼ばれ、わたしは入室した。兄の横に立つ。
「リア……?」
つぶやくような声が、兄から聞こえた。わたしはちょっと泣きそうな気持ちになりながら、兄を見る。
向日葵色の瞳が大きく開かれ、輝きが戻っていった。
「大丈夫ですから」
あの日と同じことを言う。
でも、今度は強がりなんかじゃない。
全員を見渡した。腹に力をいれて、背筋を伸ばし敬礼をする。閣下の自信満々な態度を思い出して、言いきる。
「セリア・フォン・ポンサール様の代理人として参りました。帝都保安隊のアメリア・ウォーカーです」
ブリュノ殿下と、リリアンの目が大きく開くのが見えた。
主人公、やっておしまいターンです。夜には更新がありません!すみません!