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4-2

 鼻息荒く意思を固めたあたしだったけれど。

 ピークタイムなる時間は過ぎていたので、クロックヴィクトリアンのお客さんの入りはまちまちだった。だからあたしの気概はちょっとずつ、ちょっとずつクールダウンしていき。結果的にはコーヒーを作る前と同じように、店番をしていく熱量まで落ち着いた。つまりは、いつも通りである。こればっかりはしょうがない。お客さんにも都合があるもんね。なんて思いながらモップで床を掃除していたときだ。


 誰かの声が聞こえた。すぐさまあたしは顔を上げる。誰の声かな。周りをぐるぐると見渡してみたけど、誰もいない。最後のお客さんは帰って、数分くらい前から誰も来ていないのだ。当たり前である。(あきら)さんは今日いないし、水野さんもそのお客さんが帰ってから、奥の方へ行ってしまった。だから店内は今あたし一人。そう、一人なわけで。



 口元を両手が覆っていた。

 はわわ。まさか、幽霊。あたし、霊感なんてあったかな。無かったはず。毎年テレビでやっている心霊現象24時とか廃病院で撮った写真とかでも、何にも聞こえなかったし見えなかったし。だけどだけど、確かに今、なんか聞こえちゃったッ。それに今もほら、聞こえて。


 むむむ。

 燦々と窓から差す陽光をバックにあたしはぴたりと固まった。おかしい、今って真っ昼間じゃん。この声ってホントに幽霊かな。眉を寄せて再度あたしは耳を澄ませる。声は壁の外から聞こえていた。なら幽霊じゃなさそう。ということは生きている人の声だ、良かったぁ。




 だけど、すっごい大きな声だなぁ。あたしはモップを片付けながら考える。このお店、道路沿いにあるのに静かなんだよね。街頭の光や歩く人の影なら窓際からちょっと見えるけれど例えば車のエンジン音、或いは行き交う人の足音や犬の鳴き声。雑踏にありがちな音は店内まで一切届かないのだ。


 静かでくつろげる場所にしたい。

 そんなことを水野さんが前に言っていたっけ。正に言葉通りだ。


 クロックヴィクトリアンは常にゆったりとした空気が詰まっている。耳が拾うのは軽快なオーケストラとコーヒーの淹れる音と、たまに零れるクーラーの稼働音くらい。だから、今みたいに外からの音がこっちにまで聞こえてくるなんてほぼあり得ない。っていうか、今日初めて聞いた。びっくりだ。まだ今も聞こえるし、え。

 今も?


 あたしは首を傾げる。

 そういえばお店の出入り口にどんどん近づいてきているような。何を言っているかまではちんぷんかんぷんだけど。声は近づくにつれ、勢いもボリュームも大きくなる。これ、女の人と男の人の声だ。高めだから年は近そう、あたしや晃さんくらいかも。と、悠長に考えていたら。



 バタンッ。


「ひぇ」

 扉が勢いよく開かれた。聞いたこともないくらい大きく鳴るドアノッカーの下で、二人の人影がドスドスと店内に入り込む。

 男女の二人組だ。見たこと無いから、新規のお客さんだろう。


 女の人は大きめのリボンがついたカンカン帽を被っていた。緩く化粧をした顔の横でセミロングの髪が揺れる。白いレース生地のフレアスリーブブラウスを、膝下の青いスカートに軽く仕舞っていた。男の人は分厚いショルダーバッグを掛けていた。垂れ目がちな目の近くで短く黒いマッシュヘアがさらさら吹かれている。細身だけど質量のある二頭筋が半袖のシャツの口から、ちらりと覗かせていた。特筆して美人ではないけど、ペアにすると絵になる二人である。



「だーかーらッ、あたしはそれが厭だって言ってるでしょう」

「はぁあ?どこがそんなに気に触るとこがあるんだよッ、意味がわかんないよ」

 めッッちゃめちゃ、お取り込み中みたいだけどねッ。


 顔を合わせていがみ合いつつ、二人はステップを降りていく。二つの声は音楽をかき消し、背後には絶えず雷が落ちている、ような光景を幻視してしまう。


 はわわ。あたしは笑顔でレジの前に立ちながら、内心震えていた。絶えずぶつかる剣幕の圧がすごい。バイト中ってことを覚えておかないと潰れちゃいそう。




 店内の床に足が着いた頃、二人は同時にあたしへ向いた。荒ぶる瞳が4つ、バチっとあたしの目を射抜く。ひぇ。背中でぞわりと、生温いものが這ったような感覚がした。

 しかし二人は示し合わせたように口を閉じると、ずんずんとあたしの前へ寄っていく。あたしと話せる距離まで来た頃には、厳しい顔も少しむすっとした顔つきくらいまでには緩まっていた。


「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりでしょうか」

 声を震わせないようにしつつ、あたしはメニュー板を出す。二人は差し出されるがままに首を下げ、騒がずに眺めてくれる。しばらくした後、ほぼ同時に顔を上げた。

「あたしはミドルのホットコーヒーを」

「俺はミディアムのアイスカフェオレで」


 言い終わるが否や。二人は目をいっぱいに開くと、また険しい顔で互いを睨む。今にもバチバチと火花が散りそうな雰囲気だ。ううん、もう散ってた。折角収まったばかりなのに。あたしは慌てて口を開けた。

「エ、Mサイズのホットコーヒーとアイスカフェオレですねッ。合計で850円になります」





 クロックヴィクトリアンは前払い制だ。

 レジの前にメニュー看板があり、そこへドリンクやフードの名前と料金が書いてある。お客さんに何を頼むか決めてもらい、オーダーして精算を済ませてから客席でゆっくり楽しんでもらう方針なんだそうだ。ちなみに追加で何か飲食したい場合、再度レジで頼んでもらうシステムだ。なので各卓上の隅っこには、小さくなったメニュー表が常備されている。


 女の人は金額を聞いて、肩にかけていたバッグをいそいそと開ける。ベージュの長財布を取り出したところで、男の人がすっと前に出た。


「はい。まとめてお願いします」

 言うが否やお金を置くトレー、カルトンの上に千円札をさっと置いた。

 おや、おや。あたしは瞬きをする。ちょっと意外だった。だって、今も怒っているみたいだったから。怒りに任せて、もっと雑に音を立てて置くのかと思っていた。



 忽ち女の人が男の人へ食ってかかる。

「ちょっと、何で全部払ってしまうの」

「別に良いだろ。彼女なんだし」

 男の人は眉を顰めて吐き捨てる。余程嫌なんだろう。不機嫌さを露呈させている。


 でもでもッ。今の言葉を聞いたあたしは、心の中で大いに沸き立っていた。カレカノ、カレカノっていうのだ。この人たち恋人同士だったんだ。すごいすごい、人が恋で付き合っている様子なんて初めて見るッ。中学は周りにいなかったし、いても秘密で知らなかったときとかあったし。


 大人のカップルって、なんか格好良いんだよね。

 しゅっとしてて、きらきらしてて、一組一組が宝石みたいに強く綺麗に輝いて見えるんだ。うふふ。あたしも大人になって彼氏ができたら、きらきらするのかな。格好良くて可愛らしい彼女さんになれるかな。


 あれ、でも。あたしの心は、急速にトーンダウンする。それなら、カップルなら、なんでこんなに空気悪いんだろう。




「彼女とか彼氏とか、そんなの関係ないわよ。あたしのはあたしが持つから」

 彼女さんは語気を荒げた。前に出ようとして、彼氏さんを全身で押した。彼氏さんは短く呻く。口をへの字にして、空いている左手で彼女さんを押し返した。


「要らないって言ってるだろ。出てこないでいいってば」

「何それ、ここにいるんだから当たり前よ。本当、勝手が過ぎる」

「勝手も何も、そういうものだって。いい加減引き下がってくれよッ」



 ぐいぐいと二人は押し合いへし合いを始めた。あわわ、元通りになっちゃったよ。あたしは頭を抱えたくなった。

 目下、あたしの存在が忘れ去られている。二人はお互いしか見ていない。カルトン前のおしくらまんじゅうに集中しているみたいだ。


 どうしよう。あたしは二人をじっと見つめた。今はお客さんいないけど、この後絶対に来ないなんて言い切れないし。それ以前に、このままずうっと喧嘩されるのも良くないよね。

 まずは、この光景を崩さなきゃ。あたしはくわっと口を開く。




「あのッ。いいい、如何しましょうか」

 言い終わってから、じわじわとあたしの顔は熱くなっていった。ううう、少し声が震えちゃった。ちょっと恥ずかしい。でも、きちんと言えたぞあたし!頑張った!

 二人はあたしの声に、はたと動きを止める。ゆるゆるとあたしを見て、ばつが悪そうに離れた。つられてあたしもちょっとだけ心がきゅっとした。彼氏さんは頭を下げてから答える。


「はい。このまま、精算お願いします」

 彼氏さんの後に、彼女さんも同じように頭を下げた。良かった。あたしはほっとしつつ、元気に返事をしてカルトンを引き寄せた。

「準備が出来次第、お持ちします。お席でお待ちください」


 あたしはお釣りを載せたカルトンと札を差し出す。彼女さんが札を持つと、二人はそそくさと客席へ消えていった。あたしも手を洗って、食器棚の方へ足を進めた。

閲覧ありがとうございました。次投稿は14日12時です。


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(※簡易的ですがいつも評価ありがとうございます、マジで気力に直結してます)


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