sideフェリコット 7
ぐらりと体が揺れて、フェリコットは頭を抑えた。
「おい、大丈夫か?」と声をかけられた気がして目を開けると、目の前にいたのはやはり婚約したばかりの頃のトラヴィスだった。
思わず首に手をやったが、繋がっていることに安堵する。
寝込むことはなかったが、フェリコットは自分が時戻りを体験していること、この世界が記憶に残るだけで3度目だと言う事にすぐに気がついた。
死にたくない。
そう願ったフェリコットは、今度はトラヴィスに従順になった。
リエラヴィアの真似をして、トラヴィスに好かれるように努力をして、高慢で傲慢な自分を抑え込んだ。
リエラヴィアが入学した時も、燃え盛る嫉妬に蓋をして、トラヴィスとリエラヴィアの邪魔をしないように耐えた。
そのおかげでフェリコットは死ぬことなく、トラヴィスの卒院式を見届け、どういうわけだか婚姻を果たした。
たとえ、トラヴィスがリエラヴィアを想っていてもよかった。生きて、トラヴィスの妻になれたのだから。
それだけで幸福なのだと思い込むことにした。
結婚式の花嫁衣装は、デビュタントの時と同じ真白のドレスに、ふわりとアンティークピンクのレースを重ねた、フォルケイン公爵領自慢の布を使った一級品で、隣に立つトラヴィスもまた一等美しい盛装に身を包んでいたが、フェリコットはトラヴィスと目を合わせることが怖くてできなかった。
目を合わせれば、全てが夢幻となって拒絶されるんじゃないかと思う事しかできなかったからだ。
誓いのキスに、目をつむって震える。
したふりだけで、触れることが無かったトラヴィスの唇から舌打ちが聞こえた気がして、フェリコットは今回のトラヴィスも、やはり自分を嫌っているのだと理解して、ひっそりと涙を流した。
初夜は思い描いた幸福なものではなかった。
ただ痛くて辛くて苦しくて、トラヴィスに名前も呼ばれずに乱暴に抱かれるだけだった。
痛みと恐怖に強張る体を、トラヴィスは乱雑に暴いて、嗚咽を堪えるフェリコットの中で果てた彼が、舌打ちをして夫婦の寝室を出て行ったところまでは記憶にある。
それがあまりにも辛くて、フェリコットは自身の体を抱きしめて、布団の中で泣きじゃくった。
そうして迎えた翌日は熱を出して寝込み、回復する頃にはトラヴィスは王都から離れた領地へと向かってしまっていて、新婚であるはずの2人はそれから顔を合わせることなどなかった。
それでも生きてるだけでマシだと思った。
野盗に凌辱され尊厳を失う事も、首と体が別れることなく、ただ静かに生きていられることが幸福だった。
望まれない、お飾り以下の花嫁であったが、それでも屋敷の使用人たちはフェリコットを大切な奥様として扱ってくれたのが救いだった。
トラヴィスは初夜にフェリコットを抱いて領地に行ったきり、帰ってくることはなかった。
フェリコットとの婚姻をきっかけに臣下にくだり、侯爵位を得たトラヴィスは、王都から離れた領地経営に勤しみ、フェリコットを気にすることはない。
きっと領地にはリエラヴィアを連れて行ったのだろう。
もう二度と、フェリコットに会う気はないのかもしれない。
にもかかわらず、初夜に乱暴にしか抱かれなかったはずなのにフェリコットは懐妊した。
間違いなくトラヴィスとの子であったので、フェリコットは迷いつつも、トラヴィスにその旨を伝える手紙をしたためた。
事務的で簡潔な手紙だが、何かしらの返事が返ってくるかと思ったが、トラヴィスは帰ってくることもなければ、手紙の返事はおろか伝言すらもフェリコットに届くことはなかった。
こんなにもひどい目に遭っても、フェリコットはトラヴィスを愛していた。
嫌われていても、トラヴィスが愛しくてたまらなかったし、深い愛の結果ではなくとも、トラヴィスの子を宿すことができて幸せだった。
きっとトラヴィスは、腹の子の事を望まないだろう。
けれども今のフェリコットにとって、腹に宿った子は希望だった。
そう、唯一残った希望だったのだ。
子を宿して臨月が近くなった時。
フェリコットは後ろから、誰かにトンッと背中を押され、階段下に落下した。
視界の端で、柔らかな青い髪が揺れた気がしたけれど、正確には覚えていない。
床に体を強かにぶつけたと同時に、腹を強烈な痛みが襲う。眩む目がおびただしい血が流れるのを見た気がして、フェリコットは気を失った。
意識を取り戻した時、空虚になった腹に、何を聞かずとも宿った子は精霊の御許に逝ったのだと悟り、フェリコットは絶望した。
医師や執事、侍女達が何かを伝えようとしていてくれたが、それまでどうにか耐え続けていたフェリコットの心は、この事故で完全に壊れてしまい、誰の声も届かなくなってしまった。
つわりが重かったこともあって、碌に食事もできていなかったフェリコットは、子を失ったショックと階段から落ちた衝撃でベッドから起き上がれなくなった。
ただただ、ベッドの上で夢うつつの最中に「早く死なせて」と呟くだけの日々が続いた。
優秀な治癒魔法士が慌てた様子で来たが、この世界の治癒魔法は心が肝心である。
生きることに絶望したフェリコットの体は、治癒魔法を受け付けなかった。
「奥様、どうか、少しでもいいからお食べください」
そう願う使用人たちの声が聞こえた気がしたが、フェリコットはもう生きる希望を失った後だった。
何も聞きたくなくて心を閉ざし、ただひたすら死を願いながら、それでも微かに生きていた。
愛されなくてもよかった。
宿した子と、穏やかに日々を過ごせればそれでよかったのだ。
その唯一の希望を失って、ギリギリ耐えていたフェリコットが生きていけるわけなかった。
意識も絶え絶えに、ベッドの上で死を迎える直前に、失ったはずの赤子の鳴き声と、誰かが自分の名前を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、全部気のせいだと思った。
旦那様である、トラヴィスすらも自分の名前を呼んでくれないのに、今更誰がフェリコットの名前を呼んでくれると言うのだろう。
視界の端に金色が揺れる。
フェリコットの三度目の人生は、そうして幕を閉じた。