side トール 3
「っていう記憶がさっき甦ってきたんだよね。多分、君が時戻りの記憶を思い出したのと同じタイミングで」
トラヴィスはそう言って、お茶を優雅に口に含んだ。
話した……と言っても、彼にとって都合のいいことしか話していない。
ディシャールにおいて、ホストクラブなんてものは今のところないし、それを伝えれば貴族で淑女なフェリコットにドン引きされるのは当然だ。
なので、前世の自分が妾の子であまりよい扱いを受けなかったことと、そんな自分を救ってくれた恩人が先輩で、その先輩を庇って若いうちに死んだことをかいつまんで話しただけである。
話している最中もフェリコットと目を合わせるたびににこりと微笑むから、フェリコットはその度にびくりびくりと震えてしまう。びくりびくりと震えながらも、可愛い可愛いフェリコットは透流の人生に酷く同情し、最後の方ははらはらと涙を流して悲しんだ。
透流としての記憶を取り戻したトラヴィス……いや、あえて区別するためにトールと呼ぼう。
トールは同情されることに嫌悪感はないが、同情されると言う事はこちら側を見下してるんだろうなとは思っている。
普段はそんなことを思うトールだったが、その美しいアクアマリンの瞳は、そんなことを欠片も思わずにはらはらと泣くフェリコットを見つめていた。
可愛い。ものすごく可愛い。
フェリコットはトールにとって、好みのど真ん中を行く少女だった。
怯えを孕む菫色の瞳に、触り心地のよいストロベリーブロンドの髪。14歳と幼く、享年26歳だった透流の魂から見れば、完全に犯罪ではあったが、現在16歳のトールからすれば適齢であり、何より彼女はお互いの両親と国が認めた唯一の婚約者である。
つまりは合法幼妻(予定)である。最高かよ。
少しきつい顔立ちに思えるかもしれないが、フェリコットは成長すれば美少女が美女になることは間違いないほど愛らしい顔をしていた。
なによりトールを惹き付けたのは、透流の記憶を思い出す前、つまりはトラヴィスが初めてフェリコットに出会ったお茶会から、今日に至るまでのフェリコットの分かりやすすぎるほどの健気で一途な想いである。
デビュタントで目を合わせた時、フェリコットは顔を真っ赤にさせながら全身でトラヴィスを好いているという感情を表していた。
トラヴィスはそれに対してどうでもよさそうな顔をしていたが、それはトールにとっては生前の透流が求めてやまなかった全てである。
誰かに愛されたかったし、愛したかったという想いを抱えながら死んだ透流にとって、その健気な想いがどれだけ甘美なものか理解できるだろうか。
透流の記憶を取り戻したトールは、フェリコットと目を合わせた直後にそれを本能で理解した。
記憶を取り戻したと言っても、ついさっきまではトールはただのトラヴィスで、トラヴィス自身はフェリコットと会うたびに、その想いを浴びてきたのだ。トラヴィスがその感情をどう思っていたかは抜きにして、記憶を取り戻した彼にとって、一目惚れする理由に値するものであるのは間違いなく、そうしてそれが当然であったようにトールはフェリコットに魅了された。
『めちゃくちゃ可愛い。すごい、すき。結婚したい』
語彙力なくそう感じて、直後はたと気がつく。
『え、この子俺の婚約者じゃん。約束された嫁じゃん。え、めっちゃ可愛い。今日結婚しよ、今すぐ結婚する』
ここまでわずか0.2秒である。
直後にフェリコットが狂ったように泣きださなければ、トールは間違いなく「今日にでも籍入れて俺のお嫁さんになってください、すき」と求婚していた。間違いない。
色々聞き終えて、色々話し終えた今となっては、彼の心を占めるのは「こんな可愛いくて健気でいじらしくて、俺の事想ってるフェリのどこが気にくわなくて傷つけたの俺。マジで意味わからない、ぶん殴りたい」という感情と、すっかり卑屈になってしまったフェリコットを「抱きしめてぎゅってして甘やかして、ちゅーしたい。くそゴミムシなクズな俺のことなんか忘れさせて俺だけのフェリにしたい。結婚して、俺のこと以外考えられないようにとろけさせたい可愛い好き。いっぱい子供作ろ」の二つである。
ちなみに後者が八割だ。
膝の上に乗せれば最後、離す気は毛頭ないし、許されるならこのまま自室に連れ帰って愛でたい。
本音を言えばキスして撫でまわして、そう言う意味で最後まで触れたい。
勿論実際にやれば犯罪(?)だし、幼い彼女に無体を強いて嫌われたくないからしないけれど、婚約者なんだから自室で濃厚にキスするくらいは許されるんじゃないかと思っている。そんな自分を必死に抑えつけているのを褒めてほしい。
怯えた声で「トラヴィ……トール様?」と呼ばれるたびに興奮しそうだ。必死にばれないように、表情筋を磨いた前世の俺ブラボーと、心の中で盛大に叫んでいる。
「こんなにも可愛い子に、よくあれだけの暴言を吐けたな俺。ぶんなぐるぞ」と思いながら、震えるフェリコットをよしよし撫でては髪を一房手に取って口づける。
女の子の超いい匂いがして、顔が勝手にニヤけてしまうのを許してほしい。
とまぁ、トールの頭の中は現在進行形でお花畑である。
だらしのない顔になるタイプじゃなくてよかったと、トールは心の底から安堵した。機嫌よさそうに微笑んでるようにしか見えないのか、フェリコットと目が合うたびに顔を赤くさせてくれるのが可愛すぎてしょうがない。
それと同時にトラヴィスの所業を思い出すのか、その愛しい顔を青く染めるので、トールはトラヴィスに対して怒りを募らせる。
「俺の嫁に何しやがってんだぞドタマかち割るぞ」と、かつて彼女さんに手を出そうとした輩を半殺しにした先輩の気持ちがよく分かった。許されるならトールはトラヴィスの頭をかち割りたい。
一方、フェリコットは混乱の中にいた。
だって、今までただの一度もトラヴィスに優しくされたことも、こんな風に甘い声をかけてもらったこともないのだ。
ディシャールにおける男女の愛情表現である、髪に触れるという行為をしてもらったことなど勿論ない。
それなのに、今トラヴィスは目の前でフェリコットの髪に口づけて、大切な宝物を愛でるかのように愛しそうに微笑んでくる。
あり得ない、こわい。
と、フェリコットは肩を震わせて蒼褪める。
自分は五度目に、どんな異次元に迷い込んでしまったのだろうかと、泣きたくなりながら震える事しかできない。
本来であれば、ずっと恋い慕っていた相手からの初めての愛情に心ときめかせるのが正解なのだろうが、如何せん心ときめかせるには、あまりにもひどい経験を彼女は重ねつくしたのだ。
一度目の人生で野盗に凌辱されて殺され、
二度目の人生で愛した人の命で首を刎ねられ、
三度目の人生で階段の上から突き落とされて子を失い、
四度目の人生で絶望のあまり自死をした。
高慢で傲慢で我儘で、真っすぐで素直で、負けず嫌いの、健気で一途で全力で前向きなフェリコットは、ぐちゃぐちゃに踏みにじられて四度も死んだのだ。
普通の神経であるなら、心ときめかせるはずがない。
それなのに、この五度目の世界で、思い出す直前まで確かにそこにいた高慢で傲慢で我儘で、真っすぐで素直で、負けず嫌いの、健気で一途で全力で前向きなフェリコットが、未だに目の前にいるトラヴィスを愛していると叫んでいる。
だがしかし、今どれだけ優しくても、リエラヴィアが現れたら、きっとまた無残に捨てられて殺されるのだと、四度繰り返した人生が囁く。
フェリコットの心が混沌に陥らないほうが無理な話であった。
もういやだ、
辛いのも苦しいのも、痛いのも悲しいのも全部いやだ。
心の声を受けて、フェリコットはまたボロボロと泣きだした。
「フェリ?」と、トラヴィスは声をかけると、手袋を外してその頬を流れる涙をぬぐう。
アクアマリンの瞳と、菫色の瞳がしばし互いを見つめ合ったかと思うと、フェリコットはすぅと息を吸った。
「と、トラヴィス様……、いえ殿下」
「フェリ、だから俺の事はトールと」
「婚約を、解消してください」
祈りにも似た願いのように、フェリコットは言った。
今の優しいトラヴィスなら、きっと婚約を解消してくれるだろうと思った。
今のフェリコットには、もうそれ以外に道が考えられない。四度繰り返して、まだやってないことは婚約を解消することだけなのだ。
死にたくないし、殺されたくない。
何より、今の優しいトラヴィスに嫌われたくなかった。
今の優しいトラヴィスに嫌われたら、フェリコットは今度こそ塵も残さず砕け散るだろう。
だからその前に、綺麗にお別れをしたいと願ったのだ。
ぎゅむっと目をつむり、トラヴィスの言葉をフェリコットは待ったが、いくら待ってもトラヴィスからの言葉はなかった。
長い沈黙の末に耐えかねて、おそるおそるフェリコットがつむった目を開ける。
見上げるようにトラヴィスの顔を窺い見れば、トラヴィスはひどくショックを受けたような顔でフェリコットを見つめていた。
「トラヴィス様?」
「……やだ」
「……はい?」
「婚約、解消、やだ!!!」
アクアマリンの瞳がちょっと潤んでいるように見えて、フェリコットは盛大に首を傾げた。




