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5 外出

◇6




 「あっついなあ」


 日曜日。天気は快晴、風はなし。

 僕はジリジリと照り付ける強い日差しを避けるように、東白森駅の改札の前にある日陰のベンチに腰かけていた。

 何も考えずに引っ張り出してきた紺のTシャツとチノパンが汗で貼り付いて鬱陶しく、家から駅までの間の上り坂が恨めしい。髪の毛、そして頬を汗が伝って垂れてくるのも気持ち悪い。

 ここのところ、記録的な猛暑であることをニュースで報じていたが、こうも暑いと気が滅入ってくるってもんだ。


 待ち合わせの時間10分前に待ち合わせ場所に着いたのだが、当の天笠はさっき少し遅れると連絡してきていたために絶賛暇だ。


 ……喉渇いた。


 辺りを見るが、自販機もコンビニも見当たらない。確か向こう側の改札の方に自販機が置いてあった気がする。

 天笠はもう少し遅れそうだし、買ってくるか。


 僕は立ち上がって、駅の裏側を目指して歩き出した。

 ちなみに駅の周りには特に何もない。年々どうにかこうにか観光地化を進めようとしている白森市だが、その体裁を保っているのは白森駅の周辺までである。

 白森駅から電車で2駅であるここ東白森駅の閑散具合を見ればすぐにわかる。

 別に東白森に何もないわけではない。県道沿いに、何でも揃っている大型商業施設『メビウス』があるし、商店街もそこそこに栄えている。

 ただ駅からはどれも遠い、そんな間の抜けたところが東白森市らしさだった。


 踏切を渡って駅の裏側まで回ってくると、改札は線路の下にあって思いのほか薄暗い。近くに目当ての自販機を発見した。

 僕は自分の折り畳み財布を出して、硬貨を入れてお茶を買う。念のためにもう1本。お釣りを回収する手間も省けて一石二鳥だ。

 のどの渇きも限界だ。買ったお茶を開けて一気に3分の1ぐらいまで飲み干す。のどを通って体の中に冷たいものが入っていく感じが何よりも気持ちいい。


 さて、戻るか。

 戻ったらちょうど待ち合わせの時間ぐらいだろう。


「あれ……」


 後ろを向いたその瞬間に『そこ』にすべての関心を引っ張られる。


(……あの女!)


 驚きのあまりに足が止まる。視線は一点に固定されたまま。


 目の前をちょうど横切った女。はっきりと顔は見えないが、その人物の髪や格好、背丈は記憶の中の「あの」黒髪の女に非常によく似ていた。いや、似ていた、というよりも直感的に確信していた。


 冷たい予感が背筋を通り抜ける。

 川の底から現れる濁った茶色の泡沫のように段々、段々と全身を埋め尽くす。


 ――何か、いや、何を……どうしてこんな……。


 それと同時に、その裏に。言葉では説明のできない感情がこびり付いている。


 何かアクションを取ることも出来ず、スローモーションのように件の人物を追った視界は次第に狭窄していく。

 ……はっ、と気づいた時には女の姿はどこにもない。


「……露店?」


 追っていた視線上にあったのは、線路下の小さめのテントのような建物であった。


 もやもやした感情を抱えたまま近づく。その前には明らかに統一性のない奇妙な物たちがシートの上に広げられていた。

 意識半分、何の気なしにしゃがみこんで品物を観察すると、映画の殺人鬼が付けていそうなおどろおどろしいマスク、ゴジラの親戚のようなソフビ人形、中学生が修学旅行のお土産で買いそうな金色の竜のキーホルダー……例えるなら文化祭などでやっている中古品のバザーのようなものだろうか。少々独特なことを除けばだが。

 テントの中を少し伺ってみるが、少女の姿は影も形もない。露店の周囲を見回してみても、そのような人物はやはり見受けられない。

 見間違えの訳がないんだが……。


「おや、お兄さん。なんか欲しいモノでもあるのか?」

「あ、いや、そういう、わけじゃないんですけど」


 店の品物に気を取られていて気づかなかった。いつのまにか店主と思しき、白いシャツの袖をまくった白髪の老人がシートの後ろで胡坐をかいている。

 いや、髪は白くなっているが老人という年齢ではないか。顔の皺はよく見るとごくわずか。目は開いているかどうかわからないぐらい細いが、言いしれない雰囲気を醸し出している。


「こんなところでなにやってるんですか、先輩?」


 うわっ。


 今度は後ろからいきなり声を掛けられる。びくっとして振り向くと、立っていたのは約束の人物。

 白いTシャツに、裾先の広がった細身のデニムパンツを履き、キャップを被っている。そして何より天笠らしい、絶妙に間の抜けた笑顔。


「お前、脅かすなよ…… 遅れるんじゃなかったのか」

「いやー申し訳ないです。ちょっといろいろありまして」


 そんなものなのか。


「そんなことよりも先輩、こんな変なところで何をしてるんですか? なんにもないじゃないですか……って、なんですかこの何かのマニアが売り出しましたみたいな品揃えは。先輩ってこんな感じの趣味がお有りの方なんですね」

「ちげーよ、別に商品はどうでもいいんだよ」


 女が、ととっさに店の奥を指差して続けようとしたが、もちろんそんな姿は見当たらない。それは分かっていたのだが、なぜだか店主の姿すらない。もうどういうことなんだ。


「別に否定してるわけじゃないですって。というかこの商品じゃないなら何に惹かれるんですか、こんな薄暗くて何もないところなのに」


 けど、よく考えれば別にこいつに言ったところで仕方ないことなのだ。


「……先輩、もしかして悩みとかあるんですか? 話半分には聞いて鼻で笑ってあげますよ?」

「いや別に何にもねーから。もし万が一あったとしてもお前だけには絶対言わないわ」


 えーなんでですかー、なんてのたまう天笠は無視する。話半分で聞いて鼻で笑ってくるやつはもはやただの悪魔じゃないか。

 僕はひざの関節を鳴らしながらゆっくりと立ち上がって、少しぬるくなって結露したペットボトルを持って歩きだした。


「おーい先輩、どこいくんですかー。道こっちですよー」


 歩き出した。


「おーいせんぱーい」


 ……だした。


「せんぱーい」


 ……チッ。


「お前がっ! 事前にっ! どこにいくのかっ! 言わないからだろおっ!」


 足を止めて振り返り、天笠につかつかと歩み寄って一息で言い切った。

 そう、結局今日僕はどこに行って何をするのかを聞かされていない。言われたことは日程と待ち合わせ場所。それと、荷物とかいらないですよー邪魔になるんでー、だけ。


「あれ―、まずどこ行くかって私言いませんでしたっけ」

「言ってねーよ。てかお前、今わざと僕がちょっと歩いてから言っただろそれ……」

「細かいことあーだこーだ言ってないで、早く行きますよー」


 そう言って天笠は僕が歩きだした方向とは逆方向にゆっくり歩き始める。

 ……。

 僕は無言で生意気な後輩の後頭部へとチョップを入れる。


「いたっ。何するんですかもう」


 自分のことを棚に上げてこちらに向けて視線を送る天笠は無視した。

 ふと露店を振り返ったが、やはり店主はもうそこにいなかった。




◇7




「結局ここか」

「逆に東白森でここ以外あると思いますか?」

「まあないけど……ここ人多くない?」


 電車に揺られてきた僕らの前に交差点を挟んで聳えるのは、市内の若者がたくさん集まっている大型商業施設『メビウス』だ。

 大きな建物の中には、ファッション、エンターテイメント、大型スーパー、フードコートなどありとあらゆるものが揃っており、若者以外にも子供からお年寄りだって時間を問わずに多くの人が集まっている。

 メビウスは3年前ぐらいにできたばかりのまだ新しい建物だ。入院していたときに出来上がっていく過程をよく見ていたものだ。東白森市を通る国道に面した土地を大企業が大量に買い上げて、1年を超す工事の末にぶっ立てたのである。

 そのかいあってというかなんというか、このあたりの地域に留まらず、国内でも有数の大きさを誇っているんだとか。知らないけど。


 信号は赤。待っている天笠はやれやれと言った風に目を細めて軽口を叩く。


「何を言ってるんですか先輩。この程度で多いなんて言ってたら東京来たら死んじゃいますよ」

「あいにく僕はそんな都会に行く用事はない。……そういえば。天笠は東京から引っ越してきたんだっけ」

「はいそうですよー。こっちに来たのは中学生からですねー」

「多分聞かれ慣れてるだろうけどさ、都会から白森みたいなところに来たら不便じゃないのか? 僕の同級生にも東京から引っ越してきたやつがいるんだが、そいつは不便だー、と口癖のように言ってたぞ」

「実際不便ですけどね。特に電車です。こう見えて私って朝弱いので、電車が3分に1本ぐらい来てくれないと遅刻しちゃいますよ」

「笑ってるけどお前相当遅刻してるだろ」

「あれ、ばれてましたかー?」


 僕のクラスの教室は3階にあるのだが、そこからは正門が真正面に見える。そのため授業中にに窓の外を見れば、遅刻者があわただしく入ってくる姿がよく見える寸法だ。こいつが2時間目の授業中に悪びれもせずにゆっくり登校してくることが多いのもよく知っている。


 信号の色が青に変わる。


「ちなみにこのメビウスの前のこの道路、事故多発の魔の交差点らしいですよ!」

「いや何情報なんだそれは」


 明らかに見通しはいいんだが……まあ、事故とは得てして分からないものである。


「……ささ。そんなことはどうでもいいから暑いし早く中入りましょう!」


 僕と天笠はミストの噴き出ている正面入り口を抜けて、建物の中に入る。

 入った瞬間に、空調のきいた涼しい空気と共に、中の人たちのにぎやかな声がわっと一気に耳に伝わる。わかっていたことだがさすがに週末のメビウスは人が多い。今11時ぐらいなのだが、見た感じ1階のフードコートの席はもうすでに埋まってきている。

 途端に気が滅入ってきた。


「……まずどこ行くんだ」

「んー、まず3階です。買いたいものがあるんです」


 3階か。何の店があったっけ。

 メビウスは地上5階地下2階の建物で、駐車場のための別棟がついている。地下は食料品売り場で、一階がフードコート。4、5階が娯楽施設なのは決まっているのだが、その間の2階3階は様々な店が規則なく入り混じっている。僕はあまりメビウスに来ることがないので3階にある店は眼鏡屋ぐらいしか知らない。

 2階には期間限定の催し物のためのスペースもあるんだったかな。さっき立て看板にイベント情報が書いてあるの見たし。


 僕たちは長蛇の列ができているエレベーターには行かずに、奥のエスカレーターに向かった。こっちのほうがまだ混んでいない。

 先に乗って、後ろの天笠に疑問を投げかける。


「何買うんだ?」

「本です。ずっと読んでて揃えてるシリーズの新刊が出たんです」

「天笠って本とか読むんだな」

「あれ知りませんでした? 私って実は多趣味な人間なんですよ。将棋ガールというのは私の1側面でしかないのでーす」


 将棋ガールとか自分で言っちゃうほどは、まじめに将棋してなかったと思うんだけど。


「先輩は本とか読まないんですか? なんか勝手に好きそーなイメージを持ってたんですけど」

「正直今は全く読まないな。集中力が持たないまま積む本が多すぎて、あれ読むんならこれの続き読まなくちゃって感じで面倒になった」

「それわかります! ですけど、先輩と違って最後まで一気に読むことを誓いにしているので私にはノープロですね」

「なんでちょっと上から目線なんだよ……」


 本なんて久しく読んでいない気がする。最後に読んだのは、課題で読むように言われた夏目漱石の「こころ」だ多分。まあそれも先生の話に入る前で飽きて、適当にインターネットからあらすじを拾ってきて感想文を書いてしまったのだが。

 僕は自分があまりアウトドアを好む人間ではないと自覚しているが、なんと言うか活字の類はどうも苦手なのである。まず集中できないのもあるし、新しい設定を覚えるのが大変で疲れてしまうのもある。小説以外は論外である。

 しかし、天笠が読書とは。全然想像できない。

 ……そもそも僕はこの天笠という少女についてほとんど何も知らないのではないか? 部活の時に駄弁りながら将棋を打ち続けるだけの先輩後輩関係だ。それがなぜこうして休日に出かけているのだろうか、これが分からない。


「ほら先輩辛気臭い顔になってますよ。せっかくかわいい後輩とお出かけなんですからやめてくださいよもー」

「……はいはい。善処します」


 そんなこんなで3階に着いた。本屋の場所を知らない僕は、買いの案内図を見に行こうとするが、天笠に止められる。


「どこ行くんですか。こっちですよー」

「はいはい」


 天笠を追って歩いていると、メビウスに来るのが久しぶりだったため、その時々の店に目が行く。服飾に雑貨、文具に僕の知っている眼鏡屋もあった。珍しいところでいえば、ボードゲームの専門店なんていうのもある。どの店にも客がいて、やはり週末という感じがする。

 そう言えばちょうど赤のボールペンのインクが切れていた気がする。後で予備も含めて2本ばかり買っておこう。


 おっと。

 考え事をしながら歩いていると、唐突に横から飛び出してきた男の子にぶつかりそうになる。僕がその子を避けて立ち止まると、その後を一回り小さい男の子が追いかけていく。2人の顔はよく似ていて、兄弟なのだろう。


「……いいですよね。兄弟」

「えっ?」


 天笠は走り去っていく子供のほうを見ながら、ふと言った。


「私、兄がいるんですけど、直ぐに遠くに行っちゃって。今でもボードゲームとかもっと一緒にやりたかったなと思うことありますよ」

「……へえ」

「先輩は兄弟とかいないんですか?」

「……いるにはいる。でも兄弟というか従弟というか、まあ複雑な家庭事情ってやつ」


 僕が退院して叔父さんの家に世話になったのが、ちょうど5年前。広夢と初めて会ったのもその時。

 今思えば僕の態度もあまり良くなかったんだろう。間にある心理的な壁はずっと同じものだ。距離感が上手くつかめないまま、立ち位置は固定されてしまっていた。


「あー……すいません」

「いや別に」

「でも兄弟なんですから。仲良くしたほうがいいですよ絶対。……ん? いいですねーこの匂い! この新書の香りって言うんですか? 私このにおい好きなんですよねー。あ、ありました」


 そんなこんなで本屋に着くと、天笠のお目当ての商品は店頭に大きく並べられていた。その宣伝のポップにはどこぞの通販サイトでランキング1位になったことがあるらしい。


「この小説って割と有名なのか?」


 店頭のおいてあるスペースには僕たち以外にも、その小説を買いに来たのか手に取っている人が何人かいた。


「そーなんですよ。有名になってからミーハーなファンがついちゃって、もうこっちはいい迷惑ですよ」

「だからお前は何目線なんだよ」


 言いつつ僕もその小説を手に取ってみる。タイトルは「シャンデリア・ブラッド」という、シリーズ最初の作品らしい。作者の名前は知らないが、周りには同じ作者の作品がずらりと並んでいるのを見ると、僕が知らないだけで有名な人なのかもしれない。


「先輩、小説読まないみたいですけどこれお勧めですよ。登場人物ばんばん死んでいくんで」

「その紹介のどこにおすすめポイントがあるんだ……」


 こいつの趣味がもっとよくわからなくなった。





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