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3 約束

◇3




 放課後。

 深路は生徒会、三谷は部活があるためもういない。


 僕の通っている東白森高校では全生徒が部活に入ることを義務付けている。そのため一応僕も部活動――美術部に所属してはいる。

 美術部は僕のように義務感だけで部活に入ろうとする人間の受け皿のような存在になっていて、その部員数は合わせると実際50人以上いるらしい。

 といっても、僕が一度でも顔を見たことがある人物はその3分の1以下、話したことがあるのは部長、深路ともう1人ぐらいのものである。週に1度の参加が義務付けられている中であっても幽霊部員は多くいるし、仲間内で固まって話しているだけのグループの方がマジョリティだ。芸術にこだわっているのにそれでいいのか、ということは生徒誰しもが思っていることであるので聞いてはいけない。僕も後者だし。


 まあその関係上、あまり他人と深く関わろうとしない連中が多い。部活中に気を使わなくてはいけないことも少ないので、僕にとっては楽である。


「おーい与一せんぱーい! 早く行きましょうよー」


 勢いよく教室のドアが開いて、1人の女子生徒が入ってくる。教室にはあまり人がいなかったからまだよかったが、それでもクラスメイトの視線は少女へと集まる。それだけ大きな声だった。

 そして自然な流れで、僕のほうを一斉に向いたのがわかる。


 ……調子が悪い。


 視線を振り払うように無造作に荷物を持って静かに立ち上がり、足早にドアへと歩く。


「何してるんですか先輩。上で待ってたのに二度足ですよもー」

「……いつも僕の教室までくるなって言ってるだろ」

「えー、だってセンパイ。私が迎えに来ないと部活に来るかどうかわからないじゃないですかー」

「普通に今日は行くつもりだった」

「へー”今日は”ねえ。へー」


 めんどくさ。

 僕は後輩をおいて、さっさと部室に向かうことにした。


 やかましく教室に現れた後輩の名前は天笠。美術部において話したことがある人間の1人だ。交友関係の狭い僕の唯一の後輩と呼べる人物で、中学からの知り合いでもある。

 細くて小さいその体にどんなものが詰まってるんだか、って言いたくなる程に、いつも快活で元気なやつだ。僕にとっては不必要極まりない場面も多いけど。


「あっ、ちょっと待ってくださいよー」


 そんな少し早歩き気味の僕を追いかけて後輩も後ろをついてくる。

 所属する美術部の活動場所は本棟5階にあり、2年生の階は本棟3階であるため上がって上がってすぐに着く。


「与一先輩」

「なんだ?」

「深路先輩と三谷先輩はどうしたんですか? だいたい一緒にいますよねー?」

「二人とも用事あって先に教室を出たよ」

「あーなるほど。深路先輩は生徒会で文化祭の件で、三谷先輩はバスケ部の練習ですね」

「よくわかったな。天笠って深路はともかく三谷と関わりなんてあったっけ?」

「いや、顔はわかるかなーぐらいですね。でもあの人は一年生でも結構知ってる人いますよ?」

「ふーん」


 謎のつながりをいくつも持っている三谷であれば、不思議でもないか。


 そして歩くこと3分ほどで美術室に着く。

 僕らはそのまま美術室の扉を開け――ることなく、隣の美術準備室の扉を開けた。


 謎のマネキン、布を掛けられた絵、作りかけの彫刻、それらが乱雑に同居する中で金属製の網棚の上から2段目。そこに置かれているものを引っ張り出す。

 それは将棋盤と駒箱。僕のだ。

 部活に顔を出しているときはこれをするのが最近の流れだった。


 最近のゲームは合わずにめっきりやっていないが、将棋は好きだ。もうルール変わらないだろうし。


 それを持って、美術室へとつながる扉を開ける。緩慢な動作でこちらを向いた、壁際にいる部長に軽く会釈をして、部屋をぐるりと見渡す。今日はあまり人がいない。

 左端の開いているスペースに僕と天笠は向かい合うように座った。

 駒箱から駒を取り出して、王、飛車、角、そして金、銀、桂、香。そして僕は歩を両端から2枚ずつ並べて、残りの5枚を手に握りしめる。並べ方の順番なんて最初は気にしてなかったのだが、打たされすぎて覚えてしまった。


 あれ?

 駒を並べているうちに香車の駒が一枚見当たらないことに気が付いた。天笠の側を見ると駒は完璧に並べ終わっている。もう駒箱の中に残っている駒もない。


「センパイ。床に駒落ちてますよ」

「まじ? ありがと」


 椅子に座ったまま上半身だけを机の下へと屈める。未だに慣れないのか、鼻から落ちてくる眼鏡を抑えて床を探す。

 駒、駒、駒……どこ?


「どこら辺に落ちてんの?」


 天笠は何も答えない。聞いてないのか?


「なあおい――」


 体勢を戻して天笠にもう一度呼びかけようとしたとき、僕は気づいた。

 さっきまで欠けていた自分の陣地の香車のスペースが埋まっていることに。


 ……子供か。


 僕が文句の一つでも言ってやろうかと思った矢先、唐突に天笠がこちらの顔を見ながら言った。



――先輩ってちょっと前から眼鏡かけてますよね?



 無防備にもその視線と言葉が直撃する。

 思わず僕は眼鏡のフレーム部分に手をやった。


「そんなに視力低かったんでしたっけ?」


 そのまま固まった僕に対して、天笠が更に言葉を重ねた。


 恐らく彼女は純粋な好奇心から聞いているのだろう。その目には一切の悪意も感じられない。

 それでも、その視線が痛く感じる。


 天笠この質問を何度も聞こうとする素振りを見せていたのを知っている。その度に話を逸らしてやり過ごしていたのだ。


「……いやその、うん。元々そんなに目は良くなかったんだよ。めんどくさいから作りに行ってなかったんだけど、ついこの前機会があって作ってきたんだ」


 そう呟いてから、居心地の悪さをごまかすように無意識に『眼鏡を一度外す』。


「……っ」


 割れるような頭痛が走って思わず両目を瞑る。両手は取り繕う動きで眼鏡拭きを使ってレンズを拭いていた。


 一度長い息をつく。


 眼鏡をかけなおして目を開いた。

 山、木、家、人間、校門、窓。視界には当たり前の世界が戻っていた。


「大丈夫ですか?」


 呼びかける声に視界の焦点が急速に近まっていき、そして合わさる。そこにいた天笠は心配そうな表情を浮かべていた。


「ん、ああ。平気平気」

「はい、じゃーやりましょ! 与一先輩」


 ……先ほどまでの不安げな表情は何処へやら。すぐにいつもの元気度合いが戻る天笠を見て、何とも言えない脱力感に襲われる。


「……おう」


 モヤモヤとしたまま、ずっと握っていた歩の駒を使って振り駒をする。表が2枚、裏が3枚で天笠の先行だ。

 将棋において、取られたら負けの最も重要な駒である「王将」には王と玉の2種類が存在する。一般的に格上の方が王の駒を使うのだが、この対局において王は僕の陣地に存在している。

 最初に断っておくと僕は将棋が特別強いわけでもない。それなのに僕のほうに王の駒があるのはなぜか。


 それは天笠がほとんど初心者だからである。なんなら駒の動かし方すら怪しい。


「てい」


 8五王。重要なはずの王駒をずいっと前に出す。普通ならまず初手では指さないであろう一手だ。天笠はいつもこんな感じの手を打ってくる。意味があるんだかないんだか。それでもなぜか気づいたら追い詰められていることもあるので、あまり気は抜けない。

 僕は無難に大駒の角の通り道を開ける手を打って、開戦の狼煙を上げる。


 お互いにどんどんと打ち進めていくと、流石にどんどん僕が優勢になってきた。


「先輩」


 ふと手が止まる。


「なんだよ」

「今度の日曜日一緒に出かけませんか?」


 ……は?

 驚いて手に持った駒を机の上に取り落とした。


「お前今なんて……?」

「だーかーらー。今度の日曜日私の用事に付き合ってくださいって言ってんですよ。耳悪いんですか?」


 い、意味が分からん。

 何か目的でもあるのか……?


「何ですかその反応はー? 別に裏なんてないですよー」


 心を読んだかのような反応に僕は一瞬ドキッとする。

 何も目的がないだって? そんな馬鹿な。そんなはずはない。


 パチッ。

 呆けたまま打った僕の手に対して、ひときわ大きな音で天笠が盤上に駒を打ち付ける。子気味よく響いた音は僕の意識を一気に盤上に引き戻す。

 天笠の顔を見ると、何か妙にニヤついた笑いを浮かべている。


「あ」


 ハッとして盤上を見る。

 ……王手飛車取りだ。飛車を逃がそうにも王手がかかっていて逃がすことができない。

 不味い。ここで飛車を取られたら一遍に形勢がひっくり返る。


「……汚いぞ」

「えー何がですか? もしかして嘘だと思ってるんですか与一先輩。ひどいなー。私純粋に先輩をお誘いしたんですけど」


 天笠の顔を見る。

 まさか、え? 本当なのか?

 脳みそが高速回転する。


「ほらほら、先輩の番なんですから。早く打ってくださいよ―」

「あ、ああ」


 そうだった。今は自分の番だ。飛車が取られるから逃げなくては。

 というかこの盤面飛車をあそこに動かせば王手角取じゃないか。なんだこんないい解決策があるじゃないか。


 パチッ。

 よし、どうだ。

 天笠の顔を見る。あれ?


「はい私の勝ちー」


 あ。

 天笠の手は僕が何かを言う前に素早く動いた。ぱっと僕の王をかっさらって自分の駒を盤に叩きつけ、曇りのない満面の笑みを浮かべている。


「先輩」


 天笠の声がやけにはっきり聞こえた。

 そして僕は――頭を抱えた。


「ああああ!?」

「忘れてませんよねー? あの約束」

「……」

「わ・す・れ・て・ま・せ・ん・よ・ね?」

「……いやその、天笠? こんな形で勝利を収めたって意味がないとは思わないか?」

「微塵も思いません。我が心に一片の悔いなしです」


 どーん。という効果音がなりそうな勢いで天笠は胸を張る。


 そう、僕と天笠にはある約束があった。

 発端は3か月前の天笠が美術室に来た初日。元々深路が暇で美術室に来ているときにたまにやる目的で置いてあった将棋セットを偶々一人で出していた僕は、いきなり声を掛けられた。そして、初心者であるにもかかわらず僕に余裕で勝てると豪語した天笠を、僕が普通に返り討ちにしたのである。

 なおも強がりをこぼす生意気なやつと連戦し、そして勝ち続けた。それでどんどん調子に乗った僕は仕舞いに言ったのだ。


『さすがに疲れてきたんだけど、まだやるの?』

『あれ、先輩あきらめるんですか?』

『どの口がそれを言うんだよ……逆に負けたら土下座してお金あげてもいいぐらいだわ』

『あ、そんなこといっちゃっていいんですねー? そしたら次の対局で私の真の力を』

『次とかないから。今日はもう終わり。……全く。お前みたいなのがこんなところで人生を浪費したっていいこと何もないぜ』


 美術部と将棋には悪いが、僕は別にそれでよかった。どうせやることも何もなかったから。

 だけど天笠のような人間が来て楽しむようなところでもない。少し皮肉を込めて言ったつもりだった。


『えー。じゃあなんかムカつくんでまた今度ここに来ます。さっきの言葉絶対に忘れませんからね』

『え、めんど』


 僕はこの時、ちょっと練習したぐらいじゃ負けんだろう、と余裕をぶっこいていた。まさかこの冷やかしがずっと続くなんて全く考えてもいなかったし。

 そんなわけで、この生意気な後輩――天笠に、僕は部活に顔を出すたびに勝負を挑まれ続けているということなのだ。しかも毎回のように今日こそ土下座、土下座と絶対に忘れさせまいとのごとく口に出してくるのだ。


「え、えーと」


 晴れ渡る笑顔をこちらに見せる天笠に、口ごもる。

 いつものようにしっかり集中していれば、あの場面からでも逆転できたはず。しかし負けは負けだ。いやしかし。自分が蒔いた種だし、自分が摘み取るべきだ。けれど今この場で土下座なんてできると思うか? しかもこいつに? いや無理だ無理。そもそも負けたらって言うのはあの場でに決まってるだろ常識的に考えたら。


 落ち着け僕。冷静だ冷静。


 こんなことじゃ僕は動揺しない。


「別にいいですよ」


 え?


「いや、まあ先輩が土下座しても気持ち悪いだけなんで」


 そ、そうだよな。


「その代わり日曜、先輩のお金でお出かけですね。私行きたいところあるんですよ」


 断る権利はなかった。





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