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◇24




 その後数日たって、僕は三谷の通夜に出席していた。

 最近は毎日のように三谷の姿を夢に見るようになっていた。この日もそれが理由で朝から体が重く、半ば足を引きずるような気持ちで道を歩いた。

 会場は僕が思っていたよりずっと大きく、ずっと多くの人が来ていた。

 式が終わっても通路のガラス張りの壁から差し込む光は未だに明るい。そしてまだ多くの人が会場に残っていた。


 いつぶりだろうか。葬儀場なんて。


 ふっ、と脳内にフラッシュバックした過去の映像に少しだけ思いを巡らす。憐れんだ目で見つめる周囲の大人たちと、僕の隣で優しく手を握ってくれた人物。そして――誰かが写った写真をたった一人で見続けている僕。


 葬儀場には死者の霊がいるなんてとんだ嘘っぱちだ。ナニカの多寡は他の場所となんら変わりはない。

 ただ単に人が儀式を行うためだけの場所でしかないことは昔から知っている。それでも胸の奥にわだかまる感情があった。


「やあ」

「……よ」


 声を掛けられた方へ振り向くと、深路がそこにいた。

 会うのはあの日以来だった。

 深路は、恐ろしいほどにいつも通りの落ち着いた顔をしていた。僕にはそれが能面のように無機質で不気味に感じた。


 沈黙が続いた。僕は何を言えばいいのか分からなかった。


 深路はそれ以上僕に何か言うこともなく、横をすり抜けていく。向かったその先には待っている石見の姿が見とめられた。

 僕は歩いていく二人に対して、何も声を掛けることはなかった。



 僕が思うよりずっと社交的な男だったんだろう。葬式の会場には僕のクラスの人間やバスケットボール部の人間など顔はどうにか見たことのある人から、全く見たこともない僕が知らないような三谷の知り合いの人も大勢訪れていた。

 しかしその雰囲気は皆一様に暗い。

 それもそうだ。こんな場でにこやかな奴なんてどうにかしている。

 ……あ。

 知っている人物が目に留まった。


「……前の遊園地のアレと何から何まで一緒だった……左手で書いてある文字も……」


 刑事としての性なのか、すれ違った良治さんはこのような場面でも確認するようにブツブツと繰り返していた。物凄く鋭く尖った眼光とは対照的に、その顔は弱弱しく疲れ切ったように濃いクマが浮かび、心なしかその痩身がさらにやせ細ったようだった。


 ――僕は。


 この場から逃避したくて、僕は逃げるように歩く。歩いて、歩いて。歩いた末に最初のエントランスホールへと辿り着いた。

 目の前には都合よく誰も座っていないブラウンのベンチソファー。ドカッと深く座り込んで、深く息を吐いた。膝の上で立てた肘で前屈みにした上半身を支え、冷たくなった両手で自分の顔を覆った。

 視界を閉じて、思考も止める。


 こうしていると心が楽になる。

 手のひらの温度は自分が生きていることを実感させてくれる。

 目を逸らして、逸らし続けて、目を閉じる。


 ……。

 突然どこかで人が大声で泣きわめく声が耳に入ってきた。

 それは僕の左側――意外に近くから聞こえて、僕は思わず覆っていた手を外して顔を上げた。

 僕の座っている場所から少し左、エントランスホールの入口の近くに僕と同じぐらいの年齢に見える人物が三人いた。着ている制服は三人バラバラであまり見覚えがない。三谷の昔の付き合いだろうか。

 男一人、女二人で構成されたその集団は、なぜか言い知れないアンバランスさを抱えていた。まるでぴったりはまったパズルのピースが、一つだけ欠けているかのように。


 真ん中の少女は顔が溶けて崩れそうなほど声を上げて泣いている。その少女を隣で宥めている男女の頬にも、ゆっくりと水滴が流れ落ちていた。

 多くの人が彼女たちに視線を止める。だが一人として何も言わない。周りの目を気にせずに号泣する少女に対して言葉を掛けられる人間は、もういない。


「もう落ち着きなよ、美英。……ずっとそんな調子じゃない。……あんたまで調子悪くなってきちゃうわよ」


 それでも男女の方は、号泣する少女に対して宥める言葉を投げかけた。


「……陽介、どこ?」


 しかし涙で震えた嗚咽交じりの少女の一言で、彼らは再び呆然と立ち尽くした。


 もう一度、僕は思考を止めることにした。

 今度は目じゃなく、耳を塞ぎながら。


 ――僕は。僕は。


 言葉の上でその先を探すことさえ、できなかった。



 数刻の後、僕は目を開けて立ち上がる。

 もうここにいる用事はない、早く帰ろう、という思いが脳内の多数派を勝ち取った。

 エントランスホール入り口にはいつの間にか先ほどの三人の姿は居なくなっていて、僕は歩いて難なくそこを通過し外に出た。

 敗北したはずのマイノリティは今も頭のどこかから呼びかけてくる。それが正しいのか、それでいいのか、と。

 僕は全力で無視した。耳を塞いだ。目を閉じた。

 

 冷房のない電車に乗り、ほとんど人のいない車内の座席に力なく座り込む。うだるような暑さは容赦なく責め立ててくるが、そのおかげで思考がぼやけてくることが僕には好都合であった。


 後ろに寄りかかり、窓に体重を預けた首を動かさずに、閉じていた目をぼんやり開く。


 正面の座席にはあの黒い少女が座ってこちらを見つめていた。


 ――僕はもう一度目を閉じた。




◇25




 そうしてまた数日が経って、学校は何事もなかったかのように再開された。

 何事もないというのは流石に言い過ぎで、学校は、特に教師の雰囲気は少しピリピリしたものとなっている。

 だが今日はもう学期の最後の日。今日――終業式さえ過ぎてしまえば、九月には『いつも通り』に戻ることが予想できた。


 対照的に、生徒の側は休みを前にして浮かれている様子の方が多かった。

 三谷と関わりがない生徒でも学校で事件があったことは知っているだろうが、詳しく知らない人間にとってはそんなものだろう。

 いなくなった人物のことを知っている人間にとっても、僅かな喪失感は時間が埋めているだろう。もうその時間はほとんどの人の中で経っている、のだと思う。


 窓の外に映るどんよりと灰色の雲が立ち込める空から視線を外して、前方に戻す。

 ぽっかりとした視界にはいつもと違って深路が映り、思わず目線を下げた。今は何を話していいのか分からなかった。

 目の前には、誰も使っていない机と椅子がまだ残っていた。人もいない、机の中身もすでに引き取られているとあって、本当の意味での空き机。花瓶を置くことなんて都市伝説であることを知った。


 誰かが僕を見ている。

 そんなわけがないのに、あの日からずっとその感覚が消えてくれない。

 午後になって今学期終了のチャイムが鳴っても、一人でぼんやりとしていた。世界のナニカがいつもよりずっと色濃く感じる。


 独りでいるのは随分と久しぶりだった。


 寂しさなどは微塵も感じなかった。

 ただただ、空虚。

 そんな言葉一つでの思考停止を望んでいる、どうしようもない自分の姿を宙から見つめる。そうやって冷静でいようとする自分自身さえもひどく唾棄し、嫌悪を向けた。


 今日は部活のある日でもない。……もう帰ろう。

 荷物をまとめて教室を出て、下駄箱に向かった。帰宅する生徒たちの中、ただ淡々といつも通りの動作をこなして僕は歩き出す。

 外はまだ黒い雲に覆われているため、この時間でももう薄暗い。目に映る明暗の情報だけを脳が処理していた。


「やっほー!」


 ぼんやりと校門を抜けようとしたとき、後ろから思いきり突き飛ばされる。思わず、あっ、と声を上げ、転びそうになったところを踏ん張る。

 ……またか。

 思い当たる人物が一人。ため息をついて、僕は自分を突き飛ばした人物へと振り向いた。


「……」

「うわぁ、ほんとに暗い顔してますねー。背中だけで伝わってきましたよ」


 天笠は全く悪びれる様子もなく、からからと笑っている。僕は、それでもなぜか上の空が抜けなくて、視界に天笠が写っているようでいて脳の情報の処理は始まらない。

 固まっている僕を見て、天笠は更に笑った。


「なんですかー? 魂でもどっかに落としてきましたかー?」

「……おい」


 不謹慎だ、そう言おうと思ったが殊の外、真面目な目で僕を見つめている天笠を見て、言葉は喉元で詰まってしまった。


「あー……」


 天笠は一度何かを言いかけて止める。少しの沈黙の後、何か調子を変えるように軽く手を叩いた。


「忘れてませんよね? 私との約束」


 天笠が僕に問いかける。

 やく……そく、やくそく、約束?

 正しく変換されても一瞬思い出せなかった。


「ええー。まさかの本当に覚えてない感じですか?」

「……覚えてるよ。メビウスだろ」


 嘘だ。

 今の今まですっかり忘れていた。

 先週の日曜日に天笠と僕とでメビウスに行く口約束をしていたのだった。


「先輩、私が連絡取ろうとしても全然反応しないし。先週は流石に無理だろうからいつが都合いいですかって聞いてたのに!」

「……すまん」

「だから今日直接その話をしに来たんですよ。全く」


 僕が話す間もなく、捲し立てるように天笠は続ける。


「というわけで、明後日メビウスにリベンジに行きます。拒否権はないですから」

「日曜日、この前と同じ場所で! 九時集合ですよ! じゃあ!」


 そう言って僕の背中をもう一度叩くと、怒涛の勢いで走り去っていた。

 どうしていいか分からない。

 どんな感情でいればいいのか分からない。

 僕は走っていた方向を見つめてしばらく固まったままだったが、周りがこっちを注目しているのに気づき、早歩きでその場を後にした。




◇26




 午後八時近く。

 流石に粘りを見せた太陽も、すでに沈んで何処の空であった。辺りは闇と静寂に包まれていたが、その外気は纏わりつくような熱の残滓を未だに抱えている。

 いつもであれば煌々とする職員室の光すらも、終業式の日を過ぎてしまっては最早存在しない。静けさの中、校舎は幽鬼のように存在感を失くして佇んでいた。


「……よお」


 僕は門の前で足を止める。

 音楽プレイヤーにつながったイヤホンを耳からとりながら、一度帰宅した僕に連絡をよこした目の前の人物に向かって小さく手を挙げた。


「ああ、やっと来たか。待ちくたびれたぞ」


 羽虫の飛び交う電灯の真下。

 そこには、全く表情を動かさずに話す深路香奈の姿があった。心無しか、いや、いつもの雰囲気とは明らかに一線を画していた、が。

 そのすぐ隣に、いるはずのない人間がいた。


「……おい、どういうことだ深路。聞いてないぞ」

「どちらにも用事があるから呼んだんだ。同じ用事がな」


 僕の苛立ちを込めた問いに対し、答えになっていない問いを返す深路。その隣で間の抜けた笑みを浮かべる男――石見和也に対して、やはり僕のささくれ立つ気持ちは収まらない。


「二人揃ったから話すが、いいか?」

「いいよ」「……」


 じゃあ、と深路は早々に口火を切った。


「津島と石見の二人とも、三谷の事件はもちろん知っていると思う。石見は伝聞で知っただろうが、津島と私は直接死体を見た。その死体の特徴についてだが……津島、私の言いたいことは分かるか?」


 深路は僕をまっすぐに見つめる。

 強い視線だった。

 その中から余分なものは全て抜け落ちている。

 一瞬だけ合った視線を僕はすぐに逸らした。深路の視線とその雰囲気の前に、小さな憤りなんてすぐに霧散した。


 僕は正面からその視線を受け止めることができない。深路が何を僕に伝えたいのか、まるで分らない。それが恐ろしくてたまらない。


「……僕は……」


 自分でもその先に何を言えばいいのか、いや言いたいのかが分からなかった。

 何かを発声しようとした口は開かず、沈黙が続くほどに喉のところに真っ黒でどろどろとしたものが溜まっていく気がした。

 同意はできなかった。


「そうか……」


 僕のその沈黙を、どういう風に受け取ったのだろうか。一度深路は目を閉じ、小さく細く、そして長く息を吐いた。



――私はもう一年以上待ったさ。これ以上は……もう待てない。



「なあ与一。……私とお前は今、友達なんだろうか?」


 ……意味が分からない。

 くしくも深路が最初に発したのは、いつの日か僕が聞きそびれた質問だった。それはあまりにもこの場にはそぐわない。

 しかしその声にはどんな感情が込められているのか、僕にはこれが全く分からなかった。心臓を握られたように、不正解を出してしまえば壊れてしまうような危うい空気感を感じていた。


「……」

「私はさ、『友達』の定義をよく考える。いろいろな条件、要素が思いつくし、そのどれも正しくて間違っている。その定義は人それぞれで変わるものだからだ。そして、そういう概念を自分の中で確かなものにしたい時に考えることは一つ。自分がどういうものをその定義の中に入れたいか、ということだ」


 僕との会話ではなく自己対話のように。思いついたことを上から下へとなぞるように、ただ語る。


「そう考えたときに、私の中での友達は『自分自身が気を使わなくてもいい存在』だと思った。……三谷は友達だ。あいつはいい奴だし、気を遣わずに自分の思ったまま接することができる。心からそう思っているんだ」

「……そうだな」

「それと同じように、お前とも高校に入ってから仲良くやってきたつもりだ。津島、お前は私のことどう思っているんだ?」

「……深路の定義に当てはまるかどうかは分からないけど、僕も友達だと思ってるよ」

「そうか……ありがとう。私も三谷と、津島と、二人と友達だったと思いたい。……だからこそ津島。私はお前に一つ聞きたいこと、いや言いたいことがある」



「六年前の事件を覚えているか?」



 ……は?


「もっと広くいうなら」


――ちょっと。


「お前」


――待ってくれ。


「小学生までの記憶、確かにあるか?」


――頼むから。


 は。

 何を馬鹿なことを。


 ……そんなはずがない。

 冷静に考えろそんなわけがない。簡単に説明できるはずだ。できないとおかしい。だって自分のことだ。まぎれもないこの僕のことなんだ。小学生の時、僕がいて、深路がいて、石見がいて、由香さんがいて。……どうして顔が思い出せないんだ。そんな。あんなにいっしょに遊んだのに。遊園地に行って、それから……。何も思い浮かばない。今すぐには出てこないだけだ。一番楽しかった時期なんだ。忘れるはずがない。そんな。たくさんの絵を描いたはずだ。一枚の絵に憧れて描きまくった僕の思い出だ。僕の部屋にそのノートだってあった。……どうして憧れた絵が全く出てこないんだ。そんな。それより前、それより前は? 顔、親の顔が思い出せない。いつからいなかったんだっけ? そんな。大好きな人がいたはずなんだ。顔は? 名前は? 今どこにいるのか? そんな。叔父さんの家に来たのが中学生になってから。それまで住んでいた場所は? そんな。六年前。そんな。照り付ける日差しと蝉の声の残響。そんな。そんな。森の中を一人歩いて。そんな。そんな。そんな。何かを見つけた。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。



 『僕』は、いつから、生きている?



「一年生で再会したときに、津島がほとんど覚えていないことに気が付いたよ。俺と香奈は話しあって自分たちからは与一に言わないことに決めたんだ。だけど……」

「あの死体を見たら、もうそんなことは言っている場合ではないんだよ、津島。……私は今度こそ犯人を殺すつもりだ」


 何か言っている。聞こえない。聞きたくない。


「ああああああぁぁぁぁああぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁああぁぁああぁぁあああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 無意識のうちに動かしていた両手で顔を覆ったまま、走った。

 逃げるしかなかった。絶叫で頭を覆い尽くさないと狂ってしまいそうだった。




◇27




――ガチガチガチガチ。


 体の震えが止まらなかった。汗をかくほど走っていたのに、人体の大事な核を冷凍庫に放り込まれたように寒かった。

 ずっと真っ暗な部屋の中、今が朝なのか夜なのかさえも分からない。

 電気を付けず、カーテンも完全に閉まった暗闇。自室のベッドの上で、薄く頼りない夏用の掛け布団を頭から被って全身を掻き抱く。

 それでも自分が本当にこの場に存在しているのか分からない。


――二人とも憐れんだ目をしてたよ。


 頭の奥から声が響く。


「…………うるさいっ!」


 机の上の眼鏡を壁に叩きつける。


――そりゃあ石見にだって苛立つよなあ? ずっとあんな目で見られてたんだから。


「…………………………くそ…………くそくそクソッ!」


 手当たり次第に部屋のものに当たり散らす。枕を投げつける。布団を投げつける。鞄を投げる。教科書を投げる。服を。プリントを。携帯を。


 どうしようもない。


 自業自得だ。これまでずっと自分の好きなように生きてきた。本当に嫌なことからはいつも逃げてきた。

 優しい誰かがそんな僕に足並みを合わせてくれていただけだった。

 こんな僕に頼れる人なんてもうどこにもいない。


「……はぁ………………はぁ……………うぅ」


 息を切らせ、物の散乱する部屋の中心に立ち尽くした。

 頭が痛かった。

 気持ちが悪かった。


 何も見ないように両手で顔を覆い、何も考えないように頭を締め付ける。

 もういい。

 もうたくさんだ。

 僕は何も知らない。

 僕はわるくない。


 (…………ぁ……?)


 両手の指の隙間から、仄かな明かりを感じた気がした。


 ゆっくり、ゆっくりと両手を顔から離していく。

 それは先ほど投げた携帯の液晶画面だった。


――そうだ。


 僕にはもう一人『友達』がいる。


 数週間ぶりの餌を見つけた獣のように、駆け寄り拾い上げる。

 無我夢中でメッセージアプリを起動する。


「……早く…………早くしろ……………」


 数瞬に苛立つ。

 だが余計なことを考え始める前にいつもの画面が立ち上がる。

 知り合いの数は前から変わらず五人だけ。その中から目当ての名前を探すことなんて造作も――あ?


 思考の空白。

 上から下へ、スクロールするまでもないのに。

 ……叔父さん。

 ……広夢。

 …………三谷。

 ……深路。

 後に残っているのは――企業の、公式アカウント。



 どうして。

 どうして『天笠』がいない?



 ついこの間にも話したはずだ。

 チャット欄にだってこの前の会話が残っているはず、はずなのに……どこにも見つからない。


「……いや意味がわからん……本気でわかんないって!」


 何度再起動しても。

 何回更新し直しても。


 いない。

 どこにもない。


――どれぐらいの時間そうしていたのだろう。


 あれだけ眩しく感じた液晶の光は、カーテンから差し込む光と混ざって拡散していた。


 そこでようやく分かった。

 もうどうしようもない、『行き止まり』だってことが。


 言葉で表してしまえば、すとん、と落ち着いてくる気がした。

 熱を取り戻したのではなく、極寒の中であるはずのない熱を感じてしまうように。


 シーツのぐしゃぐしゃになったベッドの上に、膝を抱えてうずくまる。


 こんなぼくは。

 もういてもいなくても。

 いいのでは。

 ないだろうか?




――八時三十分、携帯電話が鳴った。





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