会話
人に興味がないというのは良くないことだと学校の先生に教わった。年もまだ小学生だったから言葉の意味が分からなかった。分かるわけないと思っていたのかもしれない。人を興味がないということは人の言葉も興味がないということだから。
気づけば人と話すことが無くなって、5年以上の月日が経っていた。もちろん、仕事で話すことはある。ただ、人と個人的なことを話すことはないし、飲みに行くなんてもってのほかだ。家で自炊をしている。その方が気楽でいい。世界は感染症で大変なことになっている。感染症にかかるとすれば、会社と買い物以外ではありえない。人とも会っていないし、話すのは電話越し、もしくはネットワーク越しである。電波に乗ってウイルスが移るなんてこともない。ある意味、安全なのだ。
スマホから音が鳴っている。時計を見れば起きる時間だ。顔を洗って、軽くうがいをする。そして、コンビニで買ったパンを食べる。牛乳を飲みながらテレビを点けた。周りはまだ感染者が500人以上出ている。まだまだ安心はできない。
電車に乗りながら、遠くの景色を見ていた。もうかれこれ1年以上感染症にふるまわされているな。俺は手摺を見ていた。隣の女の人は手袋をしている。医療関係者かな。自分の職業が関係ないとはいえ、大変だと思ってしまう。それと同時に安心が来る。死の恐れは誰にでもあるけれど、なんか人よりも大きく感じているように思っている。
今日も1日が過ぎていく。俺は全く星が見えない空を見上げながら、道路を歩いている。最近はなんというか地面に足がついていないように感じることが多い。なんでだろうと思う。充分に幸せだ。食べ物の苦労することもないし、嫌な人間関係もない。時間もそれなりにある。何かが足りていない。
仕事をしていて、総務の人は話があると言ってきた。少しメールを見ながら、立ち上がる。介護室に移動した。渡されたのはテレワーク用のパソコン。どうやら、会社もテレワークに本腰を入れるらしい。内心ではほっとしていた。対人関係が苦手なので人に会わないのが一番だと思っている。
次の日から家ですべて完結するようになった。仕事場に行くまでの間の時間が無くなるため、少し長く寝ることができるので体の調子がいい。総務の話ではログイン時間で出勤を確認しているとのことなのでパソコンの起動はしておく必要がある。ただ、そこまで不真面目ではないので、しっかりと自分の仕事をする。
1週間経ったある日、寝ることが難しくなった。なぜだろうか。仕事をして体は疲れている。事務職なので体が凝った場合にはマッサージ機でほぐしているとはいっても、生きているだけで疲れるはずだ。
眠れない日が1週間続いたことで体は悲鳴を上げていた。会社に有給を申請し、内科に行ってみた。異常はないらしい。紹介を受けたのは精神科である。精神科に行って症状を話したが、別の待合室に通された。俺にはカウンセリングなどは必要ないと言っていたのだが。女性のカウンセラーは俺の体の症状を聞いていた。もちろん、眠れないことを伝えた。彼女は焦ることなく、様々な筆問をしていた。俺は答えていったが、彼女は最近、個人的に喋ったことがあるかと聞いてきた。もちろん、あるわけがない。彼女は微笑んで先生の処置室へ案内した。
睡眠導入剤を渡されたが、そのまま次のカウンセリングの予約を入れてくださいと言われる。俺は戸惑った。少なくとも変な受け答えをしたわけではない。カウンセラーも微笑んでいたし、大丈夫だと思っていた。先生は微笑んで1週間に1回来るようにといった。このクリニックは休みが平日なため行くことは可能である。その日、疲れたのかすぐに眠ることができた。
薬に頼るのはおかしいことではない。持病があるのであれば。でも、元気だという自覚はある。眠ることができないだけ。また、カウンセリングを受けるとなれば少し気が滅入る。病人扱いされているようなものだから。
また、カウンセリングを受けた。彼女は以前のように体の話は最初だけで話を振ってきた。テレビは見るためその手の会話は大丈夫。俺は少し体が軽くなったような感じがした。
1か月通院したが、睡眠導入剤なしで眠ることができるように戻っていた。そのことが不思議で1か月の行動を紙に書いてみた。
そうか。学校の先生が言っていることは正しかったのだとわかる。調子が良かった時、人と話をしているからだ。人間は自分を客観視できるが、その客観視をすることができるのは他人を知っているからだと何かで聞いたことがある。人間に興味がない人は何人称という役割すらないのだ。
カウンセラーにそのことを話すと彼女は微笑んだ。先生も微笑んで次の予約はなくなった。少し空の青さが際立っている。…、もう少し人に興味を持とう。そう決めた第一歩はすごく軽くなっていた。




