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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ガス抜き世界 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 つぶらやは、別の世界の存在を信じているか?

 ……と、こう聞くといかにも子供っぽい妄想だと、たいていの人が思うんだよな。俺の経験上だと。どうも異世界って奴は創作の中だけか、そうでなくとも、俺たちが生涯届かないようなずっとずっと遠い銀河にでも行かなきゃ、触れることかなわない。そう考えている節が見受けられる。

 ま、自分でいろいろやりくりしなきゃいけない大人になると、手が届かないことには興味が湧いているでもない限り、脳のキャパシティに入れておきたくないだろうさ。実生活で役に立たねえもんよ。何かと庇護下に置かれる、もしくは面倒くさいで放り出してもなんとかなる立場の子供とかの方が、夢詰め込めるスペースがあるのも道理。

 だが、俺は別の世界って奴は、結構近くにあるんじゃないかと考えている派でな。やっぱり実体験をすると違うわ。それまで自分が見ていたものが、暗中の懐中電灯の輪みたいに、限られた場所しか照らしていなかった。そいつを知る瞬間があると、なんとも妙な気持がこみ上げてくる。その時の話、聞いてみないか?


 俺が小さい頃に、剣道をやっていた話はしたことがあったっけか? じいちゃんも親父も剣道を習っているから、その影響も大きかったんだと思う。

 俺の家は市内を見下ろすことができる、ちょっとした高台の上に作られている。近くには雑木林もいくらか残っていてよ、その中に紛れて素振りをするのが俺の日課だった。

 後になってじいちゃんも親父も、この林の中で素振りをしていることを、俺は知る。話を聞いていたわけじゃない。たまたまその日は、いつもより早い時間、いつもより奥まった場所で素振りをしたい。そんな気分だったんだ。


 俺は素振りに竹刀を使っているが、じいちゃんと親父は木刀を使う。だが、その日の二人はふんどし一丁で竹刀を振っていたんだ。俺は二人の背中側から近づいて行ったんだが、突然の光景に声を掛けづらかったな。彼らは共に、横へ大きく広がる、楕円形の石の上に乗っていて、あたかも舞台の上へ立っているかのようだったよ。

 二人の木刀が、風を切る。速さに加え、手首の絞りまできちんとできていないと、こうはいかない。前後への足運びを繰り返しながら、二人は延々と木刀を振り続ける。

 俺が見始めてからも、すでに100本以上は打ち込んだだろうか。二人の足にも背中にも玉の汗が浮かび、ときどき、石の上へ飛び散って黒々としたシミを作っていく。周囲の暑さゆえか、シミが留まるのはほんのわずかな間だけ。少しすると元の灰色を取り戻してしまう。

 乱れることなき素振りは、最終的に300本以上に及ぶ。二人は同時のタイミングでぴたりと木刀を止め、石の脇に転がしていた自らの着替え。その一番上に畳んで置いてあるハンドタオルで、上半身を拭い始める。俺はようやく木陰から姿を出し、二人もそれに気がついた。


「どうしてこんなところで素振りしているの?」


 尋ねてみると、じいちゃんと親父は互いにちょっと顔を見合わせた後、ゆっくり口を開いた。「自分たちは『ガス抜き』を行っている」と。

 ガス抜き、と聞いて当時の俺は、膨らんでいる風船の中身を抜くことを真っ先に想像してしまったが、違った。二人は世界のガス抜きを行っているのだと話してくれる。


「人間は世界に遍く住み着き、ややもすれば好き放題に振る舞っている。それでいながら、往々にして後片付けをしない。いや、片付けの仕方すら知らない者の数が増えているんだ。放っておけば世界は見えないゴミであふれ、ついには息をすることさえ難しくなってしまうだろう。

 我々がやっていることは、その予防の一端。溜まりすぎたゴミを、処分しているのさ」


 俺には全然ぴんとこなかった。世界といわれたって、俺には家と学校、あとは時たま行く図書館とかの施設くらいしか、考えられない。スケールの大きい、抽象的なことを告げられても現実感が湧かないというのが正直なところ。隅々まで見て調べることができる、ゲームの中とかだったら、憧れる言葉なんだがね。


 ――二人とも、いい歳をしてこじらせてるなあ。


 初めて聞いた時の、俺の感想だった。


 それから数ヶ月後の秋の終わりごろ。俺の地域では、インフルエンザが大流行し、俺のクラスも学級閉鎖に追い込まれた。

 家でもじいちゃんと親父がそろって罹患しちまう。二人ともものすごい熱で、身体を起こすのもままならない状態だったよ。下手に俺へ移すわけにもいかないと、家の一室へ隔離。おふくろが面倒を見ることになったんだが、そのおふくろによると、じいちゃんと親父が俺に頼みごとがしたいらしいんだ。

「毎朝、俺たちがやっている、『アレ』をやってほしい」ってさ。おふくろは詳しいことを聞いていないらしかった。

 もちろん、あそこでの素振りのことだろうと、俺にはすぐ分かったよ。いつも素振りしている場所が変わるだけ。そう思って俺は、さっそく件の石の上に乗っかって、素振りをしたんだ。

 どれだけ振ればいいのか、検討がつかない。とりあえずは俺が見ていた300本に加えて100本。合計400本ほど行った。着ているシャツもズボンもぐしょ濡れで、帰りに時期外れの朝シャワーを浴びたのを覚えているよ。それからは一日、家の中でのんびりさせてもらったさ。


 だが、翌日。俺の耳に、近所のおじさんがインフルエンザで亡くなったという、急報が入る。面倒見の良い人で、ほんの数年前に俺とのキャッチボールに付き合ってくれたことがあった。

 その人が、今はもういない。家の人によれば今朝がたに高熱が出て動けなくなってしまい、そのわずか30分足らずで息をしなくなり、蘇生もうまく行かなかったとのこと。

 信じられなかったよ。俺を取り巻く世界の一部が、こんなにも簡単に壊れてしまうなんてさ。同時に、じいちゃんと親父の言葉が、信ぴょう性を増してくる。昨日の俺は、世界のガスの抜き方を間違ってしまったんじゃないか、と。

 俺はまたおふくろづてに、二人の言葉を賜ったよ。「俺たちがやっていた状況を思い出し、しっかり再現しろ」と。ふんどしは勘弁しても、他の部分もしっかりやれ、とね。


 次の日の朝。俺は例の石の場所まで来ると、周りに人の目はもちろん、動物の目がないことを確かめつつ、服を脱いでいく。風呂ならともかく、こんな虫が多そうな野外で裸になるのは少し抵抗があったが……我慢する。

 二人は相変わらず熱を出している。病院に行くことをすすめるおふくろだったが、二人とも家に留まると、頑として受け入れないらしい。きっと俺に託した仕事が上手く行くか、監視するためだろう。それに放っておくと、あのおじさんのようなことが起こらないとも限らなかった。

 いよいよパンツ一丁になる俺。裸足で乗る石の上は、予想に反して生ぬるい。胴着、袴、普段着のいずれも身に着けず、竹刀を握るというのには多少違和感があったものの、始める。

 100本目。いつもこなしている日課だ。まだまだ身体が軽い。

 200本目。身体が温まってくる頃合い。だが今日はいつもにも増して身体が火照っている。いつもよりも薄着だというのに。

 300本目。汗だ。汗が止まらない。首を伝い、背中を伝い、足を伝い、いささかもとどまる気配を見せず、流れ落ちていく。季節外れの暑さに息を切らしながらも、俺はあの日の二人の姿を思い出す。

 盛んに汗を流し、飛び散らせて、この温い石を濡らしていく。その姿が求められていたのかと。

 400本目。いつもなら余力があるはずだが、もう肩が言うことをきかないほどに、竹刀が重く感じられる。どれほど素振りをすればいいのか、漠然とした不安がはびこり出すが、構わず竹刀を持ち上げた。

 420か、430か。もう数えるのも億劫になった時の、あの瞬間。俺は今でも忘れることができねえ。

 お前、夢の中で崖から落ちたことあるか? ふっと足元の感覚がなくなり、引っ張られるように千尋せんじんの谷へ落ち込んでいく。けれどあまりの怖さゆえか、すぐさま目が覚めちまう……そんな体験をさ。

 俺は起きながらにして、それを味わう。先ほどまで触れていた石が消え、俺は竹刀を持ったままの姿勢で、落ちていったのさ。いや、あるいは周囲の景色が一気にせり上がったのか。

 下から一気に赤いものが燃え上がった。炎、と安直に表現するのははばかられたよ。あれはすべて裸の人間だった。下の人が上の人の足へすがりつき、延々と下に落ち続ける間も伸びている。隙間を開けず、幾本も幾本も寄り添うようにしながらだ。

 下の人が助けを求めているのか、それとも上に行かんとする人の足を引っ張ろうとしているのか、俺には分からなかった。あの足が地に着かない感覚のまま、それらの底へ底へ落ちていったかと思うと、俺は不意に熱に包まれた。

 素振りしていた時とは比べ物にならず、俺が「熱い」と感じる時には、すでに体中でじりじりと音がしていたよ。まるでセミがくまなく俺の身体に止まって、じーじー鳴き出したようなけたたましさだった……。

 

 ふと目が覚めると、俺は石の上でうつぶせに倒れこんでいたよ。石には俺の身体の形にべっとりと汗の跡が残っている。

 やり遂げたのか、とっさに判断がつかなかったが、俺は着替えて家へ向かう。するとおふくろからじいちゃんと親父が起き上がったことを聞いたんだ。

 それから俺たちの周囲ではインフルエンザの勢いは、あっという間に沈静化していった。あの時の体験をじいちゃんと親父に話すと、それが世界の排気口だと説明されたよ。

 俺たちの汗は、あそこの手入れにつながる。もし詰まってしまうと、たまった気が悪さをし始めてしまうとな。

 だが、俺は違うかもしれないと思っている。あの時に見た人の縄は、明らかに出口へ向かおうとしていた。じいちゃんや親父がしているのは外の「ガス」をあそこへ引き込むことで、あいつらを抑えているんじゃないかと解釈しているんだ。あの別世界の連中が入り込まないようにさ。

 

 

 

 


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気に入っていただけたら、他の短編もたくさんございますので、こちらからどうぞ!                                                                                                  近野物語 第三巻
― 新着の感想 ―
[一言] 面白かったです。 異世界はあまりピンとこないのですが、別銀河とかパラレルワールドなんかは考え始めると途方もない感じが、ちょっと怖くなってしまいます。 「片付けの仕方を知らない」確かに、創り出…
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