6話 私の太陽
私の太陽
「……っ、もう一周!張り切っていくよ!」
「「ハイ……!」」
キャプテンの言葉に一年生は苦し紛れに返事をする。
今は放課後。女子陸上部の私たちはグラウンドを走っていた。二年生は──実際私しかいないのだが──違うコースを走っている。ざっと、一年生の三倍くらいのメニューだ。でも私は走ることが好きなので、このくらいは大丈夫だ。
女子陸上部に部員が少ないのは、この学園は弓道部が有名なので、そちらにいく生徒が多いのだ。つまり、この現状は弓道部以外の部活も同じなのだ。そのお陰で部員たちの仲はとても良好なので、デメリットではないのだけれど。
「ハイっ、終わりー!少し休憩して集合ねー!」
部長の声に私は走るのをやめ、息を整える。そのまま水筒がある場所まで歩くと───
「夏月ちゃん、おつかれ。」
部長が私に水筒を差し出す。
「ありがとうございます、五十嵐部長。」
私は水筒を受け取った。
五十嵐楓部長。誰もが認めるカリスマ性が彼女を部長にさせた。もちろん、陸上の大会でも良い結果を残している。種目は百メートルハードル。彼女は三人兄弟の一番上らしく、普段から面倒見がいい。今でも、私に水筒を差し出してくださったし、とても気配りができるのだ。
私は水筒のお茶をゴクっと飲み干す。喉が潤うのを感じて、生きた心地がする。
「みんなー、集まってー!」
手を叩いてみんなを集合させる城野先生。私も城野先生のところへ向かう。
「じゃあ、今日の反省は───。」
この陸上部では、部活終わりに今日の反省を城野先生が発表するのだ。ときどきアドバイスも交えているので、とても参考になるし、そこまで言えるということは私たちをよく見ていてくれているということなので、とても嬉しいのだが───。
「で、アンタはなんなの?」
そう言って腕を組む城野先生に、またか……と思って小さくため息をつく。
最近はみんなの前でも私を罵倒するのだ。本当に、私の何が気にくわないのか。わからないけど、訊けるはずもない。さすがにそこまで強くない。
「全然集中できてない。もっと走れるでしょう。」
たしかに、今日はいつもよりも走れていない。うまく集中できていない。その理由は、私が一番よくわかっているのだ。
「アンタさぁ……叔母さんが逮捕されたんでしょ?どうせ、それが気にかかって集中できてないんだ。バカみたいじゃない?」
鼻で笑って、私を冷たく見つめる城野先生に、私は初めて本気で怒りが湧いた。
バカみたい?それは貴女だ。彩星さんが逮捕されたのは、それは気がかりではある。でも、一番は私がただ恐いと思う感情なのだ。ずっと我慢してたけど、私だって人間だ。恐いのだ。とても、恐かったのだ。その気持ちも知らずに……、私のことを人形だとしか思っていない貴女に何がわかるというのか。怒りも通り越して、もう涙が出そうになる。
「なんか言いなさいよ。」
俯く私を責めるかのように城野先生は言う。もう、嫌だ。壊れてしまいそうだ。
そう思った瞬間───
「城野先生、部活もうすぐ終わりそうですか?」
さっきの雰囲気をまったく感じさせない明るい声が聞こえた。
「貴義、先生……?」
貴義先生の登場に驚いたのは、私だけではなく城野先生もだった。貴義先生は自分の部活を持っていないので、見回りをしている。おそらく、部活が終わるか確認に来たのだろう。
「あ、はい。もう終わりました。」
少しだけ頬を赤らめて言う城野先生を見もせずに、貴義先生は私のもとに歩いてくる。
「もう解散なら、井立を借りていいですか?」
「あ……、どうぞ。」
にこやかに言う貴義先生に、少し戸惑って言う城野先生。私はその二人を見比べながら、何が起きているのか頭の中で整理しようとすると……。
「行くぞ、井立。」
腕をいきなり引っ張られて、そのままどこかへ連れて行かれてしまう。あのとき、私の名前を呼んだ先生の声は、心做しか暗く聞こえた。
ガラッと扉が閉まる音がして、顔を上げる。どうやら私は空き教室に連れ込まれたらしい。あ、でもこの言い方だと先生が誘拐犯みたいに思えてくる。訂正。空き教室へ連行された。うーん、これもダメだなぁ。語彙が欠乏しているな、私は。
「ねぇ、きっとどうでもいいこと考えてる井立夏月さん。」
「はい、ごめんなさい。どうでもいいこと考えてました。」
だよなぁ、と言った先生は椅子を二つ持ってきて向かい合わせにし、片方に腰をかける。
「夏月も座りな。」
いきなり名前で呼ばれてビックリしたのも束の間、体は勝手に椅子に腰掛ける。
その途端、貴義先生は眉根を寄せて少し低い声で私に問う。
「ねぇ、さっき城野先生にあんなこと言われてどう思った?」
「え……。」
貴義先生は私の目をじっと見つめていた。私は目を逸らせずに、先生を見つめ返す。でもやっぱり先生の眼力に負けて、目を逸らした。
「どうって……、べつに何も──」
「ちゃんと俺の目ェ見て言って。」
先生が私の言葉を静かに遮った。いつもとは違う声色から先生が怒っていることに気がついた。
「先生……。なんで怒ってるんですか?」
「……怒ってないよ。」
やっぱりその声色から怒っていることがわかる。その怒りは私に向けたものなのか、城野先生に向けたものなのか、それとも───
「ごめん、やっぱり怒ってた。」
少しため息を交え、諦めたように先生は呟く。
「……夏月。俺が質問すること、嘘つかずに答えてね。」
どうやら貴義先生は私に質問があるらしい。私が小さく頷くと、先生は苦笑した。
「あのさ……前から、こうゆうことはあった?」
こうゆうこと、とはきっと城野先生の私に対する態度のことだろう。嘘はつくな、と言われたので私はなんの躊躇いもなく頷いた。
「そっか……。気づいてあげられなくて、ごめんな。」
悲しそうに言う先生に、私は首を横に振る。
「先生が謝る必要なんてありません。私がただ、不器用なだけなんです。」
そう言うと、次は先生が首を横に振る。
「違うんだ。不器用なのは俺の方なんだよ。───夏月は、なんで城野先生が夏月にあんな態度をとっているのかは知らないんだよな?」
「はい。」
そうか、と苦々しい表情をしながら先生は自らのこめかみを押さえる。その行動が何を意味するか理解できなくて、私は首を傾げた。
すると先生は、重々しく口を開く。
「───俺は、城野先生がなんで夏月に対してあんな態度をとっているのか、知っているんだ。」
じゃあ、その理由に私が悪いことが含まれているのなら直していきたい……と思ったのだが、先生は私の考えを悟ったのか、首を横に振る。
「……ごめん。これは、個人のことが関係してくるから、その理由に関しては夏月に言えない。でも、夏月はまったく悪くないから、気に病む必要はないよ。」
優しい声でそう言うと、先生は私の頭を撫でる。
「辛かったよな……。訳も分からないまま、軽蔑やら罵倒やらされて……。」
そうやって慰めてくれる先生は、第二の父親のようだった。
「そんなことないですよ。大丈夫です。」
はっきりとそう言うと、先生は深く芯の強い孔雀緑色の瞳で私を捉えたまま何も言わなかった。
「先生……?」
「嘘……つくなよ。」
少し目線を外した貴義先生は、ぽつりぽつりと話す。
「俺はさ……、まぁ今日の話でもあったように人を……自分を欺いて生きてきたから、そうゆう我慢っていうか……一人で抱え込んでるやつを見分けるの、得意なんだよ。だから、夏月が我慢してるのもわかるんだぞ?───何回も言うようだけど、俺はお前の太陽になりたい。だから……俺と、半分コしよ。辛いことも、悲しいことも、全部。」
そしてちゃんと私の目を見つめて、先生は言う。
「───辛かっただろ?」
先程と同じ質問だ。だけど、私の表情はさっきと全然違う。きっと、涙でぐちゃぐちゃなんだろう。溜め込んでいたもの全てが、溢れだしてきたのだ。だけど不思議とそれを拭おうとも思わなかった。
───だって、先生が全部受け止めてくれるから。
そのあとはもう、何があったのかほとんど覚えていない。ただ泣きじゃくったまま、先生の胸にダイブして彩星さんに殺されかけた恐怖と、今まで城野先生に浴びせられてきた暴言の愚痴を、自分で何を言っているのかさえもわからないまま、ただただ先生に委ねた。もちろんそれを先生は止めることなく、うんうんと頷きながら私の頭を撫で続けてくれた。私にとってそれがどれだけ嬉しかったかなんて、言葉で言い表せない。
ただ、先生───私の太陽がそばにいてくれただけで、胸がいっぱいになったのだ。
「ぐずっ、グス、はぁー……。」
私は鼻水をすすりながら大きく息を吐く。落ち着いた?、と先生に問われたので頷いた。
散々先生の胸の中で泣きじゃくったあと、私は少し落ち着きを取り戻し、今に至る。先生のTシャツは私の涙で濡れてぐちゃぐちゃになっていて、それを見た私は自分の失態に顔を赤らめるどころか、青ざめた。
その様子に気がついた先生は、気にすんなよ、と少し笑って着ていたパーカーのチャックを閉めた。
「これでわかんないだろ?」
人差し指を立てて、内緒な、と続ける。本当にこういうところお茶目だなぁ。ギャップがすごいんだよなぁ。先生、やっぱりお母さんの真似してるだけあって笑い方がそっくりなんだよなぁ。あの仮面を張りつけたような笑みとは違う、こっちも思わず笑顔になるようなクシャって顔を崩す笑顔。好きだなぁ……。
涙もあまり拭かないまま、私が先生をじっと見つめていたせいかなにかついてる?、と先生は首を傾げた。
「いや……、やっぱりお母さんのこと好きなだけあって、笑顔が似てるなってしみじみ思ったんです。私は笑わずクールな優等生を演じていましたから、今になってちゃんと笑えるかなぁ……。」
ちょっと苦笑しながら言うと、先生は目を細めて笑った。
「今だって苦笑でも笑えてるよ。進歩じゃん。それに俺はただの猿真似だけど、夏月は違う。本当に、さつき先生の遺伝子を受け継いでるんだからね……。その苦笑は、さつき先生によく似ていて、とても可愛いよ。」
……この人は私を口説いているのだろうか。そう思うほど、先生は私を褒める。美人だね、とか綺麗だね、とかは言われたことがある。でも可愛いなんて言われたことがなかった。私のどこが可愛いというのか。そこら辺にいる野良猫の方が可愛い。うん、絶対。
少しムスッとしている私に構わず、先生は続ける。
「夏月はたぶん、伸弥さんによく似てるって言われることが多いだろ?でも、俺はそうは思わない。君の温かさは……、本当の笑顔は、さつき先生にそっくりだよ。その笑顔で、どれだけ俺が救われたか……。俺はね、もちろんさつき先生にも救われたけど、夏月にも救われているんだよ。だから夏月が苦しそうだったとき、俺は恩返しだと思って手を差し伸べたんだ。……俺がなんのこと言ってるか、わかる?」
私はその言葉に、何度も頷いた。先生が言っているのは〝あの日〟のことだろう。
私たちは、この学園で会う前に一度だけお互いを認識していたことがある。それは、私の母───先生の言う「さつき先生」の葬式のときだ。私は家族として、先生は────加害者の親族として出席していた。そこで罵倒し続けられた先生の母と先生自身。そのときは私も幼子だったので細かいところまでは覚えてないのだが、たしかにあのとき先生は死者のような───もう人生を諦めたような、絶望した顔をしていた。もう何も信じられない、もう何にも頼れない。もう生きてる意味なんて分からない───そう言っている気がしたのだ。
「夏月も覚えてたんだ。嬉しいな。───とにかく俺は、あのとき本当に死のうと思ってた。もうさつき先生がいないこの世に生きたくない。しかも自分の父親のせいで大好きな先生が死んだんだ。絶望してたよ。そりゃあ、とんでもなくね。でもさ、俺は君の一言で救われたんだ。『またね』って。最後に言ってくれた。あのとき君はなんでもなく言ったのかもしれない。でも俺にとっては────死のうとしてた俺にとっては『また』なんて来るはずがない。でも、君は自分の大切な母親が俺の父親のせいで死んだにも関わらず、俺にそう笑顔で言ってくれたんだ。だから俺は思ったんだよ。『ああ、この子にまた会いに行こう』って。それだけだよ。俺は今こうして、夏月の隣にいることがとんでもなく幸せなんだ。だって自分の生きる意味が、目の前にいるのだから。」
そしてニカッと眩しいくらいの笑顔で笑って、先生は言った。
「俺の生きる意味はお前だよ、夏月。だから……夏月の生きる意味も俺だったらいいなぁ……なんて思ったりしてる。」
傍から聞いたらこれは完全にプロポーズだ。語弊がある。でも私にはちゃんと届いていた。先生が、私を生きるかなめとしていること。そして私も───先生と同じであること。
「貴義先生。」
「───」
私が初めて先生を名前で読んだからか、すごく驚いたような顔をしている。
「あのときから───初めて私たちが出会った頃から、こう呼びたかったです。」
「うん───。俺もだよ、夏月。俺もあのとき、名前で呼びたかった。」
先生は、優しく私の頬を撫でた。それがあまりにも嬉しくて、また泣きだしそうになってしまった。
「あー!もう、遅いよーナツ〜。」
顔を十分洗って校門前まで先生と一緒に行くと、ユナが甘えるように私に抱き着く。
「ごめんね、ユナ。」
私はそう言って、控えめにユナを引き剥がした。何故ここでユナが私を待っていたかというと、一緒に帰る約束をしていたからだ。ユナも今日は部活があったらしく、ちなみにユナは演劇部に所属している。母親が今話題の若手女優なのでそれに影響されたらしい。
そんなとき、ユナは私の後ろにいた貴義先生に気がついたらしく、眉をひそめる。
「……なに、先生。ナツに何かしたの?」
いつもより低いトーンで話すユナに、私は震えた。なんか怖いです、ユナさん。
「なんもしてないよ。睨むなって、瀬戸。ちょっと話をしてただけ。なぁ、夏月。」
「───夏月?」
私が頷こうとしたとき、ユナが先生の言葉を反芻する。変な汗がタラタラと流れる貴義先生をもう一度強く睨んで、ユナは私に抱きついた。
「なんで勝手に名前呼びにしてんのさ!![#「!!」は縦中横]ナツはあたしのなの!横取りしないでタカさん!」
「ちょっ……、ここは学校だぞ。その呼び方は───」
「タカさん?」
今度は私がユナの言葉を反芻した。すると貴義先生はしまった、という焦った顔を。ユナはあちゃーという、ちょっと半笑いの表情をした。
「ねぇ、タカさんってなに?私に隠し事してるの?ユナ。自分で『ナツはあたしのなの!』って言ってたのに?」
少し脅迫するように言うと、ユナは焦り始めた。
「そんなことないよ!あたしはナツのこと大好きだよ!![#「!!」は縦中横]だからこんな汚物が最近ナツに近づいてるのが許せなかったの!ちゃんと自白するから許して!![#「!!」は縦中横]」
冗談だよ、と言って必死なユナを宥めた。すると深呼吸をし始めて、落ち着きを取り戻したようだ。
「でも……ユナは貴義先生のこと好きなんだよね?」
「は?」
どす黒い声がユナの口から漏れたので、私は慌てて説明する。
「だ、だって私が貴義先生と話してるとき、すごい不機嫌そうだったし。あ、あと、貴義先生のことが学校の裏掲示板に載ってたとき、すごい慌ててた……から……そう思い、ました。」
ユナからの強烈な視線を感じて徐々に自分の声が小さくなっていくのを実感した。すると、ユナはため息をこぼす。
「やだな〜。こんな汚物好きな訳ないじゃん。さっき言った通り、あたしのナツを横取りしてるから不機嫌だったの〜。ナツに怒ってるわけじゃないよ〜。」
貴義先生のことを酷く言っているのに変わりはないが、口調がいつものユナに戻ってきた。
「じゃあ掲示板の件は?なんであんなに取り乱してたの?」
私が首を傾げると、ユナは親指で貴義先生をダルそうに指さす。
「タカさんはあたしの叔父なの。だからタカさんが失業しちゃったらあたしの家も色々と大変になっちゃうからね〜。まぁ、叔父って言っても血は繋がってないけど〜。」
ユナは話の続きを貴義先生に促した。
「今日言ってたろ?両親が孤児院から引き取った俺の姉となる女の子が家出したって。その子は今でも両親には見つかってないものの、俺はその子とすぐ再会した。その女の子って言うのが───」
「ユナの母親ってこと……ですか?」
「そう。」
貴義先生とユナは頷く。私は少し動揺した。
「えっ、でもユナのお母さんって女優でしょ?流石に見つかるんじゃない?その、貴義先生の御両親に。」
「いや、そんなことないよ。うちの両親は本当にクズだからね。あの子が女の子っていう点しか見てなかったからもう顔も覚えてないよ。」
じきに俺も忘れられるのかなぁ、と貴義先生先生は呟く。それが酷く虚しく聞こえて私は貴義先生に言葉をかけようとすると───
「大丈夫だよ、夏月。忘れられても俺は別にいい。思い入れなんてないし。憎んでるし。てか逆に早く忘れて。俺もそろそろ髪切りたい。髪乾かすの面倒くさいもん。」
女子のような悩み事だ。まぁ先生はたぶん私くらい髪長いからね。その悩み、激しく同意します。
「まぁ、俺とゆーちゃんが親戚なのは内緒にしてね。」
人差し指を立てて、シーっと子供を静かにさせるような仕草をする先生。
先生って素ではユナのことゆーちゃんって呼ぶんだ。可愛い。
「ふふふ、そうですね。三人だけの秘密です。」
私もユナも先生と同じポーズを取って笑いあった。