4話 無残な叔母 父の怒り
無残な叔母 父の怒り
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「いや〜、でも凄かったね!あの走りは!なんかもう、プロのオーラを感じたよ!」
そう言ってわざとらしく頷く優弥さんを横目で見ながら、私は言う。
「優弥さん、からかうのはよくないですよ。」
「からかってないよ!ホント、才能あるってなっちゃんは!」
キラッとウインクを飛ばしてくる優弥さんをスルーする。
私たちは今、授業参観も終わり保護者と下校するように言われて、優弥さんとお父さんと私で帰宅している最中だ。
そんなとき、私はお父さんを見やる。
「……。」
顎に手を添えながら俯いて、なにかを考えているようにずっと無言でいるお父さん。
さっきから、ずっとこのままなのだ。
「……しーん。なにかあったの?シンがずっと黙ってるからなっちゃんが心配してるよ。」
私の視線に気がついたのか、そうお父さんに声をかける優弥さん。
お父さんはこちらを見ずに、「ああ。」と生返事を返すだけだった。
「シン。」
声色を変えて真剣に話しかける優弥さん。それに気がついて、お父さんはやっとこちらを見る。
「なにがあったの?きっとあの先生と話してたことで、気がかりがあるんでしょ。」
優弥さんが指摘すると、お父さんはまた視線をもとに戻す。
そうなのだ。体育の授業のとき、お父さんの姿が見えなくなったと思ったら、なんと早乙女先生と何やら話していたらしい。
お父さん、ああいう元気な人嫌いだったような気が……。
「シ〜ン〜?そろそろ吐いてくれないと、僕怒るよ?」
黒い顔でお父さんに迫る優弥さん。その様子にため息をついて、お父さんは渋々私の方を見る。
「早乙女貴義は、さつきの教え子らしい。しかも、特に仲の良かった者だ。故に早乙女貴義はさつきに対して特別な感情があったようだ。」
「え?」
さつきって、私のお母さんのことだよね?じゃあ、お母さんの生徒が早乙女先生で、早乙女先生の生徒が私で……。しかも早乙女先生はお母さんのことが好きで、でもお母さんは先生じゃなくてお父さんが好きだし結婚してるし───
「なんかフクザツだね〜。」
そう。そう言いたかった。いまどきこれは、〝それな〟と言うのだろう。なんの略かわからないが。
「でもさ、それがシンを悩ませてるのとどう関係するのさ?」
そう言って首を傾げる優弥さんに、お父さんは言う。
「……それで、色々話して。彼が、とても良い子だと知って。──でも、俺は彼を傷つけたかもしれない。」
お父さんは俯く。
その様子を見て、優弥さんは眉をひそめる。
「俺があることを訊いたら、途端に彼の色が〝灰色〟になって……。」
ポツリ、ポツリと話してくれるお父さん。優弥さんは目をパチクリさせた。
「シンが灰色にさせたの?珍しいね。」
色の話に移ったとき、私はこの会話を理解することをやめた。
この話は、優弥さんとお父さんにしかわからない。
だって、彼らは〝見えてる〟から。
「あることって何を訊いたの?」
優弥さんがそう問うと、お父さんは立ち止まった。それにつられて、私と優弥さんも足を止める。
「……夏月。彼は、自分の髪について何か言っていたか?」
優弥さんの問いには答えず、なぜか私に問いかけるお父さん。
私は慌てて質問に答える。
「えーっと、たしかクラスメイトが『なんで髪長いんですか?』って訊いていたことがあるけど、言葉を濁らせていたような……。」
私の答えに、お父さんは頷いた。
「俺は、それと同じことを訊いたのだ。そういたら、少し嫌な顔をして───」
「まぁ、誰だって訊かれたくないことはあるだろうけどね。」
苦笑しながら優弥さんは言った。それは〝彼も同じ〟だからだろう。
「……そうだな。」
そう返して、お父さんは歩き始めた。
私たちもまた、歩き始めた。
家に到着して、お父さんが鍵を開けようとする。
だけど「ん?」と怪訝な面持ちになったので優弥さんが「どうしたの?」と声をかける。
「扉が……開いている。」
「……シンに限って、鍵の締め忘れなんてないもんね。」
優弥さんも神妙な面持ちになったので、心臓が嫌な音をたてる。
私たちを後ろに下げて、お父さんは慎重に扉を開いた。
その先にいたのは──
「あら、遅かったわね。人殺し」
堂々と玄関に仁王立ちしていた、私の叔母だった。
「彩星さん……。」
蘭彩星さん。〝あららぎ あや〟と読む。
彼女はお母さんの姉で、私をとても可愛がってくれている。
だが───
「ああ、ユウもいるの。吐き気がするわ、特に二人揃うと。」
彩星さんは、露骨にお父さんと優弥さんを嫌っている。
お父さんに至っては〝人殺し〟と呼んでいるし、私はこの人が苦手だ。
「彩星さん。なぜ、ここにいるのですか。鍵も開いていましたし──」
丁寧な口調で刺激しないように問いかけるお父さん。
その言葉を遮るように彩星さんは口を開く。
「どうでもいいでしょ、そんなこと。あと、名前で呼ばないで。」
ショートカットの髪をたなびかせ、彩星さんはお父さんを睨む。
ぐっ、と言葉につまるお父さん。
「私はね、可愛い可愛い夏月に会いに来たの。だから、アンタたちは私の前から消えて。」
お父さんと優弥さんに凄む彩星さん。
ふぅ、と息を吐いて彩星さんに対抗する意思を固めていると───
「……それはできません。俺は夏月の父親です。なので、夏月のそばを離れることはしません。」
対抗したのは、お父さんだった。
それが嬉しかった反面、不安が募る。
彩星さんはそれで引く人ではないことは、私だけではなくお父さんたちも知っているはずだ。もし、彩星さんが激怒していたらどうしよう───
そう思って、私は彩星さんの顔を覗く。
「───……へぇ、アンタも反抗できるんだ。」
いつもと変わらない表情に安堵したのも束の間───
「でも、知らない。夏月はアンタのじゃない。私のものよ。」
そう言って、お父さんと優弥さんをバンっと押す。
体勢を崩した二人は、外に出てしまった。
すかさず彩星さんは玄関のドアを閉め、鍵をかけた。
バンバン、とドアを叩く乾いた音が聴こえてくるが今はそれどころではない。
私は〝あるもの〟を見た瞬間、逃げなければという本能が働いていた。でも、足がすくんで動けない。
「逃げないでね?夏月。」
彩星さんの手に握られているソレは窓から入射した光で黒光りしている。
───……それは、ナイフだった。
*****
「……っ!」
ドンドンとドアを叩いても、中から何も応答はないし扉が開く気配もしない。
「たぶん無駄だよ、シン。彩星さんは頑固だからね。待つしかないよ。」
はぁ、とため息を漏らしながら言う兄さんに俺はでも、と詰め寄ると……
「彩星さんがなっちゃんのこと気に入ってるのは知ってるでしょ?酷いことはしないと思うよ。」
俺を安心させるためか、勤めて明るい声を出そうとする兄さん。だが眉を寄せているためか、少し怖い顔に見える。
兄さんは、高校時代に彩星さんと付き合っていた。あんな女のどこがいいのか、と思うが俺とさつきが付き合い始めてからあのように態度が豹変したので、おそらく前までは普通の女子だったのだろう。そういうこともあって、兄さんは彩星さんのことをよく知っている。だから兄さんが言うのなら心配はいらないと思っているものの、不安は募るばかりだ。
兄さんが玄関のドアにもたれかかりながら座ったので、俺も同じようにした。
目眩がするような真っ白な日光が目に直接入ってきたので、俺はそれを防ぐように手の甲を額に持っていく。
ジメジメした空気が、俺の服に入ってきて、汗を誘い出す。
そんな気候を気持ち悪く思っていると、兄さんは手で自身を扇ぎながら言った。
「暑いね。梅雨の時期だからジメジメしてるし。……ところで明日、雨の予報だけど晴れるといいね。」
その言葉に、俺は眉をひそめる。
明日……、七月七日。これは喜びと悲しみが葛藤する日である。というのも、明日は夏月の誕生日であり───さつきの、命日でもあるのだ。
夏月の誕生日を祝ってあげたいのもあるが、さつきの墓参りも行きたい。というより、いつもそちらを優先していた。夏月もそれを望んでいてくれたから。だがもしかしたら、本心を言えないだけで本当は祝ってほしいかもしれない。
そう思うと、何かプレゼントを買った方がいいのかと思案するが、何を買ったら喜ぶのか分からない。
兄さんは、どちらの意味で言ったのだろうか。
墓参りは晴れるといいね。なのか、誕生日だから晴れるといいね。なのか。
頭のあちこちで色んなことを考えていると、兄さんは噴き出した。
「なんだよ……、笑うなよ。」
「いや、だってさ。普段はなんでもパパパっと解決しちゃうシンが珍しくすごい悩んでるなぁと思ってさ。」
パパパっと、という擬音を交えた話し方に相変わらずだなと少し笑みを漏らすが、俺の悩んでるさまを見て爆笑し続けていたので、少し苛立ちを覚えて俺は兄さんを睨む。
「兄さん……、笑いすぎだ。人が真剣に悩んでいるというのに。」
そう如何にも不機嫌そうに言うと、ゴメンゴメンと笑いながら、兄さんは何もない一点を見つめる。
そのときに兄さんが何を思ったのか、少し懐かしそうに言う。
「シンって大人になったよね。」
「俺はもうすぐ、三十四になるんだぞ。大人に決まっているだろう。」
「そういう意味じゃなくてさ……なんか、落ち着いたよねって。」
柔らかく微笑む兄さんを一瞥して、俺は俯く。
「あのときは……、本当に、迷惑をかけてすまなかった。」
あのとき……そう、さつきが死んですぐあと、俺は狂っていた。
自分も大きな怪我を負っているにも関わらず、病院を抜け出して何度も早乙女貴仁に会いに行こうとした。……否、殺そうとしていた。そんなこと、早乙女貴仁がしたことと変わりないことにも気付かずに。ときには現実逃避して過去に願って、縋って、もういないさつきを見ていた。
命の時間。それは決められているものだと俺は思う。人の意思とは関係なく。
もっと生きていたいと願っても、逆に死にたいと願っても。初めから決められている命の時間には、抗えない。
だから、俺が願っていたことはただのエゴだ。
決められていたものなら仕方がないのだ。命の時間は、誰しもが限界を迎えるのだ。そのうち俺も……。
だったら、そのときまで待とうと俺は思った。
そのときまで、さつきは休んでいていいから。
そのときまで、夏月を一人にはしないから。
そのときまで───
「俺は、笑っているから。」
そう言って微笑むと、兄さんは少し泣きそうな顔をした。
「シンなら、大丈夫だよ。……僕が沙月ちゃんの代わりになれなくて、ゴメンね。」
なぜ兄さんが謝るのか。俺には分からなかった。
さつきの代わりになんて、誰もなれないし、そもそもそんなものは要らない。さつきは俺を愛し、俺に愛された唯一の妻なんだ。
きっと、これからもさつきより愛しいものなんてできやしないだろう。残念ながら、その気持ちは変えられないのだ。
「……ところでさっきの話なんだけど。」
「明日のことか?」
「うん。……お墓参りって意味合いじゃなくて、なっちゃんとの天体観測ってことで〝あの丘〟に行かない?きっと、なっちゃんもそれを望んでいるよ。」
少し眉をひそめて言う兄さん。その様子から、俺を説得しようとする必死さが見て取れた。
……俺って、そんなに兄さんの言うことに反対してたか?そんなに説得しようとしなくても、俺はそう考えていたぞ。
「わかっている……。ただ、夏月への誕生日プレゼントがな……。」
それに悩んでるんだ、と兄さんは首を傾げる。
誕生日プレゼント……夏月の好きな物がまったく分からない……。どうしたものか。俺は父親失格だ。
「ああ……シンが自己嫌悪に陥ってる……。」
「陥りたくもなる。ほんとに俺は夏月の父親であっていいのだろうか…………ん?」
〝夏月サンはお揃いだなんて覚えてないかもしれませんけど〟
そう言って照れ臭そうに頭をかくタカちゃん君を思い出して、俺は閃く。
「どうしたの?」
「夏月はたしかウサギが好きだ……ならば、ウサギ型の……もしくは、ウサギのイラストが入った何かを買ってこよう!そうしようそうしよう。俺よ、よく思いついた!偉いぞ!」
自分の閃きを讃えていると、兄さんは呆れたようにため息をつく。
「結局、思いついたんじゃん。」
つまんないのー、と唇を尖らす兄さんに笑おうとしたが───。
「……やめて‼︎」
大きな叫び声が家の中から聞こえてきて、思わずビクッと肩が反応する。
この声は、確実に夏月のもので───。
危機を感じ取った俺と兄さんは、顔を見合わせて頷き合った。バン、と玄関扉を叩いて夏月の名を呼ぶ。
「夏月、夏月!聞こえるか、何が起きている‼︎」
すると、ワンテンポ遅れてか細い声が聞こえた。
「おとう、さん……?」
その声から視える〝色〟は勝色だった。ますます俺は青ざめて、嫌な汗がわき出る。
夏月の叫び声と俺の行動で、通行人たちは足を止めてこちらの様子を伺ったり、写真や動画を撮ったりしている。
「夏月‼︎」
俺は再度、夏月の名を呼んで扉に突進した。だが予想通りビクともしない。
そんな俺の隣では待つしかないとか言った僕が悪いんだ!、と勝手に自己嫌悪に陥っている兄さん。その様になぜかイライラして、俺は叫ぶ。
「いいから手伝え!さっきまでと反対の立場になってるだろ!」
激昂する俺に、兄さんは少し怯えながらも扉に向かって身構える。
せーの、と息を合わせて扉に突進すると……。
───バンっ!
さっきよりも遥かにヤバめの音がしてので、恐る恐る目を開ける。
予想通り扉は壊れていた。だがそのお陰で俺たちは家の中に入ることができた。
……この扉、結構年季入ってたからな……。
そう思って体勢を元に戻そうとすると……。
───ズキっ
左腕が激しく痛むのを感じた。俺は思わず顔をしかめ、左腕をさする。
突進の反発で古傷がまた痛み始めたな……。
「お父さん……。」
自分の傷のことを悶々と考えていたら、愛する娘の声が聞こえて、俺は前を見据えて目を見開く。
そこには、刃物で切りつけられたような無数の怪我を負った夏月がいた。
そんなに深い傷ではないが、俺を逆上させるには充分だった。
「クソっ、扉を壊して入ってくるなんて!せっかく夏月と死ねると思ったのにいぃぃ……!」
夏月の後ろには目が血走っている彩星さんが仁王立ちしていた。その手には、ナイフが握られている。
彩星さんを覆うようにして、赤黒くて禍々しい色が広がっている。それに吐き気を覚える俺だが、抑える。というより、今はそんなことどうでもよかった。
よくも、俺の愛する娘に。
よくも、さつきの姉でありながらこのようなことをして。
よくも、よくも……‼︎
負の感情が俺に募り、彩星さんと同じような色が俺の周りを包んでいることを自覚し、ハッと我に帰る。
また、俺は早乙女貴仁と変わらない行為をしようとした。ダメだ、自分を抑えなくては。
そう思い、深呼吸する。そして状況を整理する。
おそらく、彩星さんは夏月と心中しようとしたのだろう。凶器は、彩星さんの手にあるナイフ。夏月は軽傷、彩星さんはもちろん怪我はない。彩星さんは気が動転していて、おそらく話にならない。こういうときに取る行動はただ一つ。
「失礼しますよ、彩星さん!」
念のために無礼をお許しくださいと、言葉を送る。
俺は彩星さんの腕を捻らせて、ナイフを奪う。
「っ、痛ッ!」
痛みに歪む彩星さんの顔。
俺はそれを完全にスルーし、背中に腕を組ませ、そのまま後頭部を掴んで押さえつける。
暴れる彩星さんに負けじと俺の腕に力がこもる。
「兄さん、警察に電話を!」
「もうしたよ!」
冷や汗を流しながら頷く兄さんを一瞥した。
遠くからは、ウーウーとサイレンが聞こえた。