20_拉く悪意なき模倣
ポート8672との通信を切る。“自分の機能だけで”それをやって、心の中であの端末に敬意を示す。ハルカさんに渡したインカムとの通信に、私は親機も子機もそれこそ電気も――すなわちあの端末との正式な通信手段を一切使っていない。ただ自分に備わる無線規格の一つを使って音声を届けているだけだ。損傷の少ないそれを拾い上げた際に、私は思い付きで適当な音声テストを行った。私たちの間に互換性は無いと知っていながら。しかしあの端末は不意に私の声を再生した。私の手を離れても、少し距離をとっても変わらずに、何度でも誠実に。自分のエネルギー事情や兵たちに埋め込んだ電球のことがなければ混乱したかもしれないが、それらを経た私はすんなりと納得していた。驚きは敬意に。この端末も何かの使命を忘れずにいる。
さて、これでハルカさんたちは一度城内に入ってくれた。あとは敵の攻勢次第だが……
「――定点物量作戦、でしょうか」
前方茜色の空から三体の透明ダコが順に高度を落としている。半透明な触手の輪郭が優雅に、作用しているのかどうかも曖昧な抵抗を受けてふわりと広がり、やがて弾丸へと変わる準備を整える。正直なところ状況は好ましくない。視認できる範囲でも彼らはその数を増やし続けていて、城の上空を周回し始めた個体だけでも数は30……40体に迫る。
>> 『D型0051』『D型0052』『D型0053』起動してください。『D型0014』及び『D型0016』は投擲の準備を。三次元座標は私から指示します。
頭の中で命ずる。城を背にした私から見て左右に距離を取り、遠投を担う二機の廃材兵を配置した。更に足元の地面から新たな巨兵が這い出て立ち上がる。彼らは正面衝突に備えなければならない三機、頭部の光源も無い比較的新しい世代だ。一度兵として成立させて地に潜らせておく個体、緊急時に作り出す個体、……ともかく、集結する透明ダコの打ち出した一手は想定外であり再演算を余儀なくされた。懸念事項は複数ある。もしも今上空にある透明ダコの群れが一斉に落下してきたら? それが本当に全個体ならば王の手を借りるしかない。私には彼のように地面の廃材を自由に操ることはできない。
「……第三監視塔の作動を確認」
早くも懸念の一つが現実になった。誰への報告なのか、私はそれを口に出していた。
城の周囲には八本の監視塔が建ててある。城を中心に放射状に、ほぼ等間隔に。在るはずの太陽や磁場が無い以上あれを『八方位』と呼ぶべきか難しいところだが、うち一本はあの“橋”を基準にした。細長い砂時計型の塔は私が入り込める監視所で約10メートルに到達し、城よりも高い位置でもう一つの役目を――“侵食の検知”を果たす。透明ダコによって構築時点よりも重量が軽くなった場合に、そのことを私と王に知らせるように仕込んであるのだ。規定回数の破裂音、上空に射出され展開した小型のパラシュートをこの位置から認識できた。取れる手段が限られたとはいえ、ハルカさんたちを――生身の人間を害する仕掛けを使わなくてよかった。第三監視塔の方角は王が迎撃を――
>>『D型0051, 0052, 0053』頭上の敵影を目掛けて跳んでください!
続く二機にも投擲座標を叫ぶ。私の演算も思考も彼らへの命令も一瞬であるはずなのに、消えゆく三機に謝辞を告げる余裕が無い。
弾丸の形へと変わっていた透明ダコ三体は躊躇なく落下してきた。ピンポイントで隆起する地面を蹴った忠実な廃材の兵士たちは長い両腕を広げて――城と同等の高さを誇る彼らがそうやって初めてあの巨影と対等に――衝突するかのように、消える。しかし一瞬動きを止めた透明ダコたちに、残った二機が放つ重量物が正確に直撃した。これも溶け込む。右舷『D型0014』の二投目もどうにか最後の一体を停止させた。
>>『D型0054』起動してください。
想定よりも敵の攻勢が早い。強いというよりも、“当てずっぽう”に、あるいは“見えないなりに効率を探って”動いているように感じる。
懸念事項の一つは透明ダコの初手そのものだった。何故あの個体は、王のいる城ではなく私とハルカさんたちのいるこの地点を狙って落下したのか。彼らの中で優先順位が変わったのならば一大事だったが、第三監視塔の被害からその判断は保留される。私たちも少しは彼らの目に留まったのかもしれない。だが城の周囲に無作為に突撃して“抵抗のある地点”を探っていると考えた方が合点がいく。
(……?)
視覚センサーであるはずだが、捉えたそれは、今までに観測したことのない現象だった。前方に漂っていた透明ダコが変形せずに高度を下げながら……分解されていく?
『ハルカさん、聞こえますか』
ポート8672を再度開いた。透明ダコの触手先端から光の粒子が空中に溶け出すようにして、その下の地面を目掛けて降っていく。
『私の声は聞こえているものと思いますが、聞こえたことをこちらに示す必要はありません――』
声は震えていないだろうか。私は冷静を装えているだろうか。
>>『R型0001』時が来ました。私の足元で待機を。
私にその機能は備わっているだろうか。並行演算はできているだろうか。インカムとの通信を、地に指示を。
二体目、三体目。別の個体が半分ほど分解してしまった透明ダコの近くに引き寄せられ、彼らもまた無数の触手を先端から溶かし始めた。その粒子が薄茜色の空を透過して、キラキラと“雪”のように、一つに集まっていく。――廃材の地に均一に降るのではない、集積し、凝縮されていく。
「……まさか」
ハルカさんに伝え終えてポート8672を閉じた後、私はそう零した。上空から次々と透明ダコたちが集結して凝縮を続ける。彼らにあるのは無機質な条件分岐だけだと思っていた。そこに意思はないと思っていた。その半透明の集合は、“私の形”を模していた。
第七監視塔が、自らが削られたことを告げる。
「私はあなた方にそう見えているのですね」
大きさは私と同じ。10体を超える透明ダコが凝縮された半透明な私の影に、薄く発光するコアのような器官が生まれる。その位置は頭部だった。もしこれが人間で言う心臓の位置なら――
「もう少しだけ動揺したかもしれません。強く恐れていることに変わりはありませんが」
>>『D型0055』起動してください。『D型0054』は私の前に立つ敵影を攻撃してください。
巨大な廃材兵士は膝の高さも無い“人影”を狙って四肢を曲げ、地面を掠め取るように拳を叩き込んだ。はずだった。その腕はやはり半透明の身体に触れて消し飛ぶ。制御を失った拳の欠片が後方に落ちて大きな音を立てた。人影はじっと佇む姿勢のまま――いや、前方に、私の方へと緩やかに歩き始める。頭上には尚も透明ダコが連なりその背中に粒子を注ぎ続けている。単純累積か、一体どれだけの質量価値を……。違う、この場で絶対に見極めなければならないことは一つだけだ。
「その目に私は見えていますか」
あるのは輪郭と朧げなコアだけ。それには表情も質感も無い。後続の兵士たちを呼び起こし、左右の二機にも投擲を続けさせる。一方で自分は大きく左へ、人影――仮称『透過凝縮体』と、城を結ぶ線から外れる位置へと駆ける。
地には触れているのか、音の無いその足取りはそれでも私とよく似ていた。圧倒的な質量を誇るはずの廃材塊を何度受けても微塵の揺らぎもなく、ただ前方へ、城の方へと進んでいる。D型0054は透過凝縮体を蹴ろうとして脚を失い、最期にのしかかるようにして溶け消えた。
>>『D型0057』命令を修正します。私の背後から頭上へ跳んでください。
上空を漂うそれ以外の透明ダコは落下を続けてくる。既に複数の個体が付近の地面へと着弾するのを確認した。弾丸というよりも隕石の方がそれらしいか。過去に観測した通り、そこには“クレーター”と呼びたくなるような大穴が開く。脅威はこの透過凝縮体だけではないのだ。地面の穴は時間をかけて王が埋めてくれるが、投擲物も含めてこれだけのスピードで兵を生み出し続けるのは分が悪い。恐らく王は王で他の方角の透明ダコから城を守るために廃材を使い戦っている。
「――見えていないのですね」
進行方向は変わらなかった。私が横方向に退いたにも関わらず、私の姿を模した透明ダコの凝縮体はゆっくりと、城を――王を目指して歩いている。その姿形を選んだ理由には理解が及ばない。真似ができるなら私が見えているのではないのか。それとも、見えないからこそ観測できる影だけを縁取ってみせたのか。例えば私が城に向かって走り出したらこれも速度を上げるのか。
>>『T型0003』を使用します。『D型0027』は門番の役を終えて補助に回ってください。
しかしそれならば私の行動は定まる。
体の真横を半透明の境界が掠めた。当たらないならば恐怖する必要はない。何が使えるか、何ならばあれの脅威になり得るのか思考するためにリソースを割く。地面の奥へと多重の指示を出しながら垂直に抉られた地面の縁を蹴って跳ぶ。
この脅威を、王とハルカさんたちのいる城に辿り着かせるわけにはいかない。