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イデアの海  作者: キノミ
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18_それに抗うということ、それでも抗うということ


 一体や二体どころではない、前後左右、ここからの距離も不規則に透明ダコたちが次々と現れていく。透明な輪郭を微細な光がなぞるように明滅して一度は薄茜色の空に溶け込み、また滲むように浮かび上がる。八本の脚とそれを束ねる位置で朧げに光るコアは生命を模した姿か、私たちの錯覚か。


「透明クジラたちが空の裂け目を見つけた時もこうだったよね」


「それ以上かもしれない……」


 あの時はセントナツ号に乗って、オゥルくんたちに押してもらいながら透明クジラの群れと並走した。多少の起伏はあれど開けた地形と薄茜色の空がその光景を思い出させる。現れた透明ダコたちはすぐに“目標地点”を向いて移動し始めた。城に戻ろうと走る私たちに方向を重ねる個体もいる。城の“敵”は何も前方からだけやってくるのではないのだ――それ以外の個体もずっと多く、ここから見える全個体が明確に王とキサキさんのいる城を目指している。


「あ、そこ凹んでるよ」


「おっと、ありがとう」


 軌道を変えるローファー。考え事に沈む私の足元がナツに気を遣わせてしまった。城の近くでは見なかったけれど廃材を固めたキューブの製造跡だろうか。不自然に四角く、僅かに地面が窪んでいた。少し先まで色褪せた廃材の地面を確認してから空を見上げる。透明ダコはまだあの弾丸のような形にならず、八本の腕に似た器官を靡かせて悠然と進んでいる。――着実な準備を示すかのように。

 いつの間にか忘れていた競走はナツの勝ちだった。城の近くまで辿り着いた私たちは、全力疾走の後に“少し疲れている”ことを気にする暇も無いまま、その局面に追い付く。



「――ハルカさん! ナツさん!」


 城の外、ちょうど巨人兵士を連れて透明ダコと向かい合った辺りにキサキさんが出て来ていた。けれどその前に目に入っていたのは城の周りに聳える細長い砂時計型の塔だ。見上げる高さを誇る兵士たちよりも更に高く、丁度彼らが手を伸ばしたくらいの高さで城を囲うように建ててある。廃材キューブ一つでさえ私たちならその陰に優に隠れてしまうなのに、兵士がそれを軽々と放り投げて透明ダコがあっさりと吸収した光景が蘇る。この塔たちが何か仕掛けなのだとしたら、あれ以上のスケールが過去にあって、もしくは予期して――


「ご無事でしたか」


「うん、ありがとキサキさん」


 ナツに続いてキサキさんにお礼を言い、無断で城から離れたことを謝る。


「皆様の判断を尊重します。ですが今はひとまず城の中へ避難を」


「ハルカ、いいよね?」


 ナツが確認してくれたのはきっと私がよくなさそうな顔をしていたから。


「……キサキさん、透明ダコたちがこんなに集まるのは初めて?」


「――はい。彼らがこれから何をしてくるのか、私たちがこれまでのように彼らを追い返せるかどうか、断言できません」


 一度振り返って空模様を見上げる。


「あれ、透明ダコたち、お城の周りを……回ってる?」


 ナツの言う通りだ。まだ遠くから向かってきている個体も多いが、城の近くまで辿り着いた個体たちはこちらから見て反時計回りにゆっくりと漂い始めた。高度は変わらない。その意図は、次の段階は。


「お城の中には入るよ。悔しいけど私たちにできそうなことが見つからない」


「どうかお気になさらず。元よりあれが狙っているのは私たちです」


 一瞬言い淀む。それでも。


「避難の前に少しだけ、もし知っていたら教えて」


 キサキさんは頷く。私にはどうしても確認しておきたいことがあった。この先の選択のために。


「透明ダコは私とナツを襲う?」


「恐らく襲いません。それはお二人が“人間”であるからです」


 やはりそうなのか。


「それなら、もし私たちが廃材を吸収している最中の透明ダコに触れたら?」


「この回答も推測になってしまいます。そして、この質問については私の回答によってハルカさんを危険に晒す可能性があるため、回答できません」


 多層レンズの瞳が少しだけ視線を伏せて、それからキサキさんは短く、私の右手首を指差した。――聡明どころではない、彼女は人間などとうに超えた知能を持つ存在だ。彼女がその立場から何に心を痛めてくれたのか、私は少しでも理解しなければならない。


「ありがとうキサキさん。ナツもごめんお待たせ、行こう」


「うん……」


「城内にも外の様子が見える場所があります。入り口から覗いていただくよりも安全なはずですが、――お二人とも走ってください!」


「え?」


 すぐ後ろの地面から廃材が突き出した。兵士の緊急起動を理解したのと同時に、そうさせた敵の攻勢に気付く。私たちの背後、一体の透明ダコが不意に高度を下げていた。脚をまとめて後ろへ、袋状の部位が地上のこちらに向く。巨大な流線型の弾丸が示す突撃の意思。


「逃げよう、ハルカ!」


 分かっているのに足が竦む。透明クジラは私たちの立っていた浮き島を避けてくれた。この個体は……ここを狙っている?


「失礼します」


 ぐらりと揺れる視界。お腹に何かが巻き付いて身体が浮き上がる。キサキさんが私を抱えてくれたのだ。重い廃材の塊が地面を踏み込む連続音。どうにかナツの追走を確認した直後、空に浮かぶ弾丸は音も無く放たれた。


「あっ」


 ナツが躓いた瞬間、強く引かれる感覚に身を委ねる。

 巨人兵が跳躍した。地面が巨体を押し上げるように突出し、重量感を忘れるほどに高く力強く。キサキさんは片腕で私を抱えたまま二歩でナツに接近して一切の傷から守った。直後、走り幅跳び終盤の姿勢を作った巨人兵が両腕両脚から透明ダコと衝突――霧散した。細めた私の眼が瞬きをする寸前、速度を落とした透明ダコの真横から巨大な廃材の塊が直撃する。二体目の援護投擲か。しかしこれも彼らの理不尽な法則に溶ける。


「うぅ」


 キサキさんの手の影からそんな上空の光景を見た。既に彼女は私たちを横たえて、“万が一巨人兵士と廃材キューブが全て消化されなかった時”に生じるであろう破片の雨から両腕を広げて私たちを守ろうとしている。

 透明ダコが静止したように思われた。廃材の質感が背中から、素肌が直に触れる部分からも伝わってくる。


「お怪我はありませんか」


 敵影を睨んだままキサキさんは続ける。


「彼らはある程度の人工物を吸収すれば一旦空へと帰ります。一度に触れた質量が大きければ、短い時間ではありますがこのように停止することも確認できています」


――王やキサキは“この世界そのもの”を射出して透明ダコを一時的にでも退けている。故に、奴らが王の城に現れて争う度にこの世界は目減りしていく。俺にはそう見えている。


「助けてくれてありがとう。ハルカ、立てる?」


「なんとか……」


「もしかしたら、どれだけの間これが続けられるのか、お二人は疑問に思われるかもしれません」


 今度こそ言葉に詰まる。一体の巨人兵が浮遊したまま動きを止めた透明ダコに駆け寄っていく。キサキさんは説明を、意思を続ける。

 高度計の存在を知っているのかどうかはともかく、彼女には少なくともジュースケが見えているものが見えていた。裏を返せばそれが“この世界が存在する限り王が負けない理由”であると彼女は言った。


「透明ダコたちの次の攻撃タイミングが読めません。単独かどうかも含めてです」


「私たちはキサキさんと王様の行動が間違っているとは考えていない。あなたたちに味方したいと思っている。それだけは伝えさせて」


「ありがとうございます。ハルカさん、ナツさん、ひとつしかありませんが、これを持っていてください」


 キサキさんが手渡してくれたのは黒いプラスチック製の小さな装置。インカム――店員さんが耳に着けて遠隔で指示を聞くためのデバイスのようだった。ただ、口元に伸びているはずのマイク部分は無い。


「お気付きかと思いますが、この場所には電気エネルギーに相当するものが存在しません。しかしこの装置には遠隔から私の声を届けられます」


「ハルカが持ってて」


「うん……。キサキさん、無理しないでね」


 透明ダコたちは二弾目を待っていてくれたのだろうか。ようやく城内へと逃げ込む私たちは、その引き金が引かれる音が聞こえたような気がした。

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