第二十五章:侯爵令嬢と見合い
「・・・・ふざけるなよ」
城に赴いた夜叉王丸は怒りを押し殺した声で肘掛椅子に座るベルゼブルに言った。
「結婚だと?冗談じゃない。誰が好き好んであんな人生の墓場に行くかっ」
「まぁそう怒るな。俺としても無理強いはしたくなかった。だが、こいつが煩くてな」
隣に足を組んで座るサタンに視線を送るベルゼブル。
「飛天。お前も良い歳だ。そろそろ身を固めるべきだ。ベルゼブルだって結婚したんだぞ」
落ち着いた口調で諭すように話すサタン。
「それに、相手もアモンの姪ともなると断り辛いんだよ」
「という訳で明日の夕方に万魔殿のレストランで見合いをしてもらうぞ」
二人は笑顔で“命令”だと言った。
養父二人の言葉に夜叉王丸は項垂れて何も言えずに城を出て行った。
その頃、美夜はベルゼブルに“可愛がられた”ため昼過ぎになっても未だにベッドから起き上がれずにいた。
屋敷に戻った夜叉王丸は気落ちした状態で自室に向かっているとメイド服に身を包んだジャンヌが前方から洗濯物を持って歩いてきた。
「お帰りなさいませ。飛天様」
夜叉王丸の姿を見るとジャンヌは洗濯物を置いて頭を下げた。
「・・・・あぁ。ただいま」
気落ちしたまま返答する夜叉王丸。
「・・・どうかなしましたの?」
心配そうに話し掛けて来るジャンヌに夜叉王丸は見合いの事を話した。
「・・・左様ですか」
話しを聞き終えたジャンヌは声が落ち込んでいたが直ぐに明るい声で笑い掛けた。
「飛天様。侯爵家の姫様と見合いするなんて良い話ではありませんか。それに話してみれば好きになるかも知れませんよ」
言葉では夜叉王丸を励ましていたが心情では見合いなどして欲しくないと言いたかった。
しかし、メイドという立場である事が自分の口を堅く閉じさせていた。
「明日の見合い、頑張って下さい」
落ち込む夜叉王丸に笑い掛けてジャンヌは洗濯物を持って早歩きで去った。
夜叉王丸から離れないと涙が出て自分の思いを言いそうであったからだ。
『・・・・私はメイド。主人が幸せになる為に存在する身』
自分に言い聞かせたが、溢れ出す涙は止まる事を知らず干したばかりの洗濯物を濡らしてしまった。
ジャンヌが去ってから夜叉王丸は自室に戻って部屋にある木材で作られたオフィスデスクテーブルの隣にあるサイドテーブルの引き出しを開けてキューバ産の高級葉巻モンテクリストを取り出してイムコのオイルライターで火を点けた。
口の中にスパイシーの強烈な味が広がった。
普段はセブンスターを愛好しているが機嫌が最高潮に悪い時か落ち込んでいる時は味や香りの良い葉巻を愛好する。
煙を肺の中に入れたが少し吐いた。
紫煙ではなく白煙が部屋に広がり辺りを白く包んだ。
「・・・・見合い、か」
一人呟くと再び煙を肺の中に入れた。
葉巻を吸い終えた後はダハーカ達を部屋に入れて夜通しに渡って自棄酒を煽った。
翌日の昼過ぎに一人で目を覚ました夜叉王丸はキングサイズのベッドから起き上がって未だに眠い意識を覚醒させるために浴室に行き冷水を頭から被った。
冷たい水が寝ぼけた意識を覚醒させた。
意識を覚醒させた夜叉王丸は自室に戻りタンスの中から軍服を取り出して素早く着ると垂れ下げたままの髪を後ろで結って少し伸び出した髭を剃った。
身嗜みを整えた夜叉王丸は腰のベルトに同田貫をぶら提げると自室を出て屋根伝いに馬小屋に行きユニコーンに乗って屋敷を出た。
ジャンヌに顔を合わせるのが何故か無性に申し訳ない気持ちからの行動であると夜叉王丸は思った。
見合いの場所は万魔殿にある高級レストランで貴族でも中々行けるような場所ではない。
レストランに行くとボーイが一礼してきて夜叉王丸を部屋の奥へと案内した。
店の中にいた者たちは黒髪の長髪に彫りの深い夜叉王丸の姿に釘付けになったが夜叉王丸本人は気にもせずに奥へと歩いた。
「こちらでございます」
店の奥へと案内されて開けられたドアを潜り部屋に入るとフリルの付いた赤いイブニングドレスを着たエレナ嬢が一人で座っていた。
『・・・・あの馬鹿、騙したな』
ベルゼブルからは先に行って待っていると聞いたが、居ない事を見ると自分とエレナ嬢を二人だけにさせる為の嘘だったようだ。
「・・・遅れてすいません」
夜叉王丸はドアが閉まると椅子に座る前にエレナ嬢に一礼した。
「・・・・いいえ。私が早く来ただけですから」
夜叉王丸を直視せずに緊張した声でエレナ嬢は喋った。
「・・・・そうですか」
夜叉王丸は椅子を引いて座るとチラリとエレナ嬢に視線を動かした。
エレナ嬢は夜叉王丸と眼が合うと直ぐに視線を逸らしてしまった。
『・・・・昨日と豪く違うな』
疑問に思ったが敢えて聞かない事にした。
双方無言で時間は過ぎて行った。
夜叉王丸は無言の空間が嫌で煙草を吸いたくてむずむずしてきた。
「・・・エレナ殿」
「は、はいっ」
エレナ嬢は大きな声で返事をした。
「煙草を吸ってもよろしいかな?」
エレナ嬢は首を大きく振った。
葉巻を取り出してオイルライターで火を点けて煙を吐きながら考えた。
『・・・・このままでは埒が開かないし俺から断るか』
男から断るのは女性を蔑んだ事とされているが、それで見合い話が出て来ないのならそれで良いと夜叉王丸は思った。
「・・・エレナ殿。私は貴方と結婚できない」
葉巻を携帯灰皿に押し付けて消すと自分の気持ちを伝えた。
エレナ嬢は眼を見開いて口を開こうとした。
「私は貴方に相応しくない。貴方にはもっと相応しい男が居る筈です」
早口に言うと夜叉王丸は席を立ちドアノブに手を掛けた。
「待って下さい!夜叉王丸様は私が嫌いなのですか?」
後ろからエレナ嬢の縋りつく声が聞こえた。
「嫌いではありません。ただ私に貴方のような若くて美しい方は相応しくないだけです」
振り返らずに答えた。
「私のように歳を取った男より、もっと若くて誠実な若者を選びなさい」
ドアを開けて部屋を出ようとした。
「夜叉王丸様!私、諦めません。必ず貴方の妻になってみせます!!」
エレナ嬢が泣きながら訴える声を聞きながら夜叉王丸は部屋を出てレストランを後にした。
レストランを出て屋敷に戻ると直ぐに軍服を脱いで何時もの服装に戻った。
「ベルゼブル達に怒られるだろうが、仕方ないよな」
苦笑しながら葉巻ではなくセブンスターを吸っているとドアを叩く音がした。
「はい。どうぞ」
入るのを促すと失礼しますと控えめな口調でドアが開いてメイド姿のジャンヌが入って来た。
「お帰りなさいませ。飛天様」
ジャンヌは夜叉王丸に一礼した。
「ただいま。ジャンヌ」
夜叉王丸はジャンヌに微笑んだ。
「あの、見合いはどうしたんですか?」
言い辛い口調で聞いてきた。
「相手方に失礼だと思っていたが俺から断った」
ジャンヌは嬉しくて喜びそうになったが、心を押し殺した。
しかし、夜叉王丸は分かっていたのか意地悪な笑みを浮かべた。
「俺が見合いを断わって嬉しかったか?」
「え?は、はい」
思わず答えてしまって慌てて口を塞いだが夜叉王丸は腹を抱えて笑った。
「ははははは。正直な女だ」
ジャンヌは恥ずかしくて赤面したまま俯いた。
『私ったら何をしてるんだろ』
恥ずかしくて穴があったら入りたい気持ちになった。
暫く夜叉王丸に笑われているとドアを叩く音がした。
「誰だ?」
夜叉王丸が椅子に座ったまま尋ねた。
「ヨルムです。ビレト様とザパン様がお見えになっています」
ドア越しに控えめな声で喋るヨルムンガルド。
「あの堅物コンビが?」
夜叉王丸は何事かと首を傾げた。
ベルゼブルが創立したハエ騎士団の総長を務める王族のビレトとザパン。
二人とも生まれ持っての気質なのか軍人肌の王族で厳つい顔をして何時も猛禽類のような鋭い眼差しをしている。
新米の騎士や兵士を鍛え上げる教官として知られているが二人の訓練を受けた者は内務勤務か除隊を申し出るなど新米潰しとして恐れられている。
夜叉王丸も二人の訓練を受けたが無事に切り抜けて一部の新米からは羨望の眼差しを受けている。
「何の用だと?」
「はぁ、見合いの件で話があると・・・・・・」
見合いの話と聞いて夜叉王丸は感じた。
『・・・・怒りに来たな』
まだ数時間も経っていないのに情報を掴むとは流石はベルゼブルの側近だと思いながらどうしようかと考えた。
下手に追い返すと余計に怖い目に遭う事を夜叉王丸は過去の経験から知っているため覚悟を決めてヨルムンガルドに二人を部屋に入れるように言った。
二分と経たない内にドアが開き軍服を纏ったビレトとザパンが入って来た。
その表情は何時も以上に険しかった。
ジャンヌは二人の表情を見て強張らせた。
「ジャンヌ。少し茶を淹れて来てくれ」
夜叉王丸は逃がすようにジャンヌを部屋から出した。
『・・・・飛天』
ビレトとザパンが火山の大噴火の如く怒りを抑えた声で夜叉王丸の名前を呼んだ。
『この・・・・・・・・』
夜叉王丸は次の事を予想して椅子からコーヒーテーブルに移り頭を下げた。
『大馬鹿者がぁぁああああ!!』
大音量の声が屋敷を覆って弱余震を起こした。
「・・・・あんまり怒鳴らないでくれ。屋敷が壊れる」
テーブルの下から顔を出して二人に忠告した。
「・・・・貴様がわし等を怒らせるような真似をしたのだろうが」
怒りが治まったのかビレトが低い声を出しながら夜叉王丸を睨んだ。
「だからって大声を上げ過ぎだ。それに何でおっさん達なんだよ。普通はベルゼブル達が怒る筈だろ?」
「ベルゼブル様もサタン様も奥方に怒られている」
ザパンの返答に夜叉王丸は首を傾げた。
「何で怒られてるんだ?」
「自分たちに相談も無しに見合いをさせたのが許せないらしい」
「それで、おっさん達が代わりに?」
「そうだ。これでも貴様の“保護者”であると自負している」
ビレトの言葉を聞いて夜叉王丸は苦笑した。
彼らが言う“保護者”とは文字通り夜叉王丸を保護する役職である。
昔の夜叉王丸は自暴自棄で戦場に死に場所を求めるような男だった。
それを心配したベルゼブルがビレトとザパンを“保護者”という名目で護衛役として付ける事にした。
今は自暴自棄ではなくなった事からシルヴィアやシャルロットに護衛役を任せているが夜叉王丸の父親的存在としては自負している。
「俺みたいな息子を持って御苦労様だな」
「自覚しているなら結婚して親を安堵させんか」
「まだ結婚する気ない」
互いに一歩も引かずに口論しているとドアを控えめに叩く音がした。
「飛天様。お茶を淹れて来ました」
ジャンヌの声がして夜叉王丸は自分からドアに近づいて開けてやった。
「ありがとうございます。飛天様」
紅茶とコーヒーを載せた盆を両手に持ったジャンヌがドアを開けている夜叉王丸に微笑えんだ。
「気にするな」
微笑み返す夜叉王丸を見てビレトとザパンは何かを感じ取り眼を細めた。
「そなたが天使のメイドか?」
ビレトが鋭い眼差しを向けて尋ねた。
「は、はい。飛天夜叉王丸様のメイドを務めるジャンヌ・シエル・ベルサイドです」
ジャンヌは緊張しながら盆をテーブルの上に置いて一礼した。
「バール殿から聞いていたが聞きしに勝る娘だな」
ザパンの言葉にジャンヌは首を傾げた。
「あの、一体・・・・・・・・」
「いや。類い稀なる美貌と品格を具えた天使の娘に飛天が熱を上げていると噂を聞いたのだ」
「え?あの・・・・・・・」
ジャンヌは恥ずかしそうに頬を赤面させて俯いた。
「そなたと飛天の姿を見て解った。このような美人が相手なら見合いを断わりたくもなる」
鋭い眼差しを優しげに緩めて笑うザパンとビレト。
「ふん。お節介な奴らだ」
夜叉王丸は舌打ちしながらも笑っていた。
夜叉王丸がエレナ嬢と見合いを破棄してから一年が経った時に魔界で大きな出来事が起きた。
地獄帝国皇帝のベルゼブルの妻である美夜が妊娠したのだ。