キッチンハイターかく語りき
キッチンハイターが語りかけてくるのです。
私は芹沢良子40歳、介護歴9年の中堅です。神戸にあるグループホーム、「ラ・デュース愛の園」というところで常勤として勤めています。
さて問題は、冒頭でも述べたように、業務用の巨大なキッチンハイターです。だけど、そんなのが語りかけてくるなんて、一体どういうことなのか?それを今から説明しましょう。
今日の私の勤務は夜勤でした。そして問題のキッチンハイターは、私が出勤した後すぐに台所の物品置き場で見つかりました。そこでは新しいキッチンハイターが古いキッチンハイターの前に置かれていたんです。普通、新しいキッチンハイターを持ってきたのなら、使う人のことを考えて、新しく持ってきた方は奥に入れ、古い方を前に出さないですか?でも誰が持ってきたのかは知らないけど、ふてぶてしさ満点で封の開いていない新しいキッチンハイターが、古いキッチンハイターの前にドテッとそびえ立っていたんです。そしてその新しいキッチンハイターから「面倒臭いねん。他の職員のことなんか知らんねん」という、職員の声が透けて見えた気がしたと言うわけなんです。
チッ。私は舌打ちしながら古いキッチンハイターを前に入れ替えました。
そうしてキッチンハイターを正しい位置に直した私が顔を上げると、今度は開き戸の取っ手に白いビニール袋がぶら下がっているのが見えました。私は急いでそのビニール袋の中身を確認しました。そこには2ℓの空のペットボトルが、潰されることなくラベルと蓋もそのままでベローンと入っていました。職場のルールとして、空のペットボトルはラベルとキャップを外して潰してから、ベランダにある缶瓶ペットボトル専用ゴミ箱に捨てることになっているのだけど、そうはせず、わざわざ新しい白いビニール袋を出して、台所の引き戸の取っ手に洗濯バサミでぶら下げてそこに捨てており、完全にルールを無視していたのです。大体ベランダのゴミ箱はとっても遠いわけじゃなくって、10メートルも廊下を歩けば着くんです。だからそんな用意をするくらいなら、捨てに行けばいいじゃないですか。さらに言えば、ペットボトルを捨てる機会なんて3日に1回くらいしかないんです。頻繁に出るんだったら台所に貯めておいて後でまとめて捨てれば良いでしょう。でも3日に1回なんです。そしてなにが腹が立つかといって、そのペットボトルを潰してもおらず、ラベルも蓋もそのままであることもそうなんだけど、3日前にも同じことをしてやがっていて、それも私がベランダのゴミ箱に捨てていたことです。
私はたたずみ、ふてぶてしく横たわるペットボトルを目を細めて見下ろしました。そこからは、やはり「面倒臭いねん。面倒臭くてしょうがあれへんねん。誰か捨ててくれるやろ」という職員の声が透けて見えるようでした。
その誰かは私やねん!!
心の中で叫んだ私は、ビニール袋からペットボトルを出し、蓋を取ってゴミ箱に投げ捨て、ラベルを引きちぎり、やはりゴミ箱に捨てました。それから、遅出の職員が2人いたのだけど、ブチュブチュブチュとペットボトルを勢い良く潰してベランダに捨てに行きました。思いの外大きな音が出てしまい、もしその方たちどちらかの仕業だとしたら、これ見よがしでちょっとマズイかな?って思ったのだけど、私は怒りを抑えることが出来ませんでした。
さて、台所に戻った私は、翌朝の用意に取り掛かることにしました。まずいらない物を片付けます。見渡すと翌朝5時で破棄しなければならないのお茶を見つけました。お茶と水は24時間経過すると破棄することになっており、それが一目で分かるように、プラスチックの冷水筒には、時間が書かれた輪ゴムと紙の小さなタグがしてあります。しかしここで問題が発生しました。お茶のタグは一目で分かる位置にあったのだけど、その横の水の入った冷水筒のタグが奥の方に隠れてしまっており、私はタグを引っ張り出して時間の確認をしなければならなかったのです。
はぁ――。
使う人のことを考えたら見える位置にタグを付けるはずです。でもこのタグをした職員は、恐らくなんにも考えてなかったのでしょう。だから今回は声は透けて見えません。なぜならなんにも考えてない人間は、声など出さないからです。そうして私は4月8日5時と書かれたタグがしてあるお茶二つと水一つを見つけ、怒りにまかせ、流しにジャブジャブ捨てました。
それから私はスタッフルームに行ったのですが、今度はここで愕然とする物を見つけてしまいました。それはリネンの領収書でした。それが机の上に置かれていたのだけど、リネン回収は今日の早朝で、業者から受け取った領収書は、専用のファイルに収めることになってるんです。ところが収めるべき場所に収められることなく、机の上に放置されたまま夜になってしまってるんです。こんなの、まず早朝に受け取った夜勤者が、すぐにファイルに収めれば済む話しなんです。しかし、ほぼ全ての夜勤者はそうしません。きっと起床介助で忙しいことを言いわけにするのでしょう。そしてそこから出勤した誰もが領収書を無視しているわけです。センターを決め、穴を開ける道具で穴を開け、ファイルに収めるだけの作業で、30秒程で終わるんです。でも誰もしません。いつでもです。なんなら、3日間放置されていたこともありました。確かにたいしたことではないかもしれません。でもその領収書から「そんな時間ないし面倒くさいねん。そんなん私の仕事とちゃうし」といういろんな職員の声が透けて見えるようで嫌なんです。
そしてさらに、このことでなにが腹が立つかと言って、私は10日前の会議で、リネンの領収書はファイルにちゃんと収めて欲しいとお願いしたばかりだったんです。今日の勤務者には主任もいたのに、私のお願いなんてまるで無視と言うわけです。さては嫌がらせでしょうか?
それから申し送りを終え、2人の職員が帰って1人になった後も、次から次へと問題のある物や事象が見つかりました。
まず私が申し送りの更新をしようと思ってパソコンの前に行ったところ、長さ50センチ程の筒状になっている紙が、パソコンの横に立てかけてあるのを見つけました。なにこれ?と思って、止められていたテープを剥がしてみたところ、それは1月のカレンダーでした。今はもう4月です。一体この1月のカレンダーはなんなのでしょう?こんなの昨日までなかったのに、誰がどっから引っ張り出して来たのでしょうか?そもそも、こんなものをなぜ捨てずに筒状にして置いてあるのか、さっぱり分かりません。ところでこのカレンダーからは、全く意味が分からないので声なんて透けて見えません。さっさと切り裂いてメモにしてやりました。
私は申し送りの更新を終え、今度は記録を書くことにしました。記録は1ページごとに利用者の名前とページ数を書かなくちゃいけないのだけど、ここで多く見つかったのが、ページが更新されてても利用者の名前とページ数がない記録用紙でした。出ました。お馴染み「面倒臭いねん。誰か書くやろ」ですね。
それから記録を終えて、洗面所の前を通った時に私が見つけたものが、しかるべき場所に戻されず、いい加減に置かれている利用者の歯磨きとコップでした。それが2組ありました。またまた出ました。「面倒臭いねん。知らんねん」ですね。私は利用者の名前のあるカゴに歯磨きとコップを戻しました。
その後閃いて、一応念のためと思い、ある利用者の義歯ケースの中をチェックすることにしました。なぜそんなことをするのかと言うと、とても高い確率で義歯が洗われずにそのまま入っており、翌朝に気付いたら面倒臭いことになるからです。さて、義歯ケースを開けてみると、案の定でした。義歯が洗われずそのまま入っています。私はプラ手をはめ、その利用者の歯磨きで義歯を洗いました。そして洗い終わった時、私の中のなにかが崩壊してしまいました。
にゃああああああ!!
私はを大きく開けて顔を歪め、声なき声を出し、心の中で叫んでしまいました。
「面倒臭いねん。他の人のことなんて知らねん」
この職場では、そんなセリフがありとあらゆる物から漫画のような吹き出しとなり、溢れ出ているようではないですか!なにがラ・デュース(女神)愛の園ですか!この施設名は、一体どう言った種類の皮肉ですか!?愛なんてものはどこにあるんですか!?
私は完全に頭に血が上ってしまいました。しかしそれでも業務を進めるべく、翌日の朝ごはんの準備をするために台所に向かいました。そして台所に入った時、悲劇は起きました。
ズッテーン!!
なんと、無様にもおもいっきり転んでしまったのです。
「イツツツ~」
私は顔を歪め、しこたま打った腰を右手で押さえました。本当に最悪、踏んだり蹴ったりです。クソったれのコンチキチ、しわくちゃマンキンタンです。
そしてそれからちょっとの間、私はこの夜を呪いたくなるような気分で、腰を抑えながら横たわっていたのだけど、いつまでもそうしているわけにもいきません。なので立ち上がることにしました。そして立ち上がった時にあることに気付きました。
そうなんです。さっき私が怒りにまかせて水やお茶をぶちまけた時に、床にも大分こぼれていたみたいで、床が濡れていたのです。私はまんまと自分で濡らした床で滑って転んだというわけです。
はぁぁ――。
私は全身から全ての気が抜けてしまうかというくらいのため息をつきました。本当にガッカリです。転んだのは完全に自分のせいでした。ショックでしばらくの間なにもする気がせず呆然とたたずんでいたのだけど、ここである思いが沸き上がってきました。
さっきまで私は、面倒臭いからと一手間を惜しむ思いやりのない職場に完全に頭に血が上っていたわけだけど、では自分はどうなのかと思ったのです。だって、いくら苛立っていたからと言っても、水をまき散らしていたのは私であり、この濡れた床を放置する行為に、まさしく「面倒臭いねん。誰がコケようが知らんねん」という声が透けて見えるわけで――実際本当にコケたわけだけど――私だって一手間を惜しむ思いやりのない行為をしていたということなんです。
だったらあんまり人のことは言えません。もしかしたら職場の人達も、業務に追われているとか、他の大事なことを考えているとか、さっきの私みたいに単純に苛立っているとか、そんななにかが原因で、気持ちに余裕がなかったり、なにか考えがあったりして一手間を惜しんだだけかも知れず、思いやりがないわけではないのかもしれません。それに、人はそれぞれ違うベクトルを向いているわけで、同じことを感じたり認知したりしているはずもなく、他の誰かは気付くけど、私には気付かないことだってきっとあるでしょう。
そう考えると、あんまり人のことをとやかく言って苛立つのは間違っている気もします。私だってなにか気付けていないことで、誰かを不快にさせているかも知れず、お互い様なのですから。というわけで私は、出来るだけいろいろ気付いて、一手間を惜しまず頑張っていきたいと思います。私だって、そして誰だって、転んでしこたま腰を打つような目には会いたくありませんものね。
でも、最後に一言だけ言わせて下さい。
アホンだらー!!!!




