4.一喜一憂
そして、ついにその時はやって来た。
塔は、ちょうど丸い煙突のような形をしていて、その煙突の内壁に沿うように、らせん状の階段が上までぐるぐるとのびている、という構造だった。塔の中心部、らせん階段の内側は何もない空間で、上までずっと吹き抜けになっている。ニコラはその中心に立って、フッと上を見上げた。所々にある光を取り込むための窓のおかげで、上の方まで見渡すことができた。らせん階段はぐるぐると渦を巻いて、視界の真ん中で小さくなって消えていた。果てしない高さを実感し、ニコラはゴクリと生唾を飲んだ。
そうしていると、そこにニコラのリュックサックを持っておじいさんがやって来た。中には食料がたくさん詰め込まれており、それから大きな水筒が二つ入っていた。水筒の一つは「登り用」、もう一つは「下り用」だ。さらにおじいさんは、暗くなった時のためのランプと、寝る時に使う小さな毛布を一枚くくり付けて、そのリュックをニコラに背負わせてくれた。背中がズシリと重たくなって、ニコラは一瞬よろめいた。しかし、それだけ準備が整っているということなので、なんだか安心する重みだった。ニコラは「よいしょ」と言ってリュックをしっかり背負い直すと、らせん階段の一段目がある所に向かった。そして、そこで改めて階段を見上げた。そこにあるのは幅十メートルはあろうかという、立派な石造りの階段だった。ニコラは大きく息を吸い込んで、それから振り返るとおじいさんの方を見た。
「それじゃあ、行ってくるね」
「あぁ、待ちなさい」
しかし、階段に足をかけたのと同時に、ニコラは呼び止められた。
「登る前にこれだけ約束しなさい……」
「約束?」
ニコラが聞き返すと、おじいさんは珍しく大きな声で、良く聞こえるように言った。
一つ、食料は少しずつ食べること。
二つ、水分補給は小まめに、しかし一度にたくさん飲まないこと。
三つ、暗くなったら登るのをやめて、しっかり休むこと。
四つ、五日目の朝が来ても天辺に辿り着けなかったら、迷わず下りてくること。
それがおじいさんからの約束ごとだった。「玉砕覚悟ではダメなんだ」と、数日間考えて作ったニコラのための四か条だ。
「分かったよ。約束する」
ニコラはニッコリと微笑んでうなずくと、そう言った。そしておじいさんに再び背を向けると、彼はついに階段を登り始めた。コツコツと軽快な靴音を響かせながら、ニコラは一段、また一段と歩みを進めた。目指すはひたすら上、ぐるぐる渦巻きの中心部分だ。「そこに絶対に辿り着くんだ」と、ニコラは勇んで登り続けた。トントントンと登っていき、そしてしばらくそれを繰り返すと、時々階段の内側にある柵から身を乗り出して下を見た。すると、下で見上げているおじいさんと目があった。
「おじいちゃーん!」
ニコラが手を振ると、おじいさんもそれに応えて手を振った。それを見ると、ニコラは嬉しくなって、またずんずんと階段を登った。下の方には、もう小さく見えるが、しかし力強い味方がいるのだから、ニコラはどんなに階段が続こうと登りきれる気がした。
そうして小一時間ほど登った時だった。ふと上を見ると、ニコラはそれに気が付いた。階段の描く渦の中心がさっきより大きくなっていることに……。「この塔の天井だ」と、ニコラはすぐにそう思った。ここまで順調に登り進めて来たから、さすがの塔も根負けし、ニコラ様の前に白旗を掲げたのだろう……と、そんなことを考えながら、彼は走るように、タッタッタッと一気に階段を駆け登り始めた。すると、次第に渦の中心がはっきりとしてきた。その白い色は、この塔の材質である石の色だった。やはり、それは天井らしい。ニコラは乱れた息もろくに整えず、無我夢中で階段を登った。そして、彼はついにらせんの最後の一巻きに入ると、それを見た。天井には小さな穴が開いていて、階段はそこに吸い込まれていた。その向こうに広がっているであろう青空を思い浮かべながら、ニコラは両腕と両足を思い切り振りまわして、残る段を駆け上がった。
しかし、そこにあのコバルト色は見つけ出せなかった。あるのは先ほどと同じ色、少し黄ばんだ白だけだ。ニコラは唖然としながらも、次の瞬間ハッとして上を見た。そして彼はがく然とした。そこにあったのはまた、果てしないぐるぐる渦巻きだったのだ。
この塔の構造はこうだ。大きな円筒の上に、それより少し細い円筒、その上にはそれよりもさらに細い円筒、そしてその上にはそれよりもさらに細い……そう、いくつもの円筒が重なっているのだ。それは、丸い棒状の積み木を一直線に、高く積み上げた図にも似ているだろう。そして、下の円筒と上の円筒との間には、それを区切る天井、いや、床が存在する。この天井であり床であるものを「フロア」と呼ぶなら、ニコラは今それをくぐり、そしてその上に立ったことになる。つまり、ニコラは一つ目の円筒を登りきったにすぎず、彼が今いるのはいくつもあるフロアのうちの一つにすぎないということなのだ。
再びらせんの渦を見つけて、ニコラは走ってきたこともあり、どっと疲れてしまった。フロアはちょうど休憩にはぴったりの場所だったので、ニコラはしばらくそこで休むことにした。リュック下ろし、壁にもたれかかるように座りこむと、水筒を出して少しだけ水を飲んだ。体の内側が急に冷えて、逆に汗が噴き出した。心臓のドクドクという鼓動の音もよく聞こえる。これが治まったら出発しようと決めて、ニコラはすーっと深呼吸してから、もう一口だけ水を飲んだ。
休憩を終えると、ニコラはまた登り始めた。何も考えず、ただ目の前にある一段に足をのせ、体をその上に移動させたら、またその上の一段に……その繰り返し、短調な作業だった。喉が渇いたら階段に腰掛け、水筒を取り出して一口だけ水を飲む。息が整ったらまた、左、右、左、右、と足を動かす。そんなことが何時間も続いた。太陽は直接見えなかったが、窓から差し込んでくる光から判断すれば、もう午後だろう……と、そんなことを考えているうちに、ニコラはその日三つ目の天井に辿り着いた。彼は恐る恐る、ゆっくりと階段を登った……。しかし、それはまたフロアだった。そして上にはまた、次の渦が待っていた。
四つ目の渦巻きの中で、ニコラは足を動かしながらも考えた。「あと何回、あの天井を見れば良いのだろう?」と……。二回、三回ならありがたい。十回くらいなら、がんばれるだろうか? しかし、百回だったら? いや、そもそも終わりなど存在しない、無限に続く階段だとしたら? 「どうしよう?」と、ありもしないことを考え、ニコラはたちまち心細くなって思わず下の方を見た。下もまた、果てしない渦巻きに変わっていた。
「おじいちゃーん!」
叫んだ。しかし、返事は無かった。
結局その日、ニコラは四つ目のフロアに辿り着いたところで登るのをやめた。ちょうど日も沈んだから、おじいさんの四か条を思い出したから、そして、何よりひどく疲れたからだ。暗くなった塔の中で、ニコラは缶詰を一つ開けて食べると、そのまま毛布に包まって静かに寝息を立て始めた。




