3.山頂から見上げる場所
その日は太陽が眩しい、気持ちの良い日だった。二人はリュックを背負って家を出た。塔があるアーキ山の山頂までは、おじいさんも一緒だ。二人はまず学校に寄って「数日休む」と先生に伝えると、それから北に向かって村の道を歩きだした。あぜ道は家々の間を、緑の原っぱの間を、森の間をぬって、山の麓までずっと続いている。視線の先に見えるトゥーガ連峰……元々は一つの山だったらしいが、噴火や崩壊を繰り返すうちにいくつもの峰に分かれた……らしい。それは塔ができるよりもずっと前のことで、実際のところは良く分かっていない。今はただの死火山だ。
その荘厳な姿を目にしながら、ニコラとおじいさんは歩いた。昨日降った雨のせいか、景色はキラキラと輝いて見えた。そして昼頃になると、二人は山の麓にある町に辿り着いた。カノン・ダラーという、石造りの綺麗な町だ。建物や石畳に使われているのは山で採れた石灰岩。それが太陽の光を照り返すので、ニコラは目を細めながら歩いた。二人は町の小食堂で昼食をとると、それから商店街に向かって、買い物をした。カノン・ダラーはトゥーガ連峰の入り口となる町で、山を越えて北に向かう者や、また山に登ろうとする者の行き来が絶えない。そしてそういった人々のおかげで栄えてきた経緯があるので、この町の商店街では山登りに必要な物は全てそろう。おじいさんは、缶詰などの日持ちする食料をたくさん買って、それから最後に砂糖菓子を買ってニコラに持たせてくれた。
そして午後になった頃、二人はカノン・ダラーを出発した。まず二人が足を踏み入れたのはアミーガ山。カノン・ダラーはトゥーガ連峰の中でも、この山の麓に位置しているので、どの山に向かう人間も、まずこのアミーガ山に入る。カラマツやシラカンバの間をのびる山道は整備されていて、枯葉と土が踏み固められた地面は、歩くたびにサクサクと小気味良い音を立てた。行き交う人々も多く、気の良い者は「こんにちわ」などと挨拶してくる。ニコラはそれに元気良く「こんにちわ!」と返し、おじいさんも軽く頭を下げた。
二人は時折岩に腰掛け、休憩をとりながら進んだ。坂を上り、小川を越え、そして日が西に傾いた頃、二人は山小屋までやって来た。夜の山道を歩くのは危険なので、二人はそこで一泊することにした。他の旅人達も多く利用するその山小屋はにぎやかで、夕食に出されたシチューはとても美味しかった。
次の日の朝、日の出と共に二人は山小屋を出発した。二人が向かったのはゴンゲナ山、アミーガ山の北に位置する山だ。塔があるアーキ山に行くには、このゴンゲナ山を越えなければならない。しかし、このゴンゲナ山を通るのはアーキ山に行く用事がある者だけ、すなわち、塔に行くような人間だけなのだ。そして、きょう日塔に向かおうとする人間など皆無に等しいため、山道は荒れ果て、ニコラとおじいさんはほとんど道無き道を進まざるを得なかった。
ゴンゲナ山に入ってから、ニコラはキョロキョロと周りを見ることが多くなった。昨日までいた旅人達は、ゴンゲナ山ではない方へ向かってしまったので、山にいる人間はニコラとおじいさんの二人だけだ。おじいさんは無口なので、ニコラの耳に入ってくる音と言えば、草木のざわめく音と、時折聞こえてくる「ココココッ!」と言う音だけだった。何の音だろうか? 気になって聞くと、おじいさんは「キツツキだ」と教えてくれた。そして、また静かになった。
山道はだんだんと急になってきた。ゴンゲナ山の山頂に近付いてきたからだ。さっきまであったカラマツやシラカンバはもう見当たらない。ハイマツなどの背の低い樹木や、ニコラの見た事もないような草花が辺りを覆っていた。アーキ山に向かうには、ゴンゲナ山の山頂を経由するのが最短ルートだ。わざわざ山頂を通らずに、山を迂回するルートもあるが、そちらは時間がかかる。アーキ山までは山小屋が無いので、今日中に塔まで辿り着くには、疲れるがこのルートが一番良いのだ。二人は汗を拭きながら、水筒の水を飲みながら、そしてニコラは昨日買ってもらった砂糖菓子を口の中で転がしながら、山頂を目指して歩いた。
二人は南側から登っていたので、今まで山が邪魔でそれを見ることはできなかったが、しかしゴンゲナ山の山頂に来ると、ついにそれは目の前に現れた。北側に見える岩だらけの峰、アーキ山の山頂からは、天に向かって白い石造りの塔がのびている。なるほど、カノン・ダラーの建物や石畳と同じで、この山で採れた石灰岩を使っているらしい。しかし、そのいつも見ているはずの塔に、その時ニコラは圧倒された。村で見ていた時は、それはただの棒ぐらいにしか見えなかった。ニコラの想像では、村にある風車小屋ぐらいの太さだと思っていたが、しかしこうして近付いて見るとそれは恐ろしく巨大だった。風車小屋など本当に小屋にすぎない……一つの城と言っても良さそうな大きさだった。それが天に向かって、それこそ天辺がかすんで見えなくなってしまうぐらいの高さまでのびているのだ。塔の天辺を求めて首を後ろに倒して行くうちに、ニコラはバランスを失って尻餅をついてしまった。
「さあ、行こう」
そんなニコラに向かって、おじいさんは手を差し伸べながら言った。ニコラはまだ塔の迫力に気圧されていたが、しかし脚に力を入れると立ち上がり、そしてアーキ山に向かって歩きだした。ゴンゲナ山の山頂からアーキ山までの道は岩だらけだった。たまに植物がちらほらあるだけで、あとは岩だらけ。村から見える山々は青い宝石のように見えるのに、間近で見るとそれは何とも殺風景だった。しかしその分、余計に塔が目立つ。ボコボコした岩の道、ニコラは何度も上を仰ぎ見て、そして何度もつまずいて転んだ。そんな事を繰り返すうち、二人はまだ日が高いうちにアーキ山の山頂に辿り着くことができた。
山頂から見る周りの景色は壮大で、ゴンゲナやアミーガの山頂すら下の方に眺めることができた。所々に浮く雲の下には遠くの町や村を見つけることができる。「あの辺りが自分の村だろうか?」と、ニコラは目を凝らして見た。しかし、そうして下界に目をやりながらも、やはり気になるのは背後にある巨大な塔の存在だった。ただならぬ気配に照らされ、ニコラは思わず振り返り、そしてそれを仰ぎ見た。もう、首を傾けた程度では天辺を見ることはできない。ニコラは思いきって岩の上に寝転がると、真上を見た。空は澄んでいた。綺麗なコバルト色……しかし、その中を白い塔は一直線に、どこまでも、見えなくなるまでのびている。村から見たら、ニコラは今雲の上にいる。しかし、塔はそんなニコラを嘲笑うように、さらなる高みから彼を見下ろしていた。
「おじいちゃん、塔はすごく高いよ」
体を起すと、ニコラは溜息混じりに言った。
「僕はこれから、世界一高い場所に行くんだね」
「あぁ、だから今日はゆっくり休め。登るのは明日からだ」
おじいさんの言葉を聞くと、ニコラはまた岩の上にゴロンと横になり、そして塔を見た。塔の天辺が溶け込んでいる青空はどこまでも綺麗で、しかし、やはりそこはかすんで見えなかった。