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一つ目

「貴様の三つの願いを叶えよう」

 細い手首に、銀の輪がはめられる。まだ震えている小さな体で、しかし少女は真っ直ぐにそこに立っていた。

「代わりに、このワシが牢を出る責を、貴様には負ってもらう」

 そう言って、脅すかのように吼えて見せる。それに呼応して、牢の格子がざらざらと砂に変わっていった。

 砂を含んだ風が頬を打っても、その少女は凛として夕日の中に立っていた。



 切り立った岩山の上。崖にへばりつくようにして進んだ細い細い一本道の果てに、神々が悪と断じたカイブツの牢がある。見上げる程の大きな入り口には格子ががっちりとはめ込まれ、その奥は薄暗く日の光もほとんど届いていない。

「ここに人が来るとはな」

 その暗い牢の奥から、のっそりとそのカイブツは現れた。

 少女は牢の前に立ち、金色の髪を風に靡かせてカイブツを見上げる。橙色のワンピースに、淡く黄色に色づいたレース。紅の宝石がついた耳飾りが、夕日を反射していた。

「あなたが、大英雄アスランに敗北した……神にここに封じられたという、カイブツですね」

 少女の声は震えていた。見上げた先には、大きな紅の目玉が二つある。

 反射した日の光に浮かび上がるのは、白い巨大な毛玉だ。目の両側には黒い角のような、耳のような物がある。カイブツが体を軽く動かすと、ぼたぼたと黒いものが、その腹――だろう、多分――からこぼれ落ちた。

「それを知って、何故ここに来た」

「あなたと契約をしに来ました」

 少女は胸の前で手を握り、真っ直ぐに紅の目を見上げた。

「伝承にある通りなら、あなたと契約した人間は、命の代わりに三つの願いを叶えられるのですよね。その契約を、しに来ました」

 まだその声は震えていたが、少女の黄金色の瞳に迷いはなかった。

「……この指輪を取れ」

 かんっ、と銀色のものが牢の隙間から飛び出した。それは少女の足に当たり、ゆっくりと回転してバランスを崩す。左右に揺れながら停止したそれは、鈍く光る銀の輪だった。

「指輪……ですか?」

 少女はそれを拾い上げ、顔の高さまで持ち上げた。大きな輪は指輪というよりは腕輪だろう。少女の細い腕なら肩まで通ってしまいそうだ。

「ワシに合わせた大きさだ。仕方なかろう」

 突き出されたカイブツの前足には、同じデザインの輪がはまっていた。

「貴様の願いを三つ叶えよう」

 少女はカイブツの前足からゆっくりと視線を持ち上げ、息を飲む。まるで絵本に出てくる悪魔のように、鋭い牙が生え揃った口が、笑っていた。

「代わりに、このワシが牢を出る責を、貴様には負ってもらう」

 耳を貫くような咆哮に、少女は腕の輪を握った。

「分かりました。……命も、魂も、私が持つ全てを差し出して構いません。ですから」

「命など要らん」

 壊れた牢から、カイブツが出てくる。ぼたぼたとこぼれ落ちていた黒いものが、強烈な生臭さを放った。思わず両手で口と鼻を覆い、「すみません」と少女は俯く。

「お前の願いを叶えるまでの間、ワシは牢から自由になれる。ワシの報酬はそれだけだ」

「……命などは?」

「要らん。そんなちっぽけな命一つ貰っても腹は膨れん。……さあ、願いを言うがいい」

 カイブツの顔が、少女にぎりぎりまで近付いた。少女は両手を握り、ゆっくりと一度瞬きをする。

「では一つ目の願いを。私の国は今、戦争で滅びようとしています。どうか私の国を、民を、戦争から救ってください」

 少女はそして、砂埃に汚れた服の裾を払い、胸元に手を当てて背筋を伸ばした。

「私は、センシ王国の姫。名をリーリエと申します」

「……良かろう。小娘、お前の願い、確かに承った」

 カイブツがそう言うと、淡い光がカイブツの表面を覆う。それと同時に、黒い液体や生臭さはなくなり、夕日に照らされた姿は神々しさすら纏い始めた。

「大英雄すらも殺しきれなかったワシを解き放ったこと、後悔せんとよいがな」

 そしてカイブツは、大きな口を開けて笑ってみせた。



 淡く体が光り、見上げる程の巨体から、カイブツは白い山犬に姿を変えた。

「ワシが山を降りれば目立とう。特に許す。乗れ小娘」

「えっ、」

「ここまでどれ程の時をかけて来たか知らぬが、戦が終わっておらぬとも限らん。願いを叶えられなければ契約は反故になる。……それではつまらぬからな」

 リーリエが恐る恐るカイブツの背に乗ると、伸びた毛がその両足を捕まえた。

「ひゃっ!?」

「ほれ、毛を掴め。ゆくぞ」

 たんっ、とカイブツは牢の前から断崖へと飛び降りる。ほとんど垂直の岩壁を蹴り、リーリエが悲鳴をあげる間も無くカイブツは岩山を下っていた。

 自分が風になったのかと錯覚する。目を開こうにも、向かい風で涙が出る。ただ身を低くし、リーリエは必死にカイブツの背にしがみついた。

 やがて、カイブツが足を止め、リーリエは地面に放りだされる。カイブツはまた淡く光ったかと思うと、今度はやや小さい犬の姿に変わった。

「ここから先は人が多い。騒がれるのも面倒だから案内せい」

「……は、はい」

 まだ呆然としていたリーリエは、その言葉にはっとして立ち上がった。



 岩山から程近い宿場町から、街道に沿って二日。国を囲む城壁が見えてきた。

「ほんに小さい国よな。城壁で囲めるとは」

「……ええ。確かに小さな国ですが、ただ他国に蹂躙されるわけにもいきません」

 リーリエの言葉に、カイブツは「ふん」と鼻を鳴らした。

「あ……父上!」

 城壁付近のキャンプを見遣り、リーリエは走り出す。キャンプの天幕から出てきた男が、その声に驚いたように振り返った。ややくすんだ鉄の鎧を纏った、初老の男だ。

「リーリエ! お前、こんな所にどうして……」

「父上、味方を連れて来ました。これで、これでこの国はもう大丈夫です」

「……リーリエ?」

 国王は怪訝な顔になり、リーリエの傍らの犬へと視線を向ける。ただの白い犬のようだが、その目は血のように紅く、兵士に囲まれているというのに吼えもしないでじっとしている。

「……その犬は?」

「父上、大英雄アスランとカイブツの唄はご存知ですよね? アスランの抒情詩の第三番。アスランに討伐され、神によって封じられたあのカイブツ。そのカイブツと、契約をしてきたのです!」

 リーリエはそして、誇らしげに腕の銀の輪を見せた。

「……何を、言って……」

「小娘、ワシはまだるっこしいことは好かん」

 困惑を顔に浮かべた国王を見遣り、カイブツはまた体を淡く光らせた。その姿は見る間に膨れ上がり、兵士達が驚嘆の声を上げる。

「壁の向こうの敵を潰せばよいのだろう。それがワシがカイブツである証明になる」

 天幕の屋根より高い位置から国王を見下ろし、カイブツはそう言った。



 敵国の将が、降伏の白旗を掲げたのはそれから間も無くだった。城壁の上にいるカイブツが身動ぎをすると、味方の兵すらも悲鳴をあげて身を縮める。

 敵の将は、国王の前に膝を付いて降伏を申し出た。

「……多くは求めまい。兵を引かせ、書簡で和平を取り決めたい」

 国王がそう言うと、将は短く返事をし、安堵の息を吐く。

「甘ったれな王だな」

 立ちあがった将の背後に、カイブツが飛び降りてきた。その姿はまだ巨大な毛玉のもので、兵士達だけでなく、将や王も息を飲んでその姿を見上げる。

「首も刎ねず、降伏だというのに和平とは。……呆れるほどに、甘い王だ」

「……君には感謝しよう。だがこれは私の決定。この国は私の国だ」

「はっ。ワシのような化け物に、姫がたった一人で縋らなくてはいけないような国だろう」

「カイブツさん!」

 姫が甲高い声をあげ、つかつかとカイブツに近付いた。

「わっ、私を浅はかだと罵るのは構いません。でも、父と国の悪口は許しませんよ! 今すぐ契約を反故にしますからね!」

 きゃんきゃんと吼える姫の様子に、カイブツの紅の目が丸くなった。

「……リーリエ、あまり見苦しいところを見せるな。そのカイブツが言っていることも、事実だ」

「ですが……」

 リーリエは一度口を開いたが、国王の視線に口をつぐんだ。

「……甘いが、愚王ではなさそうだな」

 カイブツはぽつりと言って、しばらく黙った。

 敵の将が引いて行き、城門が閉じられる。兵士達が引き上げの準備を始める中、国王がカイブツに近付いてきた。

「まず謝罪を。疑ってすまなかった。それから、国を救ってくれたこと、礼を言う。どれ程感謝しても足りない」

「……ふん。礼はワシではなく娘に言ってやるのだな。その娘はこの国の為に、たった一人で岩山に昇ってワシと契約を交わした。命を捨てる覚悟でな」

「そ、そう。カイブツさん、二つ目の願いを思いつきました」

 黙っていたリーリエが、ぱっと顔を上げる。

「……いいだろう、何だ」

 カイブツは視線をやや泳がせて言った。リーリエは手を背後で組み、にこっ、と笑みを浮かべて見せる。

「国も救われたことですし……私と、結婚してください」

 幼子が菓子をねだるように、リーリエはそう言った。

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