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教室の入口側に座っていた男子生徒は、本田に頼みごとをされると嬉しそうに返事をして教室の奥へと入って行った。数分も経たない内に、今度は男子生徒ではなくピンク色の頭がひょこりと扉から出てくる。
「……あれ?」
「やっほー雪乃ちゃん」
呼ばれてやって来た雪乃は、予想していなかった相手に思わず辺りを見回す。自分を呼んだのがこの先輩二人であることを確認すると、小さく首を傾げた。
「こんにちは、本田先輩。……と、緒方、先輩」
「おう」
委員会活動でお互い顔を合わせはしているものの、会話など一度もしたことがなく初対面も同然の二人。
雪乃はいつも通り感情を見せない緒方の表情に緊張と僅かな恐怖から視線を漂わせるも、その緒方の隣でにこにこと笑みを浮かべる本田を見て安堵した。緒方一人でいるよりも、本田と二人でいる時は幾分も威圧感は軽減される。
戸惑いを押し込め、雪乃はぎこちなく笑った。
「どうされたんですか?何か、私にお話が……」
「うんうん、ちょっと聞きたいことがあってねえ。今時間大丈夫かな?お昼もう食べた?」
「あ、はい!それはもう!全然大丈夫です!」
昼休みということもあり、教室の中を見ればまだご飯を食べている生徒も少なくはない。雪乃は「今日のご飯はメロンパンとクリームパンで、授業間の休み時間にもちまちま食べてたらお昼食べる分少なくなっちゃったんです」と、恥ずかしそうに言った。
三人は教室から少し離れ、廊下の窓際に寄る。学校では有名な二人ということもあり、雪乃は慣れない好奇の視線に身体を緊張させたが、目の前にいる先輩二人は全くといって気にする素振りを見せてはいない。
「お前、朝早くに資料室に来てただろ」
「朝?あ、今朝の事件のこと、ですか?」
「事件かあ」
何かかっこいいねえ、と本田がのんびりとした口調で言う。
「どこまで見た?」
「どこまで……。えと、そんなに、見てはいないんです。ただ私は、資料が風で飛び出して来たのと、後は」
ここで雪乃は言葉を区切り、口を閉ざす。緒方はそんな雪乃に先を催促することもなく、迷うように開いたり閉じたりする口元を見ていた。
「天羽先輩が……教室から飛び出して行って。その後私は白柳先輩に頼まれて、風紀委員の人を探しに行きました」
「ああ、風紀委員を探しに行ったのか」
「あ、でも、結局私は見つけられませんでした」
「でも結構直ぐに来ただろ」
暫く現場にいた緒方は、慌ただしくやってきた二人を思い出す。
一人は風紀に厳しいと有名な安形直哉。もう一人は緒方と雪乃と同じ執行委員の神楽竜司。「多分……」と雪乃が少し思案顔をする。
「白柳先輩は、私の他にも風紀委員を呼んで来るように頼んでいたので、その方が呼んだんだと思います」
「あの教室に俺とお前と、白柳先輩と天羽以外にいたのか」
「いえ、校舎下にいるって、言ってました。窓から下を見下ろした時にクラスメイトを見つけたそうです」
「名前は?」
「名前は聞いてません。でも、女の子とは聞きました」
「唯。白柳先輩と仲良いか?」
「話したことないって言ったじゃんー。でも、流石に話したことあってもその女の先輩は分かんないよ?白柳先輩友達多そうだし、人気だし。絞れないよー。あ、安形先輩に聞けばいいんじゃない?風紀委員を呼びに行ったってことは、その女の先輩は安形先輩を呼んだってことでしょ?安形先輩に聞けば分かるじゃーん」
「好きじゃねーんだよあの人。向こうも俺の事嫌いだろうし」
顔を歪めてそう言う緒方に、本田は「そう?」と不思議そうにする。
「まあ取り敢えず、そこは分かった。後は、資料室に行くまでに何か見なかったか?」
「行くまで?」
「お前は俺とは逆の通路から資料室に来ただろ。俺は、資料室に行くまで誰にも会わなかった。てことは、あの資料室の中にいた二人は結構前に学校へ来ていたか、それかお前と同じ通路を通って来たかってことだ」
「ほらー、つまりは、白柳先輩と天羽君を見たか?ってことだよ」
緒方の言葉に本田が付け足すようにして言う。
雪乃は再び何か言いにくそうに口を小さく動かして、ゆっくりと答えた。
「えと……天羽先輩に会いました」
「天羽?」
「はい。あ、会ったというか、見たというか。私の少し前に天羽先輩が歩いていたのをお見かけしたんです」
「そのまま天羽が資料室に入ったのを見たか?」
「いいえ。私は少し遅れて資料室に向かったんです。天羽先輩が資料室から飛び出して来た瞬間に丁度資料室に着きました。えーっと、天羽先輩が見えなくなってから、五分後くらい、でしょうか?」
今朝のことを振り返り話す雪乃は、確認するように上目で本田を見る。それに本田は笑って二回頷いた。
「うんうん。……だってさー結ちゃん。どう?何か分かった?」
「あー。まあ、少しな」
緒方の腕に自分の腕を絡ませ、「流石結ちゃん」と喜ぶ本田。そんな本田に構わず、顎に指を当てて何かを考え込んでいる緒方を見て、雪乃に不安が過った。「あの」と、考えているところに悪いと思いながらも声をかける。
「何」
「ジョーカーが犯人だって、噂があるんですけど」
「ああ」
「緒方先輩は、ジョーカーを疑ってるんですか?」
その質問はあまりに遠回りではあったが、天羽に疑いがかかっていることを懸念しているのはすぐに分かった。
今回の件は誰が犯人なのかまだ分かっていない。にも関わらず「ジョーカー」という存在が犯人ではないかと噂される理由はただ一つ。「ジョーカー」が掲げている唯一の理念が反生徒会というものだからだ。
では何故、その噂から更に犯人が「天羽雅希」を連想させるのかというと。それもまた、天羽が「ジョーカー」の創設者だという根拠もない噂からだった。
「お前、天羽がジョーカーの創設者だと思ってんのか」
「……いえ。根拠は、ないんですが。でも」
「根拠はないだろ。これがジョーカーの犯行だってことも、天羽が犯人だってことも。何も根拠はない。適当な噂に流されてんじゃねーよ」
「こら!」
「いって!」
呆れたように話す緒方の頭を、本田が勢いよく叩いた。ぱしん、と軽い音を立てた頭を撫でながら本田を見ると、片頬を膨らませて不満げな表情をしていた。
「可愛い可愛い後輩に向かって、そんな怖い顔と声で責めちゃいけません!」
「別に責めてねーよ。ただ忠告を……てか、顔は元々だ、ほっとけ」
べしべしと腕を叩く本田の手を払いのけ、決まりが悪そうに頭をかいた緒方は少し膝を折って屈んだ。
「悪かった。俺口わりーんだ」
「いえ、気にしないで下さい!私が噂を気にし過ぎていたんです」
「……お前さ、この学校入ったなら注意した方がいいぜ」
「え?」
「意地悪でも何でもなく、言っておく。この学校では、簡単に人を信用するなよ。誰が嘘を吐いて、誰が偽ってるのか、分かんねーからな」
くしゃりと一度、雪乃の丸い頭を撫でると緒方はまだ何か文句を言っている本田を引き摺って行く。「ありがとう」という恐らく話を聞かせて貰ったお礼であろう言葉を小声で言い、去って行く二人を見送った雪乃は軽く耳たぶを触る。耳に残るお礼の言葉を繰り返し頭の中で流しながら、ふと口元を緩めた。
もしかして、緒方先輩は思っていたよりも良い人なのかもしれない。