第五話 先輩。
朝。偶然にも愛佳と同じタイミングに玄関を出てきてしまった。なんか気まずい。
愛佳は一瞬、ちらっと横目でこっちを見て、そしてすたすた歩いて行ってしまった。……また、避けられた。
「もう、泣きそう……」
正確には昨日泣きながら帰ったんだけど、早くも二度目の涙が零れ落ちそうだった。
学校に着いて、一人で登校する俺を見た健太たちはとても驚いていた。
「裕二、愛佳先輩と何があったんだよ! ケンカ?」
「……わかんない」
それしか、言えなかった。ケンカなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
とにかく、つらい。愛佳に避けられるのは、つらすぎるよ。
その日俺はまったく元気がなくて、授業中もずっと机に突っ伏したままでいた。
愛佳……そんなに、怒ってるのかな。俺、そんなに愛佳を傷つけたのかな。もう、絶対嫌われた。もうきっと、愛佳は俺のことを見てくれない。好きにもなってくれない。
「好きだよ……」
涙が出てきた。もう嫌だ。好きなのに。こんなに好きなのに。俺はもう、愛佳と一緒にいられないのかな……。
「裕二」
「……」
声からして、健太だ。俺は手の甲で涙を拭ってから顔を上げた。
でも、健太に「顔上げるな」と言われてしまった。そんなにひどい顔してんのかな。もしかして、気ぃ遣われてんのかな、俺。
「裕二、もっかいちゃんと愛佳先輩と話して来いよ。二年の教室、すぐ下だし」
「……ん」
健太の提案に、俺は曖昧な返事をする。
話すことなんて、きっとない。行ったとしても、きっと愛佳は話してくれない。そんなの、余計つらくなるだけだ。
「……なあ裕二」
「なんだよ」
「そうやって逃げてていいのか?」
健太の言葉が、胸に響いた。俺が、逃げてる? 愛佳から?
もう、分からなかった。何が正しくて、何が間違ってて、どうすればいいのか。
そんな俺に、健太は一言言った。
「話して来いよ」
その言葉で、俺は決意した。
とは思ったものの。
二年の教室の前の廊下、怖すぎる。なんかみんなでかいし、ネクタイの色違うからじろじろ見られるし、何か言われているような気もするし、とりあえず怖い。
やっぱり帰ろうかと何度も思ったけど、なんとか廊下を歩いて行った。たしか愛佳は二年D組だったはずだ。
D組に辿り着いた。教室を覗こうとするけど、ドアを閉められてしまったので窓からしか見えない。窓からじゃちょっと見えにくいな……。
そう思っていると、後ろから声が聞こえた。
「ん? ちっさいね、一年生?」
「ぎゃー、一年生可愛い! 制服綺麗!」
振り返ると、おそらく二年生の女子二人が立っていた。D組に入ろうとしている。愛佳と同じクラスなんだ!
俺はチャンスだと思ってその二人に声をかけた。
「あの、愛佳呼んでもらえませんか。吉野愛佳」
そう言うと、二人はにこっと笑って愛想良く「いいよー!」と言ってくれた。
「愛佳いるかなー?」
「てゆーか吉野さんって愛佳って言うんだ。あたし知らなかった」
「えっやっちゃん知らなかったの!?」
「え、かおりん知ってたの?」
「いやクラスメートだし当たり前でしょ」
どうでもいいからさっさと愛佳を呼んでほしい。頼んでる側がこんなに偉そうにしていいものなのかどうか分からないけど、でも遅くないか?
「あっ愛佳いた!」
「ほんとだ本読んでる」
「えっ!」
最後に驚きの声を出したのは俺。愛佳って、本読むタイプじゃなかったような気がするんだけど、それ俺の思い込みだったんだ?
二人は教室に入って愛佳を呼んできてくれた。
「愛しの彼が待ってるよ~」
「いっ!」
愛しの彼ってなに! この先輩たち怖い!
愛佳は俺のことを見て一瞬戸惑ったようにしていたけど、二人に急かされてこっちに来てくれた。前言撤回。この先輩たち、すごい。
「……ゆ、裕二、あっち行こう」
「っえ」
愛佳は俺のところに来てすぐそう言って、俺の腕を引っ張った。あっちってどっちなんだよ!
連れてこられたのは、廊下の奥の方の水道の前。薄暗くて静か。
「……愛佳」
「ごめん、言いたいことは、分かってるんだけど」
愛佳はうつむいて、泣きそうになっていた。やっぱり、なんか俺が悪かったのかな。
なんて言われるんだろう。そう思いながら愛佳の次の言葉を待つ。すると、愛佳の口からとんでもない言葉が飛び出してきた。
「――――私、好きな人ができたの」
「は?」
愛佳に、好きな人ができた……?
一瞬、まったく意味が分からなかった。どこかの異国語を聞かされているような、そんな気がして。
愛佳に、好きな人ができた。つまりそれは、俺の恋の終わりを告げるものであって。
「……それでね、昨日帰ってる時、私たちの近くにその人がいたから、誤解されたらどうしようと思って。ほら、抱きしめたり、してたでしょ。……それで、朝は気まずくて。さ、避けたりしてごめんね!」
それ以上、愛佳の言葉が耳に入ってこなくなった。
避けられたのは、もちろんショックだった。でも、でも違う。もっと、もっともっと重大だったんだ。
「……裕二?」
その声にはっとする。気づけば、愛佳が膝に手をついて中腰の状態で心配そうに俺を見上げていた。
「っあ、ごめ……」
とっさに謝ると、愛佳は俺の前髪を上げて額に手を当てる。
「どうしたの? 気分悪い?」
「ち、違うから。大丈夫」
そう言いながら愛佳の手を握って、額から離す。
……前髪、触られた。愛佳の手、ちょっとひんやりしてて、気持ちかったし……って、何考えてんだ俺。
「そう? でも、ちょっとおでこ熱かったよ?」
「気、のせいだろ。愛佳の手が冷たいからじゃねえの」
手を口に当て、顔を背ける。もう、絶対顔赤いに決まってるし。恥ずかしい。
そりゃ、熱いだろーよ。こんなに、恥ずかしいんだから。
俺、失恋したはずなのに、まだ愛佳のことこんなに好きだ。……そう、だよな。そう簡単に、忘れられるはずないよな。
でも、早く忘れてしまえば、楽になれるのかな。愛佳のこと好きな気持ち、俺は忘れられるのかな。
愛佳には、好きな人がいて。
俺は、愛佳のことが好きで。
愛佳の好きな人が愛佳を好きになるかどうかは、分からなくて。
でもきっと、愛佳は上手くいくよな。俺が初めて好きになった女子。可愛くて、しっかりしてて、明るくて社交的。たまにドジだし無駄にスキンシップが多いけど、ふわふわしてて、稀に見れるかっこいい姿もあって。俺の、先輩。
大好き。俺はきっと、愛佳のことを忘れられない。ずっと大好きだ。こんなに強く思ったのは、初めてだから。
――――先輩を好きになるのが、こんなにつらいなんて思ってなかった。
年が違うってやっぱり恋にも影響するんですかね……
この小説書いてるくせに、年上や年下を好きになったことがないのでよく分かりません。もちろん好きになられたこともありません。
恋って難しい(T_T)