人の考えはまさしく十人十色
場面がころころ変わります、注意してください。
ティアナの宣誓書
1、この家のものを壊さない。丁寧に扱う。
2、旦那様に何をいわれても逆恨みしない。
3、何か問題が発生した時は平和に解決するために話し合う。
以上この3つを守ってくだされば私はあなた達に何も言いません。関係を認めます。干渉する気もありません。
合意なさるならこの契約書にサインをして下さい。 byティアナ・ヘルガー
☆☆☆
《「リチャード様待って。私を置いていかないで。さぁ、手を繋ぎましょう。私達婚約者になりましたね!
今日はどちらにお出かけですか?私も同行いたします!」
「今から友人と食事をしに行くんだ。一緒にいても君とは話が合わないよ。」
「いいえ、私はただリチャード様のお側に1分でも長くおりたいのです。それにリチャード様の婚約者としてご友人にもご挨拶しなければ。話が合わないのは苦になりません。むしろリチャード様をずっとみていられるわ。」
「……。わかった。同行を許す。構ってやれなくても怒るなよ。」
「はい!さぁ、手を繋ぎましょう!」
その後相手の青年は呆れはて、ため息まじりに嫌々ながら彼女の手を繋いで目的地に向かって歩いた。》
はぁぁ〜、とティアナはこの会話を思い出しただけで恥ずかしさで悶えたくなる。自分のセリフとは思えない。よくこんなこと言えたな、と当時の自分に現在の彼女は勇気を称えると共にある種の恐怖に震える。ティアナはこのことを悩む度に「当時の自分はきっと恋をして頭がおかしかったんだわ。」という結論にいたり、過去のことは変えようがないわね、とそうそうに悩みを一時的に解決するが日が立つと、また同じ悩みを抱え悶えるという日々を過ごしていた。結局根本的な解決には至らなかった。
彼女、ティアナ・ヘルガーはヘルガー伯爵家という昔から由緒ある、格式高い伯爵家に嫁いだ伯爵夫人だ。
彼女はオスレイ伯爵家の次女として生まれた。姉が1人いる。残念ながらオスレイ家に男の子は生まれなかったので、姉が婿養子をむかえることになった。ティアナの父親は金遣いが荒く、伯爵家当主としての仕事も怠り、酒に溺れそして5年前呆気なく病死するという、とても当主とは思えないダメダメ人生を送っていた。彼の生存時は彼の妻、つまりティアナの母親が代わりに領主の仕事に勤しんだ。彼女の母親はとても優秀な人で当主の仕事も楽しんでやっていた。だからそれなりに領地を治めていたのだが、夫の死後、夫が賭博で残した大量の借金が発覚し、オスレイ家は一気に財政難になった。優秀なティアナの母親にとって、目を見張るほどの突然の多額の借金をすぐさま返すことは容易ならず、姉は既に婚約者がいたので妹のティアナが政略結婚して得るお金の援助に縋る他なかった。母親は娘に政略結婚させることを大変申し訳なさそうにしていたが、当のティアナはどうであったかというと、これといって抵抗がなかったのであっさり承諾した。父の借金が発覚するまで、生涯独身を貫こうと思っていたティアナにとって、結婚相手を探すのは面倒くさいことこの上なかった。でも、人並み程度に恋に興味があった。幼いころから姉を見てきた彼女は〝婚約者〟という存在に非常に強い憧れをもっていた。姉とその婚約者の関係は良好で、政略結婚でも幸せになれると信じていた。自分の婚約者に全力で恋しようと誓ったのだ。まさに恋に恋する少女だ。(しかし当時の自分は婚約者という興味対象を見つけただけで、それを観察する研究者さながらのようだっただけで、リチャードに恋をしていなかったと現在の彼女は悟る)
そして迎えた婚約者との初対面の日。ティアナは自分の婚約者、ヘルガー伯爵家長男であるリチャード・ヘルガーを一目見た瞬間に恋に落ちた。俗に言う〝一目惚れ〟というやつだ。(実は興味対象を見つけただけだった。)
これから彼に恋をするのだとティアナは相手をよく観察した。そしてその後正式に婚約をしたのはティアナ17歳、リチャードが20歳の時であった。それからのティアナの婚約者への執着ぶりは凄まじかった。毎日のように相手の家に出かけてリチャードにつきまとう、1日一通手紙を送るのは当たり前。家の中でもリチャードのことで頭がいっぱいだった。そんな様子に家族は呆れ半分に見ていたが、そんな状態が2ヶ月も続くと状況が変わる。頭がバラ色であるティアナは非常にうっとおしく、家族は辟易していたので、母親が娘の婚約期間を短くしようとしたが、ティアナ本人が全力でそれを否定した。母親としては、娘は早く嫁ぎたいのだろうと思ってのことだったが、ティアナにとっては、婚約者がいるという状況にまだ浸っていたかった。また、恋をしている自分に酔いしれ、非常に過度な愛情表現をやっていたことに気づかないティアナであった。恋は盲目なのだ。当時の彼女はリチャード以外視界に入らなかった。彼女が断続的に悩んでいる過去の自分の言動はこの時のことである。
(彼女は一度興味を持つと飽きるまでそのことで頭がいっぱいになり、そして飽きてしまうと恐ろしいほどになんとも思わなくなる女性だった。熱しやすく冷めやすい性格であった。)
そして婚約期間が終わり、ティアナは婚約から1年後無事に結婚を果たした。しかし、1ヶ月後リチャードが浮気しているという事実が発覚する。彼女は驚いたがそれだけだった、なぜか悲しみや怒りが湧いてこない。まるで他人事のようにそれを受け止めた。恋に恋する少女ではなくなった。リチャードの妻となって彼の仕事を手伝ううちに徐々に目が覚めた、現実が見えてきたのである。そして今の自分は出会った当初よりも、然程リチャードに対して特別な思いをもっていないということにも気づいた。そんな彼女の気持ちはリチャードにとっては失礼でしかないが、ティアナはそういう女性なのだ。何かに興味を持つとそれしか考えられない、研究者に向く性格をしている女性であった。妻が夫を興味対象として見るのはどうかと思うかもしれないが、彼らは政略結婚である。恋愛結婚ではない。外部の者は口出しできない。そしてティアナ以外に彼女がリチャードを興味対象として観ていなかったことに誰も気づいていない。彼女のリチャード対する態度は婚約者にベタ惚れの少女のもの、であると周囲の人間は信じて疑わなかった。
そして、リチャードの浮気を執事であるチェイスから聞いた瞬間から彼女のリチャードに対する熱い思いは急激に冷めていった。それは、はたからみても異常な変わりようで使用人を含むヘルガー家の者達はティアナがショックのあまり放心しているのだと解釈した。今までの彼女なら朝の挨拶から始まり、夜の挨拶までリチャードが家にいる限りずっと一緒にいたが(観察していたい。)今の彼女のリチャードに対する挨拶は素っ気ないもので食事中も驚くほど静かであった。(興味がなくなった。)リチャードの浮気、という原因がわかっている者は明るく話してもその場が白けるだけなので何も言えず、食事中は沈黙の雰囲気が漂ってい
る。そんな状況が2ヶ月も続く。今までのリチャードを溺愛していた(彼女にとっては観察であるが。)彼女を知っている者から見れば、ティアナのその様子はあまりにも痛々しく、リチャードの両親は息子にさっさと相手と別れろと強く咎めた。そのおかげか、リチャードは案外素直に浮気相手と別れた。しかしその相手が凄まじく、ヘルガー家にまで押しかけ、怒りをぶつけ、腹いせに高級な調度品を壊しまくり、自分と縁を切りたいなら大金をよこせ、さもないとひどい目にあわせると脅してきた。貴族が愛人を持つことは普通なのだがこの女性は非常に気性が荒く後々面倒なことになりそうだったので、金で解決するならその方がいいとリチャードの父親が彼女にお金を払った。ヘルガー家は非常に裕福なのだ。これで息子も懲りるかと伯爵家元当主は思っていた。
ところが、2週間後リチャードは翌日新しい女性を伴って帰宅した。そして食事もそうそう連れてきた女性とさっさと自室に篭ってしまう。これには食事中の家族全員が唖然とし、ティアナの様子を恐る恐る伺ったところ、真顔で夫の元に向かった。そんな様子をヘルガー家の者たちはこれからどんな修羅場になるのだろうと不安になっていたが、彼女はものの数分で戻ってきてきた。びっくりするほど穏やかな笑顔で。
彼女が夫とその相手のもとに何をしに行ったかと言われれば、大したことではない。相手に自分の条件を飲むかどうかを聞き、それに承諾するなら夫とのことはご勝手に、であった。以前夫の浮気相手だった女性の最後の乱心ぶりは相当酷かった。そうならないよう、これ以上家を壊されないよう、平和協定を結んでくれと相手に宣誓書にサインをさせた。要するに相手に愛人としての心構えを説きいったのだ。
そして相手がさっさとサインしてくれたことに、これからもこういう事が起きたらこうすればいいんだわ、と自分が思いつた妙案に感心していたのであった。
そんなことが結婚以来4年間続いている。リチャードは3日おきに女性を連れて帰る。そしてどの女性も平民ばかりだった。その度にティアナは相手に宣誓書を書かせる。そのおかげが一度も問題が起こったことはなかった。
そして冒頭に至る。
今日やって来た女性はティアナをはっとさせる美貌の持ち主であった。ミリーという名らしい。リチャードど連れてくる女性に共通性はない。見た目も性格も全く類似性がない。ただ一つ皆平民であることを除いて。ティアナには夫の相手を決める判断基準が全くわからなかった。
まぁ、でもそんなことはどうでも良い。今日も平和に寝たいと思うティアナであった。
そしてそれから一週間たったある日執事のチェイスから
「旦那様が奥様に大切なお話があるようです。夕食後お部屋に伺うようにと。」
と言われた。
とうとうきたわこの日が。私が自由になる時!もともとリチャードの愛が自分に向けられていなかったことは知っていた。それに伯爵夫人はお茶会など家柄を立てるため、いろいろ面倒なことを率先してやらなければいけない。そういうことが気性に合わないティアナはうんざりしていた。あぁ早く離婚して自分の人生を思いっきりエンジョイしたい。そして昔の自分を早く忘れたい。案外ポジティブ思考で昔のことをズルズル引きずっているティアナであった。
☆☆☆
俺の名はリチャードヘルガー、ヘルガー伯爵家の長男で時期伯爵当主でもある。
3年前にティアナと結婚した。彼女の俺への執着ぶりは婚約当初から甚だしかった。というか度を超えている。でも、婚約相手に決まったのだからしょうがないと割り切った。結婚する頃にはティアナの存在がうっとおしくなり、結婚したら絶対に愛人を侍らそうと考えた。それに怒るか泣くかして離婚を申しだされたらもっと良い。だから結婚後1ヶ月で早々と浮気した。これに対して予想外にティアナからの反応は薄かった、むしろ〝無〟である。少し不思議に思ったが落ち着いてくれたならそれで良い。ティアナのことは嫌いでもなかったが好きでもなかった。
その後両親に浮気相手の女性と別れろ、と何度もしつこく言われ、もともと浮気相手に対してそんなに強い思い入れがなかった俺は素直に従った。
だがそれからしばらく経ってもティアナの俺に対する態度は変わらなかった。婚約時のあれはなんだったのかと疑うほどに、彼女は自分に多大な好意を持っていると俺は信じて疑わなかったから、あまりのそっけなさに、よけいにショックだった。彼女に話しかけてもまるであかの他人のように振舞われる。手をつなごうとしても拒まれる。俺は浮気していたという自責の念よりもティアナに対する不満がどんどんたまった。
俺の心はぽっかりと大きな穴が空いてしまったように全てを虚しく感じる。考えてみれば、今までティアナの俺に対する行為を当たり前のように受け止めていたのだ。それが無くなるなんてありえないと。そう状況に当時の自分は満更でも無かったのである。
そんな訳で俺のもっぱらの悩みはストレスだ。この心境を誰かに愚痴りたい。吐き出したい。すっきりしたい。自分をよく知っているものにはこんな悩み言いたくなんかない。赤の他人がいい。貴族はすぐこういった話題が広まるから駄目だ。ティアナにもう一度振り向いて欲しい。でも、自分からそんなこと言うもんか。どうしたものか…
悶々と考えていた俺に突然アイデアが浮かんだ。そうだ、女性の相談相手を家に招いて一晩俺の愚痴を聞いてもらおう。ついでにアドバイスももらおう。女性からの視点は大切だ。ティアナの関心を俺にひきたい。
そしてリチャードはすぐさま行動に移した。
なぜか毎回相談相手が妻に呼び出されているが、なんなのだろう。俺にやきもちを抱いていてくれるのか?
なら、俺に直接言って欲しい。
リチャードは相談相手を家に連れてくるなり詳しい説明はしなかった。ただ「今日の君の夜を俺にくれ」というだけだ。変な誤解を招く言葉である。でもそうでもしないと、自分がストレスを発散される為の愚痴る相手だとわかったら誰も一緒にこないのだ。相手に変な期待をもたせてまでも自分のことを優先する男であった。目的も伝えず家に連れ帰る失礼な男、リチャードであった。
そして冒頭部分のその後に至る。
今、相談相手の女性、ミリーが妻のもとから帰ってきた。口元には何故か笑みが浮かぶ。ティアナに何か嬉しいことでも言われたのだろうか。まぁ、いい。今日も愚痴りまくろう。
ミリーは俺の真の目的を聞くと最初、怒りを露わにし、次に呆れたような憐れむような目を俺に向けた。だが、このまま家に返すわけにはいかない。せっかく愚痴る相手を見つけたのだ。聞いてほしい。俺に心の叫びを!
その後ミリーをなんとか説得して自分に付き合わせることに成功した。。毎回愚痴ると言っても長くて2時間程度だ。その後、チェイスを呼び寄せて相談相手には来客用の部屋に案内させそこのベッドに寝てもらう、もしくは帰ってもらう。相手が帰る前に謝礼、そして口止め料としてお金と、泊まっていたら翌朝に豪華な食事を振舞う。俺は自分のベッドで眠りそしてストレスが解消されたの朝までぐっすり眠る。時々寝坊もあるがその時はチェイスに起こしてもらう。こんな事を頼めるのもあいつが俺の幼馴染みだからだ。
そしてミリーが帰ったあとチェイスに呼び出された。
「旦那様いいかげんティアナ様と話し合ってください。こんなことばかりでは二人の溝は深まってばかりですよ。後になってからでは遅いんです。ティアナ様に伺いましたが、今の状況に何も不満を抱えてなさらなかったですよ。旦那様の浮気していると見せかけて嫉妬させ関心を持たせる、という陳腐な計画は失敗です。早く仲直りしてください。どんなことにも素晴らしい才能を発揮なさってきた旦那様ならできますよ!自信をもってください!」
「……。わかった。そうする、ティアナに夕食後俺の元へ来るよう伝えてくれ。」
なんだかチェイスの励ましに元気が湧いていきた。よっしゃ、これならいける!
リチャードはようやく妻とまともに向き合う気持ちを持ったのであった。
☆☆☆
今の自分の状況を言うなら、マジでふざけんな!、である。
私はミリー・べリック、しがないパン屋の長女だ。
今日、いつものバーで飲んでいたらなんとヘルガー伯爵家の長男が私に話しかけてきた。
まさか伯爵ともあろう高貴な身分の方が平民の私に話しかけるなんて思いもよらず、本当に驚いた。
聞けば今日、私と一夜を共にしたいらしい。
私は今年25歳の独身で特に好きな相手もいない。パン屋は長男である弟がつくから、両親は私に対して特に何も言わなかった。勝手にしろ、ということだろう。
それならば勝手にさせていただくことにしよう。彼は私のことを大方ヤるだけの相手としてしか見ていないようだが、必ずや彼の愛をゲットして愛人になり、ゆくゆくは伯爵家を乗っ取るのもいいかもしれない。ふっふっふ。
ミリーはしがないパン屋の娘とは思えないほどの野望をその身に隠していた。
もっとも家が貧しかった為権力と金を欲するようになったのかもしれない。
そして私は伯爵家にお邪魔して、彼、リチャードと夕食を終えると彼の部屋に案内された。さっそくか、というかはやくね?ご飯食べた後だからもう少し待ってほしい、せめてお風呂にいきたいと思っていたら彼の妻にあたる人物に呼び出された。何かされたり嫌味を言われるのだろうか、と身構えていたらその人は私に幾つかの条件を提示し、それを呑むようならここにサインをしてくれと宣誓書らしき物を取り出した。そしてサインするなら何も干渉しない、といった。その条件は私にとって不都合なことはなにもなかった。むしろそれだけで堂々と彼といられるなら願ったり叶ったりだ。私は揚々とサインをした。伯爵様からのお誘いにその妻の態度のなんという素っ気なさをまのあたりにしてうまく物事が運ぶな、と自分の強運さに思わずにやけリチャードに不思議がられた。
リチャードの寝室に入るなり彼から、
「これから今日することについて説明しよう。」
と言われた。
え?いまさら?それって夜に男が女を誘う時に暗黙の了解になってる事じゃないの?
と私はとても不思議に思った。それとも貴族にはいちいち説明説明する決まりとか習慣があるのかしら…?
でも、とりあえず聞いておこう。私は先を促した。
「実は今日君をここに招いたのには理由がある。私は君に私が望む相手になってもらいたい。」
「はい。なんでしょう。」
もったいぶらないでさっさと言えよと思う。貴族の男性はこうもまどろっこしいから気にくわない。
「まぁ簡単に言うと、俺の相談相手になって愚痴を聞いてくれ!」
「…………。は?」
一瞬頭が真っ白、というか理解不能、何が好きでこんな夜に部屋にまで誘われて愚痴られなきゃならないんだよ!?
「俺は妻に毎日そっけない態度を取られている、そんな状況に日々ストレスが溜まっているんだ。君を一目見た瞬間にビビッときたんだ。この人は俺の良き相談相手になってくれる、と。」
君を一目見た瞬間に…相談相手と確信…。
なんだそれ、なんか違うでしょう。
こんな状況絶対ありえない、というかなんだこの人、ここまで思わせておいて。彼の妻には宣誓書まで書かされるし、二人はいわゆるすれ違い夫婦なのか?夫婦で意思疎通が取れていないのだろうか。それでその仲をどうにかするために私にアドバイスを求めているのか。
って結婚したこともない私がそんなこと知るか!だいたいリチャードのことは噂に聞いたことは何度もあるが実際話したのは今日が初めてだ。全く彼らの夫婦関係どういう状態なのかがわからない。アドバイスのしようもない。
あ、そうだ、帰ろ。そして寝よう。期待した私が馬鹿でしたね。こんなの悪い夢としか思えない。
「事情はわかりました。ですが私にはどうすることもできません。帰らせていただきます。それではさようなら。」
さっさと帰ろうとするとリチャードが必死の顔になって私を止めた。
「ま、待ってくれ、相談にのってくれたら、その分お礼としてお金を渡す。ほんの2,3時間でいいんだ。その後は帰ってもかまわないし、来客用の部屋で眠ってくれても構わない。泊まるなら翌朝は豪華な食事を披露しよう。俺を見捨てないでくれ。とにかく愚痴りたいんだ。」
俺を見捨てるな!という言葉に一瞬キュンときたがその後の言葉にずっこけそうになる。なんていうか、赤の他人である私にそこまで縋るなんて必死だなぁ。それほど夫婦関係がやばいのだろうか。でも、騙されたと思って相談にのるのもいいかもしれない。お金って大切なのよ。
私はとりあえず相談に乗ることを承諾した。
彼は目を輝かせて喜んだ、そんな彼にまたもキュンとなりかけるが、内容が内容なので、それ以降、私に心のトキメキは訪れなかった。
一応、愚痴を聞いた、彼の愚痴という名の〝惚気話〟の数々を。
やれ、昔のティアナはああだの、こうだの。今はかまってもらえず寂しいだの。
最初は真面目に聞いていたが最後は眠気との勝負である。あくびを何回したことか。
そしてあくびするために
「おい、俺の話をちゃんと聞いているのか?」
と凄んだ顔で言われる。真面目に怖い。
「あ、はいはい、聞いてます。ティアナさんの関心をもう一度自分に向けたいということですね。」
「そうだ、こんな状態が3年も続いているのだ。最初の頃はティアナに嫉妬してもらえるから良いと思っていたんだが、さすがにこれ以上続けるのはマズイと思っている。」
「じゃあ、ティアナさんと話し合えばいいじゃないですか。あなたの気持ちを素直に伝えたら、この問題は解決ですね。」
「それができないから困っているんだ。ティアナは俺とまともに口を聞いてくれない。
それに今更気持ちを伝えるなんて恥ずかしすぎる。もっといい案はないのか?」
ねーよ。それに考えるのも面倒くさい。
リチャードの返事にミリーは呆れまくった。
もう、勝手にやってくれ。そんなしょうもない事に私を巻き込むんじゃない!
あーマジで今日の夜は損したわ。早く寝ないとお肌の美容に悪いのに。あんたの話は私の美容に勝るほど価値はねーんだよ。早く帰りたい。寝たい。
「何事も話し合いが大切です。そんなこと言っていたら本当に愛想つかされて家を出て行かれますよ。それでもいいのですか?今の自分のプライドか将来の幸せかよく考えてください。」
「うーむ、で、でもだなぁ。うまく踏ん切りがつかないというか。…あぁ、でもやはり正直に話し合いするしかないのか…なぁ、君はどうおも…」
「っはい!ストップ!そこまで!3時間経ちました。これで相談は終了!お金はくれぐれも忘れずにお願いします。私眠いので寝ます。早く部屋に案内してください。」
リチャードは相談料は時給制だといった。だが、さっきからずっと同じ問題がループしており、それに嫌気がさした私には3時間が限界だった。よく頑張ったと思う。3時間も人の結婚惚気話を聞かされるなんて25歳独身女にとっては拷問以外のなにものでもない。しかもリチャードとミリーは同い年だったためさらにつらかった。リチャードの結婚惚気話とい名の相談になぜ独身である自分がのらなくてはいけないのか。既婚者に聞けばいいじゃん。結婚をしていないミリーとっては「結婚してるならそれでいいじゃん」ぐらいの問題であった。また、お金を渡すことは相談料と共に口止めの意味も含まれていることを知った。だから私のように何も知らない他人がリチャードに相談相手という獲物として捕らえられしまうのだろう。口止めがなかったらこのことを思いっきり街の皆にいいふらしたい。もう、私のような目に合う人に現れて欲しくないものだ。
今回の相談の結論、話し合え、である。
それにつきる。それしかないとさっきから何度も言っているのに目の前の男はなかなか頷かない。
マジでめんどい。こんな人と旦那に持ってティアナさんもお気の毒にと、彼の妻を不憫に思ってしまうほど彼のダメダメさは群を抜いていた。もう、やってられない。勝手にしろ、と思い、そっか、人って面倒くさくなったら勝手にしろって言っちゃう生き物なんだ、と両親の言葉を思い出す。
そんな事を思っていたら案の上彼に引き止められる。
「も、もう1時間だけ相談に乗ってくれ。決断出来そうな気がするんだ。でもまだ自身が持てない。お金も弾むから。」
「あと1時間でも2時間で同じです!早く勇気持って自信つけて下さい。素直に今までの非行を謝るだけでしょう。それで全て解決します!あと、お金にはもうなびきませんから。悪しからず。」
「…わかった。だが今日は相談に乗ってくれてありがとう。本当に感謝している。」
「まぁ、ただ聞いていただけですけどね。(こっちはあなたの惚気という毒で精神がショックによる痙攣を起こしかけてけどね!)」
「正直、ここまで話に付き合ってくれた女性はこの4年間今までいなかった。皆私が愚痴りだすと青ざめるか泣き出すかですぐ帰ってしまうのだ。」
「へぇ〜そうだったんですか。それはまぁ、(そうでしょうね)。なんというかお気の毒に。(?)」
私はふと思った、最近問題になっている若い女性の結婚率低下問題のことを。主にここ4年急激に低下の一途を辿っている。そして今回、こういう目に合っている私は原因この人なんじゃね?と思う。彼は愚痴としてティアナさんとの冷めた結婚生活を赤裸々に語る。こっちが結婚する気を無くしてしまうほどに。それを聞いた人は誰でも結婚に絶望的な気持ちになるほど強烈だった。私も自分の中の結婚定義について見直そうと思う。彼は会話スキルが高いのかもしれない。しかし、さすがに世間の結婚低下の問題にあなたが立派な貢献を果たしています!なんてこと言えない、もうこんなことを止めてもらうことを願うしかない。結婚率低下を阻止する為に。
そしてミリーは彼が呼び出した執事チェイスという人に案内され部屋に向かった。
☆☆☆
俺はチェイス、ヘルガー家の執事である。俺の家は代々ヘルガー家の執事として使えてきた。リチャードとは同い年で幼馴染みである。俺は両親間に遅くに生まれた子で、父は6年前に病死、母はそれを悲しみ父の後を追うように亡くなった。俺は一人っ子であったから、幼い頃から父に執事としての心得を教え込まれていたので父の亡き後19歳で執事の職に難なくつくことができた。
そんな俺がリチャードが婚約したと聞いたのは執事になって2年が過ぎた頃。
その相手は、まぁ凄かった。リチャードにゾッコンだ。リチャードは顔良し、頭よし、家柄よし、容姿も良いという好条件を満たしていたので令嬢達にもてた。ある日、リチャードに婚約者ができた聞いて嫉妬に怒り狂った令嬢が家にやってきたが、婚約者であるティアナ様のリチャードに対するあまりのゾッコンぶりに唖然とし魚が死んだような目をして帰っていった。
俺もずっとそんな調子でリチャードLOVEなティアナ様に呆れていたが、彼女はリチャードといる時以外はとても普通の令嬢であった。今のティアナ様と同じ感じだ。現在のティアナ様を見て俺は思う、当時の彼女を何がそんなに駆り立てたのだろうと。それはリチャードの両親もそうだし、使用人一同もそうであった。
ある日俺はたまたま街でリチャードが他の女と手を繋いでいるところを目撃した。見なかった事にしようとするがリチャードと目があってしまった。そしてヤツはこのことをティアナ様に伝えてくれて構わないと。
俺は別に誰の味方というわけでもなかったので見たことをそのまま彼女に伝えた。それからだ彼女が変わったのは。あまりの変貌ぶりに最初皆が彼女は気が狂ったと思った。あの執着ぶりを見ていたら簡単に頷ける。しかし、そんな状態が4年もたった今本当に彼女は気が狂ってしまったのか、と問われるとそうではない気がする。皆この話題には触れないのでわからないが。リチャードは結婚とともに伯爵の地位を父親から受け継いだ。もともと母親ににて聡明なティアナ様はよくリチャードの仕事を手伝っている。しっかりしている。だけどティアナ様の態度が不思議だ。思いつめた様子もないのでかえって心配なのだ。いつか、ティアナ様の内に秘めた気持ちが破裂してしまうようなことが起きないように願う。
現在、自分の隣にいる女性に俺はお疲れ様と言いたい。今回の彼女はよく耐えた方だと思う。
俺はリチャードが女性を連れ込みあの部屋で何を行っているのかを把握している。泣き出したり、青ざめたりする女性があまりにも多かったのでリチャード本人にある時聞いた。知った時はたいそうあきれたものだ。そしてその目的にティアナ様への意趣返しが含まれていることを知ってさらに呆れた。リチャードは性格が少々悪い。先の好条件に性格をつけなかったのはこのためだ。頭は良いのだから他にも考えようがあるだろうと思う。
俺はいい加減、ティアナ様とリチャードの間にある歪な空気をどうにかしたい。また、毎回リチャードが払う、感謝料兼口止め料という無駄な出費を抑えたい。執事として暮らしやすい家にしたいのだ。
俺は彼女、ミリーに今日の事についてお礼を申し上げた。
「旦那様にお付き合いいただきありがとうございます。あなたも今日はお疲れでしょう。うちの主人が本当にダメダメの甲斐性なし男で申し訳ない。」
「えぇ、まあね。その言葉は否定しないわ。それより、たった3時間の相談じゃ詳しく把握できないけど、そろそろどうにかしないとホントにやばいんじゃない?」
「あぁ、俺もそう思っている。でも俺はリチャードの幼馴染みであるのにあいつを救えない。」
「へー幼馴染だったのね。意外だわ。でも、ティアナ様は昔はあの人を熱心に愛していたんでしょう、真剣に話し合ったら彼を許すんじゃない。」
「ティアナ様は別に怒っている訳でもないのです。」
「なにそれ、じゃあ、もう愛ないじゃん。もはや手遅れ…結構深刻だったのね。」
「えぇ、まぁ。別にあなたがそこまで気になさる必要はありませんよ。こちらの問題ですから。さぁ、 部屋に着きましたよ。」
「案内ありがと。もう寝るわ。今日は精神的にとても疲れました。ちゃんと眠れるかどうか心配だわ。あぁ、そうそう、リチャード様は奥さんと話会うのに自信がなくて踏ん切りがつけられないそうだから、幼馴染みであるあなたから励ましの言葉をかけてあげればいいんじゃないかしら。それじゃ、おやすみ。」
「わかった。アドバイスをありがとう。あなたは本当に良い相談相手だ。それでは失礼する。」
☆☆☆
あの後チェイスはなんとかリチャードを励まし、ティアナにリチャードからの伝言を伝える。
そして本番である。
ここにはティアナとリチャードの二人しかいない。
「…」
「…」
「ティ、ティアナ、今日は君に大切な用事があって呼び出した。今まで君には悪いことばかりした、でももうそんなことしないと誓った。」
「奇遇ですね。私も同じことを考えてましたの。」
旦那様から解放されてやっと自由になれますのね!とティアナは思った。
「ほ、本当か!」
「えぇ」
リチャードは思った。よかった、これでようやく仲直りができると、ここまで長い道のりだったと感傷にふける。
ティアナは思った。よかった、やっと離婚できて我が道を行けるわと、ここまで長い道のりだったと喜びに震える。
「お互い思っていることは同じですし、せーので言いましょう。」
「おお、そうだな。(一緒に謝るのも悪くない。)」
「では行きますよ。せーのっ!」
「離婚してくださりありがとうございます!」
「仲直りしてくれてありがとう!」
「……え!?今、なんて?」
二人はハモって相手に問い返した。
まさに息ぴったりであった。
☆☆☆
その後ティアナとリチャードは互いに話し合い、4年間の不毛な生活は幕を閉じた。
リチャードはティアナを溺愛するようになり、ティアナもまた然り。実際的にはティアナはリチャードへの興味がまた湧いてきたのだ。そしてその行為が周りから見れば相思相愛のカップルに見えるのだから不思議だ。
そんな屋敷の中で、いつでもイチャラブな2人を見てチェイスは羨ましく感じると同時に、鬱陶しくも思い(主にリチャードに対して)、ストレスが溜まった。リチャードの笑顏は側から見れば様になっているが、幼なじみである彼から見ればにやけ顏以外のなにものでもない。そんな状況のなかチェイスは常々思う。
あぁ、聞いてほしい、愚痴りたい、リチャードのだらし無さを、あいつのティアナ様に対する溺愛ぶりを毎日見せつけられている俺の虚しさを!
そして休日である今日も、彼はあれから良き友人であり相談相手となったミリーにそんな愚痴を聞いてもらう為に彼女がいるバーに出向くのである。
END
読んでくださりありがとうございます!
夫が愛人を連れ込んでいるように見えるけど実は愚痴を言っていただけというアホらしい設定を思いたので書いてみただけです。
この短編を読んで気分を害された方にはごめんなさい。