本になったわたしと四人の仲間達2
困った。非常に困った。
わたしの名前は加賀谷千春。異世界に来て本になってしまった女子高生である。
そんなわたしは現在、困った事態に陥っていた。
かすかに呻いたことに気付いたのか、わたしを持つ痩せた少年が恐々ともう一人の少年に話し掛ける。
「にーちゃん……この本やっぱ不気味だよ。捨てちゃおうよ」
「いや、ダメだ。あいつら必死で追いかけてたじゃん。きっと珍しい魔術書とかなんだよ。売れば金になる」
「えー」
わたしの方がえー、と言いたい!
実はわたし、この少年達に盗まれてしまったのです! なんてこったい!
*****
あれは数時間前の出来事だった。
王都を目指して旅をしているわたし達は、食料の補給と休息を兼ねてとある街に立ち寄った。
なかなか栄えている街で、久し振りに宿に泊まれるね、お前はどこで寝ても変わんねーだろ、なんて皆でわいわいと話していた。ずっと野宿続きだったから、久し振りの街につい浮かれてしまっていたのだ。
わたしを持っていたセシル君も目新しい物ばかりの街にきっと浮かれていたのだろう。
まずはどこかに落ち着こう、と食堂に向かっていた時だ。
「おにーさん、落とし物だよ」
路地裏から出てきた十歳前後の少年が、何かを握りしめセシル君に声をかけた。
「え? 落とし物?」
「うん。ほら、これー」
「どれ?」
少年はなかなか手の中の物を見せようとはしなかった。セシル君はよく見ようとしてしゃがみこみ、わたしから片手を放してそれを受け取ろうとした。
どん、と衝撃があったのはその瞬間だった。
「よし、逃げるぞ」
「うん!」
目まぐるしく変わる視界に驚く暇もなく、どんどん皆から離れていく。あれ、これってどういうこと? と呆気にとられていると、セシル君の焦った声が聞こえてきた。
「ど、泥棒! 泥棒です、皆どいて下さい!」
その時、ようやく事態が呑み込めた。セシル君が持っていたわたし(豪華な装飾の本)を狙って少年二人組が泥棒を行った。セシル君や皆は慌てて追いかけているようだけど、人混みが邪魔で引き離されている。
うん、なるほど。
……わたし、どうしたらいいのですかね?
少年達は追いかける仲間達を上手く引き離し、まんまと逃げのびた。わたしは彼らの手の中でキョロキョロと辺りを見回すことしか出来ない。
「に、にーちゃん! この本目があるよ!」
「変わってるなあ。魔術書ってこんなのばっかなのかな?」
「さあ、どうかなー? それより、ここはどこ?」
「ににに、にーちゃん!! こいつ喋った! 喋ったよ!?」
「……魔術書じゃなくて呪術書なのかな」
「そういう問題じゃないよー!?」
おお、ついうっかり喋ってしまった。予定ではしばらくは様子をみるつもりだったのに。
まあ、喋ってしまったものは仕方ない。改めて彼らを観察してみよう。
泣きそうになっているのが最初に声をかけてきた少年で、オレンジの髪に淡い茶色の瞳をしている。汚れた体はガリガリに痩せているから、きっと孤児とかそういう感じの子なんだろうな。
そして「にーちゃん」と呼ばれている方は、わたしと同じくらいの年齢に見える。くすんだ金髪にダークグリーンの瞳で、なんとなく警戒心の強い野良猫を思わせた。彼もきっと孤児なのだろう。
うーん、売り飛ばされる未来しか思い浮かばない。
「ねえ、駄目もとで頼むけどさ。皆の所に帰してくれない?」
「いくら払える?」
「……貧乏なんだよねー」
わたしがしょんぼりと答えると、にーちゃんと呼ばれている少年に「じゃあダメー」と断られてしまった。やっぱり駄目かあ。
でも、わたし達がこちらの世界のお金をあまり持っていないのは変えられない事実だ。旅立つ時、わたし達を召喚した村人から路銀は貰えたけど、贅沢できる金額じゃないんだよねえ。
わたしは唸り声を上げて考えたけどいい方法は思いつかず、諦めて別の事を聞いてみた。
「……じゃあ、せめて名前を教えてよ。わたしは千春。そっちは?」
「そんなの知ってどうすんの? 別にいいけど」
「にーちゃん、いいの?」
「んー、オレ達の名前知って何かすんの?」
「いや、別に? 単に何て呼べばいいかわからないだけ」
「ふーん」
少年は少し考え、まあいいや、と笑った。
「オレはフェイ。で、こっちはタキ。短い間になるだろうけど、よろしくな。チハル」
「あ、やっぱり売る気なんだ」
「まあ、そりゃあなー。喋べる本とか珍品収集家とかに高値で売れそーじゃん」
「僕はなんでもいいから早く手放したいよぅ……」
むう。無価値だと思われて捨てられるのも嫌だけど、売り払われるのはとても困る。
わたしはしばらく悩み、ふと思いついて低い声で脅してみた。
「わ、わたしを売る者にはー、恐ろしい呪いが降り掛かるぞよー」
「にーちゃん、本が怖い事言ってるー!!」
「あはは、なにそれ。呪いってどうやるの。何がおきんの?」
うーん……笑われてしまった。
こうなったら怖がらせてやろう! と思ったのに、タキ君はともかくフェイにはまったく効いてない。
わたしは溜め息をつきつつもぼそりと呟いた。
「……禿げたりするかもよ?」
「うわーん! 僕、禿げるなんてやだー!!」
「あっははは。いや、べつにいいよ? オレは髪型にはこだわらないし。タキも気にするなよー。むしろ涼しくなっていいかもしれないしさ」
「やだよー!!」
……うむう。フェイ、手強いな。
「おっと」
次は何をしようかと再び頭を悩ませていたわたしは、フェイの声に前方を見て思わず声を上げた。
「ウォードさん、ガラク!」
狭い路地裏の行く手を阻むように立っていたのは、わたしの仲間二人だった。
ぐっと腰を落とし、いつでも走れるようにするフェイに向かって、ウォードさんは片手を差し出す。
「今なら憲兵には突き出さないと約束しよう。その本を返してくれ」
「五十万シレット」
「なに?」
「五十万シレット。それ以上はまけられないな」
にやにやと笑いながら、フェイがわたしに値段をつける。かなりの高値だ。それを聞いてガラクが背中の剣に手をかけた。
「にやけてんじゃねーよ。ウォード、やっぱりこいつら取っ捕まえて憲兵所に突き出そーぜ」
「……できるだけ穏便に済ませたかったが、仕方ないか」
ウォードさんもバトルハンマーを構え、薄暗い路地裏に一触即発の空気が張り詰める。タキ君はわたしを持ったままガタガタと震えているけど、フェイはうっすらと笑みさえ浮かべていて、ちっとも恐がっていない。ガラクとウォードさん相手にこの態度。すごいと思う。
しかし、両者の均衡はあっさりと破られた。路地裏の反対側から、セシル君とエルシュの二人が現われたのだ。
「はい、これで詰んだよね? その本返してくれる? 本ではあるけど、俺達の大事な仲間なんだよね」
「チハルさん! 無事ですか!?」
エルシュが口元だけで笑いながら弓を構え、セシルが青ざめた顔でわたしを見つめる。ああ、すごく心配させちゃったんだな……
「これでおしまいだな」
じり、と距離を詰めながらウォードさんが言う。しかし、フェイは不敵な笑みを崩さなかった。
「おしまい? そんな事は無いね。タキ、本をよこして、お前は走れ!」
「う、うんっ」
わたしはタキ君からフェイの手へ。皆が一斉に飛び掛かろうとする中、フェイはわたしを掲げた。
「動くな! 動くと切り裂く!」
いつの間にかフェイの右手にはナイフが握られていて、それをわたしに突き付けていた。ひーっ、人質……じゃなくて、本質にされてしまった!
「くっ……」
「くそ、卑怯だぞ!」
「卑怯で結構だよ。さ、早くどけよ」
フェイはタキ君が路地裏から出たのを確認して、自分もウォードさんやガラクの横をすり抜けて走った。
ウォードさんやガラクが悔しげに顔を歪める。後ろにいるエルシュやセシル君が追い掛けてくるのが見えた。
だけど、わたしを盾にされてその足は止まらざるをえない。
ううう、わたしに手があれば!
いや、足でもいい。反撃して、フェイの気を逸らすのに!
そう考えて歯噛みしたところで気が付いた。口ならあるじゃん!
「うわっ、いてっ!」
わたしは口を大きく開けてフェイの手に噛み付いた。突然の事に驚いたのか、フェイの手が緩む。その隙を突いて、セシル君が呪文を唱えた。
「土くれよ、我が意のままに敵を打て!」
ストーンバレットの呪文が響き、小石が雨のようにフェイへと襲い掛かった。
「げっ、ちょっと勘弁しろって!」
フェイは慌てて逃げ出そうと走りだしたけど、背中を小石に打たれて前のめりに転んだ。
そして、勢いよく転んだフェイの手からわたしはようやく自由になり、空を飛んだ。
「あ」
「え」
「ひゃああーっ!?」
えええっ!? フェイの手からすっぽ抜けたなーと思ったら、そのままフライングですよ。あいきゃんふらいっ! うわわーっ!!
「やばい、その先は水路だぞ!」
ウォードさんが叫ぶ。いや、待って、水は駄目だからーっ!
「タキ! なんとか拾え!」
「無茶言わないでよーっ!!」
フェイの声にどこからか現れたタキ君が必死に手を伸ばす。キラキラと光る水面に落ちる間際で、なんとかキャッチ!
――と思ったら。
「うわわっ……」
「ひゃーっ!!」
無理な体勢で受け止めたタキ君ごと、わたしは水路に落ちてしまった。
どっぽーん、と盛大に水柱が上がる。
「チハル!」
水に沈む間際、聞こえてきたのは焦ったようなガラクの声だった。
――水に濡れた本って、どうなるんだろう?
本としての状態が悪くなるのって、わたしにはどんな影響があるのかな。そう不安に思う暇も無く、息苦しさに襲われた。思わず口を開けてしまい、大量の水を飲んでしまう。
く、苦しいっ、本の状態を気にする前に、溺れてしまう!
「お、おいっ!? 大丈夫……か?」
引き寄せられ、そして陸上に引き上げられた感覚に、わたしはなんとか目を開いた。
苦しくてぜはぜはするわたしを、何故かガラクが目と口を丸くして見ている。
溺れた本がそんなに珍しいのだろうか。うん、珍しいね、確かに。
「お前……チハル、か?」
「こ、こんな時に何言ってんのよ、馬鹿ラク……」
「……チハルだな」
納得したように呟くガラク。意味がわからずにわたしは咳き込みながら起き上がった。……起き上がった?
わたしは自分を見てみた。
「……え? なにこれ」
まず、手があった。そしてローファーを履いた足。プリーツスカートとブレザーの制服。それを着た、わたしの体……えええ?
「わたし、戻ってる!? 人間に戻ってるよ!!」
いやっふー!! なんだかわからないけど、びしょ濡れだけど、とにかく。
人間に、戻ったー!!
「……お前、本当に人間だったんだな」
呆気にとられたまま、ガラクがそう呟いた。今まで信じてなかったのか、こいつ。
「チハル、無事か?」
「うわー……チハル、人間に戻れておめでとー」
「あー、はい、大丈夫です。ウォードさん。ありがとーエルシュ」
「チハルさんっ」
駆け寄ってきたウォードさんとエルシュに笑って答えていると、一足遅れてセシル君もやってきた。かと思いきや、いきなり深々と頭を下げた。
「セシル君?」
「すみません! 僕がちゃんと持っていなかったから盗まれてしまって……危険な目に合わせてしまって……本当にすみません!」
セシル君は今にも泣き出しそうな顔で謝罪を繰り返した。すごくすごく自分を責めていることが伝わる。
わたしはそんなセシル君に手を伸ばして、その頭を撫でた。
「チハルさん……?」
「わー、こうして触れるのって、なんか新鮮。……じゃなくて。うん、あのさ。セシル君は今回の事は自分が悪かった、って思っているんだよね?」
「はい。僕がもっと気をつけていれば良かったんです」
「うーん。まあ、そうかもしれないね。でも、ならさ。反省して、それを次に活かそうよ」
「次に、活かす」
「そう。わたしもよく失敗して落ち込むんだけど、親がそう言って慰めてくれるんだよね。後悔してるなら、次に活かせるように頑張れ! って」
「…………」
「わたしは今回の事は、フェイ達が上手だったからだと思っているし、怒ってもいないよ。だからさ、そんな顔しないで、笑ってよ。ほら、こうしてわたしも人間の姿に戻れたし。ね?」
わたしがほらほら、と自分の姿をアピールしてみせると、ようやくセシル君も少し笑ってくれた。
「……はい。後悔してるだけじゃなくて、次に活かせるように頑張ります」
「うん。わたしも人間に戻れたし、これからは一緒に頑張ろうね」
「はい。人間に戻れて良かったですね、チハルさん。想像通りで可愛いです」
「なっ!」
なんと、お世辞まで言ってくれましたよ、この子! いや、一つ違いなだけだけどね。なんだか、久しぶりに人間になったし、照れてしまうなー。
「……おい、あいつらは?」
なんて、セシル君とほのぼのしていたら、ガラクが剣呑な声で呟いた。
ハッとして周囲を見回すけど、どこにもいない。
フェイもタキ君もいつの間にか姿を消していた。
*****
逃げ出した彼らをわざわざ探す事もないだろう、ということになり、わたし達は宿に向かうことにした。
「盗人だぞ? 放っておいていーのかよ」
「うーん。ガラクの言うこともわかるけど、土地勘の無いところで人を探すのは手間だし、盗まれたチハルも戻ったしね」
「そうそう。エルシュの言う通りだよ……くしっ!」
「チハル、風邪を引く前にセシルに乾かしてもらえ」
「うん……お願いできる? セシル君」
「はい、勿論です」
まだ濡れ鼠だったわたしはウォードさんの助言に従い、セシル君に乾かしてもらうことにした。セシル君が呪文を唱えると、暖かな空気がわたしを包む。
完全に乾いたかなー、というところで、視界がぐるりと反転した。
え? 動けない?
「チ、チハルさんっ?」
「セシル君……わたし、ひょっとして……」
まさか、という疑問は続けて聞こえてきたガラクの言葉によって明らかになった。
「おい、なんでまた本に戻ってんだよ」
「濡れた状態限定、なのかな?」
「とりあえず、セシル。持ってやったらどうだ」
「は、はいっ。えっと、失礼しますね、チハルさん」
頭上から皆の声が聞こえる中、わたしは呆然としていた。
え、待って。ようやく人間に戻れたと思ったのに、また本なの?
そ、そんなあ……
「あ、あの。本のチハルさんも素敵ですよ。興味深いですし」
「人は見かけじゃないよ、チハル。ね?」
「……まあ、なんだ。たとえどんな姿でもチハルは仲間だ」
がっくりしているわたしを、セシル君、エルシュ、ウォードさんが慰めてくれる。一人離れたところでガラクが濡れた服を手で絞りながら言った。
「……まあ、持ち運びやすいし、いーんじゃねえの」
いいわけあるかー!!
わたしは人間に戻る方法を探す決意を固めた。
今まではあまり気にしてなかったけど、考えてみれば今回のことだってわたしが本じゃなかったら起きなかったわけだし。うん、そうだよね。
「わたし、次こそは完全に人間に戻ってみせる!」
決意を口にしたわたしを、四人の仲間達はそれぞれ励ましてくれたのだった。




