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僕とカトレア

「おいテティス、次お前だってさ」


先輩役者から声を掛けられて、テティスははっとした。

グラントが呼ばれてからめっきり静まり返ってしまったテントの片隅で、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。

風邪だけは引かないようにな、と帰っていった笑顔の印象的な先輩に頭だけを下げて、テティスは劇場へと続く廊下を歩き出した。


文化大国でもあるテルプシコレが、準備できるだけの資金を全てつぎ込んで建設したこのアザレア劇場は、素人目にも分かるくらい手の込んだ造りをしている。大理石の床をコツコツと鳴らして歩くのは、なんだかむずがゆいような不思議な感覚だ。今日は残念ながら舞台のある大ホールは使えないようだが、その先にある小ホールにさえも舞台装置が完備されており、国がどれだけ文化発展に期待を寄せているかが分かる。

そんな大ホールの裏口に回った時、演劇特有の発声が耳に届いてテティスは期待に胸を膨らませた。そうだ、自分たちが使えないからと言って他の劇団が練習していないとは限らない。ちょっとだけ、ちょっとだけなら、見ていってもいいかもしれない。テティスはそっと遮光カーテンに手をかけると、その光景に息を呑んだ。


薄暗い舞台裏からは想像もつかないほどきらびやかな舞台上で舞う役者たち。凛と張られた声が歌うように優しく、時に物語の雄々しい筋をなぞるように逞しく荒らげられる。そして何よりも、舞台に生きるこのときを輝かしく映し出す彼らの瞳。

テティスの脳裏にいつか見た光景が甦る。そうだ、やっぱり。この景色が好きで、自分はーーーー。


「えっとお…どちらさまですかあ?」

「へ?え、あ。す、すいません!」

「きゃあ!?」


後ろから声を掛けられた驚きで反射的に頭を下げると、ちょうど真後ろにあった声の主の頭と勢いよくぶつかった。ゴチン、と鈍い音がしてよろけた少女をなんとか支える。ちょうど場面が盛り上がっていたおかげで、音のせいで不法侵入が露呈していまう事態はなんとか避けられたようだ。


「ご、ご、ご、ごめんなさいっ!大丈夫ですか…?」

「はいぃ…大丈夫ですう、こちらこそごめんなさい。あの、入団希望の方とかですかあ?」

「いえっ、ただ見ていただけですっ!ほんとすいません、失礼しました!」

「あ、ああっ!…行ってしまったですう…」


テティスがぶつかったのは、毛先をくるりと巻いた肩までの髪を一つに束ねた少女だ。蜂蜜のような甘い色の前髪の隙間から、出来立てのたんこぶが顔を覗かせている。彼女はしばらく唖然としていたが、うなじに冷たいおしぼりを当てられて、一瞬の後に我に返る。まったく、踏んだり蹴ったりというやつだ。


「わひゃあ!?」

「あーあーあー、色気のない声出しちゃって。で、今の誰よ。お前の男?」

「ちちち違いますう!リナは彼氏なんていませんからあ!」

「そうなのかよー、つまんね。てかそろそろ自分のこと名前呼びすんのやめろって。ガキかよ」

「むうう…」

「むくれても可愛くないって。…さっきのやつ、アザレア劇団の紋印付けてたよな」

「ふえっ?アザレア劇団…ですかあ?」

「…さっさと飲み物持ってこいよ、団長キレるぜ~」

「っあああ!忘れてましたあ!待ってくださいよお、センパイ!」

「知るか、テメーの仕事だろうがよ」


あわただしく仕事へと戻ったリナを呆れた顔で見送って、少年はテティスの出ていった扉の方を睨む。少年の腕にはカトレアの花を模した刺青が黒く咲き誇っていた。



「お・そ・い」

「誠に申し訳ございませんでした」


小ホールの扉を開く。ギイと頼りない音をたてるパイプ椅子に足を組んで蔑んだ目線を向けるアリッサ、そして頭を地面に食い込ませて土下座するテティス。それを見て大口を開けて笑っているのが、アリッサの母でありアザレア劇団団長の、レオナルド・パーソンズだ。


「いやあ、相変わらずお前ら仲がいいな!」

「どこがよ!」


飄々と言ってのけるレオに、食ってかかるアリッサ。傍目から見ると全く似ていない親子にテティスは苦笑いを溢した。


「で、どこで何してたのよ」

「大ホールでどっかの劇団の練習見てた」

「はああ!?」

「あっはっはっ!こりゃあいい!やっぱりお前最高だなあ、テティス!」


アリッサは悪びれもしないテティスに眉間を押さえて溜め息を吐くが、レオはやはり気に入ったとばかりに大笑いをするだけである。先程までのきらびやかな光景の魅力を矢継ぎ早に語りだすテティスの顔は興奮で頬が赤く染まり、床に擦り付けていたおでこも相まって林檎のようである。


「…どこの劇団か知ってて見てたの?」

「いや、でも凄かったよ!結構大手かも…」

「“カトレア劇団”だよ」

「…テティスが見てたのは、カトレア劇団。ミネルヴァ王都最大手の劇団よ」

「本当か!?いやあ、通りで」

「そもそも他の劇団の練習をアポ無しで見るんじゃないのこのおバカ!」

「だって…声が聞こえたらそりゃ見たくなるだろ、役者としては!」


拳を握りしめて力説するテティスの頭を、アリッサは渾身の力を込めて叩き落とす。


「ハァ…母さん、本当にこんな奴が主演でいいの?」

「まあ実力は折り紙つきだしなあ。ということでテティス、頼んだからな!」

「え…え?何が?」

「宮中芝居よ、宮中芝居」

「今回の宮中芝居“剣将カナエ・ヘイクス”の主役をお前にしようと思っているんだが、もちろん受けてくれるな」

「え?…えええええええ!??」


夢の舞台に立てる。それだけでなく、自分が主演だなんて!

そういえば、先程のアリッサの意味深な目線はこのことに関してだったのかと考えると合点が行く。

テティスは自分の心臓が早鐘のように鳴り止まないのを感じていた。それは興奮であり、また言いきれぬほどの悦びであった。


「ヒロインのアイナ・シェンデルフェール役はアリッサだ。お前ら、くれぐれも仲良く頼んだぜ」

「アイナ…カナエの幼なじみの占い師だよね。絶対に外れることがない占いの人」

「ああ、その他のキャストは追って連絡する。今日は帰ってゆっくり休んでくれよ」

「分かった。…レオ、アリッサ!」


「ありがとな!」


上気した顔で興奮を抑えきれず足早に去っていったテティスに思わず溜め息を吐いたアリッサに、レオは笑顔を見せる。


「やっぱりテティスで良かっただろ?」


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