僕と劇団
はじめまして。なろうさんには初投稿で緊張しています。
ほのぼののんびり書いていけたらいいなあと思います。
どうぞよろしくお願いします!
テルプシコレを語る上で欠かすことの出来ないものが、この国を守る自衛組織「オリンポス」の存在である。
現在のオリンポスとは、十二名の隊長の元で組まれた全ての国営部隊のことである。しかしその結成の裏には我が国の建国の歴史が確かに絡んでおり、新興国であったころのテルプシコレから現在にかけての発展において、オリンポスの勇士たちがいかに必要不可欠な存在であったかを知ることができる。
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我が国テルプシコレを興したのは、後の世に「新興王」と呼ばれるミネルヴァ・マックイーンである。彼は当時無名だった十二人の腕利きを連れ、世界の果てを目指して海へ旅立った。何日も、何ヵ月も、何年も波に揉まれながらようやく辿り着いたのが、現在のテルプシコレ、当時は広大な樹林の生い茂る鉱山島であった。ミネルヴァたちはこの地を自分達の世界の果てとし、土地を拓いて国を興した。この国が現在私たちの暮らす、テルプシコレである。
ミネルヴァと十二人の勇士たちは、旅の途中保護した各地の孤児たちをこの国の最初の国民とし、さらに十年の月日を重ね、どの国の出身の者でも差別偏見なく新しくテルプシコレの国民として迎え入れる体制を整えた。この体制があることにより、我が国は現在でも多民族の共生する世界最大の貿易国として経済の中心となっているのである。
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ミネルヴァと十二人の勇士たちは時と共に老い、還らぬ人となった。しかしミネルヴァの意志を継ぎテルプシコレの地を治めた彼の三人の息子たちは、十二人の勇姿と優しさを讃え、この国を守る自衛団として彼らの名を後世まで伝え残した。それが現在のオリンポス自衛団である。
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十二人の勇士たちの名は、現在もオリンポスを束ねる十二人の隊長の冠名として多くの国民から敬愛と絶対の信頼を寄せられている。
《テルプシコレ国営魔導学校 国史論指導書より抜粋》
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テティスは演じることがなによりも好きだった。
天気のいい日は誰もが忘れ去ったような公園へ赴き演舞に身を委ね、雨の日には自宅で膨大な量の本を読む。テルプシコレの演劇は、この地を守ってきた勇者たちの半生を描いたものばかりで、それはもちろん活字としても残されている。幼い頃母が読んでくれた物語の勇者様に憧れ劇団所属の役者になったテティスは、戦の中に身を置き剣を振るい民を守るオリンポスの勇者たちのことを相変わらず飽きもせずに敬愛しているのだ。
昨晩の夜更かしが祟り、本日の目覚めは午前10時。
仕事を全う出来ないままに床に転がり落ちている目覚ましを拾い上げ、昨日焼いておいたパンを無理矢理に詰め込んで頬張った。
擦りきれたブーツを引っ掛けて、雨上がりのいつもの街を駆けて行く。
取れたてフルーツや色とりどりの特産野菜がところ狭しと並ぶ市場で余所見をしながらも、体は目的地の方向を向いたままだ。
袖口に跳ねた泥を目にしたお節介な店番のマダムたちの話にはほどほどに付き合って、開けた場所にようやく見えてくるのが大都会テルプシコレの中でも特別目を引く豪華な建造物“アザレア劇場”である。テティスは発色の良い朱を見てニッと口角を上げると、そのまま劇場ーーーではなく、その影に寂しく佇む小さな六角のテントに向かった。地面を蹴る足取りは羽のように軽い。
「おまたせ!」
「一時間遅刻よ!!」
テントを捲ると、小さな急拵えのステージの上で、愛らしい顔の少女が仁王立ちをしていた。背中まで伸ばした赤毛を耳の上で二つに括り、高級さは感じられないが機能性のありそうな履き込んだブーツの踵を忙しく鳴らしている。小鹿のようにこぼれ落ちそうな大きな瞳で、力強くテティスを睨んでいる。どうやら相当ご立腹のようだ。
テティスは、悪いと言う代わりに目配せをして彼女に謝る。少女はまだ不満があるようではあったが、それよりも急く気持ちが勝ったようで、テティスに座るように指示してブーツの踵をもう一度コツンと鳴らした。
「これで全員揃ったわね。…今日みんなを集めたのは他でもない、今年の宮中芝居について話があるのよ」
“宮中芝居”という単語を聞いて、ざわめいていたテントが水を打ったように静寂へと身を落とす。
「私たちアザレア劇団はこれまで、王都であるミネルヴァに拠点を構えながらも宮中芝居の名誉ある座を、毎回ことごとく“カトレア劇団”に奪われてきたわ」
「…テティス。宮中芝居って、なに?」
「あ、そっかシーヴァはまだ入団2年目だっけか。宮中芝居ってのは、3年に1度開催されるテルプシコレ王宮主催の文化展覧会のことだよ。それの演劇部門のことを宮中芝居って呼ぶんだ」
小さくテティスに声をかけてきたのは、裏方として2年前に入団したシーヴァ・クライトンである。歳はテティスと同じで、くすんだ銀色の髪と同じ色の大きな瞳がいつも不安げに揺らいでいる。透き通る雪のように白い頬の上に雀卵斑が薄く色付いていて、一見すれば中性的な外見の少年だ。
「今回は特に記念すべき100回目の宮中芝居ということもあって、テルプシコレの劇団はどこも気が立ってんのさ」
「そうなのか…大変なんだねえ」
「何言ってんだよ、今年からはお前も他人事じゃねーんだぞ。気合い入れていかねーとな!」
「う、うん…!」
「まあそんなに気負わせんなって、グラント」
「おうテティス、うちの看板役者さまはヨユーでなによりだぜ!」
狐のような細面で切れ長の目の顔立ちの少年が、テティスに小突かれてにしし、といたずらっ子のような笑い声を上げる。グラント・コールリッジは、役者志望の将来性のある若者だ。テティスを弟のように可愛がっているが、役者としては目標にするべき目上のライバルとして純粋に尊敬するというストイックな面も持ち合わせている。二人のように年下からも好かれる兄貴分だ。
「ご丁寧に説明ありがとう、グラント、テティス。それで、そろそろ私が話しても大丈夫かしら?」
「ゲッ、アリッサ…ど、どうぞ…」
「ゲッとはなによ、ゲッとは!…ごほん、カトレア劇団は大人数舞台を得意とする古参の劇団で、ミネルヴァ直属近衛兵団“オリンポス”の勇者さまのお芝居を上演する宮中芝居向きのスタイルなのよ。それに、私たちアザレア劇団の少人数精鋭が勝てるかって話だったんだ・け・ど…」
アリッサの目が鋭く輝く。自由人な団長の母に代わって劇団を取り仕切る経営者、アリッサ・パーソンズの瞳だ。いつもの愛らしさを残すその顔に笑みの一つもなく、集った劇団員たちは揃って唾を呑んだ。
「今年の宮中芝居は…」
ドクドクと一体化した心臓の音が耳に届くほどの緊張感が、狭いテントに漂う。ぴたりとざわめきの無くなったそこは、先程までとは全く違う空間だ。
柄にもなく真剣な表情をした劇団員たちは、互いに顔を見合わせる出もなくただ拳を握りしめている。
アリッサが口を開いた。その顔に笑みはない。また宮中芝居はカトレア劇団に奪われてしまったのか、言葉を飲んだ団員たちが俯いたその時ーーーーー。
「喜びなさい!我らがアザレア劇団に、決定よ!!」
アリッサの凛とした鈴のような声をかき消すほどの大歓声がテントを揺らす。ハイタッチし合う劇団員に向けて、アリッサは国認印の捺された羊皮紙をずいと出して見せる。
流れるような文字のサインは何と書いてあるのか読めないが、一番上に丁寧に書かれている“テルプシコレ主催文化展覧会”の文字がその喜びを実感として湧き出させてくる。
宮中芝居は、テルプシコレ在住の役者たちにとって共通の夢だ。
特にここ数年はカトレア劇団がその座を占拠しており、他の劇団で宮中芝居を勝ち取ることは困難だと言われ続けてきた。そんな夢の舞台が、いま現実として目の前に在る。
テティスは茫然と立ち尽くしていた。サインの横で虹色に揺らめく魔力印が瞳の奥をちかちかと刺激するのを、まだどこか他人事のように考えていた。
「なーにマヌケ顔してんだよテティス!夢の宮中芝居だぜ?もっと嬉しそうな顔しろよな」
「テティス、王宮行けるんだよ!勇者さまたちに会えるんだよ!僕、心臓止まっちゃいそうだよ!」
「ほら、こいつなんかさっきまで知らなかったくせにこんなにテンション上がっちゃって。小道具壊すんじゃねーぞ、シーヴァ!」
「う、うん!」
「宮中芝居…俺たちが…」
テティスの瞼の裏を、いつかの光景が駆け巡る。
七色に光輝くライトが舞台を照らし、大きなステージは幻のようにその情景を映し出す。よく通る声が鼓膜を震わせる感動。目の眩むほどの目映い今を生きる役者たち。
いつかあの場所に、自分も立ちたいと思っていた。幼い頃から憧れてきたあの舞台が、自分のものになるのだ。テティスは喜びにぐっと拳を握りしめた。
「役者は話があるから残っておいて、順に呼ぶわ。大道具と小道具は道具の修繕。舞台・音響・照明はそれぞれどこででも構わないから打ち合わせして明日報告。終わったら各自解散してちょうだい。以上!」
ざわざわと人為的な音を残すテントの中で、奥へと去っていくアリッサが物思いにこちらを見つめていたような気がしたが、意図が分からずテティスは一人首を傾げる。
夏の終わりの土の匂いと、ほのかに混ざる国認印の焼けた香りが、風と共にテティスの柔らかい髪を揺らした。