大学改革委員会!2打目
1.うぉーみんぐあっぷ
例えばですね、冬も近づいたちょっと憂鬱めな日に道を歩いていたとします。そこは一応街の幹線道路で、車もそれなりに通ってたりします。私や、あるいはあなたがそんな所をスニーカーでぱたぱた、と歩いていたとしましょう。
そこで子供が道から飛び出してきて、しかもおりしも、そこへ車が時速40kmで走り込んでくるという、お約束的で尚且つ危険な状況に直面した場合。
さて、どうしましょう?
これはやはり、例え時間がないにしても、考えて、的確な判断のもとに行動するべきです。腕を振り回して運転手にハンドルを切るよう命令するもよし、子供にかばんをぶつけて進行を食い止めるのも、乱暴ですが手段のひとつでしょうねえ。
私は頭にかぶった植木鉢の土を右手で払い除けながら、左手で抱えた子供の姿を確認しました。どうやら無事のようです。むしろそうでないのは私ですかね。
硬い、そして冷たいアスファルトの感触を間近にしながら、私はほんの15センチ前を眺めました。そこには多層式塗装をほどこした赤い乗用車の車体がありました。私の体を掠るようにして私を後ろの家の玄関に跳ね飛ばし、そのまますぐ横のレンガ壁に突っ込んだ一台の車の姿がありました。
とほほ。結構、考えてる暇なんてないもんですね。
積尸気大学内サークル「大学改革委員会」1年生、戸建真実、つまりわたしは大きく息をついて呟いたのです。
「どうしたの?そのカッコ……」
なんとか部室の扉を開け、右足にギプス、松葉杖をついて入ってきた私の姿に、『大学改革委員会』の一人である紅花咲夜さんは私を見、その手に似つかわしくない茶色のグローブを叩きながら、呆れたようにOAメガネを光らせ、言いました。
皆さんが囲んでいた部屋の机には『教材』であるところの「ドカ○ン」や「あ○さん」、「山下○ろーくん」といった漫画の数々やプロ野球名鑑・名プレー珍プレー大賞と書かれたDVDエトセトラが大量に積まれています。
「あはは……これはまあ……」
私が事情を話すと、咲夜さんは本当に呆れました。
「ふうん。成る程ねえ」
「で、どうする気だ?真実。人数はお前も入れてぴったりなんだぞ」
そう言ったのは、この『大学改革委員会』の委員長、虎商七十八先輩です。普段は変態じみた行動の目立つヒトですが、今はとりあえず正常のようです。
「さっき沙雷さんに連絡しました。予定を切り上げて、来てくれるそうです」
「ようし。鉄華の奴が向こうでみんなを集めていてくれてる。早速行くぞ」
バットを握り締め、委員長は立ち上がりました。
「あら。大きいバイクね。誰の?」
右手に木製のバットを持ち、あれからしばらくして大学のグラウンドに現れた朝風沙雷さんは、私が座っているベンチの脇に置かれた『ななはん』のバイクに気が付きました。彼女は大学の劇団を辞めてから暇なのか最近委員会の部室(分かってますが、この方がしっくりくるんです)によくやってきます。
私は口で言うよりも実物を見せた方が早いと思いました。手の中でくるくる、回していた硬球をわっし、と握り締め、まっすぐ突き出します。別に打者に挑戦してる訳じゃないですよ。人を指差すのはよくないって、言われるでしょう?
「あの人です」
私の視線の先にはあのバイクには大層似合う、しかしマウンドでは反比例するほどによく似合わない、ばりばりのレーシングスーツを上半身だけ脱ぎ、上はTシャツ一枚で楽しそうに、しかも景気よく豪快に投球練習をしている女性がいました。
沙雷さんが言いました。
「美人ねー」
「上原鉄華さん、うちの大学の文学部英文学科の三回生です。『委員会』の人たちは割と頭脳派な人が多いんですが、あの人は唯一といっていい肉弾派なんですよ。ああ見えても怪力が特技で、あの通り馬鹿でかいバイクもお手の物です。本人曰く、チャームポイントは癖のないロングヘアだとか。動きにくいんじゃないかと思うんですがね」
「そんなことないわよ。いざとなれば編んでお下げにしちゃえばいいもの」
ん~。同じロングの沙雷さんに反論されてしまいました。
「失言でした」
「いいのよ。ところで根源的なことを聞くようで悪いんだけど、いきなりわたしをここに呼び出して、一体なにをさせたいわけ?」
「……野球をしにきたのは分かりますよね?」
「……あなた、わたしを馬鹿にしてるの?人にバットもたしといて」
「睨まないで下さいよぅ。実例がいるんですよ。グラブを手に填めてるのに、30分前まで自分がボーリングをするつもりでいた人が。ちなみにそれはあそこでOAメガネを掛けてるあの破壊プログラマさんですが」
1、2、スリー!と楽しそうな女性の叫びが響きました。
「あそこで硬球をフォールして大喜びしてる人ね。プロレスと勘違いしてるのかしら?」
私は無言こそが名誉を保つ唯一の手段だと思いました。
「それはそうと、知らないとは言わないけど、わたしだって野球は上手じゃないわよ。あなたたち人脈は広いんだから、もっと腕の立つ人を探した方がいいんじゃない?」
「いえ?そんなものは一切必要ありません。メジャーリーグどころか日本シリーズを知らない人でも充分つとまります。それこそ子供でも」
沙雷さんは、私の嫌みったらしい言い回しにももう慣れてしまわれたようです。
「つまりわたしは子供なわけね。すると今日はどこかのチームの景気付けの壮行試合か、何かそれとも他の余興なの?」
「いいえ。至って切実な賭け試合です」
私はさらりといってのけました。沙雷さんは急に顔色を変えて、
「賭け試合?ちょっと!」
「大丈夫です。これはお金をテーブルに載せる訳でもなければ、学校も承認しているんですから。それに勝つ必要はまったくありません。
むしろ、負けるべきなんですよ」
「それって、八百長じゃないの?」
2.一回の攻防
「八百長ではないんですよ」
一回の表、守備側『委員会』、上原鉄華さんの投球。
ストライク、ストライク、ストライク、アウト。
ストライク、ストライク、ストライク、アウト。
ストライク、ストライク、ファール、ストライク、アウト。一回表は終了しました。
「鉄華、お前今回の試合の趣旨が分かってるんだろうな?」
チーム識別のために仕方なくかぶった帽子をくるくる回しながら帰ってきた鉄華さんに、一応キャプテンの委員長(?)は泡を吐きました。そのまま蟹にでもなってくれれば有難いのですが、残念ながら自然は非情です。
「虎商先輩、これがわたしなりの『野球の王道』なんです。敵に一点も取らせないで、緊張する試合を展開するってのは、しっかりと『野球の王道』してるじゃないの!」
鉄華さん、本当は何も考えずに思いきり試合がしたいだけなんですよ、と私はサードから戻ってきた沙雷さんに耳打ちしました。無論こっそり、とです。
「『野球の王道』?」
不機嫌さを隠そうともしない鉄華さんを遠回りするようにベンチに座った沙雷さんは、まだ手に馴染まないグラブをぐにぐにしながら、その単語について不思議そうに聞き返してきました。
「『野球の王道』。
正直なんだといわれると、わたしも困るんですが・・・。
委員長の言から解釈するならば、
野球の試合(漫画ドラマアニメ含む)でのお約束というか、熱い展開には欠かせないプレイスタイルというプレイというか。
ものすごくぶったぎって言うならば、『カッコいい又はイケてるプレイ姿』というところでしょうか。
元はと言えばね、『それ』が始まりなんですよ」
私はため息をつきながら、経緯を説明します。
「一週間ほど前のことでしょうか、うちのあの委員長と大学の野球部の部長とが高校時代の腐れ縁とかいう奴で、一緒に飲んだんだそうですよ。
そこで二人は最初は―最初だけは冗談のつもりで『野球の王道』というものについて話し合ったんだそうです」
「それが、どうして賭け試合になるの?」
「するとやがて二人は喧嘩を始めました。勝つことが第一で、王道なんぞは二の次だ、という部長さんと、スポーツに王道は欠かせないという委員長の意見とが、ここではっきり袂を分ったわけです」
「どういう話の転び方でそうなったかはよくわからないけど・・・。
戸建さん、あなた、どちらかといえば野球部の部長に同情してない?」
いたずらっぽく言った沙雷さんに私は少し意表をつかれました。
「・・・ん~。その通りです。よく分かりますね?」
「なんとなく口調でね。年の功ってやつよ」
「なるほど。ではささやかな勝利感をかみしめていてください。それがあなたの、私に言い負かされつづける人生の、たったひとつの栄光です」
「・・・あなた、図星をつかれるとわざとらしいぐらいに口調が嫌ミ的になるわね」
「それはともかく、じゃあ実際に試合をしてみようということになったわけです。ついでに野球部における強引な部員の勧誘の自粛と、委員長の度々にわたる女子更衣室ののぞきの永久禁止を賭けの景品にして、学校側に承認させたんですよ」
「ふ~む、賭けの対象にするにしては、随分と落差があるような気がするけど……。でも強引な勧誘をやめさせるっていうのはさ。
あなたたち委員会の仕事的にはさ、重要なことじゃない?いいの?負けちゃっても?」
「どっちも早めに止めさせた方がいいことは確かですけどね。前者の方はもともと問題も複雑だから、2~3年ぐらいの計画でじっくりやっていくつもりで、プランも一応できていたから別にいいんです。それよりも、後者の方がよっぽど問題だと思いませんか?」
「だから負けた方がいいっていったのね?」
沙雷さんは困ったようななんともいえない顔をして
「・・・結局、わたしはどうすればいいわけなの?」
「どちらでも。この試合はややこしいんですよ。
所詮は二人のノンダクレの酔狂ですからね。
勝ち負けの基準は判然としませんけど、要するに、向こうは自己矛盾がありませんから、思いっきり勝つつもりでかかってきます。対するこちらは、勝つためには二通りの条件を満たさなければいけません。
すなわち、『野球の王道』とやらを自分で定義づけ考慮しつつ、試合にも勝たねばならないんです。ただしこれは、あくまで委員長個人の勝利基準です。
沙雷さんには選択の自由があります。
①『王道』をおさえて試合に負ける(賭けには勝つが試合には負ける)か、
②思いっきり勝ちを意識したプレーをして、『王道』を踏み外すかしたことで、わざと負けて(賭けにも負けて試合にも負ける)も、ここにいる約一名以外は誰も責めません。
試合の勝利にこだわるのも自由ですが、そこでも、
③勝ちに走る(試合には勝つが賭けには負ける)か、
④それとも『野球の王道』を踏まえつつ勝つ(完全勝利)か。
どれを選んで下さっても結構です」
「じゃあ、④にしようかな」
「・・・どうしてです?」
想像に窮して、つい口にした私の疑問に、沙雷さんは悪びれもせずに、答えてくださいました。人差し指を力強く上げて、にっこりと。
「だってあの人(委員長の事です)、結構ルックスいいじゃない?多少のお茶目は許してあげようって気は、しない?」
私は頭を抱えました。断固として人間を見た目で判断してはいけない!、と私は考えたものです。とほほほほほほ。
さて、皆さんならどれを選びます?
3.三回の攻防
正直云って、悪夢のような試合だったと、私は記憶しています。
とはいえ相手は現役野球部、いくら『野球の王道』といったところで、そうそう上手いことやれるものでもありません。展開としては当然こちらは零点、しかし向こうも鉄華さん(彼女は③を支持しています)の好投もあってさくさくと試合は進みました。
三回裏のことです。
「ねー、鉄華」
委員会の一人、紅花咲夜さんは無邪気にこう言って、今まさに4番打者として打席に立とうとした鉄華さんに滑るようにすりよっていきました。この人も不思議な人です。どうしてコンピュータの前ではあんなにテキパキ明晰な感じなのに、それ以外の場所ではこんなになってしまうんでしょうか?
どちらかといえば毒リンゴを渡す赤ずきん(童話とは違いますが)のような怪しさに、鉄華さんも、眉をひそめます。
「なに?咲夜」
「実はねえ、わたしも、『野球の王道』について考えてみたのよ」
「珍しいわね。それで?言ってみなさい?」
「それでねえ、早速赤バットを用意したの」
「……いきなりで悪いわね。理解しがたい方向へ話が進んだわ。どうして赤バットなの?」
「ネットで軽くググってみたのよー。
だっていいバッターはバットにもこだわるじゃない。わたしは運動神経がないから何を振ったって無駄だけど、あなたはやはりバットにこだわるべきよ。ね?」
「なるほど、それで『川上の赤バット』ってわけか。たまらないくらい古いネタだけど少しは考えたんだ」
「それでねえ」
咲夜さんはおもむろにベンチの下から、……どう考えても出所を疑いたくなるような黒ずんだ怪しい木箱を引っ張り出しました。
「それで私の考えたのは、何で赤く染めるかってことなの」
誰も何も言えませんでした。
「それで三本ほど用意したんだけど、どれがいいか、あなたが選んでちょうだい。
まず最初はあまり御利益はなさそうだけど、完熟した真っ赤なトマトで染めたバット。
次は御定番、血染めのバット。効果抜群だと思うわ。
最後は私にもよく分からないもので染めたバットよ。御利益は未知数ね」
のほほんとしたその笑顔にはひとかけらも悪意も感じません。
差し出された、いずれも怪しい三本のバットを前にひきつりながら、鉄華さんは懸命に言い返しました。
「真っ先に確認したいんだけど、二本目の、この血は冗談よね?まさかあなたが自分の血を使ったとか?」
「そんなの痛いじゃない。もちろん冗談よ。もちろん献血センターやブタの養育場にも行ってないわ」
「言わないで!具体的なことは言って欲しくないから!
それで?三本目は一体何で?」
三本目の赤いバットを握りながら鉄華さんが尋ねると、
「カイガラムシっていう虫の色素がね」
「虫ィ!?」
慌ててバットを放り投げる鉄華さん。もの凄い形相で咲夜さんを睨み付けます。
「何言ってるの。コチニールって言って食品とかにも普通に使う着色料なのよ?」
「そ・・・そうなの?」
「まぁそのバットはカイガラムシじゃなくて適当に私が集めた虫で染めたんだけど。思ったよりは綺麗に染ま・・・」
途中から咲夜さんの体は宙を走っていました。かよわい悲鳴を上げる彼女をかつぎあげて、憤怒の表情に自分の顔を真っ赤に染めた鉄華さんはそのまま、破城槌を持って特攻する突撃兵のように近くのプールまで走って、
「あんた、コンピュータおたくなら許してあげるけど、ネットで拾った知識で適当なことやるなっていつも言ってるでしょうがぁぁぁ!」
鉄華さんは「どっせえい!」と威勢の掛け声と共に、咲夜さんをプールに放り込みました。ちなみに咲夜さんはカナヅチの転生と思えるほどに泳ぎが下手です。まぁ服着たままだと大抵の人間は間違いなく溺れますが。
「あれ?真実はどこ行ったの?」
戻ってきた鉄華さんは私を探していましたが、いません。沙雷さんが答えてくれました。
「骨折した足が痛いって、保健センターに行きましたけど?」
「くそ、逃げたわね」
鉄華さんは悔しそうに去っていきました。やっぱり私に人工呼吸をさせるつもりでしたね?冗談じゃありません。
10分は水道場から帰ってこなかった鉄華さんは一応トマトのバットで打席に立ちましたが、三振でした。
同じく3回の裏、6番サード、朝風沙雷さんの打席。
沙雷さんは何か考えでもあるのか、じっと相手のピッチャーに視線を送っています。
一球目はストライク。インハイに、力の入ったストレートでした。さすが野球部、いいコントロールしてますね。
二球目もストライク、インローに深く切り込むシンカーでした。これはさすがに沙雷さんみたいな素人さんにはつらいでしょうねえ。しかし彼女はそれでも、ボールを見送ったその表情には余裕がありました。ひたすらピッチャーに視線を送っています。私は少し怪訝に思いましたが、まあ私の知らない何かの裏技でもあるのかもしれません。
そして、三球目……やっぱりストライク、アウトでした。しかもすっぽ抜けたのか、ど真ん中の棒球だったのです。ん~。
結局ただ相手に視線を送っていただけの見送り三振です。さすがにというか、小首をかしげて帰ってきた沙雷さんに、私は話し掛けました。
「どうでした?」
「変ねえ」
「………………何がです?」
「『安打製造機』がね、上手くいかなかったの。ねえ戸建さん、無数のバットがみえたりしなかった?」
そんな古いネタ、誰が分かるもんですか。
4.五回の攻防
五回の裏、唐突ですがチャンスでした。
4番の鉄華さんがまさかのバントで出塁、5番の咲夜さん(打順はくじで決めました)がデッドボール(通りかかったいい男につられて顔を突き出しちゃったんですねえ)で出塁、6番の沙雷さんはそれで調子を崩したピッチャーがフォアボールで出塁したのです。
しかし後続の7番、8番は続いて三振。二死満塁です。
そしてこの人の打順なわけですね。とほほ。
我等が委員長、虎商七十八先輩は不敵な(実際にはあっちもこっちも敵だらけなんですけど)笑みを浮かべ、つかつかとバッターボックスに歩み立つと、ピッチャーに向けてバットを突き出してみせました。ちなみに、そのさらに後ろの二塁には先程後頭部に打球が直撃した咲夜さんが、まだ涙を浮かべながらロングヘアをさすっています。
「よう諏訪ノ森、見ろ、これが『野球の王道』ってやつだ。ちょうど俺の前で二死満塁だぞ。まるで俺が満塁ホームランをかっとばすためにしつらえたみたいじゃねえか」
「(ちょっと遠い感じで)痛~い」
「お前はなにもしてないじゃないか。大体七十八、お前は人脈広いわ見かけだけはいいわ話題は豊富だわ、しかもスポーツも実は得意だが変態だ。変態が逆転ホームランを打ったってさまにはならん」
このピッチャーさんが、実は委員長の高校時代からの友人というやつで野球部の部長の諏訪ノ森昭彦さんです。今はユニフォームを着てらっしゃいますが、普段はなかなかお洒落な人で女の人にはもてるそうです。私は興味ないですけどね。
「じゃああの人にも聞いたの?自分が男か女かって」
「ええ。一分考えたのでアウトにしました。それだけですよ、沙雷さん。勘ぐったって無駄です」
「で、ホントのところは?」
「もちろん秘密です」
憮然とする沙雷さんをおいて、視線をマウンドに戻すと、舌戦はさらにエスカレートしていました。
「前から諏訪ノ森、お前は気に入らないんだ!ピッチャーで4番なんて出来すぎだ!しかもファッションなんぞに気をつかいやがって澄ました顔もしやがって!男なら誰だってこう、なんていうか本能みたいなものがあるはずだろうが!もっと正直になれ!」
「やかましいわ!お前は本能どころかとっくの昔に獣じゃねえか!大脳新皮質の進化を勝手に止めやがって!お前はな、生物学的に見ても人類の敵なんだよ!
高校時代の俺のふられ文句を言ってやろうか!
『すみません、わたし虎商さんの友達とはお付き合いできないんです』だぞ!?
お前は俺の敵だ!この縁切りハサミ男め!」
「なにお!お前に野球を教えてやったのは俺なんだぞ?」
「嘘付け!今考えるとお前の教えてたのは野球じゃない!ボールに棘がついてたり、打球に火薬の臭いがしてベンチをふっ飛ばしたりするのは何がなんでも野球とは呼ばん」
「いいじゃないか、それで野球に興味を持てたんだろ?」
「俺はな………」
ようやく会話の不毛さに気付いたのか、ピッチャーさんは、問答無用とばかりに大きく振りかぶって投球モーションに入りました。
身内の悪ノリのような会話でしたがこの委員長は常時こんな感じですので悪しからず。
「そういうお前の阿呆さ加減が大嫌いなんだよ!だがな、その変態じみた阿呆こそがお前の弱点だ!」
妙な長ゼリフの割にちゃんとしたボールが投げられたもんです、と妙に感心。
「甘い!」
逆光に目を光らせて、虎商先輩のバットは、なんと140キロはあろうかというスピードボールを完全に捕らえていました。私が感嘆の声を挙げる間もなく、白球はダイヤモンドに向かって跳ね返り、ファーストの頭上を遥か越えて、後ろに控えていたレフトのミットをすりぬけ、飛翔していきます。委員長は会心の笑みを浮かべつつ、ダッシュを開始します。
「甘いわコラ!」
その瞬間動きを感じて、私はふとピッチャーさんに目を向けました。するとなんと、彼は………なんと、わんちゃんが喜びそうな骨を一本取り出したのです。しかもあろうことか、こう叫びつつ、委員長に向かって投げつけました。
「そらポチ!とって来うい!」
空を駆けるその影に、何か大きな影が食いつくのを私は確かに目撃しました。
まさかね、人間様がそんなことするわけないじゃないと思ったあなたは大間違いです。
『大学改革委員会』委員長、虎商七十八は5回裏、あろうことか飛んできた犬の骨に食いつき、ベース間に引かれた白線から3m離れたかどでアウトになりました。Byルールブック。
その委員長がベンチの裏で簀巻きタコ殴り風味になりつつ、試合は続きます。
そして7回裏ツーアウト、全員凡退で再び沙雷さんに打順が回ってきました。
ついでにあっさりツーストライクにまで追い込まれます。
「ちょ、ちょっとタイム!」
そう言って沙雷さんは私を呼び出しました。私はひょこひょこと松葉杖をついて、バッターボックスまで御足労します。
「ねえ戸建さん、予告ホームランなんて、しっかりと『野球の王道』してないかしら?」
私は大袈裟なくらいに顔を半眼にして、いかにも呆れと疲れが全力疾走した後に肩にのっかってきたような表情をして答えます。
「今はツーストライクですよ?何を言ってるんですか?」
「でもカッコイイと思わない?」
「そのポーズはですね、やっと後に必ず失敗するっていう方がよっぽど『お約束』ですよ。まだ一本足打法でもやった方がましです」
「一本足打法?」
沙雷さんは私のその言葉に目を輝かせました。「ねえねえ教えて!」
私はごく当然のように言いました。
「まずバットを水平に構えてください。水平に構えたら目を閉じて無心でぐるぐる回ってください。するとその勢いでバットにボールがあたってホームランです」
「……ホント?」
「大丈夫です。ルールブックにもそんなことしちゃいけませんなんて一言も書いてませんから」
果てしなく口からでまかせ言ってみただけでした。
いやあ・・・本当にやるとは思いませんでした。
そんな目でこっち見たって知りませんて。
とりあえず携帯カメラで撮影したその勇姿は封印しておきますね。
5.9回裏のお約束
野球部000000003 打点0 失点0
委員会00000000? 打点0 失点0
(某月某日 16時35分現在のスコア)
え?どこかおかしいって?
試合は予定通りというか何というか、要するに大詰めを迎えていました。ようやく悪夢に決着がつく時が近づいた訳です。
ま、このスコアも悪夢の一端といえばその通りでありますけどね。
その張本人の上原鉄華さんは今、私の右隣で憮然たる面持ちというやつでぶつくさいっておられます。
私はそれを見て至極もっともなことをいうことにしました。しかし、世の中、もっともなことをいう者は必ずかみつかれる運命にあるものです。
「そんな顔したってですね、鉄華さんがいけないんですよ」
はたして鉄華さんは、エサを取られた猛獣のような険しい顔付きでこっちを見ました。
がうううう、という擬音がよく似合う顔です。
「いけないのは委員長よ。あの野球部の連中よ!わたしは真面目に投げてただけじゃない!」
「私たちは『野球の王道』にのっとって勝たなくちゃいけませんからね。でも鉄華さんはただ勝つのが目的なんだから、別に彼らがいちゃもんつけたって、無視すれば良かったんですよ」
私がそのように意見を陳述すると、鉄華さんはそっぽを向いておっしゃりました。
「……だって、ただ投げるのにちょっと飽きちゃったんだから」
私はかくん、と頭を垂れました。やっぱりうちの委員会の人間ってお祭り好きが多いんだなあ、とつくづく思い知らされますね。とほほ。
9回表のことでした。
それまで鉄華さんは快調に野球部を相手に無失点を重ねていたのですが、たまりかねた野球部の皆さんが「勝ちを意識しすぎだ!そんなのは『野球の王道』じゃない!」と言われてしまったのです。委員長もなぜかそのウマにのっていました。
それで鉄華さんがどうしたかというと、
「いくら『マサカリ投法』と叫んだからって、相手の頭をかち割ってどうするんですか?あれじゃ退場させられたって文句は言えませんよ?」
ちなみにそのボールを頭に受けた人は先程病院送りになりました。謹んで冥福をお祈りいたします。
「あれは手が滑っただけよ!」
「じゃあ次の『ザトペック投法』はどう説明します?確かに全身を使った豪快なピッチングでしたが全部デッドボールじゃないですか」
「インコースぎりぎりを狙っただけよ!」
私は珍しく感情的になって言いました。
「じゃあ『スプリットフィンガーファーストボール』はただのすっぽぬけですか?『トルネード投法』で文字どおり周囲の人間をなぎ倒してどうするんです?『必殺のアンダースロー』で相手の急所に当ったのは偶然だと主張されるんですか?
冗談じゃありません!あれが故意でなくて一体なんだっていうんですか!」
「故意でやったのは最後のやつだけよ!あの人、ベースに立ってるわたしの体をじろじろとねえ……」
「もう何でもいいんです!私はこの試合に関係ないんですから!私が望むのはこの試合が早く終わってこの頭痛から解放されることだけです!」
そういって私は頭を抱えました。本当にさっきから頭をずきずきします。まあもっとも、ここに来る前に子供を助けて植木鉢が当ったせいかもしれませんが。
1番、2番の人が運良く出塁し、3番の人は三振になりました。4番の鉄華さんがバッターボックスに出て行く時、こっちに険悪な視線を向けているのに気付いていましたが、
私はしらんぷい、といった顔をして誤魔化します。そんな私に沙雷さんが話し掛けてきました。なぜか彼女はにやにやとしています。f
「どうしたのかな?戸建さん?」
「あのですね、私がムキになるのがそんなに楽しいですか?」
「まあね」
悪びれもせず言うあたり沙雷さんもなかなかのものです。
「でも、あなた、今日はなんとなく不愉快そうね?
普段と比べてずいぶん感情的だし。どうして?」
「私、こういう試合は嫌いなんですよ。言ったでしょう?気持ちとしては野球部の人に同情してるって。野球は遊びじゃありません。スポーツです。やるからには勝つことが第一に考えるべきなんですよ」
<どうしてそんなにムキになるの?>という顔を沙雷さんはしてらっしゃいました。
ちょっとばつが悪くて顔をグラウンドに向けると、ちょうど鉄華さんが一塁へ向かっていくところでした。
「フォアボール?あのピッチャーさん、調子が悪いのかしら?」
「違いますよ。満塁策というのとはちょっと違いますが、わずかでも一発の可能性がある鉄華さんを歩かせたんです。次は5番の咲夜さんと、6番の沙雷さんですよね?失礼ですが、お二人ともこの試合の打率がすこぶるお低いようですから、そっちと勝負した方が楽だと思ったんでしょう。あちらは」
「え?打率って、まさかあなた全員の打率とか計算してたりするの?」
「はい」
「ふうん。相変わらず頭がいいのね。
ところで、さっき鉄華さんがあなたになにか言いそうな感じだったけど?」
「なんとか私を言い負かしたいとお思いになったんでしょう。でも、行動にしろ考えにしろ自由にするというのが私たち委員会のモットーですから」
その時、沙雷さんが「あっ!」という顔をしたのに気付いたのですが、遅かったのです。
すぐそばにタイムをとった鉄華さんが来ていました。
その時信じられないことが起きました。鉄華さんは私の右足を強引に掴んだかと思うと、その右足につけてあったギプスを引っこ抜いたからです。
私は信じられませんでした。この状況でそんなことをしたら、どうなるかが明らかだったからです。
「て、鉄華さん!なにをするんです?そんなことしたら。
分かってるんですか?
私たちは、この試合に勝っちゃうんですよ!
何考えてるんですか!」
私は思わず狼狽していて、驚愕する野球部の方々や呆然とする沙雷さんをよそに、さらにまくしたてます。
「ここで私がホームランを打ったりしたら、逆転満塁サヨナラのホームランになっちゃうじゃないですか!それこそ『野球の王道』ですよ!それが何を意味するか分かってるんですか?あの委員長ののぞきを公認しちゃうことになるんですよ!鉄華さん!」
「何言ってるのよ!委員長は殺せば終わりだけど(こらこら)、強引な勧誘に泣く学生が毎年何人いると思ってるの! 野球部の強引な勧誘をやめさせるっていう崇高な目的のためにはそれが何程のものだっていうのよ!」
「……鉄華さんはただ勝ちたいだけでしょう?」私はため息をつきました。
「そうよ!それの何が悪いの?」
私は鉄華さんの顔をじっと見ました。相変わらず猛獣のように歯をぎしぎしいわせてらっしゃいますが、その瞳の中にある「勝ち」への執念がはっきりと見えました。
沈黙。
私は言いました。
「とほほ。仕方ないですね。
今回は鉄華さんの意気を汲んで、私の自由を曲げることにします。でも、今度だけですよ」
私は松葉杖もなしに立ち上がりました。
「咲夜さん。バットを振ってきて下さい。9回二死満塁逆転満塁ホームラン。『野球の王道』を満たして勝つのは、これで充分でしょう?」
私は軽い準備運動の後、バットを持ってバッターボックスに立ちました。2,3度軽く振って調子を確かめると、特に力を入れるでもなく、自然に構えます。
ベンチでは訳のわからなくなった沙雷さんが鉄華さんと話してました。
「どういうことです?戸建さん、交通事故で怪我したんじゃなかったんですか?」
「無事じゃなかったわよ。部室に持ってくるはずだった植木鉢が割れちゃったもの」
「え?」
「あのコがあんなカッコをしてたのは、この試合に出たくなかったから、そういう意志表示だったのよ。あれは。それを無理矢理どうこうする権利は、私たちにはない」
「でも、どうしてそんなに」
「あのコは大学に入るまでずっと野球をしてたのよ。だから野球に対して、人一倍潔癖な気持ちがあったからよ」
「それで……でも、どうしてそれがホームランになるんです?戸建さんが出ると聞いて野球部の人たち、今までで一番驚いてた」
「あのコは草野球じゃ名の知れたチームに所属してたらしいんだけど」
「草野球?」
「見かけがあんなだから、野球部に入れてもらえなかったんだって。でもね」
その時、鉄華さんは奇麗な顔に、にやり、と精悍な笑みを浮かべました。
「ホームラン王だったのよ」
「インハイにスライダー、違いますか?諏訪ノ森さん?」
顔にこそ出ませんでしたが、野球部の4番でピッチャーさんはぎくりとした感情を隠し切れませんでした。私はにっこり笑って、
「試合には出てませんけど、『しっかりと見てました』。きわどい変化球を投げる時は腕の角度が微妙に下がるのに気付いてますか?しかもスライダーを投げる時には目線をベンチを向けるくせもおありですね。本気でプロに行く気はあるのなら、そういう細かいくせも直した方がいいと思いますよ」
ベンチの方に視線が向いていた諏訪ノ森さんがはっとしたのは、まあ、あの顔をみれば誰でも分かりますね。それでも余裕を崩さないのは私の体がきゃしゃに見えすぎるからですか。まあ確かに、この体で普通に振ったんじゃ、140キロを越えるスピードボールをホームランにするのはまず無理でしょう。
でも、くせが完璧に見切れて、飛んでくる球が100%分かっているのなら、やりようはあるんですよ?
そして、投球モーションが見えた瞬間に私はバットを大きく振りました。みんながあっというのを無視して、一回目の回転を終えました。
その時、読み通り内角低目にスピードボールが飛んできます。
私は最初の回転で得た遠心力を完全に生かしつつ、右足を踏み込み、バットをボールに合わせていきます。目のいい人にはボールが真芯に当ったのが見えたでしょうが、後で沙雷さんに聞いてみると、「振りそのものが速すぎて見えなかった」とおっしゃいます。
あとは無理に引っ張らずに、流していくだけです。
コースの完璧な洞察、ねじって最大にした体のバネ、回転による遠心力、踏み込みの速度とボールのバットに対する最適な角度。これだけそろえば、ホームランには充分でしょう。草野球チームで「竜巻打法」と言われた私の必殺打法です。
決着。
白い砲弾と化した私の打球は、見る影もなく白い点になってフェンスの彼方に消えていきました。やっぱり悪夢は自分で振り払うものですね。
私は沙雷さんに向かって微笑みました。
「予告ホームランを出しとけばよかったですかね?」