「ぶよよよ鳥の世話係」と追放された令嬢ですが、隣国で巨大シマエナガを極上のもふもふにする『筆頭幻鳥調律師』になります〜転がって逃げてきた元婚約者の騎獣たちは私と大公様で幸せにします〜
「——いいえ、今日の湿度は昨日より五パーセント高いわ。火山灰の焼き砂は、釜でもう十分間追加で炒って、完全に水分を飛ばしてから三十度まで冷ましてください。雪妖鳥たちの羽毛は、ほんのわずかな湿気でも魔力の滞留を生んで、浮力を落としてしまうの」
王城の最上層に位置する、広大で風通しの良い『王室穹窿窟』。
そこは、王国の空の防衛と威信を担う幻鳥騎士団の騎獣たちが暮らす、神聖なる大鳥舎である。
筆頭幻鳥保育士であるメル・ルブランの声は、バササッという巨大な羽音と、チッチッチッという可愛らしい(しかし音量だけはけたたましい)鳴き声の中で、澄み切って響き渡っていた。
「メル様! 福良雀の『ポンタ』が、餌の木の実をペッて吐き出しちゃいました!」
「ポンタは昨日、急降下訓練で少し胃腸に風を入れているはずよ。いつもの胡桃とひまわりの種のブレンドに、すりつぶしたリンゴ樹の皮と、蜂蜜を大さじ一杯加えてあげて。彼は油分よりも糖分で体温を維持するタイプだから。……それから、食後の毛づくろいは私がやるわ。風切り羽の根本を少し痛めているみたいだから」
「畏まりました!」
王室幻鳥騎士団。彼らが駆る騎獣は、獰猛なドラゴンでも猛禽類のグリフォンでもない。
ずんぐりむっくりとした雪玉のような体に、長い尾羽とつぶらな瞳を持つ、家屋ほどもある巨大なシマエナガ——『雪妖鳥』。
そして、琥珀色の暖かな羽毛に包まれ、信じられないほど丸々と太った超巨大なスズメ——『福良雀』である。
彼らは一見するとただの「巨大な丸っこい鳥」だが、その羽毛の一本一本には強大な『浮遊魔法』が蓄えられている。その圧倒的な浮力と瞬発力はドラゴンの比ではなく、無音で空気を滑るように飛び、上空から信じられない速度で急降下防御を行う、王国最強の防衛力だった。
だが、この強大な力を維持するためには、ある「絶対条件」があった。
それは、ただひたすらに『極上のもふもふ』を保つこと。
雪妖鳥も福良雀も、羽毛の間に空気と魔力をため込むことで飛んでいる。もし羽毛が湿気たり、脂ぎったり、汚れで束になってしまえば、たちまち魔力が霧散して飛べなくなり、ただの「重たい巨大な肉だるま」と化してしまうのだ。
だからこそ、メルの仕事は過酷かつ繊細を極める。
食事は一切の肉類を禁じ、栄養価の高い専用の木の実と果実をミリ単位で調合する。入浴は水ではなく、一日に三回、入念に温度と乾燥状態を管理した『特製火山灰の砂浴び』を行わせ、羽毛についた目に見えない脂や汚れを完全に吸着・落下させる。
その結果、王国の幻鳥たちは常に「空に浮かんだ美しい綿雲」のような極上のもふもふと圧倒的な機動力を誇り、各国の騎士団から畏怖と羨望の的となっていたのだ。
「——またこの脂粉くさい鳥小屋か。たまには地上に降りて、貴族令嬢らしく振る舞ったらどうだ、メル。見ていて憂鬱になる」
唐突に穹窿窟の扉が乱暴に開かれ、むせ返るようなキツい香水の匂いが、鳥舎の澄んだ空気を汚した。
見習いの保育士たちが一瞬で顔をこわばらせ、巨大なシマエナガたちが不快な匂いに「ヂッ!」と短い警戒音を発して、丸い体をさらに膨らませる。
現れたのは、派手なマントを羽織った男——幻鳥騎士団副団長にして、メルの婚約者であるクラウス伯爵息男だった。彼の腕には、大きな羽飾りを帽子につけたけばけばしい貴族令嬢、アリシアが勝ち誇ったように寄り添っている。
「クラウス様。ここは幻鳥たちの神聖な居住区です。強い香水は彼らの繊細な呼吸器と、魔力羽毛を痛めます。今すぐお下がりください」
「もうよい。お前のその地味な作業着と、常に鳥の羽根をくっつけたみすぼらしい姿には、心底うんざりさせられる」
クラウスは吐き捨てるように言った。手にはハンカチを握り、自分の香水の臭いに咽る振りをして見せる。
「王室騎士団の副団長たる私が、ただの『ぶよよよ鳥の餌やり係』を妻にするなど、社交界の笑い者だ。実家のルブラン家が貧乏伯爵だから慈悲で婚約してやっていたというのに、お前は毎日毎日、あの丸っこくて弱っちい鳥どもと砂遊びばかり……はしたないにも程がある」
「幻鳥たちの命と、騎士団の飛行能力を預かる身として、実務に必須の格好をしているだけです。絹のドレスでは、彼らの砂浴びの調律はできませんから」
「口答えをするな!」
クラウスは苛立たしげに声を荒らげた。
「お前との婚約は破棄する。そして、今日をもって筆頭保育士の任も解く。明日からは、この高貴なるアリシアが『幻鳥プロデュース官』となる。彼女の提案した新しい育成法により、あの情けない丸いぶよよよ鳥どもを、他国の竜騎士にも舐められない『最強の猛禽』へと生まれ変わらせるのだ!」
メルの手が、持っていた温度計の上でピタリと止まった。
「……猛禽に、生まれ変わらせる?」
「そうだ。そもそもあの丸いフォルムが騎士の威厳を損なっているのだ。お前のように木の実だの砂だのと甘やかしているから、あんな丸く太るのだ! 明日からは主食を変える。力強いドラゴンの肉や、新鮮な生肉を食わせ、獰猛な気性を養わせる。さらに、あの阿呆みたいな白い羽や茶色い羽は、我が騎士団のシンボルカラーである『真紅と漆黒』の染料で染め上げる!」
「お待ちください、クラウス様。それは絶対におやめください!」
メルは静かだが、確固たる恐怖を宿した声で反論した。
「雪妖鳥や福良雀は、肉類を消化する器官を持っていません。無理に食べさせれば胃腸が腐り、全身から『脂』が噴き出して羽毛が死にます。さらに染料の塗料など塗れば、羽毛の微細な空気層が完全に潰れ、浮遊魔法が一切使えなくなります。彼らは飛べなくなるどころか——」
「言い訳など聞きたくない! 肉を食えば強くなる、それが生物の摂理だろうが!」
クラウスは全く聞く耳を持たなかった。彼にとって幻鳥とは、自分が乗って見栄を張るための「ただの乗り物」であり、他の騎士団のドラゴンよりも「見た目が丸くて弱そう」なのがずっとコンプレックスだったのだ。
「いいか、メル。お前は毎日『ただぶよよよ鳥の世話』をして遊んでいるだけだろうが! 温度がどうの、砂がどうの、そんなものは言い訳だ。適当に餌を投げておけば鳥は育つ! ただのペットの餌係が、幻鳥学の権威にでもなったつもりで偉そうに私に意見するな。さっさとその見苦しい手帳を置いて出ていけ!」
——ただ、ぶよよよ鳥の世話をしているだけ。
その言葉が、メルの五年間のすべてを否定した。
毎日、何十羽もの巨大鳥の羽毛の弾力を病的なまでに指先で確認し、その日の湿度に合わせたミリ単位の砂の温度調合を行ってきた。彼らが美しく、あの圧倒的な『もふもふ』の羽毛を保ち、空中で王国最強の盾となっていたのは、クラウスの剣術のおかげでも見栄のおかげでもない。計算し尽くされた「極上の砂浴び」と「食餌管理」のおかげなのだ。
それを、この男は五年間、一度も見ようとしなかった。知ろうともしなかった。少しも理解していなかった。
胸の奥で、カチリ、と何かが凍りつく音がした。怒りですらない。完全なる見切りだった。
「……承知いたしました」
メルは抵抗をやめた。深々と、完璧な一礼をし、五年間の血と汗と極上の抜け羽が挟まり込んだ分厚い『幻鳥調律管理台帳』をポン、と作業台の上に静かに置いた。
「引継ぎの記録は、すべてその台帳に記してあります。各個体の羽毛の水分量、ストレスサイン、消化の良い木の実の特別な配合比率も完璧に記載しています。もし、本当に彼らの羽毛に少しでも塗料や脂が触れれば……騎士団は文字通り『墜落』します。どうか、それだけはお忘れなきよう」
「ふん。こんな汚らしいノートなど、アリシアのごみ箱にでも捨ててしまえ。行くぞ、アリシア。この鳥臭い部屋にはもう一秒もいたくない」
「ええ、クラウス様。明日からは私が、あの子たちの無様な白い羽を、かっこいい真紅のペンキで塗りたくって差し上げますわ。きっと猛禽のように強くなりますわよ」
二人が去っていった後、穹窿窟には重い沈黙が落ちた。
「メル様……! そんな、突然すぎる!」
「私たちが団長に直訴します! メル様がいなければ、あの巨大な砂浴びの釜の温度調整なんて誰にもできません!」
泣き叫ぶ見習いたちに、メルは優しく、だが諭すように微笑みかけた。
「ありがとう。でも、いいの。決まったことですから。あなたたちは優秀よ。今まで私が教えた通りに、絶対に肉は与えず、砂の温度管理を徹底してあげて。……ただ、王室の命令で彼らがあの子たちに無理やり染料を塗ろうとしたら——。その時は、あの子たちの命を守るために、逃がしてあげて頂戴」
メルは身の回りの手入れ道具——最高級の豚毛で作られた巨大な羽毛ブラシと、特別に配合した『極上胡桃クッキー』が入ったポーチだけを小さな鞄に詰め、振り返らずに王室大鳥舎を後にした。
五年間の知識と経験が詰まった台帳は、主を失って作業台の上にポツンと残されていた。明日にはゴミ箱に捨てられる運命にあることも知らずに。
王宮を去った翌日の昼下がり。
メルは王都の雑踏の中、街角の広場のベンチに一人座り込んでいた。
持たされた退職金ははした金で、実家の男爵家はとっくに兄が借金を作って夜逃げ状態である。帰る場所など最初からなかった。明日からどうやって生きていくか。どこかの田舎の村でニワトリの世話でもする仕事を探すしかないだろうか。
溜息をつきながら、広場の空を見上げた瞬間——。
空の太陽が、巨大な「何か」によって覆い隠された。
「……え?」
ズッ……ドォォン!!
凄まじい風圧と地響きと共に、広場の中央に「巨大な白い塊」が墜落してきたのだ。
舞い上がる土埃の中、周囲の市民たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。
しかし、メルはその塊を見た瞬間、恐怖よりも先に重度の職業病が爆発してベンチから跳ね起きていた。
「そんな……嘘でしょ!?」
それは、ただのシマエナガ(雪妖鳥)ではなかった。
通常の雪妖鳥のさらに三倍以上——ちょっとしたお城のようなサイズを誇る、伝説の巨大幻鳥『帝雪鳥』だった。
だが、その姿は見るも無惨だった。本来なら白雲のようにふわふわで、空を優雅に漂うはずの羽毛は、謎の湿気と脂でベタンベタンに束になり、まるで水に濡れた雑巾のように萎んでしまっている。浮力を完全に失い、自らの重すぎる体重を支えきれず、地面にベチャッと潰れて動けなくなっていた。
顔の周りの白い毛もゲッソリと痩せ細り、呼吸するたびに「ピギィ、ゼェェ……」と苦しそうな鳴き声を上げている。
「かわいそうに……! 完全に羽毛が窒息しているわ!」
メルは周囲の混乱など気にも留めず、一直線に巨大な『潰れた帝雪鳥』の元へと駆け寄った。
「おい、君! 危険だ、下がるんだ! それは我が国の——」
墜落した帝雪鳥の背中から飛び降りてきた、銀の甲冑を纏う長身の騎士がメルを制止しようとした。だが、メルは全く聞かず、持っていた鞄から『特別配合の火山灰砂』の袋を引きちぎって開けた。
「羽の根本が死んでいます! この子は北方の大陸の生まれね。王都のこのジメジメした春の湿気と、長旅のストレスによる発汗で、羽毛の間の魔力層が水没しているんです!」
「なっ、なぜ一目でそこまで分かる!? 私の『白皇』は、国を出てから数日で急に元気をなくし、ついに飛べなくなってしまって……」
「離れていてください! 一気に吸湿と脂抜きをします!」
メルは、驚愕する銀髪の騎士——隣国たる北の冬帝国・ヴァイスブルクのジークフリード大公の制止を振り切り、超巨大シマエナガの翼の付け根へ潜り込んだ。
そして、持参した『ミリ単位で焼き上げられた最高の火山灰砂』を、巨大な羽毛の隙間、一枚一枚の根本へと、神業のような速度と正確さで擦り込んでは払い落としていく。
ザシュッ、ファサッ! ザシュッ、ファサッ!!
メルの魔法のようなブラッシングと砂浴びの手技が、ベタベタに固まっていた油脂と湿気を瞬く間に吸着し、空中に弾き飛ばしていく。
わずか十五分の作業。やがて、苦しげだった帝雪鳥の呼吸が正常に戻り——。
「ピリュリュリュリュルッ!!」
ボフゥゥゥーーンッ!!!
凄まじい音と共に、帝雪鳥の全身の羽毛が一気に内側から『爆発』したように膨れ上がった。
先ほどまでベチャッと潰れていた雑巾のような塊が、本来の魔力と空気を取り戻し、街の広場を完全に覆い尽くすほどの『超・超・超巨大な、極上の真っ白なもふもふの球体』へと変貌を遂げたのだ。
その神々しいまでの丸さと、触れたらそのまま沈み込んで一生出られなくなりそうな究極の羽毛の弾力。太陽の光を反射してキラキラと輝くその姿は、まさに空の芸術だった。
「おおおおっ!!」
周囲で見ていた市民たちから、割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こる。
「……信じられない」
銀髪の騎士——ジークフリード大公は剣を取り落とし、口を半開きにしていた。
北の帝国で数々の獣医や魔法使いに見せても治らなかった愛鳥の不調が、この見知らぬ小柄な令嬢のただの『砂浴び』ひとつで、かつてないほどの完璧な膨らみを取り戻したのだ。しかも、普段は気性が荒くて他人に触らせない帝雪鳥が、自らメルの足元に巨大な顔をすり寄せて「ピピッ! ピピピッ!(もっと! もっともふもふにして!)」と甘ったるい声を出してすり寄っている。
「……すばらしい。ただの鳥の世話ではない。これは『魔法』だ」
「いえ、ただ丁寧に砂で油分を取っただけです。とても良い羽毛ですね、元の手入れが良かった証拠ですわ。……はいはい、白皇ちゃん、いい子ね」
巨大なシマエナガのもふもふのほっぺに顔を埋め、世界一幸せそうに笑うメルの姿を見た瞬間。
冷酷無比で知られるジークフリード大公の心臓を、かつてない特大の雷が打ち抜いた。
「君!!」
ジークフリードはメルに歩み寄り、その場で片膝をついて彼女の小さな手をとった。
「私はヴァイスブルク帝国大公ジークフリード。この愚かで不器用な私に代わり、どうか、我が大公家の『筆頭幻鳥調律師』となってくれないだろうか。いや、今すぐ私の邸宅に来てくれ。我が国には、このもふもふを正しく理解し、愛せる者がいなくて困っていたのだ!」
調律師。
クラウスからは「誰にでもできる田舎の餌やり係」と吐き捨てられた仕事を、この高位の貴族は『魔法』と呼び、最大の敬意を払ってくれた。
「私でよろしければ……」
メルの瞳から、一筋の涙が溢れた。それは悲しみではなく、自分の五年が報われた安堵の涙だった。そして何より、目の前の極上の『超巨大もふもふ』に一生顔を埋めて暮らせるという圧倒的な喜びに。
「喜んで、お引き受けいたしますわ」
一方その頃、王国の王室穹窿窟では、言語を絶するような大厄災が発生し、悲鳴と怒号が飛び交っていた。
事の始まりは、メルが去った三日後のことだった。
新しい幻鳥プロデュース官となったアリシアは、大鳥舎に足を踏み入れるなり「地味ね!」と鼻で笑った。
「本当に丸くて情けないぶよよよ鳥ばかりね! こんなの他国の騎士に見せられないわ。さあ、今すぐすべての子たちに、猛獣用の『生肉』と『ドラゴンの脂身』を大量に食べさせなさい! そして、このカッコいい真紅と漆黒の染料で、羽を隅々まで塗りたくるのよ!」
「お、お待ちください! 魔鳥は肉を消化できません! それに羽毛に染料を塗れば、空気層が完全に潰れて浮力魔力が——」
「うるさいわね! 私の指示に従えないならクビよ! 私はクラウス様の婚約者で、プロデューサーなのよ!」
絶望する見習いたちを尻目に、致死量に等しい大量の生肉がシマエナガとスズメたちの口に無理やりねじ込まれ、さらに重く臭いペンキのような染料が、彼らの美しいもふもふの羽毛にドバドバと塗りたくられた。
結果——その数日後に開かれた『国王生誕記念・空の観閲式』で、王国は地獄絵図と化した。
王族や他国の賓客が見守る中、勇ましく飛び立とうとした幻鳥騎士団。
しかし。
彼らの騎獣たる雪妖鳥や福良雀たちは、空へ舞い上がることなく、ドスッ、ドスッ、と重たい音を立てて広場の石畳に落ちていった。
当然だ。肉食を強要された胃腸は拒絶反応を起こして全身から異常な「脂」を分泌し、さらに上から塗られた染料によって羽毛は通気性を完全に失い、ゴワゴワのガチガチに固まっていた。
魔力による浮力はゼロ。ただでさえ巨大で丸い彼らは、自分自身の途方もない体重を支えきれず、もはや立ち上がることさえできない『重たくて臭い巨大な肉だるま』と化していたのだ。
「ちょっ、立て! 飛べ! なぜ飛ばんのだコイツら!」
背中に乗ったクラウスたちが必死に鞭を打つが、巨大鳥たちは苦しそうに悲鳴を上げながら、ただ床の上を「ゴロッ……ゴロンッ……」と無様に転がることしかできなかった。
真紅に染められた無様な巨大ぶよよよ鳥が、広場を這いずり回り、貴賓席の装飾を破壊しながらボウリングの球のように転がっていく様は、喜劇を通り越して惨劇だった。
「なんという醜態だ! 我が国の誇る幻鳥が、まるでゴミの塊ではないか!」
「ま、申し訳ございません国王陛下! す、すぐに原因を究明し——あっ!? ギャァァァ!」
平謝りするクラウスの背後で、極度のストレスと消化不良、そしてなにより「もふもふを奪われた屈辱」にブチギレた数匹の巨大スズメ(福良雀)が、怒りのあまり自らの体をボーリングの球弾のごとく高速スピンさせ、クラウスとアリシアに向かって突進した。
ドゴォォォォンッ!!
クラウスたちは巨大な肉弾に轢き潰され、広場を派手に転がって池へと叩き落とされた。
一週間もしないうちに王国の航空戦力は完全に機能停止し、国際的信用の失墜の責任を追及されたクラウスは、国王から騎士団の解雇と、天文学的な金額の損害賠償を命じられる事態に陥った。
「ど、どうしてだ! ただ適当に餌をやってかっこよく色を塗っただけだろう!? 猛禽のように育てたのに、なぜあいつらは豚のように床を転がるんだ!」
脂とペンキの臭いが立ち込める無残な穹窿窟で、クラウスは頭を抱えて泣き叫んだ。
アリシアは「私悪くないもん! 鳥の血統が悪かったのよ!」と泣き喚いてとっくに実家に逃げ帰っている。
ようやくクラウスは気づいたのだ。幻鳥は、ただ餌をやって色を塗ればいいというものではなかった。「ただのぶよよよ鳥の世話係」などという適当な雑用はこの世に存在しなかった。あの地味な作業着でメルが毎日やっていたのは、遊びでもペットの世話でもなく、この『王国の空の防衛力そのもの』を創り出していたのだと。
それから一週間後。
なりふり構わず王都中を走り回り、財産を手放してまで解決策を探したクラウスは、ついに隣国ヴァイスブルク帝国の大使館の広大な庭で、超巨大な帝雪鳥の頭の上で優雅にお茶を飲む元婚約者・メルを見つけ出した。
「メ、メルゥゥ! 戻ってこい、お前が必要だ!」
大使館の芝生に駆け込んできたクラウスの姿は、ひどくやつれ、騎士団副団長の華やかな面影は微塵もなかった。服からは、臭いペンキと鳥の脂の匂いが漂っている。
「お前がいないと鳥が飛ばない! ただ転がって暴れる巨大な毛玉になってしまった! 頼む、昔のようにあの穹窿窟で、俺のためにただの餌やり係をやってくれ!」
もふもふの帝雪鳥の背中から、メルは静かに彼を見下ろした。
その瞳には、かつての婚約者への未練はおろか、何の感情も浮かんでいなかった。ただの「見知らぬ通行人」を見る目だった。
「おかしなことをおっしゃいますね、クラウス様」
彼女は、かつて自分が言われた言葉を一語一句たがわずに、完璧な発音で返した。
「私は毎日『ただぶよよよ鳥の世話をして遊んでいる』だけでしょう? 適当に餌を投げておけば鳥は育つ。ただのペットの餌係だと、ご自身でおっしゃったではありませんか」
「そ、それは……! 俺が間違っていた! あのおぞましい脂! べたべたの羽毛! あの『台帳』がないと、砂の温度も木の実の割合も何も分からないんだ! 頼む、戻ってきて台帳を書き直してくれ!」
「その見苦しい手帳は、貴方がゴミ箱に捨てさせたはずですけれど?」
冷たく、完璧な拒絶だった。
クラウスが絶望に顔を青ざめさせたその時。
ズズズズズズズ……ッ!!!
地鳴りのような音と共に、大使館の正門をぶち破って、「巨大な何か」の群れが転がり込んできた。
それは、ペンキで染められ、脂まみれになり、自力で歩くことすらできなくなった王国の巨大シマエナガとスズメたちだった。彼らは「メルの匂い」だけを頼りに、王宮から街を破壊しながら、文字通り床をゴロゴロと這いずり転がって 여기까지逃げてきたのだ。
「ピュイィィィィッ!!(メル様ァァァ!!)」
「チチチチチッ!!(助けてもふもふにしてェェェ!!)」
「ひっ!?」
猛烈な勢いで転がってくる巨大なぶよよよ鳥の群れに、クラウスは恐怖で腰を抜かした。
そして、その惨状をテラスから静かに見下ろしていたジークフリード大公が、冷たい声で言い放った。
「見苦しいな、王国の騎士よ。……自国で壊した玩具を、妻の実家に押し付けに来たのか?」
「つ、妻!?」
「あんな無能の元へ帰る謂れはない。これら脂まみれの哀れな鳥どもは、自国で管理できぬというのなら我がヴァイスブルク帝国が文字通りタダ同然で引き取ろう。そして極上のもふもふに生まれ変わらせ、私の愛する『大公妃メル』のもふもふコレクションに加えてやる」
「そ、そんな……我が国の戦力が……!」
「帰れ。そして、自らが『ただのぶよよよ鳥』にすら乗る資格のない無能であることを一生悔やみながら、借金取りから逃げ続けるがいい。二度と彼女の視界に入るな」
大公の合図と共に、超巨大な帝雪鳥『白皇』が、空気を震わせる巨大な羽ばたきで強風を起こした。
その神々しいまでの極上のもふもふから放たれる圧倒的な魔力風に吹き飛ばされ、「メルゥゥゥ!」と泣き叫びながら宙を舞って消えていくクラウスの姿を、メルは冷ややかに、しかしひどく晴れやかな気持ちで見送った。
「……まったく。ペンキを塗るなど、正気の沙汰ではないな。ひどい悪臭だ」
「ふふ、でも大丈夫ですよ。私が一から特別配合の火山灰で、この子たちの羽毛を産まれたての白雲のように戻して差し上げますわ。時間はかかりますけれど、やり甲斐は十分です」
夕日が差し込む大使館の広大な庭で、メルは数十羽の巨大な鳥たちに囲まれていた。
ジークフリードが穏やかに微笑み、メルのために淹れた温かいフルーツティーを差し出した。
その足元では、王宮から逃げてきた巨大シマエナガたちが、メルのブラッシングを受けて「ピュルルル」とうっとりした声を上げながら、徐々に本来の魔法の浮力を取り戻し、ふんわりと宙に浮かび始めている。
「君の仕事ぶりは本当に芸術だ。君が来てから、我が大公家の空は常に美しい白雲で満たされている。君は我が国の至宝だ。……愛しているよ、私の最高のもふもふ調律師」
「もったいないお言葉ですわ、ジーク様。でも、私にとっての最高の幸せは、毎日こうして極上のもふもふに埋もれて……あっ!」
メルが言い切る前に、完全に復活した超巨大な帝雪鳥と、少し浮力を取り戻したシマエナガたちが「我先に」とメルとジークフリードに殺到し、二人を巨大なもふもふの壁でギューギューにサンドイッチにしてしまった。
もはや息もできないほどの究極の羽毛の弾力に包まれながら、メルは大好きな夫へ向けて、心からの笑顔を弾けさせた。
——ただのぶよよよ鳥の餌やり係。
ええ、そうですわ。
私はこれからも、ただこの子たちの世話をし続ける。湿度を読み、砂を焼き、木の実の油分を計算し、最高のもふもふ空間を設計する。私にしかできない、この完璧な実務を、私を真に必要とし、共に羽毛にまみれて愛してくれる夫のために。
新しい『帝国大公妃専用・幻鳥調律台帳』は、すでにメルの美しい文字と、極上の白い羽毛のコレクションで満たされ始めていた。
窓の外の庭園では、超巨大なシマエナガたちが満月を背にして優雅に宙を舞っている。明日はきっと、極上の砂浴び日和になるだろう。
(了)




