3
三日後。家庭教師の方にみっちりと愛ある鞭を振るっていただいた私は疲れ果てていた。紅茶を飲んでいると、オレール様が部屋に来る。
「マルスリーヌ。夜会に一緒に出てくれないかな? やはり婚約者ができると顔を出せ、と言われることも増えてね」
「かしこまりました」
ここが公爵家の教育の見せ場か、と意気込む私にオレール様もホッとしたようだった。
彼の顔色も、解読が終わったからか良くなっている。それに安心してしまった。
そこでオレール様が目元を赤くした。首を傾げる。
「夜会は金貨十枚という契約だったよね?」
「は、はい」
「あれ、宝石で渡しても良いかな? ほら、価値が下がったりはしないと思うし」
特に拘りもなかったので頷いてしまう。緊張していたのか硬い表情が和らいだオレール様が執事を呼んだ。
どこからか現れた執事の手には大きな箱がある。上に被った布を取り払えば、水色の宝石が輝くネックレスとイヤリングが光を放った。
あまりの精巧な作りに目が眩む。これは絶対、金貨十枚=ネックレスとイヤリングなわけがない。こちらの値段の方が高い。
「君に似合うと思うんだ」
てれ、とはにかむ彼はやはり底が知れない。
そしてプラハ公爵家の財も底が知れない。
三日前の威勢はどこへやら。既に心が折れかけている私に、「?」と顔に浮かべながらも嬉しそうにオレール様は首にネックレスをかけてくれた。
◇
夜会会場で、私はオレール様にエスコートされながら歩く。『当て馬令嬢』が新たな婚約者と共にあることに対して周りから視線がビシビシ飛んでくるが、教育の賜物でついとも顔には出さないことに成功している。うふん、と口角も上がってしまうものだ。
ちなみに、今日の私はオレール様一色でできている。ネックレスとイヤリングから始まり、胸元には水色のリボンが付き指の先まで水色水色――
これはいかんでしょ。運命の人を見つけると言っていたのに。
あとで苦言を呈せねば。イヤリングが何かの弾みで取れたりしないか恐々としつつ、ウンウン頷く。
だがそこで、今一番か二番を争うほど見たくない人がいた。一人目の婚約者だ。対抗馬は二番目の婚約者。
仲睦まじそうに歩いている。歩いていたら急に石を投げつけられたみたいに、上手く息が吸えない。
彼らは見ての通り幸せそうで。二番目の婚約者も勘当されたが、踊り子を辞めた彼女と結婚し幸せに暮らしているらしい。
「…………」
黙り込んでしまった私をオレール様が覗き、視線の先にいる二人に気づいたようだった。
ごめんなさい、と言おうとしたがそれよりも彼の方が口を開くのは早かった。
「古代書の中には、ただ解読しただけでは嘘か真か分からない話も良くあってね。もし君の人生を連ねられた本が後世で解読された時、解読者は嘘と真、どっちだと思うんだろうね」
「……嘘に一票です」
「あれ、私と一緒だ」
優しい笑みに釣られる。気づけば嫌なことはすっかり忘れていた。
◇
そこから二ヶ月が経った。夏も終わり始め秋へと移ろい始めている。未だ、オレール様は運命の人を見つけていない。
――それどころか、私と仲睦まじいという噂が流れてしまっている!
それもこれも全部オレール様のせいだ。金貨十枚の代わりに毎度送られる宝飾品は彼の瞳の色で。夜会では私をぴったりと側に置き離れようとしない。これでは実る恋も実らない。
そして、彼は随分と人との距離を置く人だった。微笑んではいるが、絶妙に壁を作っている。なぜか私には最初から優しいが、それを言ったら執事や侍女は驚いてた。彼の仕事部屋に入ったことがあると言ったら白目を剥かれ、執事に至っては泡を吹いていた。
どうやらあそこには屋敷の中でも特に門外不出の本が置かれているらしく、立ち入り禁止らしい。なんてところに私を入れているのか、知った時ツッコんでしまった。
なぜ私だけ入れてくれるのか、という質問は軽く流されてしまい分からずじまいだ。
私は廊下で紙を読んでいた。これは前世でいう銀行のようなところから発行される紙で、預けたお金が記されている。
記載されたお金は途方もない額だ。これプラス部屋のクローゼットにしまわれている宝飾具、と考えると目眩がする。
「もう、搾り取るとか無理……」
尽きることがない。最初の威勢はどこへやら、今の私はお金の重みに震える毎日だ。
「こんなことしても、意味ないし」
ため息が出てしまった。
そこで、カタカタ周りの物が震えた。一拍置いて、揺れはもっと強くなる。
「地震……?」
日本人精神でまったく動じないが、少し大きい気がした。
「――っ、オレール様の部屋……」
彼の本棚は、本を取るために触れたくらいで揺れるほどだった。あまり地震は大きくないが、倒れるような事態になっているかもしれない。
私は走り出していた。
◇
幸運にも部屋は目の前だった。
部屋の鍵は開いていて、揺れる中で本棚を体全体で押さえるように立つ。だが体が足りないところからポロポロ落ちてしまった。腕や頭に当たり思わず呻いてしまう。低身長が憎い。
ようやく揺れは収まったが本が床に散らばっていて、私は慌てて拾う。傷がついていないか確認しながら拾っていると、汗をかきながらオレール様が入って来た。
「マルスリーヌ……っ、探したよ。どうしてここにいるんだい?」
扉の外で侍女たちも心配そうな表情を浮かべている。オレール様は膝を突き、赤くなった私の腕を取った。
「こんなに赤くなって……」
「ご、ごめんなさい。ここの本棚が揺れやすいからと思って支えたのですが、結局落ちてしまいました……。本当に、ごめんなさい」
「私はそういう話をしているのではないよ?」
「でも……っ」
手を取られながらでは本も上手く拾えず、私はただその場で床を見つめることしかできない。
「この本たちは、非常に価値が高くこの世で現存してるのはただ一冊だけだと伺っています。だから、その本が傷ついたら、オレール様が悲しむと思って。私は、貴方の楽しそうな笑顔をどうしても守りたかったのです」
眼鏡をかけ真剣に向き合う姿。解読が終わったと、目の下に隈をこさえながらも達成感に頬を緩ませる姿。
だから私は無力だけど、どうしても守りたかった。
ごめんなさい。ポツリと呟けば本が当たり赤くなった部分を撫でられる。
「そうかい。ありがとう、私の大事に思うものを、守ろうとしてくれて。けどねマルスリーヌ、この本たちは私にとってもプラハ家にとっても大切ものだけど、それは君が大切じゃないということではないんだよ」
私は顔を上げた。降ってくる言葉が、新雪のように柔らかかったからだ。
「確かにここにある本は一冊だけかもしれない。けど、君だってただ一人だよマルスリーヌ」
「ただ、一人……」
暫く言葉の意味を理解できなかった。脳が理解する前に、ほとり、温かいものが私の膝を打つ。
三度別れを切り出されても、涙なんて出なかったのに。それはきっと、『当て馬』という舞台装置ではなく、大切な人間として慈しまれたからなのだろう。
顔を覆って涙を流す私を、オレール様は優しく抱きしめてくれた。
◇◇◇
「それじゃあ、まずは怪我の手当をしようか」
立たせてもらい、そのまま部屋を出ようとするオレール様を引き止める。
「私は一人でも大丈夫です。それよりも、早く本を拾ったほうが……」
「駄目だよ」
軽く拒否されるが納得が行かず足を動かせずにいると、ふむとオレール様が顎に手を当てた。
「君を侍女たちに連れて行ってもらっても、きっと私はなにも手につかないだろうね。だからマルスリーヌの治療を終えてからした方が、結局は効率が良いんだよ。……調子が良ければ、本を戻すの手伝ってくれるかい?」
「……っはい」
涙はすっかり引いたのに、温かいものが心にじわりと滲んだ。それに気づかないフリをして私は歩く。
今の私は、彼に運命の人が現れるとは思いもしなかった。




