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私は月に二回、婚約者とお茶会をしている。だが今回そのルーティンから外れた日に誘われ、私は少しの不安と共に彼の屋敷に向かった。
紅茶を数口飲んだ所で、彼が重い口を開く。
「……マルスリーヌ、婚約を解消してくれ。俺は真実の愛を見つけてしまったんだ」
瞠目する。指先から零れ落ちたティーカップが、ガゼボの床に当たり割れた。
初夏の爽やかな風が固まった私の時をゆっくり動かしてくれる。
震えを叱咤して口を開いた。
「そうなのですね。今度、両親を交えてもう一度お話しましょう」
「すまない」
謝られると余計惨めで、唇を引き結んだ。
――今日、二度目の婚約解消を言い渡された。そして唐突に前世の記憶も思い出していた。
◇◇◇
数日後両家の下で正式に婚約解消が成された。相手方は縋り付いてきたけどお父様が突っぱね、慰謝料の額と自らの未来に絶念していた。元婚約者といえば、一応神妙そうな表情を形作ってはいるものの運命の人と結ばれるのを心待ちにしてか口元は緩んでいた。
調べた所、彼が入れ上げているのは黒髪で涼やかな顔の踊り子らしい。ふわふわしたストロベリーブロンドの私とは正反対だ。当てつけかと怒りたくなる。
あちらが帰ったあと、お母様が私を抱き寄せた。
「大丈夫よ、マルスリーヌ。きっと天罰が当たるわ」
涙ぐむお母様とは対照的に、私は冷え切った心でそうだろうか、と嘆息した。
一人目の婚約者は、初恋だった幼馴染の令嬢が隣国へ嫁いだが未亡人として戻ってきて恋が再燃し、私を捨てた。恋のスパイスとして私を使った二人は第一子も授かって幸せ満開らしい。
そんな風に、きっと彼らも幸せになる。確信めいたものが胸中にあった。
だって、前世の私もそうだったから。
前世の私は、会社の同僚だった彼とお互いの親に挨拶に行くくらい未来を見据えたお付き合いをしていた。だがとある朝、気分が悪そうな会社の新入社員を彼が介抱しながら歩いているのを見た時に、全てが変わった。花畑に落雷があったように、一瞬にして。
数日後、呼び出された私は彼と新入社員の間に子どもができてしまったことを知った。
勿論別れて二人を怒涛の勢いで呪いまくったが、結局二人は幸せそうに暮らしていた気がする。
きっと因果なのだ。社交界で今『当て馬令嬢』と私が囁かれているように、私は当て馬の才能があったのだろう。
ふふ、と自嘲が漏れる。
もう乾ききった目が湿ることはなかった。
◇
一ヶ月後。前世の記憶も整理し終わった私はお父様に呼ばれていた。お父様の顔は蒼くて脂汗をかいている。
「どうなさったのですか?」
「いや……マルスリーヌに求婚状が届いたんだよ」
「……っ」
息を呑んだ。また当て馬にされるのかと深い絶望が広がり底なし穴に落ちていく心地になる。
「どうする? その、少し難しい相手だが、お前が嫌なら無理強いはしない。父は戦おう」
小心者で名高い父が足をピルピル震わせながらも拳を掲げている。ちょっと感動してしまった。
考える。きっと私の『当て馬令嬢』という話を聞きつけ、求婚状を送った彼もまた運命の人を見つけようとしているのだろう。私は良いように使われるということだ。
「……あれ?」
「どうかしたのか?」
「いえ、ちょっと考えておりまして」
はたと気づく。それは、俗に言うバイトではないか?
雲の隙間から光が矢のように降り注いだ。思わず手を組んでお祈りポーズをしてしまう。
良い! とっても良い! それがwinwinというやつだもの! 腹いせとして限界まで搾取しても、許されるはず!
パアァ、と道がひらけていった。私はお父様に宣言する。
「私、是非婚約を結びたいです。どうぞお進めくださいな」
「良いのか?」
「はいっ」
にっこり。声を弾ませる私にお父様は困惑をしっぱなしだったが頷いてくれた。
そのまま部屋を出ようとする私をお父様が引き止める。
「あ、まだ相手の名前を言ってない」
「大丈夫です! どんな醜男だって問題ナッシングですから」
「ナ……ナッシング?」
あ、ついつい前世の言葉が。
オホホと笑って誤魔化し私は今度こそ退散した。
自室で拳を握りしめた。興奮のためか頬が紅潮する。
「私と婚約を結びたい、ということは当て馬になってほしいってことよね? それは仕事ではないかしら? つまり、バイト!」
――だから私は知らなかった。私に求婚したのがまさかオレール・プラハ公爵で。古代書の解読を生業とする忠臣なる彼は王家からの覚えも良く、途方もない財を築いていることを……。
◇◇◇
顔合わせの日に私は誤算に気づいた。私の前に置かれたソファに腰掛けるその人は、とんでもなく端正な顔をしていたからだ。
白髪はツヤツヤとして白い肌によく映えているし、水色の澄んだ目は思慮の深さを感じさせた。
美しすぎてもはやキラキラと発光しているオレール様を前に、私は放心状態。
「それで、君は私の求婚を受け入れてくれたということで良いのかい?」
伸びやかな声に背筋が伸びる。
「は、はい」
「感謝するよ」
トントン拍子に婚約の話は進み、公爵家に嫁ぐとのことで教育も兼ねて私はプラハ公爵家に身を置くこととなった。
「これからよろしく頼むよ」
立派な庭でお茶会をしながら、ふっとオレール様が笑みを零す。新しい古代書を解読していた途中らしく眼鏡をかけていて新鮮だった。
「よろしくお願いします。……それで、オレール様。話したいことがあります。私たちの将来のことです」
「将来の、こと」
オレール様が復唱した。力強く頷き、私は一枚の紙を取り出す。
「オレール様、正直に申し上げますと私に婚約を申し込んだのは運命の人を求めたからですよね?」
「――そうかもね」
「なるほど。それでしたら……これは契約、ということですよね」
オレール様は目をぱちくりさせた。紙をすすっと差し出す。
「貴方の良き当て馬となれるよう尽力いたします。つきましては、私にお金をくださりませんか?」
「……なるほどねぇ。言いたいことは分かったよ。だけども、お金は渡していると思うけど?」
私は遠い目をして、ヒエッと飛び上がってしまう程の金額を「好きに使って良いよ」とポーンと渡された時を思い出す。あれはいけない、心臓に良くない。
「あ、あれはちょっと……」
「足らなかった?」
「そういうわけでは。ただ私自身が割り切りたいのです。これはお仕事だと」
もう一片の期待だって抱かないように。これはそのための戒め。
「あの生活費と称したお金を廃止し、月に定額で金貨五十枚。夜会などで同伴が必要な際は金貨十枚でどうでしょうか?」
ちなみに金貨五十枚とはオレール様から渡されたお金よりちょっと高い。
私はふふんと鼻を鳴らす。
「あ、もう少しお安く、というのも大丈夫です」
交渉は最初は高く、段々下げていく。これに尽きる。どれくらい下げようかな、なんて考えているとオレール様は首を傾げた。
「これで良いのかい?」
「…………」
間違えました、と言ってシャシャッと五十枚という数字を消し七十に震える手で書き換えた。
サインを迷いなく書く彼を横目に、くぅ……っと打ちひしがれる。
舐めてた……! プラハ公爵家の財を舐めてた……! 毎月これだけ払ってもびくともしないほどだなんて!
こうして、私たちの契約は成立した。




