第7話 至宝の収穫と、深淵に触れる汚染者たちの末路
第二百五十階層。そこは、これまでの不気味な迷宮や機械的な回廊とは一線を画す、神聖な静寂に満ちた「古代文明の至宝庫」であった。
壁一面を埋め尽くすのは、中性子を安定化させた特殊な魔力結晶の書架。そこには、現代科学が数千年かけても到達し得ない「概念の結晶」や、空間を折り畳んで持ち運ぶための「次元の鍵」が、埃一つない完璧な保存状態で整然と並べられている。
男は、漆黒の守護者『黒陽』を背後に控えさせ、管理端末と化した銀色の球体『銀嶺』を傍らに浮かべながら、その知の海を悠然と歩いた。
「鑑定・解析。……ふむ、面白い。ここに眠る『不老の原液』は、中性子のスピンを固定し、細胞のテロメア短縮を因果レベルで停止させるものか。今の私の肉体には不要だが、拠点の『飲料水』に微量配合すれば、より快適な隠居生活が送れそうだな」
男は、中性子を編み上げた指先で、一つの「空間結晶」に触れた。
「分解。……および、自己定義への統合」
結晶に封じられていた「空間拡張の法」が、中性子の信号として男の脳内へ流れ込む。彼はそれをその場で「再構築」し、自身の「常駐する箱庭」の拡張パラメーターへと上書きした。
これにより、彼の周囲五十メートルの聖域は、内側からは数キロメートルに及ぶ広大な領地として拡張可能になり、文字通り「移動する王国」としての機能を完成させた。
「さて、この静寂を乱す羽虫が……ようやく降ってきたか」
男の「気配感知」と「鑑定」が、遥か上層――地上と直結していたはずの「執行室」の残骸から、強引にワイヤーを射出して降下してくる異物を捉えた。
地上の「D法執行管理局」が最後に送り込んだ、特殊殲滅部隊『浄化の針』。
彼らは中性子線を遮断する特殊な防護服を纏い、ダンジョンの深層でも稼働する「魔導核弾頭」を背負った、文字通りの特攻部隊である。
地上の指導者たちは、システムが奪われた今、主人公ごとこの階層を物理的に消滅させ、証拠を隠滅しようと目論んだのだ。
「……殺意。悪意。そして、不潔な傲慢」
男は、自らの銀髪を微かに揺らした。赤い瞳の黄金の十字が、冷徹に光る。
「黒陽、不純物の排除を。……ただし、中性子レベルの汚染をこの階層に残すな。分子の一つまで残さず分解しろ」
『了解――』
漆黒の巨躯が、物理的な予備動作を一切排して「転移」した。
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垂直な竪穴を、超高速で降下する特殊部隊の精鋭たち。
彼らは最新鋭のバイザー越しに、二百五十階層に立つ「銀髪の影」を捕捉していた。
「目標確認! 魔導核、起動まで残り十秒! 世界のゴミ(高齢者)共々、消えてもらうぞ!」
隊長が叫び、起爆スイッチに指をかけた瞬間。
彼の視界から、すべての「音」と「重力」が消失した。
目の前に、漆黒の巨躯『黒陽』が音もなく立っていた。
「なっ……空中にか!? ぎ、ぁ……っ!!」
『黒陽』の腕から放たれたのは、中性子の強い相互作用を瞬時に中和する「分解の波動」。
特殊部隊が纏っていたはずの数億円をかけたチタン合金の防護服は、バターのように融解し、彼らが誇った魔導核弾頭は、爆発する概念すら与えられないまま、ただの「無機質な鉛の塊」へと分解された。
「ひ、ひぃぃ……! 助け……!」
『却下。お前たちの構成原子は、この階層の『装飾』にすら相応しくない』
『黒陽』の思念波が響いた瞬間。
特殊部隊の隊員十名、および彼らが携行していた全装備は、血の一滴、叫びの残響一つ残すことなく、中性子レベルで「塵」へと変えられた。
それは死ですらない。存在そのものの抹消。
彼らが地上で積み上げてきた「キャリア」も「勲章」も、この深淵ではただの不要なノイズとして処理されたのだ。
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二百五十階層。
男は、戦いの喧騒など露ほども感じさせぬ優雅さで、棚から一つの「古代のハーブ」を手に取った。
「生活魔法:品種改良」
彼の手の中で、枯れていた古代のハーブが中性子のエネルギーを得て、青々と瑞々しい葉を蘇らせる。
そこから溢れ出す香気は、精神の汚れを洗い流すような、至高の癒やしを伴っていた。
「黒陽、戻れ。……汚染は排除されたようだな」
帰還した『黒陽』は、主人の傍らで再び影のように静止した。
男は、中性子で構築された透明なグラスを空中に浮かせ、そこに「不老の原液」を数滴、自らが精製した清水に垂らした。
「さて……。二百五十階層までの収穫で、隠居生活の資材は十分に揃った。地上の連中も、もはや自壊を待つだけの状態だろう」
男はグラスを傾け、中性子の星々が輝くアーカイヴの天井を見上げた。
「鑑定・解析」によれば、ここから先の階層は、もはや人類の文明とは接点のない、純粋な「理の世界」へと至る。
「地上に出る前に、このダンジョンの『真の特等席』で、数日の休息を取るとしよう。……銀嶺、この階層の全記録を私のアカウントへ同期しろ」
『了解しました、管理者。……なお、地上の管理局本部では、先ほど自爆部隊の消滅を確認し、局長が発狂、心停止した模様です』
「……そうか。手間が省けたな」
男は、銀髪を指先で弄びながら、静かに目を閉じた。
一人の老人が、システムによって殺され、中性子の王として再誕した。
その物語の序章は、今、圧倒的な断罪と収穫をもって完了しようとしていた。
どうぞ気軽に読んでいただければ幸いです。
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