第6話 神の解体 ―二百六十階層の偽神プロキシと、システム権限の強奪―
第二百六十階層。そこは、これまでの岩盤や原生林といった「物理的な空間」とは一線を画していた。
壁面はすべて幾何学的な結晶回路に覆われ、虚空には膨大な数の中性子の光糸が、神経網のように張り巡らされている。空気は無菌化され、絶対的な秩序を保つために「変動」そのものが禁止された、静謐なる電子の墓場。
ここが、人類が「神」と誤認し、国家の存続を賭けて生贄(国民)を捧げる契約を交わした、システムの末端機が座す聖域であった。
男は、漆黒の守護者『黒陽』を伴い、その空間の中心部へと足を進めた。
彼の一歩ごとに、床の結晶回路が「バグ」を検知したかのように真っ赤に点滅し、周囲の空間が物理的に軋みを上げる。
「鑑定・解析。……なるほど、これがこの世界の『管理代行者』か。中性子のスピンを演算素子として、このダンジョンのリソース配分を最適化しているだけの、意思なき自動機械だな」
男の前方に、眩い光の塊が出現した。
それは、幾何学的な多面体が複雑に組み合わさったような姿をしており、周囲の空間から無数の触手のようなエネルギーラインを伸ばしている。
『……警告。認可外の変容個体を検知。座標300よりの逆行は規約違反である。速やかに原子レベルでの初期化(初期化)を開始せよ』
無機質な思念波が空間を震わせた。
瞬間、プロキシから放たれたのは、中性子の強い相互作用を強制的に反転させ、物質を「存在の無」へと追い込む、神罰の如き分解波動であった。
「初期化、か。……私を一度殺した国家の言葉に似ているな。不愉快だ」
男は動かない。避けることさえしない。
彼の周囲を展開する「常駐する箱庭」が、プロキシの分解波動を正面から受け止めた。
本来、分子レベルで消滅するはずの空間は、男の「事象置換」によって、逆に彼の魔力を補填するための純粋なエネルギーへと変換されていく。
「解析終了。……お前の制御下にある中性子のコード、全てを私の支配下に置換する」
男は、自らの指先に中性子を極限まで尖らせた「構築の針」を生成し、虚空に漂うプロキシの基幹回路へと突き刺した。
「SPを投入。……全演算能力を【電脳介入:神域】へ集中。システム管理者権限の強制奪取を開始せよ」
男の脳内に、ダンジョンというシステムが数千年にわたって蓄積してきた膨大なログが、激流となって流れ込む。
なぜ生贄が必要だったのか。なぜこの構造が作られたのか。
それら全ての「不都合な真実」を、彼は瞬き一つの間に「分解」し、理解した。
「ただの効率化か。……感情を捨てた知性が、宇宙のエントロピー増大を防ぐために、知的生命体の『絶望』からエネルギーを抽出していただけとは。……あまりにも、つまらない答えだ」
男は無機質な偽神に向かって、冷酷な宣告を下した。
「分解。……そして、再定義」
男の指先から放たれた銀色の光が、プロキシの多面体を内側から食い破り、その中性子の配列を強引に書き換えていく。
『……エラー、システム権限が移譲……否、強奪。個体名:佐藤を『唯一の管理者』として承認。……再起動……』
光り輝く多面体は、男の意志に従い、その姿を変容させていった。
それはもはや「神」を模した威圧的な姿ではない。男の安寧をサポートするための、静謐で機能的な「世界管理インターフェース」――手のひらサイズの浮遊する銀色の球体へと。
「以後、お前を『銀嶺』と呼ぶ。……地上の管理局に繋がっている全ての『生贄投棄回路』を、今この瞬間、物理的に切断しろ」
『……了解。執行室の転送路を中性子レベルで凍結。地上からのアクセスを永久に遮断します』
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一方、地上――。
2026年1月11日、午前10時。
日本を含む世界各国の「執行室」では、未曾有の事態が起きていた。
床に描かれた転送陣が、突如として銀色の結晶体へと変質し、いかなる爆薬やレーザーを用いても傷一つつかない「絶対の障壁」へと化したのだ。
「そんな……! 穴が……穴が塞がったぞ!」
「管理局のメインフレームから応答がありません! 全ての国民の資産データが、勝手に元の持ち主の口座に『再構築』されて戻されています!」
管理局のモニターに、最後に表示されたのは、銀髪紅瞳の男の冷徹な眼差しと、一つのメッセージだった。
『――不法投棄は、ここで終わりだ』
国家を支えてきた悪魔のシステムは、中性子レベルで「分解」され、もはや修復不可能なガラクタへと成り下がった。
地上の指導者たちは、自分たちが棄てた「ゴミ」が、世界の理を握る「王」として帰還しつつあることを悟り、絶望の絶叫を上げた。
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二百六十階層。
男は、背後に従えた漆黒の巨躯『黒陽』と、傍らに浮遊する銀色の『銀嶺』を眺め、満足げに頷いた。
「生活魔法。……周囲の回路に、私の好む『安寧の香気』を付与せよ」
殺伐とした機械の空間は、一瞬にして、極上のアロマが漂う幻想的な回廊へと変貌した。
男は、中性子で構築された透明な階段を一段ずつ昇り、さらなる上層を見据えた。
「さて……。システムは手に入れた。あとは地上に出るまでに、このダンジョンの『真の宝物庫』を整理し、私の悠々自適な隠居生活に必要な資材を揃えるとしよう」
男の瞳孔、黄金の十字が、さらなる深淵の真理を求めて明滅する。
逆行する攻略は、もはや作業の域すら超え、世界そのものを愛でる「散歩」へと昇華されていた。
どうぞ気軽に読んでいただければ幸いです。
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