七話 夢でまた、会えたのなら
城下町の喧騒も、夕陽が落ち始めるにつれゆっくりと静かになっていく。
赤く染まる石畳の通りを、グレンとルリはとぼとぼと歩いていた。
財布の中はほぼ空。
アーティファクトは売れず、服も買えず、宿代さえ危うい。
「……今日は、散々だったな」
グレンがそう漏らすと、ルリは両手でお腹を押さえる。
「わしは……その、昼に食べたリンゴと干し実で、まだ幸せである……が……」
ルリの口元にはまだ赤い皮の小さな欠片がついている。
市場のおばちゃんからもらった干し果実も、なぜかまだ握りしめたままだ。
「それ落とすなよ……」
そんな他愛のないやりとりをしていると、
「……おい、そこの」
背後から落ち着いた低い声がかかった。
振り返ると、夕陽を背にした女性が立っていた。
銀一色の鎧が黄金色に染まり、反射した光が煌々と辺りに光を散らす。
ルーフェン――
片足をかばうように歩きながらも、堂々とした姿勢の元聖教騎士団員だ。
「昼間も見かけたな、お前ら……その服で、まだ歩き回っていたのか?」
彼女の視線が二人の全身を静かに見回す。
薄汚れたローブ姿に、食べかけのリンゴのかす。
明らかに困窮しているのは一目瞭然だった。
グレンは苦笑するしかない。
「いろいろ回ったけど、何の成果もなくてな……」
ルリは夕陽に照らされながら、半ばふらふらと頷く。
「そ、そうなのじゃ……ルリとグレンは……万策尽きたのじゃ……」
その声には、どこか哀愁がにじんでいた。
ルーフェンは名前を聞いて眉をピクリと動かすと、近くまで歩み寄った。
「……お前ら、今夜、寝る場所はあるのか?」
「一応、ある。けど金が足りない。
もう一泊したら本格的に詰む」
グレンが正直に答えると、ルーフェンは眉を寄せつつ二人を見つめ直した。
夕陽が沈みかけ、街の灯がひとつ、またひとつと灯り始める。
その光景を見つめていたルーフェンは、小さく呟いた。
「……ちょうどいい。
私の家で、少し働く気はあるか?」
「え?」
「足が悪くてな。家のことがろくにできん。手代がほしかったが、雇いに行く暇がなくてな、お前らが困ってるなら……お互い様だ」
ルリの顔が一瞬で輝く。
「た、助けてくれるのか!?
なんと……優しい世界……っ!」
「うるさい、世界じゃなくて私だ。勘違いするな」
だが、声はどこか照れくさそうだった。
グレンは深く頭を下げる。
「助かる。仕事があるなら、いくらでも手伝う」
「よし。ついてこい。私のことはルーフェンと呼べ、グレンと……ルリ……夕飯くらいは食わせてやる」
その言葉に、ルリは感極まったように目を潤ませた。
「し、食事……っ! また食事ができるのじゃ……!この世はまだ捨てたものではない……!」
「泣くな! 近所に聞こえる!」
夕暮れの道を、三人の影が並んで伸びていく。
こうして、途方に暮れた二人は、落日の光に導かれるようにして、ルーフェンの家へと拾われていった。
ルーフェンの家は、古い木造の小さな家だった。
だが玄関を開けた途端、グレンはほっと息を漏らす。
「……木の匂いが落ち着くな……」
「まあな。ひとり暮らしが長いと、余計なものは減っていく。家本来の香りが滲み出ているのだろう」
ルーフェンは軽く言いながら台所に荷物を置き、すぐさま食事の準備に取りかかった。
彼女は手際よく野菜を刻み、次々と鍋に放り込んでいく。
数分経った後にカタカタと揺れ始める鍋の蓋を開けると、ふわりと香草と肉の旨味が混じった湯気が吹き上がった。
その匂いが広がった瞬間――
「っ……!?」
ルリの背筋がビクッと震えた。
瞳が見開かれ、口元はわなわな震え、まるで生まれて初めて文明と出会ったような顔になった。
「な、なんじゃこれは……! 天より舞い降りし芳香……!嗅ぐだけで……は、鼻が落ちそうじゃ……!」
「落ち着け、お前……!」
グレンが肩を掴んで止めるが、ルリは料理の匂いに完全に魂を持っていかれている。
ルーフェンは呆れたように笑いながら、
「そんなに珍しいか? ただの野菜煮込みだが」
「ただの……?ただの……!?わしは……いま……昇天するところじゃ……っ」
グレンはルリを止めながら笑う。
しかし、その笑顔は純粋な楽しさからでなく、幾多の時を放置されていた彼女への痛ましさから来た苦笑だった。
ちくりと胸が痛む。
やがて、テーブルに素朴な料理が並んだ。
・香草入りの肉と野菜の煮込み
・焼き立てのパン
・様々な豆のスープ
・アストラルアップル
「いただきます」
グレンとルーフェンが静かに手を合わせる横で――
「い、いただくのじゃああああああ!」
ルリは全身で感謝を叫び、一口目を食べた瞬間、椅子ごとひっくり返った。
「おあああああ……っ!!う、うますぎる……っ!口が……幸せで溶けるのじゃ……!」
「だから落ち着けと言ってるだろ!」
ルーフェンは吹き出しそうになるのを必死にこらえる。
「……いい食いっぷりだな。作った甲斐がある」
ニコリと口角を上げながら。照れくさそうに鍋をかき混ぜる。
鍋の中身はたくさんあったはずなのだが、ルリは数え切れぬほどおかわりをして、そのすべてを食べ尽くしてしまうのだった。
食後、ルリは胸を張って宣言する。
「ルーフェンよ!この恩は必ず返すのじゃ!
まずは皿洗いじゃな!任せるがよい!」
「いや。まてっっ!」
グレンが気づく頃にはもう遅かった。
ガシャアアアアアァァーーン!!
ものの十秒で、皿二枚とコップ一つが昇天した。
「な、なにゆえ落ちるのじゃ!? わしの手が……すべるっ……!」
「濡れた皿を片手で持つな!!」
ルーフェンは額を押さえながらため息をつく。
「……まあ、いい。元気があるのは悪くない。今日のところは座ってろ」
「……はい」
ルリはしゅんとし、グレンの影に隠れた。
「まぁ、慣れればなんとかなるからさ。とりあえず落ち着くところから始めないといけないけどね……」
グレンは苦笑しつつ、代わりに洗い物を引き受けた。
片付けも終わり、家の灯が落ちるころ。
ルーフェンは二人に寝床を示した。
「狭い家で悪いが……布団はふたつある。
今夜はゆっくり休め」
「ありがとう、ルーフェン」
「感謝するのじゃ……っ。明日はちゃんと役に立つのじゃ……!」
「その心意気だけ受け取っておく」
柔らかい笑みを浮かべるルーフェンを見て、グレンはふと胸が温かくなる。
「本当に、助かるよ、ほんとに……」
「…………そっか」
ルーフェンは反対を向いている為顔色は見えない。
彼女は人差し指で顔を掻きながら、一言だけそう呟いた。
この家でしばらく世話になれるかもしれない。
そんな予感が、静かな夜に溶けていった――
片付けが終わり、ルーフェンが寝床を準備しようとしていた時だった。
コンコン……
控えめなノック音が、静まり始めた路地に響く。
「……ん?こんな時間に誰だ」
ルーフェンが玄関に歩み寄り戸を開けると、新聞の配達少年が、薄暗い色の号外を手に立っていた。
「ルーフェンさん、これ……ここいらに回すようにって」
「……ああ、ご苦労」
受け取った紙は、通りの街灯の下でひらひらと揺れ、その大きな見出しは一瞬で彼女の目を奪った。
『勇者グレン・アステラフレア 殉死』
ルーフェンの肩が、わずかに強張る。
グレンとルリは、台所で片付けをしていて気づいていない。
ルーフェンは声を出さなかった。
紙を強く握りしめると、雑多な物置部屋に足を向けた。
扉を閉める。
そして――
「…………っ」
小さく、かすれた声がもれた。
彼女は古い木箱に腰を下ろし、号外を膝の上で広げる。
街灯の小さな光が差し込む中、彼女の頬を伝った涙は、光を受けて静かにきらめいた。
「……なぜ……尊敬する人ばかりしんでいくのかっっ」
片足を痛め、戦場を離れた日のことが胸に刺さる。
あの日、グレンと肩を並べた唯一の任務。
彼の背中は、自分のような凡兵がついていくには眩しすぎた。
それでも彼は、あの静かな声で言った。
『無理をするな、ルーフェン。
仲間は守り合うもんだろ?』
「お前の笑顔が、昨日のことのように思い浮かぶよ」
彼女は声を押し殺して涙を拭う。この家にいる変身後のグレンの正体を知るはずもない。
ほんの数分間だけ、彼女は勇者の死を悼む、ただの一人の元騎士になっていた。
そして深く息を吸い、号外を丁寧に畳むと、何事もなかったかのような顔で台所へ戻った。
寝床を整えたあと、ルーフェンはぽつりと呟くように言った。
「……そういえば、お前らに話してなかったな。昔、騎士団にいた頃のこと」
グレンとルリが顔を上げる。
「騎士団……なのじゃ?」
ルーフェンは苦笑し、
「大したことじゃない。私は足をやってしまって、すぐ辞めることになったが……一度だけ、勇者グレンと任務を共にしたことがある」
その名を聞き、グレンは思わず動きを止めた。
だが彼女はそれに気づかず、懐かしむように目を細めて続ける。
「……あいつは強かった。しかもただ強いだけじゃない。人の痛みに敏いというか……無茶をした私を庇って、代わりに大怪我をさせてしまってな」
ルリが小首を傾げる。
「その勇者、優しいのじゃな」
「ああ。強くて優しくて、不器用で、どこか影があって……なぜみんなに慕われたのかって理由がよくわかる男だったよ」
そこでルーフェンは少し寂しそうに笑う。
「……生きていれば、今頃どうしていただろうな。もう、会えることはないのだな」
ルーフェンはポケットから大きめの紙を取り出す。
表紙を半分占領して書かれた 勇者アステラフレア 殉死 の文字に、グレンらは否応なく目が奪われる。
胸にわずかに痛みが走り、グレンは目を伏せた。
だがルーフェンは気を取り直し、ふっと笑って手を叩く。
「……まあ、昔の話だ。さ、寝るぞ。寒くなる」
ゆっくりと立ち上がり、今の彼女の穏やかな日常へ戻っていく。
彼女はおもむろに後ろを振り向くと、だれにも気づかれぬよう想いを吐露した。
「夢でもなんでも、また会えたなら、私は君にありがとうと言うのだがな」




