四十二話 一人じゃないから
グレンは扉にもたれかかったまま、深く息を吐いた。
指先には、まだルリの冷たいぬくもりが残っている。
「……グレン」
背後から、控えめな声がかかった。振り返ればリーネが立っている。
隊長としての毅然とした態度は無く、心底心配そうな顔をしている。
「大丈夫か?色々と……受け止めきれないだろう」
「……あぁ。正直、頭が追いついてない」
返事をしながらも、グレンの眼は思考の底に沈んでいた。
ルリは生きている。
だが、死んでいるのと変わらない状態だという。
その事実を理解しようとするほど、喉の奥が苦しくなる。
リーネは、そんな彼を静かに見つめると
「星夜祭まで、あと二週間くらいか……彼女を連れていってやりな」
と、優しく語りかけた。
「……それは中庭に集まるってあれか?」
グレンはたどたどしく言葉を返す。
「勇者のくせに恋愛には疎いのね〜。顔真っ赤ぁ」
リーネはそう言うと口角を大きくあげる。悪戯をする寸前の子供のようだ。
「勇者のくせにと言うか勇者だからこそだろ。恋愛なんてする暇なかったし星夜祭とか何やるかわからないし……」
「昼間は各学年で出し物。で、終わりの方で一人一人が願い事を書いた札をツリーに飾るの」
「この祭りができた理由を話すと長くなるけど、簡単に言うと恋愛イベントよ。元もそんな感じだし」
「すっごいざっくりしてる」
グレンは呆れ顔でリーネをちらりと見る。適当な説明にもかかわらず彼女は誇らしげな顔をしている。
「リーネは誰か誘うのか?」
グレンが素朴な質問を投げかけると、彼女は顔を染め視線を逸らした。
「ばっっ……学生のイベントに騎士団隊長が入るのはおかしいでしょ」
「確かにそうかも知れないな」
リーネがグレンに向き直る。
「だからね――」
「学生時代を知らないグレンはこれが最後のチャンスになるかもよぉ?」
じとっ、と突き刺すような視線を向けてくる。グレンがもともと学園に通っていないことは、正教騎士団内では周知の事実だ。
「そうだな」
「誘い忘れるなんてバカな真似したら私が貴方をしばきにいくから」
「いや、そんなこ――」
「絶対、後悔しない選択をしなよ、勇者さま」
言葉を遮ってリーネはグレンの額にデコピンを食らわせる。
そして、額を抑えるグレンを背に、歩き立ち去っていく。
「あぁ、そうだ。騎士団隊長として、協力できることがあれば何でも言ってよね。ルリちゃんは私が見とくから、今日は帰りなよ」
途中一度だけ振り向いて、それだけを伝えると、彼女は二度と振り返らずに医務室へと入っていった。
彼女の背が異様に大きく見えた。おちゃらけているように見えるが、実は色々な経験を重ねているのだろうと感じた。
ダンジョン遠征が終わった際はそのまま家へと帰宅するよう指示が入る。しかし今いるのは学校だ。ほんの少し遠回りになるが、ここから帰宅しなくてはならない。
トボトボと一人廊下を歩いていると、対面……廊下の端から声が届く。
「グレーーン!」
「カイナ……」
てとてとと橙の髪を揺らし、一人の少女がこちらにむかって走ってくる。後ろには「まっ……待って……」といいながら、リノアが追っている。
ハァハァと息を切らしながら、膝に手をつきグレンの目の前で彼女らは止まる。
「ルリちゃんが意識不明だって聞いて、それで!」
「おっ、落ち着いて。とりあえず容体は安定してるから」
「よっ……よかったぁ〜」
リノアが後ろで両膝に手を付けながら思いを吐き出す。ほんの少し泣きそうな表情をしているようにも見えた。
「今大丈夫なのかな」
「ルリだったら今寝てる。とりあえずはリーネが見ててくれるって話だから今日のところは帰ろうかと思っててさ」
「リーネさんって……七隊隊長!?あっそっかグレン君勇者だから――グゥッ!?」
――リノアが後ろからカイナの口を塞ぐ。カイナは声にならぬ声が漏れる
「誰が聞いているか分かりません。その話題は抑えてっ」
「ごっ、ごめん。とりあえず安心したぁ〜」
ほっと胸を撫で下ろすカイナの側で、リノアはちょこっと首を傾げた。
「で……ルリちゃんとは仲直りできたんですか?」
帰宅道。グレンは始星寮へと向かわず、五環庶民区へと足を向けていた。色々話したいことがあったし、今はセラフィナ達と顔を合わせたくなかった。
「心配してたんですよ!ルリちゃんなんか毎日泣きそうな顔してたんですから」
「なっ……心配かけてたんだな」
「そうだよ!こないだなんかあそこの屋台近くでボーッと止まっちゃったりしてさ、ほんとどうしたんだろって」
指をさされた方向に目を配る。そこには、以前出かけたときに寄ったアストラルアップルの露天商が店を構えている。
「なんかさ、どう接すればいいのかわからなくなっちゃってさ」
「うわぁ……ルリちゃんとまったく同じこと言ってます」
「グレンになんて声かければいいのかわからなくなっちゃての〜とか言ってたし!」
カイナとリノアとも、若干最初はぎくしゃくした会話が続いていたが、いつしかいつものような関係に戻っていた。
ほんのちょっとしたすれ違いで仲が悪くなることがある。でも、裏を返せば簡単なきっかけで仲がもどる事もあるのだろう。そんなことを感じられた。
「でさ、何で意識不明になっちゃったの?」
ピクリとグレンの背筋が強張る。
心臓が無いこと。そして、謎の強敵に会ったこと。
とてもじゃないが、話せない。ダンジョンで出会った奴らに関しては外に漏らすとどうなるのかさえ分からないのだ。
「わからないんだ……なにも」
結果、曖昧な答えが口から漏れた。ルリ自身の事については、彼女の口から言ってもらうほうがいいと判断した。
「ふ〜ん……」
それに対して、彼女らは真顔でこちらを一瞬見るだけに留まった。グレンから漂う哀愁たっぷりの雰囲気が、これ以上の質問を拒絶していた。
通りに出ると、屋台の灯りが少しずつ増えていく。
夕暮れの風が、ほんのり甘いアストラルアップルの香りを運んできた。
「……あっ、そういえばさ」
カイナが完全にいつも通りのトーンで言った。
「星夜祭さぁ、影星と始星で合同って聞いたんだけど……」
「なんか出し物とか、どうするんだろうね」
リノアも控えめに続く。
それはちょうど、グレンが聞きたかった話題だった。
二週間後――
あの日、ルリを必ず連れていくと決めた祭り。
「明日、クラスで話し合うらしいですよ……影星と始星、一緒に」
「なんか緊張するね……絶対揉めるだろうし!」
「お前が言うか……」
「私はただ正直者なだけだって!」
また笑いがこぼれる。
三人で歩く帰り道は、ついさっきまで感じていた重苦しさとは別物だった。
だけど、胸の底――
ルリの冷たい手の感触は、まだそこに残っている。
「……星夜祭、か」
小さく呟いたその声は、二人には聞こえなかった。
それでも――
今、こうして並んで歩けている事が、不思議なほど救いになっていたのだった。




