四十一話 不完全な存在
「見慣れたものだ……って言いたいところだけど今回は君じゃなくて友人なんだね」
ガラリと開いた扉から姿をあらわした黒髪の職員が言う。若干ため息交じりだが、その行動はプロフェッショナルだ。素早い動きで器具をかき集め、瞬時にルリの体を検査していく。
「状況は?」
手には既に聴診器と数種の検査器具。
リーネが一歩前に出て、かすかに震える声で答える。
「……倒れた理由は不明です。戦っても、走っても、魔力も使っていません。外傷も……疲労も……その、何も……」
医務員は黙って頷き、器具をルリの胸元へと当てる。
迷いなく、そして正確にカチ、カチという器具の微動音だけが鳴り響く。
ほどなくして、彼の表情が……変わった。
ほんの小さな変化――
だが、それはグレンの心臓を一気に締め上げた。
「……あれ?」
最初は呟きだった。
しかし次の瞬間、医務員は顔を真っ青に変え、手元の器具を何度も胸元に当て始める。
「……ちょっと待て……そんなはずは……なぜだ……」
焦りが隠せていない。
何度も器具の向きを変え、ボソボソと呟く。手元は震え始め、やがて止まった。
「脈がないぞ……なんで……?」
「……は?」
グレンの声が震える。
医務員は唇を噛んだ。
そして――覚悟を決めるように告げた。
「…………鼓動がありません」
空気が破裂したように、全員が固まった。
リーネが椅子を蹴って立ち上がり、グレンは崩れるように椅子から落ちる。
「し、心臓が……止まって……で、でも……息してますよね……?」
医務員は、震える手で
「呼吸は……あります。だけど――心拍だけが……完全にゼロだ」
「完全に……?」
グレンが呟く。
「完全にだ」
医務員は青ざめながら言った。
「普通なら――とっくに死んでる状態だよ」
言葉が、鈍器のように胸を叩く。
グレンの脳裏に、いくつもの場面が蘇る。
――手を握った夜の、あの冷たさ
――背負った時の不思議な感覚
――ダンジョンの奥底で、長い時を生きたという証言
「ルリ……」
震える声が零れた瞬間。
ルリの指先が――
かすかに、ほんの数ミリだけ――動いた。
「っ……動いたぞ……!」
リーネが叫ぶ。医務員も大きく目を見開く。
「だが……どういう仕組みだ……生きているのに、心臓が止まっているのに……ありえない……医学的にも、魔法的にも……説明がつかない」
「……ルリ。お前……もしかして最初から……」
声が震え、言葉が消えた。グレンの中に、とある考えが浮かび上がってきたのだ――
彼女は既に、この世のものではないのかもしれないという事に……
「ルリ……」
名前を呼ぶと、ルリのまつげが震えた。ゆっくりと、ほんの少し目を開ける。
「グレン……?」
いつものように、純真無垢な笑顔を向けようとする。
それを見た瞬間、グレンの呼吸は乱れた。
「お前……心臓が……」
胸が締め付けられるような思い。声が震えて押しつぶされそうになる。ルリは、ほんの少しだけ目を伏せた。
「ごめん……」
たった一言、謝罪の言葉を口にする。グレンは困惑したような表情をしながら
「死なないよな……」
と、問いかける。
「わからないのじゃ。ぜんぶ、最初から」
ルリはそっぽを向くと、消え入るような声をあげた。
何処かの医療器具が落ち、カランと音を立てた。それが一番大きな音になる程の静寂。
グレンは下を向き、ルリは窓を向く。リーネは唖然とし、職員は慌てふためいたように辺りを見回す。
誰も何も言わず、ただ、気まずい時間が流れていく。
「……ルリ」
グレンは唇を噛んだ。視界が滲むのは、疲労でも混乱でもなかった。
ただ単純に、怖かった。
「どうして……言わなかった」
自然に溢れ出した問いは、責めるためではなかった。
声の奥に滲んでいたのは、はっきりとした喪失への怯えだった。
ルリは窓の外を見つめたまま、小さく震える声で答えた。
「言ったら……グレンは離れてしまうと思ったのじゃ……ワシが……死んでいるのと同然と知ったら……怖いと思うじゃろ……?」
静かに、しかし確実に胸に刺さる告白。グレンは拳を握り、俯いたまま呼吸を荒げた。今すぐにでも否定したかった。すぐに抱きしめたかった。
だが、真実があまりに重すぎて、言葉が喉につかえた。
グレンは一歩前に踏み出し、おもむろにルリのおでこに自分のおでこを重ねた。
「ッッ……!」
声にならない声をあげ、ルリは目を泳がせる。口はきゅっ、と結ばれ、緊張の面持ちを崩さなかった。
だが、決して否定するでも無く、グレンが自然と離れるまで、同じ熱を共有していた。
「冷たいな……前々から思ってたけど」
「そうじゃろう……」
「でも、お前がお前である限り、俺は決して離れることはない。絶対にな」
苦しいはずなのに、緊張しているはずなのに、ルリの瞳からぶわっ、と涙がこぼれた。
肩は震え、こぼれた涙の跡は、その痛みに呼応するかのようにピシャリと広がる。
「グレン……ありがと」
グレンの首元に腕がかかる。グレンは、それに否定も肯定もせず、ただされるがままに彼女に呼び止められていた……
「寝ちゃったようだな」
「あぁ」
ルリからスゥ、と静かな呼吸音が聞こえたかと思うと、彼女はいつの間にか眠りに落ちていたようで、その瞳は完全に閉じきっていた。
「なら、一度外に出ろ。顔色が死人みたいだぞ、グレン」
「……すまん
グレンはそっとルリをベッドに寝かせ、最後に彼女の手をそっと握る。
握り返された。ビクリと驚いて、目を見開く。
眠ったままのルリは、かすかな力で彼の指を掴んでいた。
「…………」
胸が締め付けられ、視界が滲む。
それでも、手を離してはいけない気がして、ほんの数秒だけ、強く握り返した。
その後、部屋を出ると――
廊下の奥から、二人の生徒が楽しげな笑い声で話し合っている。
「もうすぐ星夜祭だろ?お前誘えたのか?」
「いや、実はまだでさぁ……」
「ふーん。てか今年も出し物やるんだろ?俺等何やるんだろうな?」
「そういや何も決めてないよなぁ」
そこには、平和な空間が広がっていた。
闇あるところに光はあり、事件の裏には平和がある。
グレンの周りには、奇妙なまでの平和が広がっているのだった……




