三十八話 夢の
グレンは剣を握りしめ、一歩を踏み出した。
——その瞬間
ルリは、胸の奥を締め付けられるような痛みに、足を止めた。
ルリ達三人の班は、真っ先に洞窟へと突入していた。少し前までSランクダンジョンに閉じ込められていたのだ。Cランクなんぞで立ち止まっていられない。そんな思いを抱えていた。
洞窟の中は、嫌というほど静かだった。
水が滴る音も、靴底が石を踏む音も、確かに存在している。
けれど、それらすべてが——
少し、遠い。
まるで自分だけが、水の底に沈んでいるような感覚だった。
「……妙じゃの」
ルリは、無意識にそう呟いていた。
黙森の洞窟。
Cクラスに分類されてはいるが、精神汚染が強いことで知られる特殊なダンジョン。
宿屋の女将のセリフを否応なく思い出す。理由がはっきりしないまま、人が錯乱状態で飛び出してくると――
「ルリ、大丈夫?」
班の後方にいた女生徒が、心配そうに声をかけてくる。
「うむ、心配ご無用じゃ」
条件反射的に、そう返していた。
洞窟の壁は、苔に覆われ、湿っている。見れば見るほどに自然のそれだが、生きているような不思議な感覚を覚える。
呼吸するたび、空気が肺ではなく、さらに奥につき刺さるような、そんな感じがする。
——ずきり
「……っ」
頭の奥を、細い針で刺されたような痛みを感じた。
立ち止まったのは一瞬のはずなのに、何故か世界が遠ざかっていくような感覚がする。
視界が歪み、洞窟の壁が揺れる――
次の瞬間、景色が反転した。
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夢のア繧ケ繝医Λ
「なんでここなんじゃ……」
気づいたら、黒い街に立っていた。
過去にも何度か来たことがある、不気味な街。
「……」
私は無意識に走る。当然、行かなければいけない場所に行くために、だ。
もう、道は覚えている。感覚的には一瞬で、そこに着いた。
「おじゃまします……なのじゃ!」
勢いよく扉を開く。同じ空間が広がっていると、分かっているはずなのに。
「失礼するのじゃ」
ズカズカと足音を立て、奥の扉を開ける。まるで、そこにいざなわれているかのように。
「…………」
「どわっ!?びっくりしたのじゃ」
扉を開いた先に、影があった。ぼうっとぼやけた輪郭で、こちらを覗いているようにも見える。
「……しっ、失礼するのじゃ……」
私はすり足で後退すると、勢いよく扉を閉める。ふうっ、と息をして振り返ると、そこにも影があった。
「なんなんじゃ!わしをびっくりさせてもなにもでんぞ!」
私は思わず声を荒げる。しかし、声が返ってくることはない。
「はぁ……」
私はガクリと肩を落とし、暖炉がある方へと向かった。ここだけはなぜか温かい。
ちらりと後ろを振り向く。すると、さっき合ったはずの影が子供部屋の入り口へと移動していた。
「…………」
私は何も言わず、そっと影に付いていく。
暖炉の近くにいた影と、子供部屋にいた小さな影は、まるで家族のように……いや、家族なのだろう。抱き合っていた。
そして、それらは何かやりとりをしている。何をしているのかは分からないが、大きな影は小さな影の頭をぽんぽんと撫でた。
その瞬間だった。
——コツン
背後の窓ガラスに、何かが触れた音がした。
「……?」
私は、そっと振り返る。
窓の外は、さっきまで黒い街が広がっていたはずだ。
けれど今は——
「……っ」
そこに、影があった。
一つや 二つでもない。
数え切れぬほどの影が、窓の外に立ち尽くしている。
人の形をしているが、顔がない。 目も、口もなにも。
ただ、こちらを向いていることはハッキリとわかった。
「な……なんじゃ、これは……」
窓に、影の手が触れた。
ペタリ……ペタリ……
次々と、黒い手形が浮かび上がる。 まるで、外にいるそれらが、中にいる何かを探しているかのように。
「おい、逃げるのじゃ」
私は叫ぶように走り出し、影に触れようとする。しかし、手は虚空を掴み、掌には空虚が残る。
胸の奥が、じわりと冷たくなるのを感じる。
理解してしまったのだ。ここは、安全な場所ではない。 この家は、守られる場所ではない。
「……逃げなきゃ、ならん……」
声が、震えた。
あの大きな影が、そっとこちらを見た。それは何も言わない。 けれど、その仕草ははっきりと示していた。
——裏だ
——裏口へ行け
私は、無意識に頷いていた。
床を蹴り、走る。 木の廊下が、ぎしぎしと悲鳴を上げる。
ガンッッ!
背後で窓が叩かれた。何度も、何度も。
「ひっ……!」
扉の前に辿り着き、震える手で取っ手を掴む。
「お願いじゃ……!」
開けた瞬間——
世界が、瞬時に反転した。
「退屈ですわね」
セラフィナがコツンと石を蹴り上げる。
「出てくるモンスターはDクラス並みの雑魚ばっかだ。精神汚染っつってもたまーに声っぽいもんが聞こえてくるだけだぞ?」
「なっ、何を言っているんです!そんな声なんて聞こえませんわ!」
明らかに動揺したセラフィナがカクカクとした動きでダンジョンの奥へと進んでいく。
何も起きないが、起きている。
グレンは、何故かふと歩みを止めた。
理由は分からない。
音がしたわけでも、魔物の気配を感じたわけでもない。
ただ――
胸元が、熱い。
「……?」
無意識に、服の上から指輪に触れた。
じわり、と。
金属とは思えないほどの温度が、指先に伝わってくる。
「今度は……何だ」
小さく呟いた、その瞬間だった。
――ルリ。
唐突に、名前が浮かんだ。
彼女のことを思っていたこと訳では無い。
ただ、脳裏に浮かび上がった。
「……は?」
一歩、踏み出そうとして。
足が、思うように動かなかった。
「おい、どうした?」
ライオットが首を傾げる。グレンは、前を向こうとするも、ゾクリと舐めるような視線を感じ後ろを振り向く。
「――いや、だいじょ……」
何もないことを確認して歩き出そうと前を向く。そこには、ライオット達の姿はなかった。
「……は?」
グレンは目の前の光景に言葉を失った。
「グレン?早くしないと置いてくぞ!」
グランツが笑う。
「そうだぞ、後ちょっとじゃねぇか!」
バルランドがガハハと笑いながら、グレンの元へとその太い腕を差し伸べる。
「そうですよグレン君っ!帰ったら沢山お料理作ってあげますからね!」
グレイプニルが目と鼻の先で小さく笑う。
「みん……な?」
聖教騎士団第一隊プリムスのメンバーが、そこにいた。何もなかったかのように談笑し、ズカズカと歩いていく。
「置いていかないで!」
思わず走る。転びそうになるも、手をつき必死に地面を蹴る。
画面が一枚、切り替わった。
一瞬の暗転。一瞬の明滅。
目の前が明るくなったそこには、全員の死体が転がっていた。
「…………」
一瞬の絶望。楽しかったひとときは、一度の暗闇で赤へと塗り替えられた。
「ふざ……けるな!」
思わず、心の叫びを具現化する。怒りなど、制御しようとさえ思わなかった。
「誰だ!なぜこんなことを」
死体を横切り、走る。血のぬめりに足を取られ、転びそうになる。
でも、走る。
奥へ、奥へと。
わからぬ答えを求めて。
たとえ息が切れそうになろうと、たとえ血反吐を吐きそうになろうと。
岩壁に手をつき、階段を飛び降り、ヌメヌメと滑る地面を走り過ぎた。
そして――画面が切り替わる
でも止まれない。止まったら、また見せられる。また、奪われる。
「……ルリ……!」
声に出した瞬間、洞窟が、わずかに震えた。
震えたのは岩ではなく、空気だ。
空気の密度が一瞬で変わり、耳が詰まる。
水の底に沈んだみたいに、音が遠ざかる。
次の瞬間、足元の感触が変わった。
目の前が開けている。ここが洞窟の最奥なのだろうか。
静かすぎて、逆に耳鳴りが響く。さっきまでの自然とは違い、そこは比較的綺麗で、まっさらだった。
そして、その中心に、ひとりの少女が倒れていた。
純白のローブに瑠璃色の髪、そして華奢な肩。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
今までの、すれ違いや距離、何となくで遠ざけてきた言い訳が。全部、一瞬で消えた。
ただ、怖い。倒れていて、動かない。
「ルリ……!」
駆け寄ろうとして、足が止まる。
これも、嘘の景色なんじゃないか?と、脳裏の悪魔が囁きかける。
グレンは頭を振って、駆けた。
指先が熱い。指輪が熱を持って、何かに共鳴してるように感じる。
「ルリっ……!?大丈夫か!」
駆け寄った先には、二つのアーティファクトが落ちていた。小さな卵のようなものと、時計のようなもの。
そして時計からは、白とも金色ともとれる見たことのないマナが流れている。
「……グレン?」
薄っすらと目を空けたルリがグレンを見つめる。
まるで、初めて会った時と同じ事を追体験しているかのような。グレンの頭に、似た出来事がフラッシュバックする。
「聞こえたんだ。君の声が」
両手でそっと抱きかかえる。
「グレン……すまないの……わし、何を話せばいいのかわからなくなっちゃっての」
一筋の涙を流して、そっと呟く。
「大丈夫……だから」
グレンは泣きそうな顔を無理やり抑える。
「なんじゃお主、すべてを失ったような顔をしおって」
ルリは苦い笑みを浮かべる。それは、ダンジョンの最奥で浮かべるにはあまりにも人間くさくて、あまりにも美しかった。
「早く出よう。ルリとなら何処までも行けるような気がする」
「よくそんなクサいセリフが吐けるなお主」
ルリは涙の跡が残る頬のまま、わざと憎まれ口を叩いた。けれど、その声はかすれている。笑い方も、どこか無理をしている。
グレンは、それに返す言葉を探さなかった。
代わりに、ルリの背と膝裏に腕を回し、抱き上げる。
「ちょ、ちょっ……わしは歩けるのじゃ!」
「駄目だ」
言葉は短いのに、ルリはそれ以上反論できなかった。
胸の痛みが、まだ引いていないのだろうか。呼吸は浅く体温も異常に低い。
そしてグレン自身も――おかしかった。
指先が、熱い。無意識に指を見ると、外れかけている。
「……今まで、全然取れなかったのに」
「光が……まずい」
その時ルリが呟いた。自身が落としたアーティファクトを見て、そっと。
「これか?」
グレンは二つのアーティファクト全てを片手で拾い上げる。そしてそれをルリのポケットに戻す。
「漏れてるのじゃ……光が……嫌な予感がする……」
ルリは、小さな声でそう呟いた。
帰り道は、妙に真っ直ぐな道が続いていた。
本来なら枝道が多いはずなのに、迷う気配がない。
まるで洞窟が自分らを追い返したがっているかのように。
そして、遠くから聞こえる声があった。
「……おい!そっちか!」
聞き覚えのある、乱暴な声。
「どこにいらっしゃるの!?」
次いで、硬い足音。
通路の曲がり角から、ライオットが顔を出した。
その後ろからセラフィナも姿を表す。
セラフィナは目を見開き、言葉を失った。
グレンの腕の中に、ルリがいるからだ。
「な、なんで……あなたが……」
「説明は後だ」
グレンは短く切る。
説明は脱出した後にすれば十分だ。
ライオットは一瞬だけ唖然としたが、すぐに顔を歪めた。
「……やっぱ出てんじゃねぇかよ、精神汚染」
そう言いながら、周囲を警戒する。
「これは……」
セラフィナが言いかけて、言葉を飲み込む。
「ルリ!」
その声が、別の方向から響いた。
角の向こうから、ルリの班の生徒たちが駆けてくる。
顔色は悪く、誰もが息を上げていた。
「急に……ルリが消えて……道が……!」
「出口がわからなくなって……!」
精神汚染の典型だ。
個々の幻覚だけでなく、空間認識すら歪める。
そして、その歪みが今。
各班を無理やり同じ通路に集めた。
――つまり、洞窟が意図的に、全員を出口へ押し出している。
「……嫌な感じじゃの」
ルリが掠れた声で呟く。グレンも同じことを思っていた。
助かったのに、背中が寒い。
「とにかく、外へ」
グレンが言うと、誰も逆らわなかった。
隊列は自然とできていた。前にライオットと他班の前衛。中央にグレンとルリ。そして後ろにセラフィナと数名。
構図としては、ルリを守る護衛騎士といった感じか。
歩く。兎に角、歩みを進める。
洞窟は、出口へ向かうほど空気が軽くなる。
……いや。
軽くなるというより、薄くなる。
泥沼から抜け出た時のような、妙な開放感に包まれる。
最後の曲がり角、そこを抜けた瞬間――
外から光が差し込み、冷たい森の風が顔を叩いた。
――地上だ。
しかし、何か空気がおかしい。
生徒は皆揃っているのに、誰もこちらをむこうともせず、じっと静かに立ちすくんでいる。
「おい、帰ったぞ」
ライオットが真っ先に地面を踏みしめる。不思議な違和感を感じたのは、その時だった。
「誰だ……お前……」
「……動くな」
低く、乾いた声が流れ、空気はぴたりと凍りついた。
グレンの視線が、自然と声の主を捉える。
木々の陰、岩と岩の間。
そこに――人が立っている。
「お前はっ!」
その人物をグレンは見たことがあった。真っ黒の衣服を身に着け、自らを隠している。
その影は、ゆっくりと腕を上げた。
次の瞬間――
ガハッ、という声といつの間にか突いた剣が、とある生徒の肩辺りに突き刺さっていた。
血が、遅れてぽたり、ぽたりと溢れ出した。
だが悲鳴が上がることはない。刺された生徒は口を開いたまま、声を出せずにいる。
喉が引き攣り、目を見開き、ただ震えているだけだ。
「……っ、ひ……」
空気だけが漏れる。
アドレナリンと恐怖が、痛みを押し潰している。
影は、何事もなかったかのように言った。
「逆らうと、こうなる」
その一言で、空気は更に凍りついた。
始星の生徒たちは――
すでに制圧されている。
武器を抜こうとした形跡すら見えない。抵抗した者が、最初に見せしめにされたのだろう。
セラフィナの肩が、小さく跳ねた。
「……あなた、何が目的ですの」
男は笑いながら指をさす。その先には、グレンとルリがいた。
「とあるマナを検出してさ、やってきてみたらこれだよ。やっぱり消しておくべきだったんだよなァ!」
問いの答えにはなっていないが、何となく、とんでもないことが起こっていると感じたセラフィナは一歩後ろに下がる。
グレンは剣を抜き、構える。
「来るぞ」
そういった瞬間――
「来てるよ」
剣が、振り下ろされていた。
ガキィン!と激しい衝撃が腕に伝わり、グレンは後ろに大きくのけぞる。
誰もが息を呑んだ。それは、ライオットやセラフィナでさえも例外でない。
あまりにも、行動が早すぎるのだ。
思考した瞬間には、結果が訪れている。じゃんけんで、手を出す前に勝ちの手を出されているような感覚。
「グレン……」
後ろでルリが小さく囁く。狙いはグレン、ただ一つであった。
「早く正体を見せろ!アステラフレアァァア!!」
黒装束は、剣を振り上げて、そういった。




