四話 ほんの、ほんの一瞬の安寧
夜の気配が降りた城下町オルディア――
石畳の通りにはランタンの光が柔らかく揺れ、露店の賑わいはすでに落ち着きをはらっている。人々は仕事や用事を終え、各々が帰路につき始めていた。
グレンはモンスターが落とした二枚の金貨をみてほんの少しの戸惑いを見せるも、ぐったりとうなだれるルリをみて、今は考えるべきじゃないと悟る。
重い足を必死に動かし続け、ようやく町外れの小さな宿へと入った。
「空いてる部屋? あるにはあるよ。ただ……ベッドは一つだけだねぇ」
宿の女将が申し訳なさそうに言う。
金貨一枚では贅沢は言えない。
グレンがちらりとルリを見ると、ルリはいつもの古風なしゃべりでぽつりと言った。
「構わぬぞ。わしは、どこでも眠れるゆえ」
本当にそうなのか。
さっきからずっと、ルリはグレンの腕をそっと掴んでいた。体調不良のせいか、歩く足取りもやや不安定だったのだ。
ふたりは部屋に案内される。
狭いけれど清潔な部屋に小さな窓。
そして――部屋の中央に、一つだけ置かれた木製のベッド。
「……ルリ。俺、床で寝るよ。お前、今日は無理すんなって」
「ベ……ベットじゃ、久方ぶりの……いや、わしには恐れ多い、金を稼いだお主が寝るべきじゃ」
ほんのわずかに、耳が赤い。
グレンは思わず目をそらす。
「じゃ、じゃあ――端と端で寝るのはどうじゃ。ほら、わしは体が小さいがゆえ、詰めれば寝れるのではなかろうか」
「う……まぁ、それでよいのなら」
正直、床でもいいと思っていた。でも、体の節々は痛み、ベッドをのぞくたびに脳がそこで寝なさいと命令をかけてくる。
鉛のように重い体を引きずって、グレンは右端に、ルリは左端に身を沈めた。
寝返りさえ打てば触れあってしまいそうな狭さだ。
互いに反対を向き、距離を取っているはずなのに、グレンの心臓は大きく響く。
――しばらく沈黙が流れた。
「グレン……」
「ん?」
背中越しに聞こえるルリの声は、さっきより弱々しい。
「わし……どうにも心がざわつくのじゃ。さっきの話も、環境の変化も、わしの記憶がまるで嘘だったかのように、この世界にはズレが生じている気がしてならないのじゃ……」
少しだけ布が揺れた。
ルリが、そっとグレンの方へ身体を寄せてきた気配がする。
「こ、こうすると……落ち着く、のじゃ、……」
気づけばルリの手がグレンの腕にそっと触れていた。
指先は震えている。ひんやりと凍えた指でぎゅっと腕を掴んでいる。
「……お前、本当に無理すんなよ」
「ふふ……そなたが隣におると、わしは……大丈夫じゃ」
まるで子どもが安心を求めるように、ルリはグレンの腕を抱きしめる。
その仕草に、グレンの胸がぎゅっと締め付けられた。
――今日、知ってしまった。
モンスターは人間の成れの果てかもしれないという事実を。
勇者として斬ってきた相手は、本当に守るべき人間だったのかもしれないという現実を。
その絶望と混乱が胸にこびりついて離れない。
だが今、すぐ隣で自分の腕にしがみついている少女の存在が、その痛みを少しだけ軽くしてくれていた。
「……ありがとう、ルリ」
「む……?な、なんのことじゃ……?」
「いや。なんでもないよ」
ルリは安心したように目を閉じ、呼吸がゆっくりと落ち着いていく。
グレンもまた、彼女が眠ったことを確認すると、深い眠りへと落ちていった。
夜風が窓を揺らし、優しい闇がふたりを包み込む。
――はじめての、静かな安息の夜だった。




