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三十四話 新生活

 始星寮の廊下は、やけに静かだった。


 足音が、必要以上に響く。

 磨き上げられた床はチリ一つ見えず、レッドカーペットにはホコリ一つ見当たらない。


 ――匂いから何まで、違う。


 落ち着く木の匂いがしない。

 ルーフェンの家にあった、古い梁の匂いも、木を燃やしたときの独特の香しさは微塵もない。


 代わりにあるのは、整えられた香り。

 香水と買ったばかりの布のような、生活感を感じさせぬ香り。


 グレンは、無意識に息を吐いた。


「……」


 ここでは、深く息を吸う気になれなかった。


 視線を感じる。


 廊下の向こうですれ違う始星の生徒たちが、ちらりとこちらを見る。

 すぐに逸らす者もいれば、もう一度だけ確認するように振り返る者もいる。


 誰も、何も言わない。だが、言えないのだと分かる。


 近くに、銀色の鎧があるから。


 聖教騎士団・第七隊。グレンを取り囲んでいる。これでは否が応でも注目される。


「……なんだかなぁ」


 小さく呟いて、グレンは前を向く。


 永遠にも感じる長い廊下の端に、グレンの部屋はあった。第七隊の一人が指を差し、ここが部屋だと知らせてくれる。


「ありがとう……ございました」


 丁重に、挨拶する。これも名家の時に叩き込まれたマナーであり、家庭内の規則であった。


 これは自由と言えるのか?

 これで楽しいと思えるのか?


 グレンの心のうちには、そんな言葉にできない違和感が、どす黒いもやとなって渦巻いていた。


 ドアを空け、中を確認してみる。やけに広い部屋と応接間。屋外テラスに無駄に大きいベット。


「なんでもでかくすりゃいいってもんじゃないと思うけどなぁ」


 グレンは苦笑いしつつ気分転換にテラスの外の空気を吸う。それもこれも、勇者としてアステラフレア家にいた頃には考えられなかった感覚だ。


「お?」


 ガシャン、と金属音がした。


 反射的に視線を向けると、

 隣のテラスで、ダンベルが上下している。


「えっ、ライオット?」


「おう」


 ライオットはダンベルを置いて手を叩く。


「あぁ、セラフィナが言ってたっけか。まぁ、隣はずっと誰もいなかったからな」


「……ここは空き部屋だったのか」


 グレンが言うと、

 ライオットは一瞬だけ間を置いた。


「まぁな」


 ダンベルを持ち上げながら、あっさり言う。


「前のやつ、三日で逃げた」


「……なんで?」


「朝練」


「朝から、筋トレを?」


「日の出前からだ」


 致命的である。騒音でなくとも、音は人に相当な不快感を与える。三日で逃げたとなればなおさらだろう。


「まぁ、正直言うとな、お前だけは認めてもいいって思ってんだ」


 ダンベルを一箇所にまとめ、タオルで髪を拭き上げる。


「は……はぁ」


「正直あのままやってたら俺はやられてた。名家の恥さらしだって言われてたかもな」 


「でも、君の魔力量なら」


「足りねぇんだよ。名家といえど、家庭内の序列がある。俺の双子の弟は、もう既に聖教騎士団にいる」


 だらりと肩を落とすと、いつにもない様子でうなだれる。学校で、こんな様子は見たことがない。


「どうすりゃいいのかわかんねぇんだ。俺は覚えがわりぃし、魔力はあっても突撃一辺倒だ」


「……そうか――」


 グレンが、何か言おうとする前に、ライオットはダンベルを再度持ち上げていた。


「まぁ、だから鍛えるしかないんだけどな……」


 ライオットが背を向ける。異様に体は大きいのに、何故か少し、小さく見えた……






 ――ガンッ。


 金属がぶつかる、鈍い音。


 次の瞬間、地面が揺れた。


「……っ」


 まだ夢の中だと思いたかった。

 だが、続けて聞こえる。


 ガシャン。

 ガンッ。

 ドンッ。


 衝撃音と、微振動。


「……なんだよ……」


 グレンは、布団の中で目を開けた。


 まだ外は暗い。カーテン越しに、朝焼けの気配すらない。


 ――日の出前だ


「おい……マジか……」


 壁越しに、低く響く声。


「……ラスト、十回……!」


 直後、床が震えた。


「三日……ねぇ……」


 グレンが迎える始星寮初めての朝は、最悪の結果に終わったのだった……






「ふぁ〜あ」


 グレンは疲労困憊の体はそのままに、ぼろぼろの身体で教室へと向かう。休む選択肢もできただろうが、体を動かしていないと、余計な雑念に思考を阻まれそうでやめた。


 いつもの、影星クラスの扉を開ける。


 グレンは自分でも分かるほど、空気が変わったのを感じた。


 数人の視線が、一斉にこちらを向く。


「……」


 制服の袖から覗く包帯。歩くたび、肩の奥が鈍く軋む。


 平静を装っているつもりでも、身体は正直だった。


「……グレン?」


 最初に気づいたのは、カイナだった。


 一瞬、名前を呼ぶ声が止まり――

 次の瞬間、椅子を蹴る音が響く。


「ちょ、ちょっと待って!!」


 駆け寄ってきたカイナは、グレンの腕を掴み――

 そこで、はっきりと固まった。


「……凄い包帯の量……」


 その言葉に、教室の空気がざわりと揺れる。


「昨日……あんな状態だったよね!? なんで来てるの!?医務室は!?寝てなきゃダメでしょっ!」


 矢継ぎ早に、心配の言葉を口にする。


 グレンは苦笑しながら、そっと腕を引いた。


「大丈夫だよ。ちゃんと治療は受けたし――」


 その途中。


「……無理、してますよね」


 横から遮るように言葉がかかる。それはリノアだった。


 彼女は立ち上がらず、ただ座ったまま、じっとグレンの身体を見ている。


 少し顔を歪めながら、ゆっくりと口を開いた。


「昨日……気を失ってました。 血も……たくさん……」


 言葉を選ぶように、ひとつひとつ。


「……普通じゃ、ありません」


 その視線から、逃げられなかった。


 グレンは一瞬だけ黙り込み――

 それから、いつものように笑った。


「心配しすぎだよ。ほら、生きてる」


 そのまま席に向かい、腰を下ろそうとして――


「……っ」


 小さく、息が詰まった。


 ほんの一瞬。だが、リノアは見逃さなかった。


「……痛い、ですよね」


 否定しようとしたが、やめた。


「……まぁ、少し」


 カイナが唇を噛む。


「……ほんと、無茶ばっかり」


 そう言いながら、視線はずっとこちらにあった。


「でもさ」


 ふっと表情を変え、少しだけ声を落とす。


「昨日のこと、何も説明されてないんだけど」


 その言葉に、グレンの胸がざわついた。


 ――そうだ


 グレンは立ち上がっていた。


「ちょ、グレン!?」


 カイナが止めようとするも、その腕をリノアが掴む。


「リノア!だって、こんな身体で」


 グレンは走っていた。何も分からないままでいたくない。それに、なんていったってこれは普通じゃない。


 考えているうちに、そこにはすぐ着いた。


 校内でも目立つ、荘厳なドアを開ける。キィィと音を立てすんなりと扉は開く。


 中には白髪の少女がいた。それは、いつも通りの制服で、いつも通りの場所で、何か本を読んでいる。


「アルトは……いないか?」


 グレンは小走りでアリエッタに詰め寄る。しかし、帰ってきたのはフルフルと首を振る返事だけ。


「そう……か」


 踵を返し、ドアノブに手をかけようとした、その時だった。


「…………グレン」  


 ポツリと、グレンの耳にギリギリで聞こえるくらいの声量で、アリエッタが囁く。


 グレンはビクリと肩を震わせ、アリエッタを見る。


「…………気を……つけて……」


 彼女はそれだけ言うと、再度手元の本に目線を落とした。


 わけがわからず一歩進み、グレンは情報を引き出そうと手を伸ばす――


 ――しかし


 無情に授業を始めるチャイムが鳴り響く。


 グレンは、廊下に出ると、頭を抱えながら自分の教室へ戻っていく。


「何を、どうすればいいってんだよ」


 数多の不安を、残しながら……


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