三十一話 断罪、未だ至らず
戦場のどこかで、瓦礫が崩れる音がした。
魔法の応酬は続いている。 だが――さっきまでのような圧は、ない。
ライオットが一度、大きく跳ねて距離を取った。 着地の瞬間、膝がわずかに揺れる。
「……チッ」
舌打ち。 明らかに息が荒い。
セラフィナも同様だった。 詠唱を途中で切り、ローブの袖で口元を拭う。
「……長引かせすぎ、かしらね」
言葉は冷静だが、想像以上に体力消耗が激しいのか、肩で息をしている。
ウェスト校は、動かない。
いや――動かないことで、こちらを削っている。
グレンは、二人を見て、少し声を張り上げる。
「いったん引こう」
戦場には不釣り合いなほど、落ち着いていて、異常なほどに通る声。
一瞬、空気が張り詰める。
「は?」
ライオットが振り返る。 その目に、苛立ちが浮かぶ。
「今さら何言ってんだ! 押せば――」
「無理だ」
グレンは、被せるように言った。
「このまま続けたら、先に尽きるのはこっちだ」
セラフィナが、細く目を眇める。
「……根拠は何よ」
「向こうは、最初から削り合いに来てる」
グレンは、指で一箇所を示した。 崩れかけの建物、その屋上。
「高所。あそこを取ってるやつが、全体を見てる」
ウェスト校の後衛。 常に一人、少し高い位置にいる。
「遮蔽を使って、撃たせて、回避する……最初から、俺たちと消耗戦をするつもりだ」
「だからさ――」
突如ライオットが、鼻で笑った。
「じゃあどうすんだよ。今さら綺麗な陣形でも組むか?」
「いや、組まない」
即答。そして
「上から潰す」
「はっ、なんだよ、さっきとやることほとんど変わんねぇじゃねぇか」
グレンはライオットの言葉を無視して、アリエッタを見る。
「アリエッタ。霊で、足止めできるか」
一瞬、きょとんとした後。 彼女は、こくこくと頷いた。
「十分だ」
グレンは、すぐに続ける。
「その間に、ライオットとセラフィナで挟む」
「は?」
今度はセラフィナが、不満をあらわにする。
「高所を取る。向こうが守ってる視界を潰す」
「ライオット、正面から行くな。右から回れ」
「セラフィナ、左。直線で撃つな、高所の逃げ道を潰せ」
一気に言い切る。
「……で」
セラフィナが、静かに聞いた。
「あなたはどうするつもり?」
グレンは、少しだけ間を置いた。
「俺は――ここ」
二人の間。 ほとんど遮蔽がない、明らかに危険な位置。
「アリエッタを守る」
一瞬の沈黙。
そして、次の瞬間。
「……正気か?」
ライオットが吐き捨てる。
「魔法も撃てねぇ奴が、一人でど真ん中だと?」
「だからいい」
グレンは、剣を握り直した。
「魔法は、俺に集中する」
セラフィナが、ゆっくり息を吐く。
「……囮ってことね。影星にしてはいい考えじゃない」
「あぁ」
短く、はっきりと答える。
「失敗したら?」
ライオットが聞く。
グレンは、視線を逸らさない。
「俺が死ぬ」
その言葉に、ライオットが一歩踏み出しかける。
「ふざ――」
「失敗したら」
グレンは、被せた。
「俺は死ぬ。だから、全力で助けてくれ」
空気が、凍る。
数秒。 会場の熱気だけが、流れる。
セラフィナが、ふっと笑った。
「……ふん、死体は不潔だし、助けてやるわよ」
「失敗したら、死んでても殺す」
ライオットが吐き捨てるように言う。
「約束だかんな」
「それでいい」
グレンは頷いた。
アリエッタが、ロッドを握る。
グレンは、前に出た。剣を構え、 視線を上げる。
――囮は、最前線に立つ。
それが、 今の自分にできる、唯一の戦い方だった。
合図はなかった。
ただ、アリエッタが半歩、前に踏み込んだ。
「……染よ」
空気が、歪む。
「……縛れ」
霊属性のマナが、地面を這った。
影でも、光でもない――何かが、敵の足元に絡みつく。
「……スピリトス」
半透明のマナの鎖が、ウェスト校前衛の動きを一瞬、止めた。
「今だ!」
グレンの叫びに呼応するように――
「おおおおお!!」
ライオットが、右から突っ込む。衝撃を纏った踏み込み。今までの突撃とは違う、明確な回り込み。
「激よ――!」
セラフィナは左。
高所へ続く路地を、正確に封じる角度で。
「――穿て!!」
水槍が、逃げ道を断つ。
――決まる。
グレンは、そう思った。
だが。
高所の生徒が、一拍、早く動いた。
「――っ!」
気づいた瞬間には遅い。
霊の拘束が、完全には届いていなかった。
ほんの、数秒。
だが、戦場では――致命的。
変わりに高所から、魔法が放たれる。
狙いは――アリエッタ。
「アリエッタァァァア!!」
考えるより先に、身体が動いていた。
グレンは、被さるように前に出ると、剣を横に構える。
遮蔽なんてものは、ない。
全部、真正面から受ける位置。
「――ぐっ!!」
一発。
二発。
三発。
防御するたびに、衝撃が骨を打つ。
剣越しでも、内臓が揺れる。
「……っ、ぐあああ!!」
足が、沈む。
膝が、折れかける。
それでも――
「アリエッタ!詠唱、続けろ!!」
声は、力を失ってなかった。
次の魔法が飛んでくる。
グレンは、剣を振る。
弾くことはできない。体全体で、受け止めるしかない。
衝撃が、肩を裂く。
「……っ、ああああ!!」
鮮血が、地面に落ちる。
息が吸えず、視界は歪む。
それでも――
「ライオット!右、もう一段上だ!!」
「セラフィナ!今だ、退路が切れてる!!」
声が枯れようと、とにかく叫び続ける。
高所の生徒が、振り返った。
今度は、少し遅い。
「――砕よ、薙げ!ソニクタァァァ」
ライオットのソニクタが、
高所を――天井ごと削り落とした。
悲鳴と……そして落下。
「……落ちた!」
セラフィナの水槍が、追い打ちをかける。
高所の後衛が、完全に気を失った。
――人数差が、できた。
だが。
グレンは――もう、立っていなかった。
膝をつき、剣を支えに、なんとか体勢を保っている。
アリエッタがロッドを胸に駆け寄ろうとする。
「まだだ!」
叫ぶ。
「まだ……終わってねぇ……!」
残った敵が、特大の魔法を詠唱する。これを受けたら、確実に自分もやられる。せっかくの人数差が、台無しになる。
――ゴォォォン!!
そして聞こえる突然の、鐘の音。
「――制限時間、終了ォォ!!」
司会の声が、戦場を切り裂いた。
魔法は、霧散する。
沈黙とその後、数秒遅れで――
歓声が、爆発した。
「勝者――セントラル校!!」
人数差。
一点差。
ギリギリの勝利。
グレンは、その場に崩れ落ちた。
全身が、痛い。
視界が、霞む。
だが――
アリエッタは、無傷だった。
彼女が、震える手でロッドを抱え、グレンを見る。
「ニコニコ系」
はち切れんばかりの笑顔でこちらに駆け寄り――
抱きついた!しかも、正面から!
「ちょっ、まって胸が」
息が詰まる。満身創痍なのに、死にそうになる!
どこからか、嫌な視線を感じるのは気のせいだろうか。いや、今は何も考えないでおこう。
しばらくそのままでいると、対抗戦メンバーが集まってくる。
「……助かった……」
ライオットはぶっきらぼうに視線を合わせずに言う。
「……今日、一日だけは認めてあげるわグレン」
セラフィナは、あえてか分からないがグレンの名を呼び激励する。
「まぁ、及第点ってところだな」
どこからとも無く現れたオズワルドが、すれ違いざまに吐き捨てる。
そうして終わった一回戦、個々のメンバーは好き好きに散り、控室に戻っていく。
「あれ、誰も助けてくれない感じですか……」
そしてなぜか、グレンだけが戦場に取り残されていた。
「しゃあない、剣を……杖代わりにして……」
立ち上がろうと周りを見渡す。歓声は、まだ割れていた。
勝利の余韻。 達成の熱。 セントラル校の名を叫ぶ声。
そんな中、突然視界の端で、世界が跳ねた。
次の瞬間、足元の石畳が裂けていた。まるで、バターを切るときのようにあっさりと。
音は遅れてくる。
ガンッ――。
何かが落ちたのではない。
切り取られたのだ。
「……っ!?」
グレンが身を引くより早く、
視界に再度線が走った。
それは剣だった。
ただし――確認したときには既に振られていない。
そこにあった結果だけが、遅れて存在を主張している。
背後から、落ち着いた声がかかる。
「やはりな」
振り向く暇はなかった。
ギィィン!
金属音が、鼓膜を殴る。
視界の中央で、二本の剣が交差している。
否。
交差していた。
剣の振りが早すぎて、気づいた時には次の一手を繰り出している。
一方の剣は、重い。
空気を押し潰しように、直線で来る。
もう一方は、軽い。
音だけを残して、そこにいない。
「――退け」
低く、命令する声。
グレンは身体を動かそうとして、悟った。
動けないのではない。
動く未来が、切り取られている。
「危険因子は排除する」
声の主、どす黒い服で身を隠した何かはそう言った。
刃が下がる。
その軌道は、正しい。
人間の構造として、避けられない。
――死ぬ。
その未来が、一本に収束した。
ギィンッ!
刃が、弾かれた。
否。
未来が、弾かれた。
「まだだ」
その声は、穏やかだった。
グレンの視界に、金色が差し込む。
剣を持つ手。
そして、見慣れた横顔。
「……アルト?」
「久しぶり、って言うべきかな」
笑っている。
だが、目は笑っていない。
キィン。
音は鳴る。しかし剣は、そこにない。
「邪魔をするな!フォラス!」
黒装束の声が低くなる。
「お前がしているのは、未来の歪曲だ」
「違うよ」
フォラスと呼ばれたグレンの知る男は、剣を構えたまま言った。
「私はいくつかの道を提示しているだけ。彼の運命が、勝手にズレているだけだ」
一歩。
その一歩で、位置関係が崩れた。
ギィィン!
ガンッ!
キィン!
三つの音が、ほぼ同時に鳴る。
だが、どれが攻撃でどれが防御なのか、魔力による補助がない影響も有ってか理解が追いつかない。
剣が振られる前に、結果が起きる。
結果が起きた後で、構えが変わる。
「終わりは同じだ、変わっていない」
黒装束が踏み込む。
直線的に、最速で、最短距離で。
「だが――」
アルトの剣が、半歩遅れて動く。
「彼をここで殺した場合の未来は、不確定なんだ」
ギィィン――!
火花が散る。
今度は、確かに剣が当たった。
人間の構造上、すべてを避けることは不可能だ。
だからこそ、現実がある。
「不確定要素を処理すればいい!」
黒装束の剣が、グレンへ向く。
その瞬間。
アルトの剣が、その未来ごと、弾き飛ばした。
「それが一番、危険なんだよ」
声は、静かだった。
「君は早く殺せば何も起きないと思っている」
一歩。
また、位置がズレる。
「でもね」
ギィン――
「それ自体が、未来を歪める行為だ」
黒装束の剣が止まる。
ほんの一瞬。
その一瞬で、勝敗は決まらなかった。
だが――
黒装束の男は、動きを止めた。
観客席からは、まだ歓声が聞こえる。
特別な演出。
派手な余興。
誰も、非出場者同士が剣を交えているとは思っていない。
アルトは、グレンの前に立ったまま、剣を下ろした。
「……埒が明かないな」
黒装束は、ただ静かに、そう言った。
「次はない」
「まだ未来には、選択できる余地がある」
アルトはそう返し、振り返らずに言った。
「立てるかい、グレン」
グレンは、震える足で立ち上がった。
理解が追いつかない。頭の中で、さっきの戦闘がフラッシュバックする。
「……なんで……」
問いは、喉で途切れた。
アルトは、ほんの少しだけ振り向く。
「君は、普通のままでいい」
その言葉が、今度ははっきりと、胸に吸い込まれていった。
そして二人は、歓声の中へ紛れて消えた。
ただ一人、群衆のなかで取り残された男は酷く無力だった。




