三十話 このままじゃ
合図が落ちた瞬間――
空気が、前後を失った。
ライオットが、考えるより先に踏み込む。
踵が石畳を砕き、身体が弾丸のように前へ出る。
「――轟よ裂けろ!」
肺を震わせる叫び。
詠唱と同時に、周囲の空気が悲鳴を上げた。
「ソニクタス!!」
衝撃が、形を持って走る。
目に見えない刃が地面すれすれを裂き、瓦礫を跳ね上げ、正面の建物ごと薙ぎ払った。
観客席がどよめく。
誰もが、分かるからだ。
――あれは、防げない。
だが、ウェスト校は、受けなかった。
前衛の二人が一歩引き、崩れかけの壁の裏へ滑り込む。
同時に、後衛が初期魔法を一度打ち込み、撤退する。
衝撃波は壁を破壊しながら通り抜けるが、
人は、そこにいない。
「ちっ!」
ライオットが舌打ちし、足を止めずに、視界の端で、次の目標を捉える。
――これでは……遅い。
一瞬でもそう思った者は、次の瞬間には消えている。
彼は再び踏み込み、腕を振る。
だが、その横合いから――
「激よ、穿て」
静かな声。
それだけで、空気が冷えた。
「アクルガ!!」
セラフィナの前に、圧縮された水の槍が生まれる。
水というより、質量を持つ刃。
それが撃ち出された瞬間、石畳が線状に抉れ、建物の壁を貫き、さらにその奥へと突き抜けた。
直撃。
――のはずだった。
だが、ウェスト校はまたも、そこにいない。
建物の影。
崩れた屋根の裏。
低い塀の向こう。
撃たせている。
それに気づいたのは、グレンだった。
「まずいぞ……」
剣を構えながら、作戦を伝えようと前に出る。
しかし、魔法の余波が何度も身体を叩く。
「だめだ、こっちが先に……限界が来る!」
グレンは、必死に足を動かす。
ライオットとセラフィナの攻撃は、確かに致命的だ。
だが、狙った瞬間には、もうそこにいない。
ウェスト校は、散開しているようで――
常に、互いの射線を保っている。
一人が動けば、二人がカバーに入る。
一人が下がれば、別の一人が前へ出る。
弱い魔法で敵を誘い込む、完璧な循環。
「……っ!」
グレンは歯を食いしばり、剣を振る。
――足を、引っ張らない。
――邪魔に……ならないよう。
その言葉を、反復して――
だが、剣で魔法に抗うのは、想像以上に重い。
衝撃波の余韻。
水刃の圧。
瓦礫の跳ね返り。
一撃一撃が、人間の耐久を試してくる。
勇者としてなら、魔法で全てなんとかできた。しかし今は、生身だ。
「……!」
ウェスト校の前衛が、一瞬だけこちらを見る。
感情のない目。
評価するような視線。
次の瞬間、別方向から、魔法が飛ぶ。
グレンは、反射で剣を当てる。
弾き……逸らす。
腕が痺れ、肩が軋む。
後方で、オズワルドは動かない。
ただ、腕を組み、すべてを見ている。
アリエッタも、辺りをキョロキョロと見渡しつつも、そこにとどまるに限っている。
ただ静かに、グレンの背中を見守っていた。
確かに名家の暴力は、圧倒的だった。
だが、その暴力を正面から受けない知性が、この戦場には確かに存在していた。
そしてそれは、前衛にいる彼らには見えていない。
――見えていないからこそ、
少しづつ、さらに危険になる。
数分の硬直後。恐らく彼らは、グレンを弱き者、として認識し始めた。魔法を使わない格好の的を、狙わない理由はどこにもない。
今の所、幾多の魔法を経験のみで、弾き、避け、防御している。
しかし、目が合った。いや、合ってしまった。
ウェスト校の眼光が、いくつもこちらを向いている
「クソっっっ!」
狙いが、完全にこちらへ寄った。
空気が変わる。 今までとは違う――狩りの空気。
ウェスト校の動きが、露骨に変化する。 前衛が、わざと間合いを詰めてくる。 後衛の詠唱が、グレンの進路だけを潰す配置になる。
「……来てる」
剣を構え、 呼吸を整える。
だが、魔法は待ってくれない。
低威力。 だが、数が多い。
弾く。
逸らす。
受け流す。
次第に呼吸は荒くなり、剣は精度を失っていく。
「っ、ぐ……!」
一歩、遅れる。
その瞬間――
横合いから飛んできた魔法が、脇腹を掠めた。
衝撃。 息が詰まる。
「おいてめぇ!」
ライオットの声が飛ぶ。
だが、その声には焦りよりも――苛立ちが混じっていた。
「クソが……!」
次の瞬間、彼が前に出る。 衝撃をまとった拳が、地面を叩く。
「この……お荷物野郎が!!」
怒声。
「前に出るなら、せめて囮にでもなれ!突っ立って魔法避けてるだけじゃ、何にもなれねぇだろ!」
正論だった。グレンは何も返せない。反論する余裕も、 誤魔化す力も、今はない。
――足を引っ張るな。
――邪魔になるな。
それを守ろうとして、 結果的に、真ん中に立っている。いや、そうなるように、いつの間にかウェスト校が動いている。
彼らの視線が、さらに冷たくなる。
評価は、終わった。
「弱点」
そんなレッテルが、貼られている気がした。
次の瞬間、四方から魔法が飛ぶ。瞬時に察した――
これは絶対に、避けられない。
瞬時に踏み込み、魔法を受ける態勢をとった時だった。
「――染よ……」
戦場の喧噪の中で、 不思議なくらい、はっきりとした声。
「……隔てよ」
空気が、静止する。
魔法の流れが、そこで隔たれ、 別の方向へ逸れていく。
「……スピリトス」
その名が放たれた瞬間、 魔法は完全に、力を失った。
グレンは、目を見開く。
視界の端。
一歩、前に出た小柄な影。
アリエッタが、そこにいた。
さっき撃たれた魔法の音も、衝撃も感じられない。何かで次元ごと分断されたような感覚。
彼女は、ロッドを片手にとてとてと走り、グレンのもとへ近づく。
「……MVP系……」
彼女は、親指を立て、真顔でグレンにサムズアップした。
「なんだよ、ちゃんと喋れるのかよ」
グレンは思わず笑う。アリエッタは、手をそっと差し伸べ、グレンに差し出した。
「ありがとな、アリエッタ」
しばらくすると、薄い白色の結界は帳を下ろし、再度現実を見せつけてくる。
戦場の空気が――再び動き出す。
だが、微細ではあるが、何か雰囲気が違っていた。
「……っ」
最初に異変を感じたのは、グレンだった。
魔法の圧が、わずかに軽い。
威圧感が、薄れている。
錯覚じゃない。
ライオットが、もう一度前へ踏み込む。
「――砕よ、穿て!」
叫びは先ほどより荒い。
喉の奥で、わずかな掠れが混じった。
「ソニクタ!!」
衝撃は、確かに放たれた。
だが――
地面を砕く力はある。
建物を揺らすだけの破壊力も、まだ残っている。
しかし。
最初の一撃のような、逃げ場そのものを潰すような圧がない。
ウェスト校は、一切崩れる様子を見せない。
前衛が壁を使って受け、後衛が即座にフォローへ回る。
「……効いてない」
グレンが、思わず呟く。
ライオットは気づいているはずだ。
気づいた上で、止まらない。
肩で息をしながら、歯を剥き出しにする。
「チッ……まだだ!」
同時に――
セラフィナが、ローブの裾を踏みしめた。
一瞬、呼吸が乱れ、胸元が上下動する。
それでも、彼女は詠唱を止めない。
「……波よ、奔れ」
声は静かだが、先ほどよりも、わずかに迷いが生じている。
「アクナ!」
水が、奔流となって走る。
蛇のようにうねり、路地を埋め、遮蔽物を押し流す。
だが――
ウェスト校は、流れを読んでいた。
一段高い足場へ退き、そのすべてを受け流す。
水は、町を削るだけで終わる。
「……」
セラフィナの眉が、ほんの少しだけ動いた。
それを見逃さなかったのは――
グレンだ。
基本五段階魔法。さっきまで撃っていたのは、その四段目。
今のは――三段目。
十分に強力だ。
普通の魔導士なら、主力級。
だが。
さっきと比べれば、確実に落ちている。
「下げた……マナを、使いすぎてる」
誰に言うでもなく、グレンは呟く。
名家だから無尽蔵なわけじゃない。
どれだけ才能があっても、どれだけ洗練されていても――
体力は確実に、消耗し続けている。またウェスト校も、それを察している。
動きが、さらに一段階洗練された。
撃たせる。
避ける。
削る。
無駄なく淡々と、最適な位置を維持する。
「クソ……!」
ライオットの拳が、震える。
呼吸が、明らかに荒い。
脚の踏み込みが、半拍遅れている。
「まだ、いける……!」
言葉とは裏腹に、魔力の出力が遅い。
セラフィナも同じだ。
詠唱の間に一瞬の隙ができ始める。
だが、戦場では――
致命的な一瞬。
グレンは、剣を握り直した。
名家が削られている。
だが、敵は崩れていない。
むしろ――
こちらが、追い詰められ始めている。
自分は、どうする。
足を引っ張らない。
邪魔にならない。
――それだけで、いいのか?
視界の端で、アリエッタが、こちらを見る。
何も言うことはなかったが、その視線は何かを問いかけているように思えた。
グレンは、静かに息を吸い、剣を静かに構え直す。
「……まだ、終わらせるわけにはいかない」
名家の暴力は潰えたが……戦場は――
ここからが、本番だ……




