二十九話 無力な勇者
うぉぉぉぉぉぉ!
石壁の向こうから、大歓声が遅れて漏れ聞こえてくる。
衝撃が空気を伝い、床を微かに震わせた。
どうやら、一つ前の試合が終わったらしい。
「次は俺たちの番だな」
顎に手を当てたオズワルドが、着崩したローブ姿のまま欠伸をする。
その仕草は、戦場に立つ者というより、昼下がりの読書の途中のようだった。
「ちゃっちゃと終わらせちゃいましょう」
セラフィナは長い銀青の髪を軽く払って、優雅に微笑む。
「名家に勝てるはずがない――
なんて、向こうは思っているでしょうし」
「ハハハ!だろうなぁ」
ライオットが拳をぶつけ、戦闘への意思表示をする。準備は万端なのか、一人だけスクワットをしている。
「早く!早く治療を!」
そんな中、控室の横をいくつかの担架が走り去る。魔力をつかえる彼らがあそこまでボロボロになるのなら、自分はどうなるのか、とグレンは身震いする。
「循よ満ちろ!ヴィタリア!」
体内の細胞活動を活性化させ、傷を塞ぎ、循環を促す中級魔法。ぽわっ、と掌から温かいマナがなだれ込み、対象を回復させる。
「おい、早く!インターバルは残り五十分もないぞ!」
職員が走り回る。一時間以内に戦闘ができるレベルにまで全員を回復させなければいけない。
傷ついた他校の人々が、ゆっくりと、生命を加速させてゆく。
「あぁ、みてらんねぇなぁ」
ガタッ、と椅子が倒れ、勢いよく茶髪の男――オズワルドが立ち上がる。何をするのかと思いきや、傷ついた他校の生徒達へと寄っていった。
「どけ。俺がやる」
無理やり職員をどかし、手をかざす。
「源よ……循環せよ。ヴィタサンクト!」
ふっ、と彼は笑いながらマナを放出する。生暖かい風が辺りに吹き出し、その場にいた全員に快感を与える。
「生命属性最上級、源……だと」
「何この風……傷が……塞がっていく」
みるみるうちに辺りの人々は回復し、跳ね回るものさえも出てくる。中には、その異常なほどのマナと才能に畏怖し、こちらを睨みつけるものもいる。
「リ……リーフ様……そんな!戦闘の前にマナを使うなんて」
とある職員が駆け寄り、オズワルドに頭を下げる。マナを使うと、体力も消耗する。戦闘前に最上級の魔法を使ったとすれば、尚更だ。
「構いやしねぇよ、だって俺は戦わねぇ」
周りの空気が一変する。それは、好機とみているのか否か……
「インターバル、残り三十分です」
コロシアム内部から現れた職員が、残りの時間を伝えに来る。
「余裕……だな。これで全員が全力でぶつかり合える」
オズワルドは、にやりと笑うと、再度椅子にドカッ!と座り込んだ。
――どれくらい、時間が経ったのか。
控室の空気が、わずかに変わった。
それは音でも、振動でもない。
もっと曖昧で、もっと確かなものだった。
外の歓声が、どっと熱を帯び始める。
一度、二度――
まるで、呼吸を合わせるみたいに。
「……来るな」
誰かが呟いた。
次の瞬間。
石壁の向こうから、はっきりとした声が突き抜けてきた。
「――さぁお待たせしたァァァ!!」
司会の声が、衝撃属性の魔法に乗って何重にも反響する。
控室の天井が、びり、と震えた。
「次に登場するのはァ! 前年度優勝者! セントラル地区代表――!」
歓声が、爆発する。
音の塊が、壁を越えて押し寄せてくる。
まるで、この場所ごと引きずり出されるみたいに。
「王立アストラル・オルディア魔法学園! セントラル校だァァァ!!」
ウォォォォォォ!!
地鳴りのような声。
足元が、ほんのわずかに揺れる。
グレンは、反射的に背筋を伸ばしていた。
考える前に、身体が反応している。
逃げ場はない。
選択肢も、もうない。
「行くぞ」
彼らの声は、いつも通り落ち着いていた。
オズワルドが立ち上がる。
ライオットが首を鳴らす。
セラフィナが、ローブの端を整える。
そして――
アリエッタが、何も言わずに一歩前に出た。
グレンは、その背中を見て、少しだけ遅れて歩き出す。
通路の先には眩しい光が見て取れた。
歓声が、直接ぶつかってくる。
各々が名前を叫び、激励する。おそらく勝つ前提で、見られている。
「……」
指輪は、冷たく、外れることはない。
それでも足は止められない。
こうして――無力な勇者は、
舞台へと立たされた。
門を抜けた瞬間、
空気が、重さを持って叩きつけられた。
視界いっぱいに広がるのは、仮設の市街地。 石畳、崩れかけた壁、低い屋根。 どれもが整然としているのに、壊される前提で置かれている。
――戦うための町。
観客席から降り注ぐ視線は、熱を帯びていた。 期待、好奇、確信。 そしてほんの少しの――疑念。
グレンは息を整え、前を見た。
フィールドの反対側。 同じ門から、別の五人が現れる。
「続いてェェ!! 迎え撃つは―― アストラル・オルディア魔法学園! ウェスト校だァァァ!!」
歓声は、セントラルの時よりも整っていた。 派手さはない。 だが、揃っている。
五人が並んで立つ。 歩幅、立ち位置、間隔。 すべてが、測ったかのように等しい。
誰かが前に出すぎることもない。 誰かが遅れることもない。
「……軍隊みてぇだな」
ライオットが、低く笑う。
「完璧な隊列、完璧な詠唱、完璧な立ち回りねぇ……」
セラフィナが、相手を一瞥する。
「でもそれを完膚なきまでに叩き潰すのが、楽しいんじゃない」
オズワルドは何も言わない。最後尾で様子を見るに留まっている。
アリエッタは、静かにロッドに手を添えていた。
そしてグレンは―― 自分の立ち位置を、確認する。
前にも後ろにも出ていない。 誰かを守れる距離でもない。
ただ、そこにいるだけ。
「……」
司会の声が、再び響く。
「さぁ、両校整列完了ォ! 総当たり戦・第二試合! セントラル地区代表対ウェスト地区代表!」
それぞれの代表が歩き、配置につく。敵は綺麗に散開するのに対して、こちらはバラバラと、思い思いに散らばっている。
「ルールは既に説明した通り! 魔法、武器、戦術、すべてアリ! ただし――」
「殺しは禁止! 戦闘不能になった時点で、脱落だァ!」
観客席がざわめく。 そう……誰もが知っているのだ。 それが、どれほど曖昧な線引きかを。
グレンの指が、無意識に指輪に触れた。
あいも変わらず、冷たい。
「それでは――」
司会の声が、落ちる。
「――バトル、スタァァァト!!」
ウェスト校が――瞬時に動く。
一斉ではない。 だが、一つの意思のように。
前衛が一歩、踏み出す。 後衛が詠唱を開始する。 左右が、自然に開く。
――無駄がない。
「っ……!」
空気が、裂ける。
最初の魔法が放たれるよりも早く、 グレンは悟った。
これは、自分の付け入る余地が、無いと。
完成された歯車。 そこに、壊れた歯車が混じった瞬間―― 壊れるのは、どちらだろうか。
歓声が、さらに高まる。
そして戦いは、 もう止まらない。




