二十七話 大舞台
第三環へ向かう道は、朝から妙に騒がしかった。
普段なら通学の足音と、出店の店主たちがせわしなく店の準備をするだけの石畳が――今日は違う。
布が風を受けるばさりという音。
数多の鉄の車輪が跳ねるがたん、という振動。
呼び込みの声や笑い声、紙袋が擦れる音。
学園の制服だけでなく、王都の市民服、旅装、子どもを抱えた家族連れまで混じっている。
ひとつの流れが、第三環の中心へ向かって吸い込まれていく。
グレンはその流れに紛れながら、緊張を誤魔化すようにおもいきり息を吸った。
空気が、少し甘みを帯びているように感じる。おそらくは焼き菓子の匂いだろうか。それに加え、香辛料の刺激も鼻の奥をくすぐった。
「……祭りみたいじゃな」
隣でルリが言った。
昨日体調不良で急遽学園を休んでいたからか、今日はいつもより厚手の外套を羽織っている。顔色も万全ではない。けれど歩幅は崩さず、ピタリとグレンの横に並んでいる。
「体、平気か」
「うむ……大丈夫じゃ。昨日はすまんの」
ルリは真正面を見たまま、ほんの少しだけ鼻をすする。
「胸が痛かったのじゃ。無理に動けば……また迷惑をかけると思っての……」
迷惑、という言葉がルリの口から出るのは珍しい。
グレンは一瞬だけ言葉に詰まり、代わりに歩調を合わせた。
「……迷惑じゃない。今日も、絶対に無理だけはしないで」
ルリはちらりと顔を上げ、何か言いかけて、やめる。
その代わりに、外套の端を指先で握り直した。
「あーいたいた!グレンくーん。ルリちゃーん!こっちこっち!」
前からカイナの声が飛んでくる。前日に待ち合わせをしていたこともあって、うまく合流できたようだ。隣にはリノアもいた。
彼女は朝から元気だった。いつものテンションで、いつもの雰囲気でぴょんぴょん跳ねながら手を降っている。
「すごいよグレン君! 屋台、ほんとにそこら中屋台だらけ!あれ見て、串焼き!あっちは……え、あれ何!?焼きリンゴ!?」
「……アストラルアップルの飴がけ、ですね……」
控えめな声が続いた。
リノアが小さな鞄を胸に抱え、周囲の人混みを避けるように歩いている。視線は落ち着かず、グレンの後ろにピタッとくっつくように移動する。
「リノア、無理してないか」
「だ、大丈夫です。人は多いですけど……今日は、うん、今日は……」
言葉の端が曖昧に消える。
リノアは顔を上げて、グレンと目が合った瞬間、すぐ伏せた。
昨日の昼休み。
あの一瞬の抱擁と、赤くなった横顔が、ふいに胸の奥に浮かぶ。
グレンはそれを追い払うように、視線を前へ戻した。
そして――見えた。
第三環のアストラルコロシアム。
王都の段々畑状の環区構造の中でも、そこだけが異物のように巨大だった。
砂色の石で組まれた円形の外壁が、環の街並みを押しのけるようにそびえている。外壁には人の数倍大きいサイズの大門が口を広げ待っている、そこに数多の人がなだれ込むように吸い込まれていく。
どこか、獣の檻にも似た圧があった。
中に入れば、逃げ場のない場所だ――そんな直感が背筋をピン、とたたせる。
「でっか……」
カイナが素直に呟く。
「これ、学園の施設なの? 王様の城よりでかくない?」
「王都管理の施設だよ、学園は無償で場所を提供してもらってるみたいだよ」
グレンが答えるより先に、背後から穏やかな声がかかる。
思わず振り返ると、風でなびく金髪に光が当たり、川のせせらぎのような風情を醸す少年がいた。
「アルト……副会長」
「アルト、ルナ・サブマスターと呼んでくれてもいいんだよ。正式名称でね」
いつもの笑顔は崩さず、変わらぬ調子で彼は話す。まるで、今日一日も普段の日常の一部だというように。
「あぁ……ルリちゃんも来たんだね。無理はしないようにね」
ルリは顎を軽く引いて頷いた。
アリエッタの姿は見えない。オズワルドも、セラフィナも、ライオットもいない。
「……代表メンバーは?」
グレンが聞くと、アルトは軽く肩をすくめた。
「それぞれ勝手に入ってるよ。集合って言っても意味ないしね。今日は整列だけしてもらえれば十分かな」
「相変わらずだな」
「相変わらずだよ」
笑って言う。その声は軽いのに、足元の空気は重い。
大門の前には、臨時の検問が作られ、学園の腕章をつけた警備員と王都側の衛兵が並んでいた。
その警備員の中に、見慣れた金髪がある。
ルーフェンだった。
いつもの光輝く学園警備の鎧を着込み、腰には警棒。
視線は鋭く、いつもよりずっと仕事の顔をしている。人の流れを見ながら、誰かの喧嘩が起きないように、ぴりぴりと周囲を睨んでいた。
グレンの姿を見つけると、一瞬だけ、眉が動いた。
声をかけるでもなく、近づくでもなく。ただ、目だけで呼び止める。
グレンは群衆の流れを避け、ルーフェンの近くへ寄った。
「今日も仕事か。大変だな」
「当たり前だ。こんな日に休めるか」
ルーフェンは周囲を見たまま言った。
言葉はぶっきらぼうだが、目は一瞬だけグレンを映す。
「……人が多い。調子に乗る馬鹿が出る」
「うん」
「お前がその馬鹿になるな」
「……ならない」
ルーフェンはふっと鼻を鳴らし、目を細めた。
「今日、ルリも来たいと言うから行かせたが……」
ルーフェンはちらりとルリの方に目をやると、すぐグレンのもとに視線を戻す。
「お前はすぐ無茶をする。特に今日みたいな日には、きっと」
グレンは返せなかった。
返せないことを、ルーフェンも分かっているようだった。
「……いいか」
ルーフェンの声が低くなる。周囲の喧噪に紛れる程度の音量で、けれどはっきりと。
「死にそうになったら逃げろ。恥でも何でもいい」
一拍置いて、口の端がわずかに歪んだ。
「……もう二度と、わたしとルリを悲しませるな」
グレンは喉の奥が熱くなって、短く頷くことしかできなかった。
「……はい」
「じゃあ、行ってきな」
ルーフェンはそれ以上なにも言わず、人の流れへ向き直った。
背中が、いつもより強張ってる。そんな気がした……
グレンが戻ると、カイナが頬を膨らませた。
「なーに話してたのさ!もしかして私のこと?」
「違う」
「えー、じゃあグレン君に対して怒ってたり?昨日何かした?」
「怒ってない」
「でもあの表情、めっちゃ怒ってそうだったもん」
言い切るカイナに、リノアが小さく肩を揺らした。笑ったのか、息を飲んだのか、どちらとも取れない。
アルトが手を叩いた。
「じゃ、入ろうか。観客席に一般生徒が先に入ってるから、代表は導線が別。迷子にならないでね」
「迷子になるのはカイナだろ」
「ひどい!」
「でも……なりそう……」
リノアが小声で言って、慌てて口を押さえた。
カイナは一瞬だけ固まり、次の瞬間に大げさに胸を押さえた。
「リノアちゃんまで!でもね、今日は迷子になっても屋台があるから勝ち!」
「勝ち……?」
「勝ち!」
意味の分からない勝利宣言に、ルリが小さく笑った。
それだけで、少しだけ空気が軽くなる。
大門をくぐる。
その瞬間、世界が切り替わった。
外の街並みの匂いが、すっと薄れる。
代わりに押し寄せるのは、熱気と音の塊だった。
わああああ、と遠くで波が砕けるような歓声。
幾重にも重なった声が壁を叩き、頭蓋を震わせる。
足元の石が振動している気さえした。
「……うわ」
カイナが息を呑む。
通路は太く、天井は高い。
壁には簡単な誘導灯が並び、係員が旗で指示を出している。
視界の先に、明るい出口がある。そこを抜けた瞬間、広大な空間が開けた。
フィールドだ。
ただの砂地ではない。
広さは街区ひとつ分――いや、それ以上。
中央に広がるのは、仮設の市街地だった。
木と軽石材で組まれた二階建ての家。
崩れやすそうな塀。
細い路地。
小さな広場。
見張り台のような塔。
すべてが「壊される前提」で作られているのが、遠目にも分かった。
角は鋭くない。装飾は簡素。けれど配置が妙に本格的で、ここで人が走れば、確かに街に見える。
そして観客席。
円形の壁に沿って、段差状に無数の席が積み重なっている。
そこに詰めかけた人、人、人。
布旗が揺れ、応援の声が渦を巻く。
「……これ、見られてるんだな」
グレンが呟くと、アルトが軽く頷いた。
「そう。見世物だよ。だから危険でもある。熱に浮かれた魔法は、簡単に人を殺す」
「……」
ルリの指先が、外套の裾をぎゅっと握った。
昨日の胸の痛みが、ただの体調不良ではないのだと――グレンは言われなくても感じた。
「じゃあ、ここらへんでお別れかな」
「うむ、頑張ってくるのじゃぞ」
「応援……してますからね」
「絶対勝ってきてよ!?」
三者三様の激励が飛び、グレンは苦笑する。三人が観客席方面に移動したのを確認して、グレンはくるりと方向転換する。
その後、選手控えの区画へアルトと共に進む。
観客の喧噪は壁で少し遮られるが、それでも音は腹の底に残る。
なんと控え区画の近くにも、屋台があった。
誰でも入場可能な公式競技場だから、こんなところにまで屋台が存在するのだろうか。
串焼き、焼き菓子、応援用グッズ、酒類もろもろ……
色取りで、見渡す限りの幸せで、溢れている。
アルトが前を歩き出す。
「行こうか。ここから先は、学園の代表だ」
代表。
その言葉に現実へと引き戻され、キュッ、とだらけた顔を引き締める。
「観客の声に飲まれないこと。相手の挑発に乗らないこと。勝つために必要なのは――」
「個人技だろ?」
別の声が、横から割り込んだ。
気怠い、聞き慣れた声。
オズワルドが、近くの壁にもたれかかっていた。
いつの間に来たのか分からない。
茶髪を指で払って、面倒そうに目を細める。
よくみたら、他のメンバーもチラホラと近くにいる。
「……揃っていたのか」
アルトが肩をすくめる。
「揃ったのか、集まったのか、どっちだろうね」
「んなもんどっちでもいい」
オズワルドはそれだけ言って、視線をグレンに寄越した。
値踏みするような目。けれど昨日のような圧は少し薄い。
「死ぬなよ。面倒が増える」
優しさなのか、ただの怠さなのか分からない。
グレンは返事をしなかった。する必要を感じなかった。
そのとき――遠くから、別の歓声が一段上がった。
誰かがフィールドに出たのだろう。
アルトが、門へ手を伸ばす。
「行こう。セントラル校の番だ」
金属の軋む音。
門が開き、眩しい光が差し込む。
熱気が、押し寄せる。
グレンは一歩、前へ出た。
その先に広がるのは――仮設の街と、叫ぶ観客と、まだ見ぬ二校の影。
対面は、まだだ。
だがもう、同じ舞台には立っている。
視線が刺さる。
空気は震え上がる。
そして、セントラル地区の代表が、フィールドへ姿を現した。




