三話 転理
最下層から階段を上るたび、グレンの胸の奥はじりじりと焦げつくように熱を帯びていった。
腕の中では、ルリが浅く息をしている。
薄闇の中でも目を引く瑠璃色の髪が、揺れるたび濃い影を形作る。
「……大丈夫か、ルリ。無理すんなよ」
「うむ……平気じゃ。ただ……数百年ぶりの外での……胸の奥が、少しむかつくのじゃ……」
美しすぎるほど澄んだ声に、かすかな弱さが混ざる。
それでもルリは微笑し、「気にするでない」と首を振った。
数百年ぶり――その言葉には違和感があったが、今のグレンには咀嚼する余裕がない。
ゆっくり、そして丁寧に階段を一段ずつ踏みしめていく。
あと一段で一つ先へ進める、そのとき――
ルリのローブからジャラ……と音が鳴り、地面に金属音が響いた。
「グレン、少し待つのじゃ」
胸元からひょいと抜け出したルリは、それらを拾い上げる。
「……アーティファクトじゃな。どれも記憶が曖昧での……何ができたのか今はほとんど思い出せぬ」
ルリの掌にあったのは、
ひび割れた時計、小さな卵のような石、そして指輪。
そして指輪以外はローブの奥へ。
残った指輪をつまんでグレンへ差し出す。
「……神器、なのか?」
「そなたらの呼び名ではそうなのじゃろう。これは確か――姿を偽るためのものじゃ。神が人の世へ降りる時に使う仮初めの器じゃったかな」
指輪を見つめた瞬間、胸の奥に一つの結論が生まれた。
――このまま戻れば、殺される。
薄々わかっていた事だ。
勇者の任は日に日に重く、間隔は短縮されていく。
平均三年の任期。誰も理由を語らない。
前任も、その前も、全て突然死んだ。
今回の派遣も不自然だった。
仲間を全滅させられたのも、道理が見えすぎていた。
「……俺は、間引かれる側だったのかもしれねぇな」
王にとって勇者は道具でしかない。
なんの目的で、なぜいたずらに死なせ続けるのか、理由は分からない。いや、知りたくもない。
だからこそ――
「ルリ。これ、つけてもいいか」
「なぜじゃ? 今の己が気に食わぬのか?」
「戻ったら、いよいよ殺される。わかるんだ。もう王は俺たちを人だと思ってねぇ」
ルリは長いまばたきを一度だけし、理解できているのかはわからないが静かに頷いた。
グレンは躊躇することなく指輪をはめる。
その瞬間だった――
全身から熱が抜け落ち、魔力がバケツをひっくり返した時のように流れ落ちていく。
「くっ……!? 魔力が……!」
「姿を偽る代償か……魔力の大半を封じるほどの……まさかこんな負の効果があるとは思わんかったのじゃ……」
体全体が空洞になるような感覚。
魔法に愛されていたはずの体が、ただの凡庸へと堕ちていく。
――これが、本来の俺なのか?
地面に薄く残った水たまりに顔を映す。
真っ赤な髪は黒く染まり、体は少し萎み、弱々しい雰囲気を纏っている。
顔も、お世辞にもカッコイイとは言い難い。
「む、少し顔、かわったようじゃな」
「いや、少しどころじゃねぇだろ……しかもこの指輪、外れねぇし……!」
「まぁそれがアーティファクトというもんじゃ。それを支配できるほどのマナを流せば外れるじゃろう」
「……知っててつけさせたなら性格悪いぞ、お前」
「いやすまん。しらなんだ」
ルリはふいっとそっぽを向き、わざとらしく口笛を吹いてみせる。
対してグレンは拳に力が入らず、悔しさがじわりと滲む。
そんなグレンを、ルリは弱々しい身体で、しかし揺るがぬ眼差しで見つめた。
「……のうグレン。ひとつ、気になることがあるのじゃが、よいか?」
「なんだ?」
「マナという存在そのものについてじゃ。あれは自然に生まれ得るものだとは到底思えん。無から火を生み、大地なき場所に川を湧かせ……理を外れすぎておる」
グレンは目を細めた。
「……つまり?」
「わしら神じゃよ。それを生み、配り、管理する何者かがいる。そなたらは不思議に思わぬのか。ここまで世界が都合よく魔法で満ちておることを」
言われれば、たしかに……思えば考えたことすらなかった。
この世界の理は、見れば理解できるものばかりだ。
だが――マナだけは違った。
使えるからと、それ以上深く考えなかった。
長い沈黙の中、グレンは頭をフル回転させる。それは迷いだった。
俺は知らないことが多すぎる。
あの、影に消えた魔物も。
マナや勇者制度のことも。
そして、ルリのことも。
やがて一つの結論に至る。
「ルリ、おれ、君の言う事信じてみるよ。君が神だってことも……ひとまず全部」
「突然何を言っているのじゃ。神の言うことは全部聞くのが当たり前なのじゃぞ」
少し変な返答に、グレンはクスリと笑う。
肩の力が抜け、再び歩みを進め始めた。
「見えてきた……ようやく地上じゃ」
数時間歩き続け、ようやく見えてきた光景にルリは安堵の息を漏らす。
洞窟の出口から夜風が吹き――
外の光が差した瞬間だった――
グルルルル……ッ。
草陰が揺れ、黒い狼影――シャドウハウルが姿を現した。
「出てきた所を狙ってやがったな……!」
咄嗟に戦闘態勢をとる。剣を構え、それを抜こうとしたそのとき、後ろでガタリと音がした。
「……すまぬ……体が重すぎる……身体が……ついていかぬ……」
ルリはふらりと膝をつき、その場に崩れた。
「すぐ終わらす、ちょっと休んでてくれ」
グレンは剣を抜き、前に出る。
だが――魔力が流れない。
完全にただの肉体になっている。
シャドウハウルが跳躍する。
爪を紙一重で避け、剣を振る。
だが軽い。
逆に肩を掠められ、熱い痛みが走る。
それでも退かない。
ぐらつく足で食らいつき、喉元に一撃を叩き込む。
ガキィン――
火花と衝撃。骨が軋む。
持てる力を振り絞って剣を押し込むと、黒い血が噴きだし、シャドウハウルは霧となって消えた。
残ったのは、荒く息を吐くグレンだけ。
魔法のない脆い身体――
それでも倒れることはなかった。
そして地面に転がる、2枚の金貨。
チャリン……。
それを見たルリは、震えた声でつぶやく。
「……おかしい……動物が……なぜ……金を落とす……?」
続く声は、ひどく冷たかった。
「人のような……気配がする。魂の形が……ねじれておる気ががするのじゃ……」
世界が反転した。
落とし物。
痕跡。
倒してきた魔物たち。
全部――人だった?
喉が締めつけられ、胃が裏返る。
地面へえずき、何も出なくても嗚咽が止まらなかった。
「意味わかんねえよ……何を言ってるんだよ……俺は今まで、何を……!」
ルリは震えながら背を撫でた。
「……妄言ならよいのじゃが……どうしても感じてしまうのじゃ……この世界には……魂を歪ませる何かがあると……」
グレンは涙を乱暴に拭い、立ち上がる。
「……行こう、ルリ。知らなきゃ気が狂う。勇者じゃなくても、魔法がなくても……もう、黙って殺される気はねぇ」
ルリは小さくも、温かい笑みを向けた。
「うむ。わしも共にゆこう。お主の歩む道を……この目で見届けたいのじゃ」
二人は夜風の中へ踏み出す。
遠く、町の灯りが揺れていた。




