二十三話 幸せな地獄
昼休みは、ただの休憩時間のはずだった――
少なくとも、今日のグレンの一日が始まる前は……
「あー……そうだったよな」
グレンは中庭に移動中、階段手前の大窓からそこを覗く。
もう、そこには既にルリがいた。足をぶらぶらさせ、足の上には器用に包まれた弁当箱が載っている。
「早くいかなくちゃな」
足早に、中庭へと駆けた。
今日は、何かと違和感を感じることが多い。
カイナとリノアもそうだ。授業中や休み時間に刺すような視線を感じ、そちらを見ると目をそらされる。
嫌われたか?と感じてしまうくらいに、雰囲気が違っていた。
「おまたせ」
「むぅ……おそいのじゃあ!」
「逆にルリは何でそんなに早いんだ……俺、授業終わってすぐに教室飛び出したんだけど……」
いつものように、先に待っているルリのもとに駆け、似たようなセリフを吐かれる。いつもの日常。
「ほーれ、丹精込めて作ったのじゃ、全部食えなのじゃ」
出されたのは、黒い箱状の弁当箱。おそらく、二〜三人分はありそうな。
「まて、大きくないか」
「ルーフェンが弁当箱なんぞありはしないからこれに詰めてけって言ったのじゃ。だからわしもこれを食べるぞ」
箸を受け取った、その瞬間だった。
「……あ、あの……」
背後から、控えめな声がかかる。
グレンが振り返ると、そこには二人の少女が立っていた。
薄紫髪の少女――リノアと……
その半歩前、腕を組んで仁王立ちしている橙髪の少女――カイナ。
「……?」
空気が、ほんの少しだけ張り詰める。
「えっと……グレンくん……お、お昼……」
リノアが何かを言いかけた、その横で――
「ちょっと待ったぁ!!」
ドン、と音が鳴りそうな勢いで、カイナが一歩前に出た。
「な、なんだ急に……」
「その弁当!!」
ビシィッ、と指を突きつけられる。
「それ、ルリちゃんの手作りでしょ!!」
「そうじゃが?」
ルリがきょとんと首を傾げる。
「ずるくない!?一人だけ先に手作り弁当とか!!」
「いや、ずるいもなにも……約束してただけじゃが……」
ルリが困惑していると、リノアが慌てて一歩前に出て、カイナの服の裾を引いた。
「カ、カイナちゃん……! 言い方、言い方……!」
「いいのいいの! これは大事なことだから!」
カイナは一度深呼吸してから、改めて胸を張る。
「……というわけで!」
嫌な予感がした。
「明日からじゃなくて、今日!」
嫌な予感が、確信に変わる。
「グレンにも――選ぶ権利があると思うんだよね!!」
「……む?」
ルリが一瞬、箸を止めた。
「選ぶ……とは?」
「どの弁当が一番おいしいか、ってこと!!」
その場に、沈黙が流れる。
風が吹き、木々が揺れ、第七隊の兵士も遠くでちらりとこちらを見る。
「……ふむふむ」
ルリが、ゆっくりと笑った。
「つまり……勝負ということじゃな?」
「そういうこと!!」
カイナも、にっと笑い返す。
その様子を見て、リノアは顔を青くした。
「え、えっと……あの……わ、わたしは……その……」
「リノアも一緒だよ?」
「ええっ……!?」
「えっ、じゃない!」
カイナは当然のように言い切る。
「三人みんな手作りなんだから、三人で出して、グレンに正直に感想を言ってもらう!」
ゆっくりと、三人の視線がグレンに集まる。
「……え?」
逃げ場は、もうなかった。
昼休みは、ただの休憩時間のはずだった。
――少なくとも、グレンはそう思っていた。沈黙は、ほんの数秒だった。
だがグレンには、その数秒がやけに長く感じられた。
三人分の弁当箱が、目の前のベンチに並べられる。大きさも、包み方も、色合いも違う。
――逃げ道は、完全に塞がれていた。
「……まずは座るのじゃ、グレン」
ルリが当然のように言う。その声には、焦りも迷いもない。
「ほらほら、立ち話じゃ公平じゃないでしょ」
カイナも腕を組んだまま、顎でベンチを示す。
「え、えっと……」
リノアだけが、所在なさげに立ち尽くしていたが、カイナに背中を軽く押され、小さく声を上げる。
「ひゃっ……!」
結局、四人並んで腰を下ろすことになった。
中央にグレン。右にルリ。左にカイナ。少し距離をあけて、リノア。
周囲の生徒たちの視線が、じわじわと集まり始めているのが分かる。だが今は、それどころじゃなかった。
「じゃあ……順番はどうする?」
グレンがそう言うと、即座に答えが返ってくる。
「決まっておるじゃろ」
ルリが、どん、と一番大きな弁当箱を前に出した。
「まずはわしのじゃ」
「いきなり重量級だな……」
「愛情も重量級なのじゃ」
意味が分からないが、勢いだけはすごい。
蓋を開けると、ぎっしりと詰められた料理が顔を出す。焼き魚、煮物、卵焼き、野菜の和え物。色合いも栄養も、やたらとバランスがいい。
「……ちゃんとしてるな」
「当然じゃ。ルーフェンに口出しされながら作ったからの」
少しだけ胸を張るルリ。
グレンは箸を取り、一口。
――ほっとする味だった。
「……うまい」
素直な感想が、口から漏れる。
「うむ。知っておる」
ルリは満足そうに頷く。それ以上は何も言わない。勝ちを確信している者の余裕だった。
「はい次っ!」
間髪入れず、カイナが自分の弁当を押し出す。
「遠慮なしでいってよ? 手加減とかナシだから!」
中身は茶色のがっつり系。 肉、肉、肉。 それに申し訳程度の野菜。
「わかりやすいな……」
「成長期だからね!」
グレンは苦笑しつつ、一口。
――濃い。
だが、悪くない。 むしろ、疲れているときには妙に染みる。
「……これはこれで、ありだな」
「でしょ!? でしょ!?」
カイナが身を乗り出す。
「放課後まで動ける弁当ってイメージなんだ!」
「表現が雑だな……でも、まぁ分かる」
「やった!」
カイナは小さくガッツポーズを作った。
――そして。
自然と、視線が三つ目へ向く。
リノアの弁当。
それは一番小さく、控えめだった。包みも質素で、派手さはない。
「……最後はリノア、か」
グレンがそう言うと、リノアはびくっと肩を揺らした。
「ご、ごめんなさい……! あの……量も少ないし……」
「いや、謝ることじゃないだろ」
グレンはそう言って、弁当箱を手に取る。
リノアは、ぎゅっと膝の上で手を握りしめていた。 視線は下を向いたままだ。
蓋を開ける。
中には、丁寧に詰められた料理。 派手ではないが、どれも形が整っている。
「……ちゃんとしてるな」
「え、えっと……母に教わっただけで……」
声が小さい。
グレンは一口、口に運ぶ。
――
一瞬、言葉が出なかった。
「……?」
ルリとカイナが、同時にこちらを見る。
リノアは、息を止めたように固まっていた。
「……これ」
もう一口。
噛むほどに、味が広がる。主張しすぎない。何度も作ってきたような、家庭の味とでもいうべきか。
「……落ち着くな」
ぽつりと、そう言った。
その言葉に、リノアの肩が、ぴくっと跳ねた。
「これ、毎日食べても、たぶん飽きない」
静寂が訪れる。
風が、葉を揺らす音だけが聞こえる。
「……で?」
カイナが、にやりと笑う。
「一番は?」
ルリもじっとグレンを見る。責めるようではない。ただ、答えを待っている。
グレンは、少しだけ考えたあと――
「……一番は、リノアかな」
一瞬、時間が止まった。
「……えっ?」
リノアの口から、か細い声が漏れる。
「りっ……理由は?」
カイナが聞く。
「味もあるけど……」
グレンは正直に言う。
「一番……懐かしい感じって味がする」
その言葉が、決定打だった。
リノアの目が見開かれ、次の瞬間、みるみるうちに赤く染まっていく。
「そ、そんな……わ、わたし……」
言葉にならず、俯く。
「えっ、ちょ……泣かせるつもりはなかったんだってリノアさーん!?」
リノアは耳まで真っ赤だった。
「ふむ……」
ルリが腕を組む。
「なるほどの……つまり――」
にやり、と笑う。
「胃袋を掴まれたということじゃな?」
「言い方!」
グレンは思わずツッコむ。
「ま、いいか、次は負けないし……」
カイナが肩をすくめる。
その目は、すでに次を見据えていた。
リノアは、しばらく俯いたままだったが、やがて小さく頷いた。
「……あ、ありがと……」
その声は震えていたけれど、確かに嬉しそうだった。
昼休みは、ただの休憩時間のはずだった。
だがこの日、グレンははっきりと理解した。
――これは幸せだが、ある意味地獄だ。
そして中庭の隅。木陰に寄るようにして、影星クラスの三人組がひそひそと顔を寄せていた。
「……おい、あれ」
「マジかよ。復帰直後にハーレムかよ」
「グレン、リノア泣かせてねぇか」
その視線の先にはベンチに座るグレンと、その左右を固める少女たち。
「……チッ」
カルナードが舌打ちする。
「無魔力のくせに、調子乗りやがって」
「囲まれてるのが気に入らねぇだけだろ」
「……」
ブラムだけは何も言わず、ぎゅっと拳を握っていた。
――その背後。
「何をコソコソ見ているの、影星」
冷えた声が振り注ぐ。
三人がびくりと肩を跳ねさせて振り返ると、
そこには始星クラスの少女――セラフィナが立っていた。
「オメェには関係ねぇだろセラフィナ」
「昼休みぐらいどこいてもいいだろ」
「……」
強がる三人を、セラフィナは一瞥する。
「盗み見なんて、品がないわね」
そう言いながらも――
彼女自身の視線は、無意識に中庭の中央へ向いていた。
ベンチで笑う少女。
困ったように頭をかく少年。
「……まあ」
小さく息を吐く。
「少し、興味がないと言えば嘘だけど」
「おいおい、何見てんだよセラフィナ」
肩に腕を回すように、ライオットが割って入る。
「んなもん気にしてる暇あったら行こうぜ。始星が影星の昼飯眺めてても、得るもんねーだろ」
「……そうね」
セラフィナは一度だけちらりと中庭を見ると、すぐに踵を返した。
「行きましょ」
始星の一団は、そのまま立ち去っていく。
そしてさらに離れた場所。校舎の回廊、日陰の窓辺。
そこでは金髪の中性的な男性が腕を組んで中庭を見下ろしていた。
「ふんふん……」
楽しげに、ほんの少しだけ口角を上げる。
「なるほどね。これは……」
誰にも聞こえない声で、彼は呟く。
「――君には何か人を寄せ付けるような能力があるのかもね」
その視線は、評価でも敵意でもない。
ただ、その視線はずっとグレンに固定されている。
「やっぱり、面白いねぇ」
頭に深くフードを被り、彼は颯爽と何処かへ消えていった。
当の本人は、自分がどれだけの目に映っているのか――
まだ、何ひとつ知らないまま。




