二十一話 新勇者
とある、休日のことだった。
――カンッ……コーン……カン……コーン……
澄んだ鐘の音が、空気を震わせた。
「む?」
ルリの耳が、ぴくりと跳ねる。
その瞬間窓外の、通りのざわめきが一斉に止んだ。
露店の呼び声が消え、歩いていた人々が足を止める。
誰かが空を仰ぎ、誰かが息を呑んだ。
グレンは、無意識に肩を強張らせていた。
この音を、間違えるはずがない。
昔――自分の名が呼ばれた日にも、
まったく同じ鐘が鳴っていたからだ。
「……あの日、か」
台所から顔を出したルーフェンが、低く呟く。
「勇者継承式だよ。新しい勇者が、今日発表される」
グレンの心臓が、一度だけ強く跳ねた。
――勇者。
かつて、自分が立っていた場所。
今はもう、他人のために用意された席。
「……新勇者、ね」
そう言って、彼は小さく息を吐いた。
そんなグレンの様子を見て、ルリは椅子から降りると、服の裾をきゅっと掴んだ。
「グレン行くのじゃ。この目で見ておくべきじゃ」
「……俺が?」
「おぬしは……元・勇者じゃろうが!」
ルーフェンに気づかれぬよう、耳元で強めに囁く。
ルリはじっと、逃がさないと言う風の目でグレンを見る。
「場所は二環、だっけ」
グレンは軽く首を回し、あくびを噛み殺した。
「あそこは気難しい人多いんだよな……」
「話を逸らすでない」
「……そうだな」
ルリはふん、と鼻を鳴らし、
そのままグレンの袖を掴んだ。
「わしが死にそうじゃと言っておるのじゃ。
共に行くのが義務じゃ、行くぞ」
「まぁ……そうだな……」
抗議とも同意ともつかぬような返事をしながら、
グレンは引きずられるように歩き出す。
背後で、ルーフェンが声をかけた。
「……無理してないか?大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
即答だった。
通りに出ると、ルリは機嫌よく歩き出す。
グレンは半歩遅れ、ポケットに手を突っ込んでついていく。
「ルーフェンはなぁ、勇者グレンの顔を思い出すから行きたくないのじゃろ」
「……そうかもなぁ」
三環へと続く道のり。
いつもの通学路と変わらないはずなのに、グレンの視線は、無意識にいろんな道を見ていた。
少しづつ、道は綺麗に、傍にあるオブジェクトは豪華なものに変化していく。
三環から二環へ近づくにつれ、通りのざわめきが変質していった。
歩調は自然と揃い、視線は皆、同じ方角へ吸い寄せられている。
色鮮やかな旗が風に鳴り、兵士たちの鎧が鈍く光る。
広場の奥――
真っ白の台座と、天へ突き立つような真っ直ぐな剣が見えた。
「あー……」
人混みを見渡し、グレンは小さく息を吐く。
「やっぱ混んでるな」
言いながら、フードを深くかぶった。
「なにを隠れているのじゃ!お主が主役じゃあるまいに、どうどうとしておけばいいのじゃ」
ルリは腕を組みふん、と鼻を鳴らす
「まぁ、それもそうだな」
フードを外しながら、グレンは無意識に指先を握り込んでいた。
――ここに、立っていた。
かつて自分が。
胸の奥で、鈍いものが軋む。
「お、始まるぞグレン!」
声に押されるように、視線を上げる。
広場中央。
七星剣の騎士たちが並び、一斉に剣を掲げた。
その列の中心から一人の男が歩み出る。
黒と紺の衣。そして音を立てぬ歩調。
ただ一歩を歩くだけで、周囲の空気が張りつめていく。
――イル=ヴァーク・アストラ王。
誰かが息を呑み、誰も声を上げなかった。
「……ひえっ」
隣で、ルリが思わず後ずさる。
「なんじゃあの圧……近づきたくない類の強さを感じるのじゃ……」
王は立ち止まり、淡々と告げた。
「――シリウス・リュミエル……前へ」
名が呼ばれた瞬間、ざわりと空気が揺れた。
青銀の髪を揺らし、一人の青年が進み出る。
その所作に、迷いは一切ない。
立っただけで、周囲がひやりと静まった。
「わぁ……兄さま……」
人混みの端で、セラフィナが息を詰めるように話しているのが見えた。
誇らしさと、不安と、言葉にできない何かを抱えたまま。
グレンはその横顔を一瞬だけ見て、視線を戻した。
シリウスは王の前に跪き、右拳を胸に当てる。
王が、わずかに頷く。
次の瞬間、深蒼の水が迸った。
――ゴオオォッ……!
空気が震え、
青い水柱が天へと昇る。
ルリが、思わず目を見開く。
グレンは、ただ黙ってそれを見ていた。
胸に残ったのは、怒りでも羨望でもない。
ただ、静かな痛み。
光が収まり、シリウスは立ち上がる。
「――この命が尽きるその時まで。アストラル王国に、尽くす」
低く、揺るがない声。
その瞬間、広場が歓声に包まれた。
王は何も言わず、背を向ける。
喝采の渦の中、そこだけが切り取られた別世界のようだった。
「王とやらは、無口なんじゃな」
ルリが率直に言う。
「……そうだな」
グレンは小さく笑い、人々の声を背に息を吐いた。
「グレンよ」
ルリが、袖を引く。
「あのシリウスってやつも……数年後には、死ぬんじゃろな」
「……あぁ」
短く応え、グレンは前を見たまま言った。
「だから止める。これ以上、誰も――勇者にならなくていい世界を見せる」
その目は静かで、しかし、決して揺れてはいなかった。




